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最終更新日 2022年5月23日
ページID 3481
土塁と空堀(世田谷城址公園)
大正8年10月指定
〈所在〉東京都世田谷区豪徳寺2丁目14番周辺
〈時代〉中世
世田谷城は、清和源氏・足利氏の一族である吉良氏の居城として知られています。貞治5年(1366年)に吉良治家によって築城されたと言われていますが、正確な築造時期は不明です。その一部、世田谷城址公園付近には土塁と空堀の一部が残されています。
世田谷郷が吉良氏の所領となった時期は少なくとも永和2年(1376年)以前であることは確実です。(「鶴岡八幡宮文書」)
発掘された空堀の断面
12世紀後半~13世紀前半にはこの地に吉良氏が領地をもっていたことがわかっています。しかしながら、吉良氏が「世田谷吉良殿」と呼ばれ、世田谷郷を本拠地としていたことが確認できるのは、その後の応永33年(1426年)になってからです。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めによる北条氏の没落に伴い、吉良氏は上総国生実(現在の千葉市)に逃れ、世田谷城は廃城となりました。
また、城内には吉良氏ゆかりの「弘徳院」(豪徳寺の前身)が存在していました。現在は、郭(くるわ)、土塁や空堀の一部をみることができます。最近行われた弘徳院境内と推定される地区の発掘調査で、空堀、土塁のほか、掘立柱建物、井戸、地下式坑などが発見されています。
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