令和7年2 月の「区長の談話室」(ゲスト:中澤 まゆみ氏)
令和7年2月の区長の談話室
令和7年2月2日・9日放送 区長の談話室「住み慣れた地域で最期まで暮らそう!」
※2月9日は2日の再放送です。
ゲストに、ノンフィクションライターで、認知症カフェ多職種ケアネットワーク「せたカフェ」代表、世田谷区認知症施策評価委員会委員の中澤まゆみ氏をお招きし、「住み慣れた地域で最期まで暮らそう!」をテーマにお送りしました。
区では令和2年に施行された「世田谷区認知症とともに生きる希望条例」に基づき、認知症の本人・家族・地域住民ひとりひとりが希望を持って暮らせる世田谷を目指しています。また、認知症の有無にかかわらず、認知症ご本人やご家族、地域の人たちが身近な場所で交流できる場として、「認知症カフェ」があります。専門スタッフもいるので相談もできます。認知症があっても本人らしく、ご本人も周りの人もウェルビーイングに暮らしていくためのヒントなどについて、区長自身の体験も交えながら対談しました。
(ゲスト:認知症カフェ多職種ケアネットワーク「せたカフェ」代表/世田谷区認知症施策評価委員会委員 中澤まゆみ氏)
テーマ・ゲスト紹介
- パーソナリティ:保坂区長、今日もよろしくお願いいたします。
- 区長:よろしくお願いします。
- パーソナリティ:今日は「住み慣れた地域で最期まで暮らそう」というテーマで、認知症カフェについてお送りをしてまいります。早速ゲストをご紹介しましょう。ライターで、認知症カフェ多職種ケアネットワークせたカフェ代表、そして世田谷区認知症施策評価委員会委員の中澤まゆみさんです。中澤さん、よろしくお願いいたします。
- 中澤氏:どうぞ、よろしくお願いします。
- パーソナリティ:区長、中澤さんともご縁が深いようですよね。プロフィールなどご紹介いただけますか。
- 区長:中澤さんはジャーナリストで、ノンフィクションライターで、今、認知症のテーマを中心に、近著で「いえに戻って、最期まで。」とか「おひとりさまでも最期まで在宅」とかたくさん本も書かれています。ただ私が会ったのは、私が20代で、当時中澤さんは、音楽ライターの仕事をされたんですね。僕も喜納昌吉さんという個性的なミュージシャンのプロデュースをやっていて、レゲエシンガーのジミー・クリフさんの青年雑誌でのインタビューというのに立ち会って、名刺交換したというのはよく覚えております。その後、ずいぶん経ってからまた世田谷でお会いするようになって、区政をスタートする時に私自身、どちらかというと教育問題、子どもの問題について活動の主なエネルギーを割いてきたというところがあって、福祉についてもっと全般的なテーマでたくさん深いものがあるので、とことん語ろうというシリーズをやろうじゃないかと提案していただいて、随分大勢の方が集まって。
- 中澤氏:そうですね。
- 区長:区長に就任したばかりの頃は、そんなやり取りをさせていただきました。今、やはり、中澤さんがこの世田谷区の認知症での取組みでも、「認知症とともに生きる希望条例」というのがあって、区民の方も聞いたことあるかな、「あぁ、そんな条例があったね」って、少し広がってきていると思うんですが、この条例づくりで大変大きな役割を果たしていただきました。ちょっと後半で詳しくそのことは述べていただきたいと思います。
認知症カフェ、住み慣れた地域で暮らす
- パーソナリティ:中澤さんご自身も世田谷にゆかりもあって、というところで、本当に地域をつなぐ役割をされてきたんですよね。いかがですか。
- 中澤氏:そうですね。世田谷は、本当に人材の豊富なところだと思うんですよね。医療介護についても本当にいろんな方がいる。でもなかなかつながっていないんですよね。つなぎ役になろうと、私もずいぶん色々な講座をやってきたんですけど、講座を通じてつなぎ役をやっていこうかなというふうに思いました。
- パーソナリティ:またそういった講座の反響なども伺っていきたいというところで、まず区長、認知症の方々の現状などはいかがでしょうか。
- 区長:そうですね。実は中澤さんに、この「区長の談話室」に初期に出ていただいたことがあるんですね。認知症カフェって僕も知らなかったんですよ、実は。中澤さんにお会いして色々聞いてみると、認知症の方ご本人とご家族が割と身近な地域の中で雑談をする。そこに介護関係者の方がいたり、いろんな人が来るのでそういう活動してるのよっていう風に教えてもらいました。そのあたりから、従来までの認知症って、実は私の母も認知症をだんだん進んでいったんですけれども、どうしても病院に行って薬を飲んでとか、それからいろんなことを禁止したりとか、外に出ないようにとか…。何かしようとすると「いいからいいから」という風に家族が束縛するような、そういうことが多くて、逆に母はそれにムカッとして怒ると。そうすると周りはちょっと(怒りっぽくなるという認知症の)症状が出たんじゃないかということで、悪循環になってしまって…。でも話をしていると、子供時代の話とか、自分の子育ての話、つまり「どんな子だったんだよ」みたいな話とか、実によく覚えてるし、とても楽しい会話ができるんですね。だから、認知症になったら、もう色々なことができなくなって全く別人になるんだっていうのは、僕は実感的に受け入れられないなと思いながらも、でもどう考えたらいいのかって、迷っているところでちょうど中澤さんに出会ったって感じなんですね。
- パーソナリティ:そういった認知症の交流の輪が広がるような場所ということで、中澤さんも認知症カフェ「せたカフェ」も運営されていますが、どういった場所なのかどんな方が参加されているのかもぜひ教えていただけますか。
- 中澤氏:「せたカフェ」は認知症カフェではないです。区民と介護家族、それから医療、介護の専門職が本当に横並びで、いろんな話ができる。キーワードはケアということ。ケアに関心のある人が集まって何かをやろうよっていう、そういう集まりなんですよ。だからネットワークなんです。そこで「じゃあ、何かをやろう」、つまり私たちは「妄想」って言うんですけど、持ち寄りカフェというのを始めました、最初に。何を持ち寄ってくるのか、食べ物一品飲み食いしながら話し合おうじゃないか。そしてその時に「妄想」を持ってきてほしい。「妄想」ってのは「自分のやりたいこと」です。どんなことをやりたいのか、そんなことで始まった会です。
- パーソナリティ:例えばどんな妄想だったりとか、それこそ多職種の皆さんの連携もあると思うので、どんなテーマで?
- 中澤氏:一番最初に出てきたのが認知症カフェだったんです。それは介護家族から出てきました。私たちが始めたのは2014年ですよね。今から11年前、まだ国が始めて推進してこない前なんですけど、世田谷で2番目の認知症カフェというのを始めました。
- パーソナリティ:オンラインでも配信をされていらっしゃるというのは、どんな輪が広がっていますか。
- 中澤氏:今、だから認知症だけではないんですよね。認知症もあります。主体になっているんですけれども、家族、それから、専門職、関心のある普通の市民の人ですよね。オンラインなので、全国から集まってきていろんなカフェやっている人とかね、集まってきますので、いろんな話をしながら、じゃあどうしていったらいいのかとかね。そういった交流会みたいなことを毎月やっています。認知症でやっぱり一番大切なのは初期の段階だと思うんですよね。だから、もうすごく認知症って長いので、一人一人段階が違うじゃないですか。でも、一番大切なのはその初期のケアだと思うんですよね。そこのところでいきなり病院とかね。いきなり介護とかね。もちろん介護必要だし、病院も必要なときはあるんですけど、そうじゃなくて普通の状態で話せるようなそういった場所がやっぱりあった方がいいんじゃないかと。
- パーソナリティ:そういう意味でもやはり今回住み慣れた地域で暮らすっていうことが、やっぱり区長、大切なことでもあったりするんでしょうか。
- 区長:そうですね。以前は、認知症の方を地域全体で見守って、事故などが起きないようにしようというようなまちづくりが言われた時期があるんですが、そこで欠けていたのはやっぱり認知症の方自身の中に、確かにできなくなることがあるんです。でも、さっき母の例で言ったように、僕はできることが相当多いなともともと思っていたので、そのできること、例えば本の読み聞かせをお子さんに対してやるとか、音楽を教えていたピアノの先生だったら、ピアノを弾いてあげるとか、できることじゃないですか。だけど、認知症の症状が出てきたそのご本人と家族が、全てを失った、全てがもうなくなった、だから、一人では生きられないんだ、という風に、なんか極端なところに追い詰められていくというか、それは社会がそういう社会として排除してくるようなね。だからそのまちを一緒に歩いたり、どっかで喫茶店に入るっていうのも「何するかわからないから…」みたいな、そんなガードの仕方をしていて、この間、中澤さんたちと条例の議論をして、誰もが認知症とは罹患するんですよと、全てを失ったりするわけではなくて、やはり残っている資源というか力というか、ここを使って住み慣れたまちで穏やかに生き続けるというか、暮らし続けることを支援する。そのご本人も家族も周りの人も、そんな社会、世田谷区にしたいですねという条例なんですよね。
- 中澤氏:そうですね。
- 区長:そういうふうに考えるまでには、ちょっと価値観をかなり変えないと難しかったかなと思います。
- パーソナリティ:また、後半でもお話を伺っていきたいなと思っておりますので、ぜひぜひそういった条例についてなど、お二人にも伺わせていただけたらと思っております。
世田谷区認知症とともに生きる希望条例の施行にあたって
- パーソナリティ:今日は「住み慣れた地域で最期まで暮らそう」というテーマで、認知症カフェについてお送りしていきます。ゲストには、ライターで認知症カフェ多職種ケアネットワークせたカフェ代表、そして、世田谷区認知症施策評価委員会委員の中澤まゆみさんをお迎えしております。区長、前半でもお話があったように、世田谷区では令和2年に「世田谷区認知症とともに生きる希望条例」が施行されました。皆様からの意見も反映されたというこの条例、どんな条例なんでしょうか。
- 区長:そうですね。この条例を作るときにワークショップを一度やっていまして、区としては条例の大体の案を固めつつあった時に、中澤さんもいらっしゃったし、認知症当事者の方もワークショップにいらっしゃっていたし、介護の現場とか認知症カフェをやってこられた方とかがいらしていたんですね。その時にご提案がありまして、早くつくるだけがいいわけではないと。どうせ世田谷区でつくるなら、他の地域でまだあまりやられていない、認知症当事者の人が、自らの認知症とどのように共に生きる条例をつくるのかというところで参加してもらえないかと。要するに条例づくりにね。そういう仕組みはできてなかったので、「確かにもっともですね」という話をして、もう一回、ちょっと巻き戻してやり直しをして、当事者の方に参加してもらう工夫をしてですね、当事者の方と、いつもサポートされているご家族の方1名で、3組の方に参加していただきましたよね。そこに介護や医療や様々な方々、中澤さんも委員やっていただきましたし、そこでかなりの議論しましたよね。
- 中澤氏:そうですね。
- 区長:希望条例っていうのも、ぜひ希望条例って名前にしようっていうね。これが大きかったと思いますよね。
- 中澤氏:やっぱり認知症に優しい社会とかね、そうじゃなくて、やっぱり希望が欲しいよねって。これご本人たちが言い出したっていうのはすごく大きかったと思います。
- 区長:この条例の中にも認知症に対する見方が今大きく変わってきていてね、認知症になると何もわからなくなってしまうっていう考え方が今までだったけれども、実は全ての記憶を失わないんですよと。本人の意思や感情は豊かに息づいているんだと。で、認知症になったとはいえ、尊厳とそして希望を持って自分らしく生きるという、ある種そういうことをちゃんと実現しようよっていう考え方が、今までの例えば認知症をめぐるたくさんの本、あるいは国も言っていたかもしれないというところに、ちょっと欠けている部分じゃなかったのかなっていう議論がされましたね。
- 中澤氏:そうですね。認知症の人に人権があるみたいな考え方ってなかったので、やっぱりご本人の尊厳というのはどうなっているんだっていうところが、一番大切にしなきゃいけないところなんじゃないかと思いました。
- 区長:そういう中でいろんな言葉についても議論がされてですね、認知症の予防についての議論ですが、「ちょっと待った」みたいな意見があってね。予防はどうかなってありましたよね。
- 中澤氏:予防っていうのは、要するに予防してなかったら認知症になってしまうんだみたいなね。予防してなかったから認知症になっちゃったみたいな。
- 区長:逆に、予防に失敗したから…みたいな、ちょっとネガティブなイメージが…。
- 中澤氏:そうですね。それはご本人たちからもすごく嫌だというふうに言われました。
条例の4つの視点を大切に
- パーソナリティ:この条例を受けて中澤さんご自身も感じたところですとか反響だったり、改善点だったりとかもありましたか。
- 中澤氏:そうですね。一番大切なのは、やっぱり認知症観を変えるっていうね、そこが4つのポイントで挙げられているんですけど、これもいろんな議論の中で出てきたものなんです。みんなが持っている認知症の考え方を変えていくのが、やっぱり一番大切な点なんじゃないかということと、それから“支援者”とかそうじゃなくて、やっぱり“共に一緒にやっていくパートナー”になっていかなきゃいけないんじゃないかとか、そういったことも随分話し合いました。
- パーソナリティ:区長、この条例での4つの視点は、「認知症の視点を変える」、そして「この先の備えをする」、そして「一人一人が希望を大切にし合い、共に暮らすパートナーとして支え合う」、また「認知症と共に生きる本人の希望と当たり前に暮らせることを一番大切に」というところで、いろんな気持ちが込められていますよね。
- 区長:この条例のインパクトは条例の施行記念のシンポジウムがありまして、その時に検討会に参加していただいた認知症の当事者の方がお一人ずつご発言したんですね、マイクを通して。それが多分、それまではあんまりなかったことじゃないかと。1周年、2周年と今度は認知症当事者の方が進行役を担って、認知症のそれぞれのタイプがあるんですけれども、シンポジウムを1時間近くやるというのもあり、それを見た例えば介護関係の方が、「私たちが考えてきていた“認知症の方”というイメージが随分ガラッと変わりました」と、「すごく考えさせられました」というような反応とか、メディアにもだいぶ取り上げられました。何よりですね、国が全面的に、多分、世田谷区初のこの認知症条例のコアな部分ですね、ここをしっかり共有する形で認知症基本法、そして基本計画っていうのを国レベルでもつくるようになってきたというのはありますよね。
- 中澤氏:そうですね。2023年につくられて今、施行というかね、具体的にどうしていったらいいのかということを進めているんですけど。
- 区長:昨年計画がね。
- 中澤氏:やっぱり“認知症観を変える”っていうのが基本的なテーマになっています。
- パーソナリティ:中澤さん、この変革の中で、そういった変わってきたなという実感もありますか。いかがですか。
- 中澤氏:そうですね。変わってきた部分と、変わってきていない部分ってあると思うんですよね。やっぱりまだ世田谷区の条例知らないっていう方もたくさんいるし、でもこういう条例ができていて、国では基本法という法律をつくったんだということは、ちょっと知っておいてほしいなというふうに思います。
- 区長:中澤さんも世田谷区でミニ勉強会行脚をだいぶしていただいて50ヵ所ですか。
- 中澤氏:50か所くらいですね。
- 区長:まちづくりセンターに、あんしんすこやかセンターとありますから、あんしんすこやかセンターにも当然寄せられるわけですね。たくさんの認知症をめぐる相談を受けている職員の方自身もこの条例を受け止めて、またどういう方法でこれからの支えをしていけばいいのかみたいなことを一緒に議論する場を随分やっていただきました。
- パーソナリティ:中澤さんご自身も、2024年の10月に刊行された新刊でも、「いえに戻って、最期まで。」というタイトルの本も出版されて、退院・在宅支援13人のプロに聞かれたというところでどんな準備、そして心構えが必要なのかというテーマでも本を出版もされましたし、それこそ様々な講座とかサミットなども開催されて繋いでもいらっしゃるんですよね。
- 中澤氏:そうですね。
- 区長:中澤さん、実はネットワーカーで元々ジャーナリストでいらっしゃったので、やっぱり違うところでスタートしながらも、共通の根っこがある活動が世田谷にはたくさんあって、僕もすごいなと思ったんだけど、『居場所サミット』っていうのをやりますよと突然ご連絡がありましてですね。『居場所サミット』ですかってこれ何だろうっていうと、居場所を運営している人たちがブースを並べて、「私たちこういうことやっていますよ」って、「こういうグループですよ」って言って、それぞれ紹介して雑談したり、「じゃあ今度行ってみますよ」みたいな情報交換したりする、活動のフリーマーケットみたいなものだったんですね。もうだいぶ続いていますよね。
- 中澤氏:そうですね。始めたのが2018年で、今年もやるんです。4月20日に。
- 区長:どこで?
- 中澤氏:三軒茶屋のキャロットタワーの生活工房です。
- 区長:今度は生活工房で。そういうことでネットワークも広がってきました。でも、多分突然やってくるわけですよね、介護ってね。だから、そんな意味では備えをしてない、あまり考えてなかった認知症について。それで若年性もありますからね。40代とか若いところで発症される方もいらっしゃるんで、中澤さんから見てどんなことを考えておけばいいですかね。
認知症観を変える
- 中澤氏:そうですね。私は認知症っていうのはですね、お母さんのお腹の中にいる時から高齢者になるまで、人生の途中でいろんな中途障害っていうのが出てくると思うんです。それの一つだって考えているんですね。だから、そういう意味では本当に年を取ることも認知症になることも、やっぱり中途障害だって考えると、子どもの時に例えば怪我する子もいますよね。それからがんになる人もいます。認知症になる人もいるし、年を取ればやっぱりみんな死んでいくみたいな。そういった“自分ごとにしていく”ということが、とっても大切なんじゃないかという意味で、認知症ってすごく大きな扉になっていくんじゃないかと思うんですね。やっぱり社会を変えていかないと、認知症に対する考え方は変わっていかないし、それから障害に対する考え方も変わっていかない。だから認知症って本当に“生活の”障害なんですね。だから病気が原因ではあるんだけど、病気というふうに考えないで"生活の"障害、"社会の"障害だというふうに考えておくといいんじゃないかなと思います。
- 区長:私も先ほどから自分の経験ばかり話していますけれども、もし仮に認知症が始まったからといって、確かに「今日、何があった」、「ニュースで何か言ってた」って話については「何だっけな…」って答えました、私の母もね。ちょっとそれは弱いみたいな。ただ、その「昭和18年に自分が高校生で…」みたいな話から始まって、「東京オリンピックの時は…」とかもすごく細かく全て完璧に話はできたんですね。そこから実は学ぶことも多かった。「そうだったんだな」っていうふうに、子供として改めて対話しようと思ったわけですよ。で、対話しているうちにそれが楽しくなって、その時になんていうんですかね、そういうこともできるのに、ちょっと前のことが忘れがち、覚えるのが難しいから、この人はアウトっていう風に家族で遮断しちゃったら、すごくその家族と親子関係、あるいは兄弟かもしれないし、ちょっと貧しいものになってしまうなと。だからできないことはあるけど、できることはこんなにあって、そのできることのところをしっかり温かく回してあげて。そうすると回してやる方が一方的に支えるんじゃなくて、たくさんもらうものもあるんだ、そうするとウェルビーングというかね、イライラしながら「何でこんなことができないの」っていう風にそこにはまらずにですね、できること、覚えていること、そして好きなことについて尊重していく。やっぱり人間、尊重されると穏やかになりますよね。頭ごなしに否定されたり、馬鹿にされたり、嘲笑われると怒りますよ。怒るってことは、またこれが良くないのは、「症状が悪くなったみたいね」って。でも怒らせているんですね。
- 中澤氏:そうですね。
- 区長:というところが、なんかちょっと気づきがありますよね、この話をしていくとね。
- 中澤氏:ストレスがかかると認知症の症状が悪くなってくるので、ストレスのかからない環境を作っていくということもとても大切だと思うんですよね。私も認知症の人を2人、介護してきました。その中ですごく学ぶことが多かったんですね。そういう意味では本当に認知症になった人って、認知症に先になった人、つまり先輩だというふうに考えると、本当にいろんなことが学べるんじゃないかと思います。だから、認知症カフェをやっていても、いろんな認知症のご本人たちが見えますので、そういうところから学べることも結構たくさんあるんじゃないかなと思います。
まとめ
- パーソナリティ:区長、お話を聞いて認知症になったら…という不安ももちろん私もあったんですけれども、それこそ世田谷ではあんしんすこやかセンターもありますし、認知症カフェもありますし様々な相談できるところがあるんだなというのを実感しました。
- 区長:世田谷区で軽度の方も含めれば、約5万人の認知症の症状、なんらかの症状をお持ちの方がいらっしゃる。そうするとその5万人というと、そのご家族の方、周辺の方っていうと、ゆうに十数万人、もしかすると20万人いるかもしれない。世田谷区は人口が多く90何万人いるから、世田谷区民最大のテーマかもしれないです、これ。だからそれをしっかり掘り下げてね。理解しながらいくという意味では、この「認知症とともに生きる希望条例」というのは長持ちする条例で何度も使いながら我が物にしていき、やっぱり一人一人の尊厳を大事にすると、とてもいい社会になっていくという意味ではね、これからもっともっと広げていきたい、そんな条例だと思います。
- パーソナリティ:お話にあった「世田谷区認知症とともに生きる希望条例」をはじめ、居場所サミット、また認知症カフェについてもホームページがございますので、ぜひ皆さんご覧いただけたらと思っております。改めて保坂区長、中澤さん、ありがとうございました。
- お二人:ありがとうございました。

写真:前列左より保坂区長、中澤氏、後列パーソナリティ