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最終更新日 2025年12月16日
ページID 3481
大正8年10月指定
〈所在〉東京都世田谷区豪徳寺2丁目14番周辺
〈時代〉中世
【土塁と空堀(世田谷城址公園)】
世田谷郷が吉良氏の所領となった時期は少なくとも永和2年(1376年)以前であることは確実です。(「鶴岡八幡宮文書」)吉良氏が「世田谷吉良殿」と呼ばれ、世田谷郷を本拠地としていたことが確認できるのは、その後の応永33年(1426年)になってからです。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めによる北条氏の没落に伴い、吉良氏は上総国生実(現在の千葉市)に逃れ、世田谷城は廃城となりました。
【発掘された空堀の断面】
また、城内には吉良氏ゆかりの「弘徳院」(豪徳寺の前身)が存在していました。現在は、郭(くるわ)、土塁や空堀の一部をみることができます。最近行われた弘徳院境内と推定される地区の発掘調査で、空堀、土塁のほか、掘立柱建物、井戸、地下式坑などが発見されています。
教育政策・生涯学習部 生涯学習課 文化財係
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