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最終更新日 2024年9月30日

ページID 19711

令和6年9月の「区長の談話室」(ゲスト:石川さゆり 氏)

令和6年9月の区長の談話室

令和6年9月1日・8日放送 区長の談話室「新たな世⽥⾕区⺠会館に名誉区⺠、⽯川さゆりさんをお迎えして!」

※9月8日は1日の再放送です。

8月にひきつづき、歌手で世田谷区名誉区民の石川さゆりさんをゲストに「新たな世田谷区民会館に名誉区民の石川さゆりさんをお迎えして!」をテーマにお送りします。石川さゆりさんがこれまでに取り組んでこられた東日本大震災や、今年の元日に起きた令和6年能登半島地震の復興支援活動などをお話しいただきます。


(ゲスト:歌⼿、世⽥⾕区名誉区⺠ ⽯川さゆり ⽒)

テーマ・ゲスト紹介

  • パーソナリティ:「区長の談話室」今月も保坂展人区長と一緒にお送りしていきます。保坂区長、今日もよろしくお願いいたします。
  • 区長:よろしくお願いします。
  • パーソナリティ:今日も先月に引き続き、新しい区民会館に歌手で世田谷区名誉区民の石川さゆりさんをお迎えしてお送りいたします。石川さゆりさん、今月もよろしくお願いいたします。
  • 石川氏:こんにちは、石川さゆりです。よろしくお願いします。

東日本大震災復興支援~浜甚句の継承

  • パーソナリティ:石川さゆりさんは世田谷区の東日本大震災復興支援事業の募金の呼びかけだったりとか、啓発ポスターへのご協力などもおこなっていただいているということですよね、区長。
  • 区長:そうです。石川さんは、震災のかなり早い時期から、自ら車の中に機材を入れて被災地を訪問されていたんですよね。
  • 石川氏:はい。そうですね、ずっと皆さんのところに、仮設住宅ができる前の避難所の時から。本当にその時も悩みましたね、こんな大変な時に伺っていいんだろうか。でも行った時に、「本物の石川さゆりだね」っておばあちゃまが言ってくださって。「あ~、嬉しいなぁ~。でも、家帰って家のテレビで見たいなぁ」っておっしゃったのが忘れられなくって。
  • パーソナリティ:涙が出ますね。
  • 石川氏:本当に大変な避難所の生活をしていらっしゃるところ、そして仮設住宅に移られてから、ずっと皆さんのところを訪ねさせていただきました。
  • 区長:また東松島市だったと思いますが、伝承の浜歌で、浜甚句でしたっけ。
  • 石川氏:浜甚句という歌。
  • 区長:これを本当に上手に歌える方が亡くなってしまって、それを復活できるかどうかっていう、そこに関わられたんですよね。
  • 石川氏:そうです、はい。東松島、大曲浜というところに大漁の時に祭りがあり、嬉しいときもどんなときもみんなが歌ってらした、浜甚句という歌があったんですけど、おじいちゃん達が亡くなってしまって。本当に若者たちは甚句なんて歌えないんです。で、長老で、私達はしんちゃん、しんちゃんと言っていたおじいちゃまがいらしたんですけれども、その方が唯一歌えて、じゃあ私も、「石川も一緒に練習するから若いあなた達も覚えてちゃんとこれを繋いでいかなきゃだめよ」って言いながら練習したんですね。獅子舞を正月にやって、これをやはり祭りにしてらしたんですけれども。なかなか…。まず獅子頭が流されちゃったというところから始まって。でも見つかったんです、奇跡的に。それを綺麗に洗って。そしてまた、太鼓がいると。でも何にもない。そしたら羽田の神社から、「この太鼓をお使いになってはどうですか」っていう寄付があって。もうそういう皆さんの心が重なって重なって、やっと祭りが復活することになって。それがすごく嬉しかったので、日本中の皆さんにこの浜甚句というものを忘れないでいただきたい、覚えていただくと、それとともにこの東日本の大変な皆さんの生活を忘れないでいていただけるかなということで、浜甚句を歌の中に入れて、なかにし礼先生の作詞で弦哲也先生の作曲で「浜歌」という歌を作って、コンサートでずっと歌って歩きましたね。もちろん若者たちも歌えるようになりまして、今も続いて、祭りも復活しています。
  • 区長:世田谷区では10年間にわたって1億数千万円の支援金を集めました。その支援金をひとつひとつの自治体と関わり、取り組みが非常に進んでいる所について、少し多めにだったり、かなり多くの自治体にお渡ししていったんですが、石川さんにはキャンペーンをやっていただいてから非常に広がりを持ったということと、もうひとつ大変ありがたかったのは、南三陸町というところで大変多く職員も派遣をし、世田谷区民の例えば造園をやる人たちが「応援に行くよ」と言って行ったりとか、関係ができていたところに。
  • 石川氏:木の植樹というか何にもなくなったところだったので、桜の木を世田谷の職人さんたち、植木屋さん達がいらしたりなさってくださいましたね。
  • 区長:断崖の歌津町というところの松が枯れちゃったんで、病気に強い松に植え替えたりとか、そういう事もやっていただいて。コンサートもやったんですね。朝方、夜中の3時くらいから並んだ人がいたということでしたけれども、大変喜んでステージに、石川さんも色々呼びかけられて。
  • 石川氏:そうですね。でも本当はそういう大変な事で出会ったというのも、本当はそういうことなんかなければ良かったんだけど、でも東日本大震災というのは、あらためて人のつながり、協力、絆の大切さ、そういうものを私たちに教えてくれた。そういう大変な想いでもあったけれども、そういう地震でもあったな。だからそれから本当に世田谷区役所の皆さんもずいぶんいらしてましたよね。

能登半島地震~復興支援のつながり

  • 区長:そうですね、はい。南三陸の後だったと思いますが、今、浜甚句の話が出た東松山市でもやっていただいたんですよね。こういった形で10年間ようやく少しずつ、色んな問題を抱えながらも、まちの再建ができてきたという報告を受けているんですけれども。それからあまり間もないうちに、能登であれだけの地震が起きてしまい、地震の被害という意味では東日本大震災への被害というのは、全面的に能登のように大きな瓦の家が潰れてしまうというようなことはなかったので、傾いたり潰れたりはあったけれど、残った建物も多かった。むしろ津波ですよね。
  • 石川氏:そうですね。
  • 区長:能登の場合、津波もあったし、揺れが凄く強かったということですよね。
  • 石川氏:だから能登にお邪魔して家を見ると、なんでもなく普通に建っているお家もあるんですね。でもお家の方が外に出てらしたんで、「この辺はそんなに被害はなかったんですか」というと、「いや。さゆりさん、もう少し家に近づいてみて下さい」とおっしゃったので、壊れていない、倒されていないお家に近づいて行ったら、バツって書いてあるんです。
  • 区長:あぁ。
  • 石川氏:「これ、どういうことですか」って言ったら、「もう住めない家なんです。地盤が崩れてしまって、もの凄い隆起があったので、そこの家には危なくてもう住めないということで取り壊しになるというバツが書いてあるお家が、ここもあそこも、あそこも、あっちもなんです。だからこの辺ではうちだけなんですよね、怖いですよ」っておっしゃった方がいらして。あぁそういう現実なんだなと思いましたね。
  • 区長:東松島市の浜甚句のような、歌を復活して皆さんと思いを重ねるみたいな試みもされましたか。
  • 石川氏:そうですね。能登に行って色んな方とお会いして、何か一緒に民謡なり何なり歌いながら、皆さんに元気を少しでもつけていただけたらなと思って、「能登のここで皆さんが一緒に歌える歌ってなんですか」って言ったら、「能登半島だ」っておっしゃって。「え、能登半島ってあの石川の能登半島ですか」、「そう、あれはみんな歌える」とおっしゃったんでね。歌い手としてこんな皆さんが大変な時に、「みんなが歌える歌だよ」って言っていただけるなんて、なんとも複雑な気持ちですけれども、歌い手にとってなんと幸せなことだろうと。そんな歌を持っているのであれば、やはりちゃんと皆さんと向き合っていけたらな。そして、石巻の方と先日またお会いしたんです。そしたら、石巻の方が、「さゆりさん、俺たち頑張っているよ、でも正直言って昔の石巻じゃないです。でも新しい石巻を今作ろうと俺たち頑張っています。それが能登の皆さんの目指す、石巻だってあんなになくなったけれども、こういう風に復活・復興していけるんだなっていう風に、後に続いてくれるように俺たち頑張っているんです」って。その話を聞いた時に、これは能登の皆さんに伝えよう、そうだ、今までのものを再現していく事も素晴らしいことだけど、新しい能登をまたこれから皆さんで、これから子どもたちが「自分の故郷は能登です」ってちゃんと言えるような、そういう所が生まれていくように私も歌いながらお話をしていきたいなって思っていますね。
  • パーソナリティ:東日本の時も世田谷区と一緒に石川さんご協力いただいて、そして能登の方もそうですよね。
  • 区長:今回の能登半島の災害支援金の応援にも、石川さんにお受けいただいて参加していただいています。能登半島に関しては、毎月1日にニュースが流れるんですよね。3か月、4か月、5か月、半年と。ただ日常的にニュースはすごく少なくなっているので、能登半島の地震で、何かもう大変な事態から脱出したのかなと思っている人も存外いるんですね。だけど何が悪かったのか、ひとつは地形の問題もあったし、あまりにもすごい被害だった。輪島でも珠洲でもそうですけれども、地盤が盛り上がって隆起しちゃって、漁港だったところが陸になっちゃっているんですよね。
  • 石川氏:そうですね。もう船が持ち上げられちゃって。
  • 区長:動けなくなっちゃっているんですね。
  • 石川氏:そうなんです。
  • 区長:せっかくの漁船が、一番かき入れ時に出せない、それは本当に辛い状態ですけれども。やらなきゃいけない事は本当に多数あって、日本中の力をやっぱり能登半島にもう一度結集しないといけないんじゃないかなと。そういう呼びかけを世田谷区からも、特に石川さん自身の活動からもつなげていけたらなと思いますね。
  • 石川氏:若い方達はやはり仕事があるところにとか、また子どもがいる方達は学校の再開っていうのも、なかなか水が出ないところがまだありますから、大変なので、街に移動してらっしゃる。で、家族がバラバラに暮らしているっていう方達もいるんですね。能登に今残っている方は、もちろん若い方がゼロとは言いません。でもお年寄りが多いです。そのお年寄りの方達はそのまちでしか、もう暮らしていけない方達。だからもう本当に、この方たちの事をもっと大切に考えたい。それと若い方達が戻っていける、また新しい若者たちも何か、上手く言えないですけれども、何か考えてもらえないのかなって思いますよね。みんながやはり暮らせる場所にしないと、働ける場所にしないとなかなか皆さんも戻れない。だから輪島塗の職人も酒造りの職人の皆さんも帰りたいんだけど帰れないっていう、そういうところで、とっても今大変な思いをしていらっしゃるのかなって思います。
  • 区長:もちろんそれぞれのまちの人たちも精一杯頑張っていらっしゃるんだけれども、応援できること、やっぱり必要だと思うので、とにかくまずは知るということ、これも大事。ニュースが少なくなってしまっているので、やっぱりちゃんと現状を。仮設住宅は本当に狭いけれどもようやくできて、避難所の体育館で段ボールの上に寝るという状態とか、またビニールハウスでずっと暮らしていた人たちもいらっしゃるんで。この暑さですから。
  • 石川氏:暑いですよね。
  • 区長:ですから健康を損ねないような居住環境で、どうやって応援できるのかという事を一緒に考えていきたい。区としても取り組みたいですよね。
  • 石川氏:私は石川さゆりという名前があるので、皆さんにこうやってお話しできるんだけれども、世田谷区の中で、また色んな日本中にそういう被災なさった皆さんの事や大変な被災地の事を心配して、いっぱい応援している方達がいらっしゃるんだと思うんですね。自分たちは何ができるんだろうって考えてらっしゃる方達も、いっぱいいらっしゃると思うので、何かその方達ができる事をみんなで考えながら。義援金、義援金ってついつい私達も言ってしまいますけれども、これは皆さんの想いと能登で暮らしている大変な皆さんをつなぐ、そしてまた皆さんの生活が戻っていく。名前があるとかないとかじゃないんです。本当に皆さんの応援のお力だと思うので、ぜひ私も応援させていただきますけど、皆さん、世田谷の皆さんも、今でおしまいじゃなくて、ぜひぜひ思いをつないでいただきたいなと思います。
  • パーソナリティ:東日本の事もありますしね。
  • 区長:東日本があってですね、今、能登の話になりました。しかしその間に熊本地震という大きな災害もありましたよね。
  • 石川氏:もう日本中、今はそういう意味で言うと大変な災害が。
  • 区長:石川さんは熊本ご出身で。
  • 石川氏:はい、そうです。
  • 区長:生まれたお家のあたりはどうだったんですか。
  • 石川氏:液状化現象、地震の時はでしたね。でもそれだけじゃなくて熊本は水の災害も。地震だけじゃなくてそれが続きましたから。それで家が大変なことになった方達っていうのもたくさんいらっしゃいます。でもニュースっていうのはそういうことなのかもしれないけど、新しい事が入ると、その後、皆さんがどう暮らしているのかっていうことはついつい忘れがちになってしまう。
  • 区長:世田谷区からも職員を送りまして、お城の再建、熊本城の再建に取り組んでいただいて。
  • 石川氏:まだまだやっています。ありがとうございます。
  • 区長:「熊本が合っちゃったので私はもう帰りません」っていうことで熊本に残られていますけれども。
  • 石川氏:ありがたいです。
  • パーソナリティ:色々な事があるたびに石川さんの音楽の力で色んな方達を励まして元気づけて、そしてこれから頑張っていこうと思える、そういう力を与えて下さって、それを世田谷区と一緒にこれからもぜひよろしくお願いいたします。
  • 石川氏:ぜひよろしくお願いいたします。

今後の活動~自分が伝えたいことを歌にして

  • パーソナリティ:石川さんの今後のご予定なんですけれども。
  • 石川氏:今、「とこしえの旅」という歌を作って歌っております。これは、本当は能登にお邪魔した時に見た私の想い、景色、そういうものを東京に帰っていっぱい話して、松井五郎さんの作詞で歌を作り、加藤登紀子さんが曲をつけて下さって。ですから何か今の私の想い、能登だけじゃなくて、本当に生きているっていうのは、毎日いい日ばっかりじゃなくて色んな日がある、でもちゃんと明日に向かわなきゃいけないんだな。でもひとりじゃないんだよ、絶対にひとりじゃなく隣を一緒に歩いている人がいますよっていう、そういう歌を今、歌っています。それとコンサート活動も実際には、やっているので、被災地の皆さんだけじゃなく、東京は国際フォーラムで秋に、11月30日に。もしまた世田谷からだとそんなに遠いところじゃないので、お出かけいただければ嬉しいです。
  • 区長:石川さんのステージっていうのも、もう毎回新しい試みをされていますよね。
  • 石川氏:そうですね。何かやはり皆さんに届けられることを、新しく見つけたいなと思いながら。でも、とんでもなく真新しい事をやるっていうんじゃなくて、でもこうやって色んな皆さんとお目にかかったり、お話しを聞いていると、今自分がやること、50周年過ぎた頃ですね、思いました。「これから先、自分は何をやったらいいんだろう」って。ヒットする歌とか、皆さんがカラオケで歌える歌、それもとっても素敵なことだけど、今、自分が伝えたいことを歌にして届けていけたらいいなっていうのは、すごく最近思うことですね。
  • パーソナリティ:今、ビジョン的なことでお話していただいたんですけれども、今後どういうふうに音楽と関わっていきたいということはおありですか。
  • 石川氏:あんまりね、決まりがないんです、私の中では。ただその時に、毎日嬉しいことも大変な事もニュースが生まれるように、それをしっかり自分の中で感じながら、今、皆さんに届けていくべき歌は何なのかなというのを見つけていきたい。そしてそれを売り込みながらステージで皆さんに、実際に自分が立って歌で届けていきたいなっていう感じがします。
  • パーソナリティ:きっと皆さん、今日は石川さんの震災があったところでどんな風に活動されたかというお話を伺いまして、先月もそういったお話、それから新しい区民会館の話もしていただいてお話を伺ってきたんですけれども、石川さんの歌で元気づけられている方がきっとたくさんいらっしゃると思いますので、よかったら最後に世田谷区の皆さん、リスナーの皆さんにメッセージをお願いしてよろしいでしょうか。
  • 石川氏:世田谷の皆さんは私の生活圏ですから。そういう意味では着物を着ている石川だけではなくて、買い物袋を下げている石川さゆりを見かけている方もたくさんいらっしゃるんだろうなって思います。「こないだ三軒茶屋走ってたよ」とかね。「あそこで見かけたよ」とかって。私も世田谷は、さっきも言いましたように40年を超えてずっと暮らしている所ですから。なんだか生まれは九州熊本なんですけれども、もうここで私は根付いてずーっとずっと暮らしておりますので。会ったら「こんにちは」って言っていただければ、「こんにちは」くらいですけれども、ご挨拶してお話しできるかなと思います。

まとめ~2か月を振り返って

  • パーソナリティ:この先も名誉区民として色々世田谷区としてもご協力いただきたいなということですが、区長最後にお願いします。
  • 区長:今回のエフエム世田谷を聴いていただいた皆さんには、たぶんこれだけ被災地の事であるとか、石川さゆりさんの考え方や感じ方、動き方についてお話しを伺うのは初めてだという方もたぶんいらっしゃるんじゃないかなと思うんですね。
  • 石川氏:そうですね。
  • 区長:石川さんは非常に災害とか人々の苦しい状態、絶望に近いような状態の中で歌に何ができるんだろう、歌の力はどこまであるんだろうと自問自答しながら、そこでもやはり歌い続けてこられたというのがとても素晴らしいなと思いますし。私は行政を預かる立場ですけれども、やっぱりあきらめないで、そして人々がどのあたりでやっていこうと、ちょっと疲れていたけれども、元気が出たよというような、そんな気持ちを重ねる場面というのを、石川さんはたぶんよくご存じなのかなと、コンサートを脇で見ていてそういう風に思いました。ですからこれからもですね、そんなに度々というわけにはいかないんですが、世田谷でも直接お話しも、そして歌も、お願いしたいなと思います。
  • 石川氏:そうですね。私のおうちですから、世田谷は。
  • パーソナリティ:嬉しいですね。どうもありがとうございました。2か月に渡って石川さゆりさんをゲストにお迎えして区長の談話室お送りしてきました。保坂区長、石川さゆりさん、どうもありがとうございました。
  • (区長・石川氏)ありがとうございました。
  • 石川氏:皆さんもお元気で。

 

写真8月放送
写真左よりパーソナリティ、石川氏、保坂区長

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