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最終更新日 2025年1月1日

ページID 22270

区のおしらせ「せたがや」令和7年1月1日号(2・3面)

2025 新春対談

横尾忠則さんと保坂区長の写真

 1960年代から成城にお住まいで、世界的に著名な美術家、横尾忠則さん。昨年9月に世田谷区名誉区民に選定されています。4月26日から6月22日の日程で開催される世田谷美術館での展覧会を控え、その創作の舞台裏、世田谷区での暮らし、年齢を重ねていくこととアートについて、若い頃から横尾さんに注目してきたという保坂展人区長がお話を伺いました。

絵は理屈ではない。自力と他力が合体した形で作品が生まれる

保坂区長の写真

区長 あけましておめでとうございます。皆さん、清々しい気持ちで新年をお迎えのことと思います。さて今年の新春対談は、美術家で世田谷区の名誉区民でもある横尾忠則さんをお招きしました。横尾さん、よろしくお願いします。
横尾さん あけましておめでとうございます。よろしくお願いします。
区長 4月からの世田谷美術館での展覧会を控え、お忙しいのではないでしょうか。お正月でも絵筆は握られているのですか?
横尾さん そうですね、ほぼ毎日アトリエには出かけています。自転車に乗って(笑)
区長 俳諧(はいかい)の連歌(れんが)からとって、連画(れんが)というタイトルだとお聞きしました。どんな作品が並ぶのでしょうか。
横尾さん 連歌の場合は歌を次々と別の人がつないでいくわけですが、僕の場合は絵だから画になったわけですね。僕の郷里、兵庫県西脇市に子どもの頃よく遊びに行った鉄橋のある川があるんです。そこで同級生たちと40年ほど前に撮った写真から着想を得て、そこから連続的に生まれてきた絵を見ていただきたいと思っています。
区長 鉄橋での写真から始まり、起承転結といった絵の組み立ての展開を全部考えてから描かれるのですか?
横尾さん いいえ。1枚の絵ができますよね、その1枚からヒントを得て次の作品を描いていく、次の作品でまたヒントを得て描いていく。そういう意味での連画なんです。
区長 連歌は数人で歌を詠んでいくわけですが、それをお一人でやっているわけですね。どれくらいの時間をかけて制作されているのですか。
横尾さん 作品を眺めている時間も結構ありますからね。描く時間よりも眺めている時間の方が長いかなと思います。そのかわり、描き出すと一気呵成(かせい)に描いちゃいますから、早いことは早いです。
区長 大変なエネルギーですね。
横尾さん 頭で考えて、観念とか言葉で構築して作品を作るんじゃなくて、むしろ身体的というのか肉体的にキャンバスに向かいますので、アーティストというよりもアスリートに近いんですよね。だから、瞬発芸みたいな感じで。アスリートの方たちは瞬間的には頭は真っ白だと思うんです、何も考えていない。それと同じ状態を僕は絵の時にやっているわけです。何か考えが介在してくると、絵が理屈っぽくなってくるんです。だからできるだけ考えない、という状態に自分を置き換えてから向かいますね。
区長 そうすると、なにか内側から湧いてくるのか天から降ってくるのかわかりませんけれど、描きながら生まれてきた着想をそのままの絵にしていく作業ですか。
横尾さん そうですね。僕にも内側からか、天からかよくわかりませんけれど、その両方でしょうね。自力と他力が合体した形で作品が生まれるような気がします。
区長 では、どういう絵になるのか、やってみないとわからないのですか。
横尾さん 描いている本人も、やってみないとわからないです。「こんな絵を描きます」じゃなくて、「こんな絵が描けちゃいました」という、ちょっと他人事(ひとごと)っぽいですけれど、でもそういう感じなんです。

著名な文学者、映画人とのご近所付き合いが創作の刺激に

区長 横尾さんは世田谷にお住まいになって何年くらいになりますか。
横尾さん 1961年ぐらいに世田谷に来ましたから、64年か65年になりますね。
区長 今日も自転車でお越しになりましたが、自転車で颯爽(さっそう)とまちを走る姿、結構有名だそうですよ。
横尾さん そうですか。ま、うろうろしていますからね(笑)成城には文化人、芸術家、著名な方がたくさんいらっしゃって、そういった方たちとの交流が、ここに来たことによってずいぶん活発になりました。
区長 亡くなった大江健三郎さんと道でばったり会った、なんていうこともよくあったそうですね。
横尾さん 大江さんはご近所ですから、本当にばったり会うことが多くて。会うなり、僕の何かをご覧になっていたのか、すぐ感想を述べられるんですよね、それにはちょっとびっくりしますよね。瞬時にそういう感想がよく語れるものだなと思って。
区長 お天気が良いとか、そういうご挨拶とか省いて、もういきなりですか。
横尾さん 僕は天気の話ですとか、どちらへいらっしゃるんですかとか、そういう挨拶をするんですけれど、大江さんはいきなり芸術的な核心に触れる話をされるから油断できないんです。
区長 以前は黒澤明監督も近くにいらして。
横尾さん 黒澤さんは、よくアポイントメントも取らずに突然お伺いしましたね。お伺いすると4時間くらい映画の話をして帰ってくるんです。晩年はずいぶんお会いしましたね。

手が震えてまっすぐな線を引けなければ、震えた絵を描けばいい

区長 2020年から3年余り、新型コロナウイルス感染症が世界をおおい、世田谷区も大変な日々でした。異常な時期が3年近く続いてしまったわけですが、この間を横尾さんはどう受け止めていらっしゃいましたか。
横尾さん 肉体的なハンディキャップがもっとも頻繁に出た時期で、目が見えない、耳が聞こえない、手は腱鞘炎(けんしょうえん)で筆が持てなくなった、と様々なことが重なったんですよ。だけど老齢になれば当然のことで、そのハンディを治すとか元に戻すより、ハンディを利用して絵を描く。線をまっすぐ引けないで線が震えたら、震えた絵を描けばいい、と考えて制作していました。逆に新しい作品が生まれます。
区長 手が震えた時点でもう絵は無理じゃないか、と考えてしまう人が多いのではないですかね。
横尾さん でも震えた絵を描くことは、頭で考えると難しい。だけど手が勝手に震えてくれるのだから、これを利用しちゃえと(笑)そういう開き直りが出てきました。
区長 すごいですね。横尾さんは今おいくつでいらっしゃいますか。
横尾さん 88歳です。
区長 できていたことができなくなると人はネガティブになることが多いものですが、それを逆転させる横尾さん的発想ですね。
横尾さん できないことはできないのであって、それを無理に元に戻す努力とか、そんなことはしないことですね。できることのキャパシティは小さくなりますが、その小さくなったキャパシティの中でやれることはたくさんあると思うんですよ。逆に、若い頃できなかったことができたりしますからね。
区長 表現するという行為が、生きるエネルギーになっているということはありますか。
横尾さん ありますね。クリエイティブなものに熱中すると、自然に健康になっていくような気がします。だからまだこの歳までなんとか生かされているのは、絵を描いているからだと思いますね。これ、やめるとバタンキューかもしれません(笑)
区長 逆に若い人たちへ向けて、特にアートの世界をめざす若い世代に何かアドバイスはありますか。
横尾さん 本当に自分のやりたいことを突き詰めて、やりたいことだけをやる。これをやったらこうなるという妙な目的や計画を持ったり、結果を期待したりするのではなく、ただ描きたいから描く。そういう気持ちが大切だと思いますね。やりたいことに熱中することは、遊びの精神と結びつくんですよ。そしてそれこそがクリエイティブなものを生み出す原動力ですよね。
区長 今やりたいことを、そのまま純粋にぶつけていくということが大事だと。
横尾さん そうした時によい作品、おもしろい作品が生まれると思います。展覧会をやって、誰かに認められて、ギャラリーがついて……そういう先のことを考えないで、若い人にはたった今やっていることに集中して、夢中になってもらいたいと思いますね。

絵を通して、心、あるいは魂といった自分の内部とコンタクトする

区長 年を重ねて今なお、遊ぶことをクリエイティブと捉え精力的に制作されていて、4月からの展覧会は今から本当に楽しみです。
横尾さん ぜひ、見ていただきたいですね。僕の中には、絵を通して何か言いたいとか、主張したいとか一切ないんです。ですからただ絵の前に立って、頭で感じるのではなく、直接身体で感じてもらいたいです。
区長 絵に、答えや解釈を求めるような見方はしてほしくないということですね。
横尾さん 大義名分で絵を見ている人が多いんですよ。大義名分じゃなくて、目的も結果も全て捨てた状態で、裸一貫で絵の前に立っていただきたい。わからなければ、わからないでいいんです。わからないということがわかったわけだから。
区長 しかし解釈や意味を考えずに見るというのも難しいものですが……。
横尾さん 解釈というのは、知的な作業です。そういう頭の働きの部分をいったん外して、心、あるいは魂といった自分の内部とコンタクトする。美術作品との関わりとは、そういったことが大事です。そもそも、人は外部とコンタクトしすぎです。外部ってろくなことが起こらない。戦争をやったり、気象異変が起こったり、人間が生きていく上でネガティブな要素が多すぎますよね。絵や美術、芸術をきっかけにそこから自由になって、自分の内部とコンタクトして、さらに自由になった自分を見つけてほしいと思います。
区長 展覧会を見た後、別の自分になっているような期待が持てるお話です。
横尾さん そういう意味で芸術、文化、美術にうんと興味を持ってもらいたいです。興味が芽生えたら、美術館に足を運ぶだけで十分だと僕は思っています。美術館へ行ってお茶飲んでアイスクリームを食べて、それでもいいんです。そういう習慣をつけてもらって、「なんのために自分は美術館に来たんだ?」とそんなことも考えない。日常にそうした余白、余裕、遊びを持ってもらいたいですね。
区長 そうした意味では世田谷には、大変よい環境が整っています。世田谷美術館をはじめ文学館もありますし、パブリックシアターやシアタートラムでは演劇を見ることができます。これからも多様で豊かな文化環境を創造していきたいと思います。
横尾さん そういったものを貪欲(どんよく)に利用してほしいと思いますね。という僕もそんなにできているとは言えないのですが、これからは利用したいと思います。
区長 では最後に横尾さんの今年の抱負をお聞かせいただけますか。
横尾さん 抱負は……ないんですよ(笑)抱負を持つとそれが目的になるでしょう。そうするとまた、つらくても努力したり、励んだり、そこに妙な欲望も芽生えてきますからね。だから僕の場合は来るものは拒まずといった姿勢で、与えられたものは「これは僕のために与えられたものだ」というふうにとらえて、それを大事にしていくということしかないんじゃないかなと。それが抱負といえば抱負です。
区長 私もあまり四角四面の抱負にはしばられたくありませんが、災害が多いので、その備えはできるだけしっかり整えていかなければならないと考えています。また、若い人をはじめ、多くの人が元気をなくしてしまっていたり、孤立や孤独になっていたりしているという問題もあります。様々なコミュニケーションの場があり、出会い、希望を持ってお互いを励まし合いながら生きることができる、そんな世田谷区であればよいなと思っています。横尾さん、今日はありがとうございました。展覧会楽しみにしています。
横尾さん こちらこそ、ありがとうございました。

横尾 忠則(よこお ただのり)さん

横尾 忠則さんの写真

 1936年兵庫県生まれ。美術家。1956年からグラフィックデザイナーとして活動し、1972年ニューヨーク近代美術館で個展。その後もパリ、ヴェネツィア、サンパウロなど各国のビエンナーレに出品。1980年代に画家へ転身し、国内外の美術館で個展を開催。国際的に高い評価を得る。2008年には世田谷美術館で個展開催。2012年に兵庫県立横尾忠則現代美術館、2013年に香川県に豊島横尾館を開館。主な受賞に毎日芸術賞、旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞。令和2年度東京都名誉都民顕彰、2023年日本芸術院会員。文化功労者に選ばれる。著書には小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)など。

 

「横尾忠則 連画の河」展

展覧会メインビジュアルの画像
▲横尾忠則 《23-06-10》 2023年 作家蔵

会期/4月26日(土曜日)~6月22日(日曜日)(予定)
会場/世田谷美術館

 2023年春から約2年にわたって制作された、150号の大作を含む約60点の新作を中心に展示。

詳しくは、世田谷美術館のホームページをご覧ください。

 

対談の模様は、1日(祝)・5日(日曜日)・12日(日曜日)いずれも午前11時30分から、ラジオエフエム世田谷(83.4メガヘルツ)で放送します。

 

お問い合わせ先

上記お問い合わせ先参照

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