令和6年8月の「区長の談話室」(ゲスト:石川さゆり 氏)
令和6年8月の区長の談話室
令和6年8月4日・11日放送 区長の談話室「新たな世⽥⾕区⺠会館に名誉区⺠、⽯川さゆりさんをお迎えして!」
※8月11日は4日の再放送です。
9⽉1⽇に世⽥⾕区⺠会館がリニューアルオープンします。世⽥⾕区名誉区⺠の⽯川さゆりさんをゲストにお迎えし、新しい区⺠会館、世⽥⾕の⽂化や、戦後79年を迎えた今、改めて平和の⼤切さや、ゲストがこれまでに取り組んでこられた東⽇本⼤震災や今年の元⽇に起きた令和6年能登半島地震の復興⽀援活動などをお話しいただきます。8⽉、9⽉と2カ⽉にわたり盛りだくさんの内容で放送します。
(ゲスト:歌⼿、世⽥⾕区名誉区⺠ ⽯川さゆり ⽒)
テーマ・ゲスト紹介
- パーソナリティ:区長の談話室、今日も保坂展人区長とお送りしていきます。保坂区長、今日もよろしくお願いいたします。
- 区長:はい、よろしくお願いします。
- パーソナリティ:今日は新しい世田谷区民会館に、すてきなゲストをお招きしてお送りいたします。皆様おなじみの、歌手で、世田谷区名誉区民の石川さゆりさんです。石川さゆりさん、よろしくお願いいたします。
- 石川氏:こんにちは、石川さゆりです。よろしくお願いいたします。
- パーソナリティ:お願いします。さて区長、まずは石川さんと世田谷区との関わりについてご紹介していただけますか。
- 区長:はい。石川さんは長く世田谷区にお住まいで、なおかつ東日本大震災の時に積極的に支援に動かれていたこともあって、当時復興支援のお金を区としてなるべく多く集めて渡したいというところを、アピールする役割もやっていただきました。2年前には世田谷区名誉区民になっていただいて。
名誉区民となって
- 石川氏:ほんとに私が名誉区民なんて言っていただいていいんでしょうかと思いましたけれども。世田谷は本当に素敵な文化人の方がたくさんいらっしゃいますし、また色んなご活躍をなさっている方がたくさんいらっしゃいますけれども、こうやって歌を歌いながら私もずっと40年以上…もっとかな、45年、ずいぶんこうやって世田谷に暮らしております。良いところですよね。本当にありがとうございます。
- パーソナリティ:2022年に名誉区民に就任いただいたということなんですけれども、その時、受賞の時に石川さゆりさんが、世田谷区はとっても大きな区だけれども落ち着いちゃってるのではなくて、いつも活性化して新しくなって若者にも高齢者にもすごく楽しいまちだというふうにおっしゃっていたのがすごく印象に残っているのですが、今、改めて名誉区民になられていかがですか。
- 石川氏:本当に止まることなくどんどん新しい世田谷が生まれている。この世田谷のホールもそうですけれども。だからといって新しくなるだけで何か全てを忘れていってしまうのじゃなくて、今までの皆さんの「あぁ懐かしいなぁ」というところも残しながら、そして若い方達にもすごく楽しんでいただける。なにかそういうすごく保坂さん素晴らしいなと。ごめんなさい、私がこんなところで区長のことを言っていいのかしらと思いますけれども。やはり世田谷区に暮らしていて、なんだかこうまだまだ、こんなところが素敵になったんだ、梅丘にしてもそうですしね、私達は「にこたま」「にこたま」って言ってますけれども二子玉川の方も、なんだかまだまだどんどん変わっている感じがしていいですね。
- パーソナリティ:いかがでしょう、区長。
- 区長:そういう意味では下北沢もだいぶ変わって。
- 石川氏:下北沢変わりましたよ。今や若者の、一時はなんていうか戦争が終わった、そのまんまが残っているような感じがしてて、この一角に入って行ったらどこに出ていくんだろうみたいなそういう雰囲気が、ちょっと暗い感じが。
- 区長:それもそれでいいマーケットだったんですよね。
- 石川氏:そうなんですよね。なんだけれどもまた若者たちが集う。私が好きなのが下北沢から代田の方に抜けるあそこが好きですね。すごく緑もあって、そして若者たちの色んなチャレンジする場所、お店とかそういうものが。
- 区長:ボーナストラックがあったり。
- 石川氏:そうですね。なにかこう若者たちが挑戦できるところがあるってなんて素敵なんだろうって思いますね。
新しい世田谷区民会館
- 区長:今日ですね、先ほど世田谷区民会館ホールを見ていただいたんですが、以前からここでお話をしていただいたり、ちょっと短く歌っていただいたりしたのですが、今日どうでしたか。
- 石川氏:天井が高く明るくなって。それから、もちろん私も少し歌わせていただいたこともあったんですけれども、娘の成人式もやはりこちらで成人を迎えさせていただいて。それがこの新しいホールになったら、また本当に明るくって、あと音楽がみなさんに、エンターテインメントが楽しんでいただける。もちろん区の色んなイベントがこれからたくさん区民の皆さんもなさるだろうし、そしてまた色んな音楽をやっている方、役者さん、エンターテインメントの方も世田谷にはお住まいなので、そういう皆さんもこのステージから色んなパフォーマンスを披露する機会がまた皆さんにご覧いただけるのかなぁなんて思いながら。
- 区長:ちょうど8月11日からこけら落としのシリーズが始まりますけれども、邦楽に始まって、オーケストラとかポップスとか、いろんなジャンルから出てもらおうと思ってます。
- 石川氏:三軒茶屋の方にもね、ああいうエンターテインメントをするホールとかありますけれども。本当にそういう意味では世田谷は緑が美しいというだけじゃなくて、エンターテインメントがとても盛んな、嬉しいまちですね。
- パーソナリティ:先ほど区長と一緒に区民会館を見ていただいていて、私も後ろからついて行っていたんですけれども、石川さんが、「美しいホールですね」とおっしゃったのが、とても「本当にそうだな」と思って一緒に共感していたんですけれども。
- 石川氏:私達、こうやって歌を歌わせていただいてもう50年超えてしまったんですけれども、そうするとやはり、色んな所のホールのこけらおとしというのもやらせていただくんですね。そうすると、とっても綺麗になっているんですけれども、「あぁ、ここをもう少しこうすれば良かったのに…」とか「音をもう少し追及して欲しかったな」とか「リハーサルできるお部屋があったらもっと皆さんが楽しんでいただく準備ができるのに」とか思う事があるんですけれど、なんだかね、大きさも大きすぎず、皆さんがとっても見やすい、聞きやすい、そしてそういうリハーサル室があったりとか、すごく嬉しかったですね。
- 区長:ぜひね、石川さんにも存分に使っていただけたら。
- 石川氏:そうですね、いつかぜひ使わせて下さい。
- パーソナリティ:区長もおっしゃっていましたけれども、スピーカーが柱のように見えるっていう工夫を凝らしていて。
- 石川氏:すっきりしていましたね。
- パーソナリティ:天井も高いというところなんですけれども。
- 石川氏:そうですね、音もいい形でかえってくるように工夫されていて素敵だなと思いました。
- パーソナリティ:ホールだけじゃなくてホワイエの方もご覧になっていただいて、いかがでしたか、石川さん。
- 石川氏:とっても綺麗ですね、綺麗ですねって言いながら私は拝見していたら、いや、懐かしいって言ってくださる方もきっといらっしゃると思うんですよ。大階段があってね、そこを結婚式であの階段を降りてきた方がいらっしゃるとのことでしたが、それはいつの時代のことですか。
- 区長:1970年代はありましたよ。
- 石川氏:へぇー。
- 区長:まだ結婚式場ってなかった時代が、やっぱり結婚式って言うと世田谷区役所とか砧区民会館とかでやってたんですね。だから末広の間とかそういうおめでたい名前の部屋があって宴会をやって。
- 石川氏:そこで結婚式もして、二人で入籍も行けるんですか。
- 区長:そうです。
- 石川氏:すごい。
- パーソナリティ:ほんとですね。近くていいですね。
- 区長:今、入籍をしてきました、みたいな。
- 石川氏:なんかまた新しいですよね。私達がそれを聞くとすごくそれって素敵かもって。またそんなこともできるんですか。
- 区長:できますよ。希望者がいたらご連絡いただきたいなと思いますし。あとあそこは入っていただいたホワイエのところ、実は全部壊して新しいビルの1階の部分なんですが、そういった感覚にすぐにならないほど、昔ながらの世田谷区民会館ホールが再現されているんですね。それが大階段であり、大沢昌助さんの大きなレリーフ。
- 石川氏:大沢さんも喜んでいらっしゃるでしょうね。
- 区長:そうですね。
- 石川氏:そうだよ、私が作ったのはこれだったんだってね。
- 区長:けやき並木っていうのもなるべく残したので、けやきの並木と大階段と組み合わさると。
- 石川氏:でもちょっとけやきの数が減ってませんか。
- 区長:そうです。その減った部分は、椅子になったりテーブルになったり。
- 石川氏:そのけやきを使って。
- 区長:区民が参加して、子供たちも多く参加してコロナの3年間でワークショップをやりました。
- パーソナリティ:それがホワイエにあった椅子になるんですよね。
- 区長:そうです、はい。
- 石川氏:素敵ですね。もしかしたら、ここ私が作った椅子だとか、ここは僕がやったんだよとか言いながらね。なんだかね、変な言い方ですけど選挙の時に来ますね、私はこの世田谷区役所って。あとは婚姻届とかそういうのに皆さんいらっしゃると思う。あとはお引越しとか。なんかすごく固いんですよね。でも何かみなさんがもっとカジュアルに、あ、ちょっと行ってあそこで休憩してみようかな、本が読めたらいいなとか、お茶を飲めたらいいなとか、そういう空間になると嬉しいですね。
- 区長:そうですね。今もちょうどまだ区民会館は音のテストとかしていて、興行をやっていない期間なんですが、開放していますとお昼時なんかもびっしり満席になってお弁当を食べたりおしゃべりしたり。
- 石川氏:ご近所の方達が。
- 区長:ご近所の方、学生さん、お年寄りもいますし、そういう場になってます。それからあと2年すると隣の庁舎もできるんですね。そうすると2階で繋がって、レストランコーナーというか200席くらいの。
- 石川氏:高いレストランじゃないでしょうね。美味しくて。
- 区長:美味しくて雰囲気が良くてそう高くない、そういうものを作って下さいと私は要望しているんですが。
- 石川氏:ちょっと楽しみだな。ちょっと区役所行ってお昼食べながらゆっくりしてみようかっていう事もできるようになるんですね。
- 区長:そうですね、はい。
- パーソナリティ:今でも、さっき区長がおっしゃったように、お弁当食べていたりとか、ちょっとお仕事していらっしゃるような方がいらっしゃったりとか。
- 区長:そうです。
- 石川氏:誰でもお弁当持ってきて食べていいんですか。
- パーソナリティ:下のところは皆さん食べていらっしゃって。開放的で。
- 区長:いいんです。関係者うなずいてますんで。
- 石川氏:クーラーも効いてますよね。
- パーソナリティ:はい、大丈夫です。
- 区長:暑いですからね、クールシェアで。
- パーソナリティ:暑いときは来て休んでいただいて。
- 石川氏:嬉しいですよね、皆さんお弁当持って。
- パーソナリティ:あとは区民会館の中には区民の方が使える練習室とか、そういったところも今、たくさん造っていて。
- 区長:石川さん、合唱団の人と話をした時に、女性はさすがに楽屋で着替えるんですが、男性の着替えがないっていうことで、ついたてを立てて着替えていたらしいんです、以前は。そういう話を聞いて、リハーサルスタジオとして使える空間を、大勢の出演者がいる時には大楽屋として使って、そのままステージに出る時に客席を通らないで隠れ道みたいなところをステージに向けて歩けるとそういう仕掛けもありますので。
- 石川氏:動線といわれるものですね。素晴らしい。じゃあ色んな事ができますね。
- 区長:活発に連日、そういう試みがあるといいと思いますし、湯川れい子さんとか、宮川彬さんとか、亀田誠治さんとか井上艦さんっていう。それぞれの方にこの前お集まりいただいて、どういうふうに音楽的な世田谷区民会館らしい波を発信していけばいいのか、みたいな話を相当熱く語っていらっしゃいました。
- 石川氏:みなさん、私の大好きな方達です。いいですね。ジャンルもみなさんそれぞれですからね。
戦後79年目を迎えて
- 区長:そうですね。で、音楽の話をしてきたんですけれども、やっぱりこれは一年中考えていかなければいけない問題なんですが、やっぱり8月、戦争と平和という問題がどうしても避けては通れない。特に2年前からウクライナで戦火が拡大をし、そして昨年の10月からガザでイスラエルの方にハマスの武装襲撃があって、その後がもうずーっとすごい爆撃と地上戦、といってもほとんど廃墟になっていくような。今もまだ解決をなかなかしていないという中で、本当に過去の戦争を振り返るだけじゃなくて未来の戦争を予防しないといけない時代になってきたなというふうに思いますね。
- 石川氏:そうですね。ある時から戦争がテレビで見られる時代になったって言われて。そんなバカな話ってあるのかと思うんですね。やはりあの戦禍の下では何人もの方が本当に命を落とし、そしてまた家族がバラバラになり。ナターシャ・グジーさんというウクライナのバンドゥーラという楽器の演奏者の方とご一緒しているんですが、やはりご家族がウクライナに残っていらっしゃるんですね。ということは日本でこうやってエンターテインメントの活動をしながらも平和を訴えていらっしゃる。平和っていうのは言葉で言うだけじゃなくって、本当にさっきまで元気だった方が命を奪われるんだっていうのを、その時お話を伺っても、つらく言葉が見つからなかったですね。私達は戦争を知らないで生まれ育った世代なんです。本当にもうお年寄りの方達でないと実際に戦争の記憶として、恐ろしい記憶というのもなかなか持って感じていらっしゃる方が少なくなってきましたけど、言葉で終わらせてはいけない、教科書の1ページにしてはいけない、本当に同じ時間を今の時間をみんな同じように過ごして当たり前のように幸せな生活だったのに、これを他人事じゃなくてもっと自分のこととして考えていかなきゃいけないなと。こういう戦争が起きない事、起こさない事、それをちゃんとみんなで訴えて確認し合わないといけないのかもしれないなと思いますね。
- 区長:私は戦争が終わって10年、昭和でいうと30年、1955年生まれなんですが、当時小学生ですから1965年位だと夕食の時に父や母、おばあちゃん、戦争の話ばっかりするですよ。戦争は絶対にやっちゃいけないんだよとか、空襲の時こうだったよねとか、とにかく、じゃあなんでそんな戦争になったのとか聞いたりして、随分話をした記憶があるし、私が40代で国会に行った時にもやっぱり年長世代には戦争体験者がいて、これはもう、党関係なく絶対に超えてはいけない一線があるんだってことを強くおっしゃる方が多数いたんですね。ところがやはり時代が変わってきて、戦争っていうものを活字や知識としてしか受け止めていない世代になってくると、わりと簡単に戦争の事を考える風潮もあって。私自身の反省としても、じゃあそこまで夕飯の時に戦争の事を聞いた自分がどれだけ子供たちの世代に伝えられたかというと、あんまりしてないなというところがあって。だから今、過去の戦争を繰り返さないというところに重きをおいてきた。例えば、平和資料館って世田谷区でやっているんですけれども、未来に戦争を起こさせない力、努力っていうね、これが本当に今大事なんだなと思います。
- 石川氏:そうですね。過去に起きてしまった戦争、これは取り返しのつかない残念なことですけど、でもこれからの未来というのは、今生きている私達、そしてこれから大人になっていく子供たちがちゃんと意識をしてつくっていけることなんだと思うんですよね。
- パーソナリティ:8月ということで15日、79年ですね、戦後で。来年が80年ということになりますので、体験者がどんどん少なくなっていくというのは、本当に色んなところで聞くことですけれども、区長の談話室でも実際に戦争に行かれた方にお話を聞く機会も以前にありました。そういった時の事を私達も繋げていくように。
- 区長:宝田明さんに来ていただいたんですよね。宝田さんが命からがら列車で満杯になりながら、そして子供たちが振り落とされるっていう、その瞬間にいたっていうことを涙ながらに語ってくれたっていうことですね。
- パーソナリティ:はい。そういった事を聞いた私達も、きちんと伝えていかなければならないんだなと、今お二人の話を聞いて私も思いました。
- 石川氏:そうですね、それとニュースとか色々なところで映像を見て、それに慣れっこにならない、恐ろしいことです。命が奪われることです。それを本当に、私もそうですけれども、みんなでもう一度考える時なのかなと思いますね。
能登半島への支援
- パーソナリティ:そうですね。そして区長、最後に今月末に石川さゆりさん、金沢、能登の方でコンサートをされるそうで。
- 区長:はい、「能登半島」っていう大ヒット曲が石川さんあるんですけれども。1月1日元日の16時くらいの大きな揺れが途方もない規模の地震で、いまだに家が壊れたままになって、そして仮設はできたけれどもその後生活の再建どうなのかっていうことで、4月の終わりに珠洲市と輪島市に行って来ました。石川さんも金沢の方に来られるっていうんで、確か親しい民宿ですかね、あるんですよね。
- 石川氏:そうです。能登は、今も区長に言っていただいたように10代の頃に「能登半島」という歌を歌ってから何度もお邪魔して、輪島塗の職人さんたちもそうだし、そこで民宿をやっている方達もそうだし、色んな方とお知り合いになったんですね。だから、最初地震が起きた時はすぐにご連絡したんですけど、どなたも電話に出なくて。どうなさったんだろうと、本当に被害の大きさもちゃんとわからなくて。どんどんわかってくると皆さんが大変なことになって生活をしていらして。また東日本大震災の時とは違った、半島ですから道が1本しかないんです、金沢から。
- 区長:行きにくいんですよね。
- 石川氏:だからその1本の道がもうでこぼこになってしまって、まず入って行けないということもあったりして。なかなか渋滞もするということもあったりして、いつ皆さんに会えるんだろうと。それで春、まずとにかくお顔を見に行きたい、お話しを聞きに行きたいと思ってお邪魔したんですね。そしたらまだまだ、いまだにそうですけれども、水がちゃんとご自分のお家まで来ていないとか、色んな道が行くごとに良くはなってはいくんだけれども、大きな道はできるけど、その大きな道から自分の家の所に入って行くところが何にもまだ解決ができてなくて、お家も壊れたまんまで。私が行った時も駐車場に車がとまったまま、1階がつぶれて2階が横倒しになってっていう、そういうお家がたくさんありましたね。「こんなに春になってもこうなんですか」って言っていて。また電話でも色々皆さんとお話し伺って。それで7月に歌いに行きますということで、今度は仮設住宅ができて、皆さんが避難所から移動なさったというので、その皆さんにお会いしに行きました。そしたら、本当に狭いんです。東京の私達は6畳一間に暮らすというのは学生時代とか色んな生活の中であることなんですけれども、田舎の方達は幾つも仏間があって、なんとかがあって、先祖のなんとかの部屋があってと、そういうところに暮らしてらしたのが、グシャって倒れて、それで仮設住宅に入っていらっしゃるんですね。そうすると、一人暮らしの方は6畳ないんじゃないかな。押し入れという名のものがあるんですけれども、お布団が入らない。その奥行きしかないんですって、そこは。それで避難所だった時の段ボールをそのまま持ってきてベッドのようにしてお布団を敷いて暮らしています。そこの横には小さなちゃぶ台みたいな本当に小さいものを置いてそこでご飯食べて。そしたらもう何にもできない。横になって大の字になることもできない。だからこの段ボールのベッドで寝っ転がってテレビを見るのが私の今できる事なんです、とおっしゃった。その話を聞いた時に、あぁもう何ができるんだろうと思いながら、本当に一時でもいいから何か皆さんに楽しんでいただきたいなと、それから歌を届けるということをはじめました。
- 区長:8月末に金沢でコンサートが予定されていて。
- 石川氏:そうですね、はい。
- 区長:その手前で、能登半島で2か所、歌でお気持ちを届けていただくということですね。
- 石川氏:29かな、8かな、その辺で。滅多やたらとどちらにお邪魔したらいいかわからないので、先ほど区長もおっしゃっていたように、東日本の時もやはり区の皆さんの義援金、募金そういうものをお届けしたりとか、そういうことを私も一緒にさせていただいたので。能登の皆さんにもやはり世田谷っていうのは一所懸命働いて、いっぱいお金も持っている方もたくさんいらっしゃって、義援金の協力というのもとても大きいんですね。そういう事も能登になさっているので、区長にお願いして、どこかの市で歌わせていただけるところ、世田谷が行ったところでいいから、私、続けて歌を届けに能登の方に行きたいんですってご相談しながら今やっております。
- パーソナリティ:きっと楽しみに皆さん待っていらっしゃると思います。
- 区長:またそのお話は来月にも少し持ち越しながらですね。珠洲市と輪島市に500万円ずつまずはお届けしました。全部で今2100万円ちょっと支援金が集まって。
- 石川氏:すごい。世田谷の皆さんのお心ですね、それは。
- 区長:そうですね。これはやはり相当長くやらないといけないなというふうに思っていますので、継続力に石川さんのお力もお借りしたいと思います。
- 石川氏:もちろん何か私にできることがあればおっしゃって下さい。
- パーソナリティ:お話、来月もお伺いしたいと思いますので、また来月もよろしくお願いいたします。今月はこの辺で失礼したいと思います。保坂区長、そして石川さゆりさん、ありがとうございました。
- 区長:ありがとうございました。
写真左よりパーソナリティ、石川氏、保坂区長