令和7年9月の「区長の談話室」(ゲスト:保阪 正康氏)
令和7年9月の区長の談話室
令和7年9月放送(9月7日・14日) 区長の談話室「戦後80年、平和を伝えていく!<後編>」
※9月14日は、9月7日の再放送です。
ゲストに、ノンフィクション作家・評論家の保阪 正康氏をお招きし、「戦後80年、平和を伝えていく!<後編>」をテーマにお送りしました。
今年は、戦後80年、また世田谷区平和都市宣言から40年、せたがや未来の平和館の開館10年の節目の年にあたります。
平和を守り次世代に引き継いでいくため、私たちに何ができるのか、身近にできることを一緒に考えましょう。
テーマ・ゲスト紹介
- パーソナリティ:では今日も区長の談話室はじめていきたいと思います。保坂区長、今日もよろしくお願いいたします。
- 区長:よろしくお願いします。
- パーソナリティ:今日は先月に続いて、戦後80年の今年、改めて平和の大切さを考えてまいります。ゲストは先月に引き続き、作家で評論家の保阪正康さんです。よろしくお願いいたします。
- 保阪氏:よろしくお願いいたします。
戦争前と後の時代を考える~平和館と記念誌の役割
- 区長:保阪正康先生に7月16日にですね、世田谷区民会館せたがやイーグレットホールに、本当に熱心な区民の方、聴衆を前にですね、1時間程ご講演をいただき、シンポジウム、更にお話を深めていただきました。その中でまず、横道に入るようだけど、とおっしゃりながらなるほどなぁと思ったのが、もっと広い視野で見てみると、日本は265年間も江戸時代、戦争を行ってこなかった。いわゆる内戦、国内での戦争さえしてこなかったという歴史があり、その後明治になって日清戦争以降は戦争に明け暮れる50年があって、それが敗戦とともに1945年から今まで80年間、実は戦争をしない時期が続いている。この戦争をしない社会や国を保つということの意味もちゃんと考えていこうよという事をご指摘頂きました。そのあたりの話をまた伺っていけたらと思います。
- パーソナリティ:先生、いかがでしょうか。
- 保阪氏:私は明治の日清戦争から太平洋戦争の終結までだけを見ると、日本の戦争というのはかなり異様な戦争だった。20世紀の戦争として常識外れの戦争をしている。しかし、日本という国はそんな国なのかというと決してそうではない。江戸時代265年ただの一回も戦争をしていない。それから、近代史77年のうちでも、初めの27年はいわゆるほんとの大きな大掛かりな戦争はしていない。現代史、昭和20年9月から現在までですね、戦争をしていない。むしろですね、よその国が18世紀19世紀20世紀っていう時に、帝国主義の時代で西洋帝国主義がアジアやアフリカを植民地化している時に、私たちの国は全くそういうのと無関係に生きてきた。戦争をしない温厚なというか、国民だったんですね。このことを前提に考えると、この50年っていうのは何なんだろうと。ですから、50年だけを見て考えると、ちょっとやっぱり異常だな、20世紀の戦争にしてはこんな異常な戦争をやったのかという事になるけど、長いレンジでみれば日本は戦争をほとんどしていない。それなのになんでこんなことをやったのかという問題が立つんですね。ですから私達はこういった展示会の時は、昭和のおかしな戦争っていうものはきちんと押さえなきゃいけない。同時にこの戦争に至る道、それからその後の道、それをどうやって語り継いでいるかという前と後ろもしっかりと押さえなきゃいけないんですね。僕はこれを見た時にですね、前と後ろを押さえているなと思ってちょっと感動しましたね。ともすれば戦争だけ取り上げるんですよ。そうすると私たちの国は20世紀なのに特攻、玉砕、そんな作戦をやりました。他国に入って行ったというそういう事もやった。しかも昭和20年の5月から8月までたった1か国で世界の80か国90か国と戦争をやっている。こういう異常な戦争をやっているんですね。だけども何故そんな戦争をやったんだろうとなると、ずっと長いレンジで見ると、私たちの国はその50年というのはちょっと問題だと。これを分析するのが大事なんですね。この分析をする時にはこの時代に軍が考えていた思想、哲学、価値観、そういうものをきちんと出して、これは日本の歴史の中ではおかしかったんですよというのが出てなきゃいけない。僕はやっぱりそれを精神として出していると思ってやっぱり感動しますね。
- パーソナリティ:「せたがや未来の平和館」での展示ですね。
- 保阪氏:そう。こういう大きなレンジの中で戦争を見る。ともすると戦争だけを見て日本にだって異論があるんだとか、日本だけが悪いんじゃないかっていうけど、そうじゃない。日本の歴史の中でこの時代は異常だったんだというような形の分析というのは、やっぱりこういった戦争記念館というものの基本的な姿勢だと思うんですね。それがここに見られたのでそれは何かほっとするというのかな、ページをめくってみて後ろの方を見た時にちょっとほっとしましたね。
- 区長:今先生が紹介していただいたのは、「平和な未来をせたがやから」という事で、平和館10周年記念、今年の80周年記念に合わせて刊行された55ページくらいのパンフレットのことを評価していただきました。
- パーソナリティ:先生のお話を今お伺いしていると、戦争をしていないときの方が日本は長くあって、本当に長く歴史的に見ていくと本当にここの部分だけ。だから戦争を語り継いでいくという事を私達もこの番組の中で、世田谷区として皆さんにお届けしていますけれど、ここだけじゃないという事ですよね。
- 保阪氏:戦争を語り継ぐという事は、戦争の時代をきちんと語り継ぐ事は大事なんですよ。その語り継ぐ時に戦争の時代だけ語っていたら日本は見えてこない。日本の総合的な400年500年の中の歴史を見ながら、なぜこの時代はおかしかったんだろうというような形の見方をすべきだと僕は思うのね。この頃出ている本、あるいは指導者の言葉、そういうものはやっぱり僕らにとってみれば他の時代の人とは違うなと。ああ、こんなこと言ってたんだというような事が随所にある。それを見抜けるか、それをきちんと記念館で出していくというのは、記念館の大事な役割だというふうに思いますね。
戦後も続く心の傷~戦争の反省を未来へ
- 区長:4000人もの旧軍人の方々の戦争経験をずっとお聞きするのはすごく大変な作業だったと思うんですけれども、やはり幾つか特異な所が他の国とくらべてあって、絶対に降伏してはいけないと。降伏するくらいなら自爆して命を絶てというような事が、相当貫徹されていた。そのせいで離島の守備隊などがバンザイ突撃という形で、なんで標的になってしまうのに次から次へ倒れていくのか、というような軍隊として戦争の中で、この戦争はどう見ても勝ち目はないから、もうここで部隊降伏しようという事を言い出す司令官とかいうのが出てこないという、その特異な構造ですよね。その辺りはいかがでしょうか。
- 保阪氏:私たちの国は、あの時代の50年の戦争がすべてを語っているとはとても思えない。むしろあの時の文化や伝統の方がおかしい。僕はその分析をやっているんだけれども、あの頃出ている本なんかは、自分たちの時代が最高だ、あとの時代は日本人の精神が抜けていると批判してますよ。江戸時代やなんかをね。だけど彼らの方が実はおかしいんだと。自分たちが正しいということのおごりというのがね、やっぱり歴史の過ちを生んでいるんだという事を感じますね。
- 区長:やっぱり退却することを転進と言ったり、大本営発表というのが当時ありましたよね。それはそれだけを聞いていると、当初太平洋戦争が始まった頃は、真珠湾攻撃の奇襲から始まって戦果をあげて領土も拡大するという事があったんだけれども、だけどそれはすぐに暗転してきますよね、ミッドウェー海戦辺りから。そこで実際にどうなのかという、まさか戦争で亡くなっていく兵士のかなりの数が銃弾で倒れたという事ではなく、食料がなくなって、餓死、病死がものすごく多かったというのは当時の国民は知らないですよね。
- 保阪氏:知らないですね。7割8割は餓死だったと言われていますからね。だからそれは戦時指導者の基本的な誤りですよね。
- 区長:というような事がすぐに見えてきたわけじゃないんですよね。やはり戦後しばらく経ってからでしょうかね。そういった事がだんだんと明かされていくようになるのは。
- パーソナリティ:そういったことなどもせたがやの資料館に行くとわかりますか。
- 区長:せたがやの資料館は主な語り部の方は、空襲の中で大変な思いをした経験だったり、疎開の経験だったり。実は戦地に行かれた方というのは、もうそんなに多くは元気に証言することは難しいので。ですから保阪先生のように30年前40年前にずっとインタビューを続けられてきた研究者でいらっしゃるわけですけれども、そこでのお話から、戦時トラウマっていうんですか、実際に軍人として戦地で経験したこと、そこであったことをなかなか受け止めきれずに苦しんでいた方にも多く会われたそうですね。
- 保阪氏:戦争というのは終わったらそれですべてが解決する、終わったという訳ではないんですね。兵士たちは終わってから自分の精神と戦うわけですよ。記憶と戦うわけですよ。ですから30年経ってそれがトラウマとして出てきて、とんでもない行動をとったりね。ある意味で言えば戦争の被害というのは統計の取りようがない。だけども明らかにこれは戦争のケースだとわかるのはいっぱいあるんですけれども。沖縄で精神科医達が作っている勉強会で沖縄で高齢者が皆認知症になっていく。その人達は認知症になるけど、心の底でトラックの音を聞くとおびえる、泣く、3つ4つの時経験した沖縄戦の恐怖だけは覚えているというんですよ。それくらい戦争というのは人の記憶から消えないんです。だから私達は戦争というのをもっともっと真剣に考えた時には重要な問題がそこにいっぱいあるということを本当に考えなきゃいけないと思いますね。
- パーソナリティ:区長、世田谷でも場所によると思うのですが空襲があったりとか、疎開された方がいらっしゃったという事なのですが、私たちが今住んでいる所で。
- 区長:ほとんどの学校で疎開しましたからね。中には疎開先で特攻隊員が同じ旅館にいて交流をしたとかね、そういう経験を語って頂く方もいらっしゃいます。で、今議論しているのは、やはり軍人で一定の期間戦地に赴いた方については軍人恩給、あるいは軍属と言われる関係者には出ているんですけれども、意外と空襲で大きな怪我をされたとか、心的外傷、トラウマを受けたとか、いわゆる民間の被害者については全部自前で被って下さいというのが、日本のこれまでの国の方針だったんですが、それもやはり80年という節目で転換しないといけないんじゃないかなというふうに感じています。その辺りはいかがですか。
- 保阪氏:ドイツではですね、将官だろうが一兵士だろうが戦争に参加した人は、年金皆同じなんですよ。日本は将官も一兵士も給料はもらいますけどこんなに開きがありますから。その給料が恩給にそのまま反映してるんですよ。そして12年間戦争に従軍しないと年金、軍人恩給がもらえないんですね。12年間というのは戦争やっていませんから。そうすると激戦地にいて1年間を3年と計算するんです。あるいは1日を3日と考えるんですね。激戦地へ行った兵士は。そうすると12年以上行っている兵士は軍人恩給をもらえるんだけど11年10か月はもらえないんです。ところがこれが不思議なことに公務員になるともらえるんです。つまり兵士というのは国家公務員ですから。11年10か月というのはその公務員として加算されるんです。ところが民間会社に行くともらえないんです。そういうひとつひとつの仕組みというのが日本はかなりずさんというか、旧軍のあの時代にのっとっているんですよ。
- 区長:だから戦前の社会の体系がそのまま移行して恩給の額とかにも反映しているということですね。
- 保阪氏:そういうことですね。ですから戦争の反省というのは、私たちはどういう意味でどこにどういう形で使うのかっていう事に統一されていないんですね。
- 区長:やはり今改めて振り返って思うには、結構ですね、大正デモクラシーの時代があって、国会でも活発な議論があって、軍事最優先を批判する議員の意見なんかもあったりした時期がありますけども。やっぱり二・二六事件とか政治家を狙った暗殺事件とかそういったものが積み上がっていく中で政治が委縮してしまう、ものを言うのが命がけになる、つまり軍隊素晴らしいと言っていればいいんですけれども、そうじゃなくて予算削減だというような事を言ったら命が持たないような、そんな状態になって、そして言論界、新聞とかマスコミですね、そういうのも一色に染まっていった。大政翼賛会というのも政党が解散して、もう政党なんかなくて挙国一致で国の一大事だということで、一色に染まってしまった。その中で言論の自由とか批判的思考っていうんですかね、本当にこれ正しいんだろうかっていう事を考えること自体がだめなんだっていう教育ですかね。
- 保阪氏:そうですね。
- 区長:それが戦場の兵士に将来なるであろう子どもたちに強く押し付けられたという、そういう反省がもっとあっていいと思います。
- パーソナリティ:戦争はダメだということだけではなくて、今、色々な角度からお話をお聞きして、でもそれでも今現在も戦争が行われているという世の中で。これから先を考えてみると今まで私たちが伝えられてきた、戦争はだめなんだという事だと、別の考え方も必要になってくるのかなという感じが、今お話を伺ってきてしたんですけれども、先生いかがでしょうか。
- 保阪氏:戦争って何故起こるのかっていうのは国威の発揚とか国権の確立とか国益を守るとか、そういう事だと思うんですが。そういうような所で過剰な私たちの国にふさわしい形のその分で我慢するというか、それが国の在り方なんだというような節度のある国家像を持つことなんだと思うんですよ。それがその節度ある国家像を捨てて、もっと豊かになるんだ、もっと他国へ入って行って資源を取ってくるんだとかそういうふうになったら、それが本当に侵略の思想にもなるんだけれども、そんなふうになったら際限なく軍事が膨張しますよ。ですから私たちは私たちの国にふさわしい分相応な国づくりをすると。その国づくりをするためのビジョンというのを持たなきゃいけないんだと。そのビジョンの背景にあるのは、こうした戦争への反省だっていうことですよね。こういう反省を基にビジョンをつくっていくんだってことだと思いますよ。
「せたがや未来の平和館」開館10周年
- パーソナリティ:そういった事も皆さんに知ってもらおうという事で、改めて今月も「せたがや未来の平和館」についてお話しいただけますか。
- 区長:戦後70年、10年前ですけれども、世田谷公園の一角に平和資料館、「せたがや未来の平和館」がオープンしました。区民の皆さんから寄せられた戦時下の暮らしを物語る、例えば洋服だとか、郵便物だとか、様々な資料が展示されています。同時にこの10年、様々な企画をそこでやっています。どうして戦争が起きたのか、何故止められなかったのかみたいな話を今日もしましたけれども、それを多角的に考え、大事なのは世代を超えて、戦争を体験したわけではない、しかしそのことは大事な事だと思っている若い世代が積極的に戦争体験者の話を聞く場を作り出したり、あるいは調べたり、そういう活動の拠点にもなっています。なにより公園の一角ですから非常に皆さん来やすいところなので、ここでの展示内容をですね、10周年を期してさらにこれから充実させていきたい。まだ行った事がないという人が多いと思うので、ぜひ世田谷公園に行かれる機会があったら、プール脇の平屋のコンパクトな資料館です。ぜひ訪ねて、また色んな企画展やシンポジウム、映画会などもやっていますのでぜひご覧頂ければと思います。私自身は雑誌の仕事を長くしていたので、戦時下の雑誌があるんですね、寄せられた資料の中に。そうすると少年雑誌とかね、子ども向けのやつとか、やっぱり軍人に憧れるように上手く作ってあるし、そういうものの現物がたくさんあります。ですからあの時代をどういうふうに子どもたちが経験していったのかという、そういう雑誌なんかで追体験して頂くこともできるかと思います。また機会があれば保阪先生にもお話をさらにいだたきながらですね、発展させていきたいと思います。
まとめ
- パーソナリティ:「せたがや未来の平和館」池尻1丁目の世田谷公園の中にあります。詳しくはホームページをご覧になってください。では最後にラジオをお聴きのリスナーの皆さんにこれからの平和についてという事で、まずは保阪先生から一言お願いできますか。
- 保阪氏:私はこういった「せたがや未来の平和館」というのはですね、これは一回作ったら永久的に残すっていう、次の世代、次の世代と次いでほしいと思うんですよ。同時に学芸員の方がこうやって伝えていこう、こうやって伝えていこうっていうふうに勉強しながら、そこに色んな形の展示が増えると思うんですね。この平和館自体がひとつの生きものになって、世田谷の戦争というものを伝える有力なメディアになって欲しいと思いますね。
- パーソナリティ:ありがとうございます。では区長、お願いします。
- 区長:お隣の川崎市にも立派な歴史もある平和館があってですね、相互にアドバイス頂いたり資料をお借りしたりしております。全国のそういうネットワークもありますので、ぜひ世田谷発の平和へのメッセージ、また具体的な情報も多くの自治体に共有していけるような、そんな場にしていきたいなと改めて思います。
- パーソナリティ:わかりました。今実際世界でもまだまだ戦争が起きているという世の中で戦争体験を聞くこともなかなか少なくなりましたし、正直もう映画とか小説の中でしか見ることができなくなっているという時代になっていると思います。そういった時に先月もお話頂きましたけれども、歴史的にどうだったのかというところから紐解いていって、だから戦争がだめなんだっていう事が改めて、この2か月間お話を伺って私もわかったような気がします。これからも平和のために色々考えていかないといけないと思います。ぜひ皆さんも「せたがや未来の平和館」訪れてみて頂ければと思います。ということで、区長、保阪先生、2か月にわたりどうもありがとうございました。
- 保阪氏:ありがとうございました。
- 区長:ありがとうございました。

写真:左から、保阪氏、パーソナリティ、保坂区長