このページに知りたい情報がない場合は

世田谷区トップページ > 住まい・街づくり・環境 > 風景づくり > 風景づくりに関する催し > 「農の風景を楽しむまち歩き@喜多見」を開催しました!

ここから本文です。

最終更新日 2026年3月18日

ページID 31739

「農の風景を楽しむまち歩き@喜多見」を開催しました!

令和8年3月14日に「農の風景を楽しむまち歩き@喜多見」を開催しました。
 事前にお申し込み頂いた区民のみなさまと共に、都市化によって農地が減少する世田谷区では貴重となった畑や農地が、今なお点在する喜多見地域のまち歩きを行いました
 「NPO法人 せたがや喜多見 農とみどり」の理事長、田島文一氏のご案内で、住宅地の中に残る「農の風景」や地域の歴史、地域風景資産に触れながら、喜多見の街をゆったりと散策し、お楽しみ頂きました。
 当日の様子を写真と共に、ご紹介いたします。

開催日時

令和8年3月14日(土曜日) 午前9時から正午まで

開催内容

喜多見地域の「農の風景」や地域の歴史にふれながら、ゆったりと散策するまち歩きイベントです。

集合場所:喜多見駅南口広場

解散場所:次大夫堀公園民家園

当日の様子

(1)喜多見駅

当日はまず喜多見駅に集合し、喜多見駅から世田谷通りに向けてまち歩きが始まりました。

喜多見駅集合 田島さん挨拶
喜多見駅 集合の様子 田島氏 挨拶の様子

まず最初に向かったのは、世田谷通り沿いにある[旧にごりや]です。

田島氏から喜多見の街の特徴などをご説明頂きながら、足を進めます。

にごりやまで
喜多見駅周辺の様子

(2)旧にごりや

ここはその昔、造り酒屋であった「にごりや(田中酒店)」があった場所で、当時を偲ぶお蔵や煙突が今も現存しています。「旧にごりや」の道路際には、世田谷区の保存樹木にも指定されているケヤキの大木が並木になっています。昔はお屋敷を囲うようにケヤキを植えることで防風林としての役割を持たせていたそうです。

こうしたケヤキ並木はかつての農村風景を継承する貴重な風景ですが、大きなケヤキは落ち葉も大変多く、維持管理のコストもかかるため、みどりの多い喜多見の地域でも、現在ではほとんど見られなくなっています。

旧にごりや 旧にごりや並木
旧にごりや 旧にごりやのケヤキ並木

次のスポットは「滝下橋の緑道」です。

(3)滝下橋の緑道

ここはかつて野川の流路だった旧六郷用水を整備してできました。

かつてこの場所には、六郷用水(次大夫堀)の「堰(せき)」があり、そこから水が落ちる様子がまるで「滝」のようであったことから、その下に架かる橋が「滝下橋」と呼ばれるようになりました。

かつては随所に旧野川の名残がありましたが、現在ではそのほとんどが暗渠化され、緑道として整備されています。

滝 滝下橋緑道
滝下橋の名残り 滝下橋緑道から野川沿いへ

緑道をそのまま東に向かって歩いていくと、[野川沿い]に出ます。

(4)野川沿い

野川は、川に沿って散歩道やジョギングコースなどもあり、オイカワやウグイなどの魚や、カルガモやカワセミ、アオサギなどに出会うことができます。多様な動植物の生息環境を形成できるよう配慮され、四季折々の自然とふれあえる貴重な場となっています。 

そんな野川ですが、現在の姿は人工的に整備された姿であり、かつての野川は様子が異なっていたようです。

旧野川は現在のように直線ではなく蛇行を繰り返しており、台風による度重なる氾濫にも見舞われたことから、昭和の時代に野川の流れを国分寺崖線に沿ってほぼ直線状に変更する全面的な改修が実施されました。

あばれ川との異名をとった旧野川は、曲がりくねった流路をそのままに、変化に富んだ散策路として残っています。

また、田島氏が幼いころの野川は水量が今よりももっと多く、様々な魚や鳥などが暮らしていたそうです。ただ、宅地化が進むことにより、元々土だった部分が減少し、土の保水力がなくなっていき、現在のような水量の川になったとのことでした。

野川沿い1 野川沿い2
野川沿いの風景 野川の様子

野川に沿って200m程歩いたのち、喜多見の住宅地に入ります。

住宅地に入ると随所で巨木が列ぶ大きなお屋敷や、綺麗に手入れされたお庭、畑や竹林など、かつての世田谷で多くみられた農村風景の名残りを感じることが出来ます。

住宅地を歩いていると、素敵な生垣がありました。この生垣はお茶の木の生垣だそうです。かつての生垣はお茶の木で設けることが多く、田島氏のお母さまも、お茶摘みのお手伝いをしていたとのお話を伺いました。

一見すると通り過ぎてしまうような生垣の風景ですが、そうしたお話をお聞きすると、かつての喜多見の風景が頭に浮かびました。

喜多見の街並み 喜多見の街並み2
立派な門構えのお宅 落ち着いた住宅地

そうして次のスポットの[服部農園]に到着しました。

(5)服部農園

服部農園は、喜多見の地で12代続く農家さんです。直売所では新鮮で美味しい野菜を購入できます。農地の一角では貸農園も併設しており、区民の方々も野菜作りを楽しめます。

直売所 直売所2
直売所の様子 集金箱

本日は服部農園の服部さんのご厚意で畑の中にも立ち入らせて頂き、喜多見地域の農の現状や、土地の特徴、どのような経緯で農家さんになったかなどのお話をお伺いしました。

服部農園さんでは、農業をお手伝いして頂くボランティアの方も募集しており、現在約7名ほどにお手伝いを頂きながら、運営をしているとのことでした。長い農家の歴史のある喜多見地域でも、現在は多くの農家さんで後継者がいないという問題を抱えており、相続が発生した時の相続税の問題もあることなど、農業を継続していく難しさについてもお伺いできました。

服部農園1 服部さん説明
農園内の様子 服部さんのお話

農地の一部では、貸農園も設けており、初心者の方のサポートなども行っているそうです。大変人気で空く順番待ちになっているそうですが、ご興味のある方はお問い合わせくださいとのことでした。

今では畑に立ち入ったり、農家さんから直接お話をお伺いする機会はなかなか無いので、参加者のみなさまも熱心にお話をお聞きになっていました。

ここでは田島氏から、服部農園さんのような「農業を市民のみなさんと楽しむスタイル」がこれからの都市農業の形になると思うので、是非続けて欲しいとのお話がありました。また、ただ畑を眺めているだけでも、心が落ち着いたり安らいだりするので、畑があるだけで地域の人の健康にも寄与しているというお話も頂き、まさに心の安らぎを実感しました。

貸農園の様子 畑
貸農園の様子 畑を見学している様子

服部さんのお話をお聞きし畑の中をご案内いただいた後、そのまま畑を通って次のスポット[氷川神社]へ向かいます。

(6)氷川神社

氷川神社(喜多見氷川神社)は、せたがや百景にも選定されており、喜多見地域の氏神様として古くから親しまれてきました。

奈良時代の天平12年(740年)に創建されたと伝えられている区内でも代表的な歴史ある神社です。

延文年間(1356~60年)に火災や多摩川の洪水で古縁起や古文書が失われてしまい、詳細は明らかではないとのことですが、古くは現在よりも多摩川に近いところにあったようです。

昭和六十三年(1988年)に不慮の災いを受け社殿が焼失し、現在の社殿は平成二年(1990年)に再建されました。

氷川神社参道 氷川神社社殿
参道 社殿

参道の中ほどに建つ石鳥居は承応3年(1654年)に喜多見勝忠の子重恒と重勝の兄弟によって建立されました。

明神鳥居と呼ばれる形式で、都区内の鳥居としては最古の部類に入り、世田谷区有形文化財に指定されています。

境内には保存樹林地もあり、区内とは思えない静かで神聖な空気を感じることができます。

保存樹林地 石鳥居
参道脇の保存樹林地の様子 石鳥居

みなさまで参拝を済ませ、宮司様にご挨拶させて頂いた後、参道を通って次のスポット[慶元寺]へ向かいます。

参道を出てまず目に入るのが、氷川神社と慶元寺の間にある細い道です。

この道は、地域風景資産【喜多見・歴史の道~慶元寺・氷川神社界わい】に選定されています。

慶元寺側はどこまでも続く塀にカシの木が影を落とし、氷川神社側は深い緑が迫る印象的な道です。

本日は、慶元寺の北側にある道幅1mほどの小道を通って、慶元寺の敷地内に入ります。

慶元寺
地域風景資産【喜多見・歴史の道~慶元寺・氷川神社界わい】

(7)慶元寺

そのまま本堂の方へ進んでいくと、通路の脇に大きなケヤキが姿を現します。

慶元寺には多数のケヤキが生育していますが、こちらのケヤキは世田谷名木百選や世田谷区指定天然記念物に登録されているケヤキです。

「旧にごりや」の時にお話があったように、かつて喜多見地区の農村集落では、屋敷林として敷地の境界にケヤキが植えられていました。

屋敷林の多くは宅地化と共に伐採されましたが、慶元時の境内には列植された5本のケヤキが樹形の整った巨木として現存しています。

間の道 巨木
細道の風景 ケヤキの巨木

そのまま少し進むと本堂に到着です。

本堂は1716年の建築で、世田谷区では最古の寺院建築物であると言われています。

本堂
本堂

ここでは、ご住職より慶元寺の歴史や、この地を治めていた江戸氏、喜多見氏のお話などを伺いました。

まず、江戸氏(えどし)とは、武蔵国の江戸郷を起源とする武士の一族で、桓武平氏の一流である秩父氏の支流です。江戸氏の祖は、平安時代末期に江戸を名乗った秩父重継とされています。

「入江の戸口を治める」ということで「江戸」を名乗ったとされています。後世の江戸城の本丸、二の丸周辺に居館を構え、治めていました。

治承4年(1180年)に源頼朝が挙兵した時、武蔵国内で勢力を拡大した秩父平氏の有力な一角となっていた江戸氏は敵対し、頼朝の鎌倉入りの障害となっていたそうです。その後、頼朝は江戸氏を「武蔵野国の棟梁」と呼ぶなどし頼朝方に協力するよう働きかけたそうです。始めは応じなかったものの、結果的には頼朝方に協力するようになります。鎌倉時代には、鎌倉幕府の御家人になるなど、厚遇されていたそうです。

270年程治めていましたが、室町時代に太田道灌らが江戸入りした際に、江戸城の明け渡しを求められ、親戚筋であった喜多見(木田見)の地に移住しました。その後、江戸氏23代、江戸勝忠の代で徳川家康を主君とした時に、江戸氏を改めて、喜多見氏となりました。

その後、勝忠は関ヶ原の戦い、大坂夏の陣などに従軍し功績をあげ、その後も数々の功績をあげました。

喜多見氏3代重政の代で、5代将軍徳川綱吉の側用人にまでとり立てられ、その後2万石の大名に列するようになり、喜多見藩を立藩するまでに至りました。しかし、元禄2年(1689年)、突然改易され廃藩、藩主家としての喜多見氏は滅びました。

江戸氏喜多見氏や慶元寺の歴史などを、直接ご住職にお話し頂けるのは大変貴重なことであり、素晴らしい時間でした。

住職お話 江戸氏の像
ご住職のお話 江戸太郎重長の像

(8)江戸氏喜多見氏の供養塔 

ご住職のお話を伺った後に、慶元寺墓地にある江戸氏喜多見氏の供養塔を見学しました。

江戸氏喜多見氏墓所は、世田谷区指定史跡に指定されています。

寛永4年(1627年)に没した勝忠をはじめ、一族の墓石や江戸氏歴代の供養塔、石灯籠などが置かれています。

墓所内には、平成5年(1993年)に建立された区内では珍しい三重塔もあります。

塔内には阿弥陀如来像が安置されており、地下には納骨堂が設けられています。

最後に田島氏より、こうして長い間お寺が続いており、様々な文化財があり、地域の歴史を学ぶ場を提供してくれているというのは大変ありがたいことです。とのお話がありました。

供養塔 住職お話
江戸氏供養塔と三重塔 ご住職のお話

(9)須賀神社

慶元寺を後にし北に歩いていくと、一際大きな巨木が見えてきます。

大木に包まれるように佇む神社と、樹齢 400 年とも言われる巨木が、地域風景資産でもある【須賀神社とムクノキ】です。

昔から変わることない心安らぐ風景として、地域のシンボル的な存在になっています。

須賀神社は、承応年間(1652年〜1654年)に喜多見久大夫重勝が喜多見館内の庭園に勧請したのが始まりといわれ、近郊では「天王様」とよばれ親しまれています。

例大祭の八月二日に執り行われる湯花神事(湯立)は、世田谷区指定無形民俗文化財に指定されています。

社殿前に大釜を据えて湯を沸かし、笹の葉で湯を周りに振りかける行事です。この湯がかかると、一年間病気をしないといわれ、今日も広く信仰を集めています。湯花神事は浄め祓いの行事になっていますが、湯立によって占いや託宣を行うのが本来の姿であり、神意を問う神事だったようです。ちなみに、湯を沸かす藁となる麦は、代々農家に伝わる喜多見麦を使います。

ムクノキ等 社殿
ケヤキやムクノキ 須賀神社

(10)喜多見農業公園

 須賀神社の次は、すぐ近くにある喜多見農業公園に伺いました。

 喜多見農業公園とは、区民の皆さんが日常的に農に「触れ」「学び」「楽しむ」ことのできる公園です。

 野菜の育つ様子を間近に見たり、農作業体験に参加して、農業の楽しさや難しさを体感することができます。

 令和元年度に、もともと畑として使用されていた喜多見四丁目の一部の土地を、喜多見農業公園として新たに拡張整備しました。

 この地域には江戸時代に喜多見陣屋という藩庁があったことから、この拡張区域の名称は「陣屋のはたけ」といいます。

 公園の中にはパーゴラや縁台を設置し、休息しながら農作物の様子を眺めることができます。

農業公園3
農業公園の写真

喜多見農業公園をあとにし、そのまま北の方へ歩いていくと[たのしい家 喜多見「雨庭」]に到着です。

(11)たのしい家 喜多見「雨庭」

2022年に開所した認知症グループホーム「たのしい家 喜多見」の庭先には「雨庭」が設けられています。

「雨庭」とは、屋根や地面に降った雨水を集めて一時的に貯留し、ゆっくりと地面へ浸透させる庭のことです。

近年、増加する集中豪雨により雨水が一気に下水道や河川に流れ込むリスクの軽減が期待されています。

土壌に直接、雨水が浸み込むことで地下水を豊かにし、雨庭に植物を植えることで生きものの生息域や移動空間を増やすこともできます。

ここではグループホーム職員の小口さんに、お話を伺いました。

施設長の、「このグループホームを地域に開かれた施設にしたい」「地域の方たちと交流したい」との思いから、「雨庭」脇の庭先を開放し、行き交う人々が自由に休めるオープンスペースを設けています。

一般財団法人世田谷トラストまちづくりと協働し、「雨庭」を設け、その「雨庭」上にお花や野菜を植えるなどして、地域交流を促す取り組みをしています。今後も、継続してそうした取り組みを進めていきたい、と仰っていました。

実際に地域との交流も生まれ始めており、高齢者施設や福祉施設は地域から孤立するケースもあるかと思いますが、積極的に地域に関わることにより、地域の一部になっていくのはとても良い事例だと思いました。

雨庭 小口さん
雨庭 小口さんのお話

雨庭を見学した後、住宅街を更に北に歩いていくと、竹林に到着します。

(12)喜多見5-21遊び場の竹山緑地

この竹林が、地域風景資産に選定されている「喜多見5-21遊び場の竹山緑地」です。

ここは長い間、市民緑地(民有地)として保全・公開されてきましたが、令和3年度に公園緑地として永続的に保全されることとなり、どなたでも散策できるようになりました。

竹林のお手入れは、地域のボランティアの方々と区が協働して行っています。

竹林の中に一歩踏み込み、吹き抜ける清涼な風をお楽しみいただけます。なお、竹林保護のため4~5月は休園しています。

竹林入口 散策路
竹林入口 竹林内の散策路

竹林内の通路を進んでいくと、広い広場にでます。いくつか遊具もあり、子どもたちが元気に遊んでいました。

また、広場のすぐ横には、栗林が広がっています。

(13)栗林

喜多見5-21遊び場内の栗林は、季節になると実が沢山落ちる美しい場所です。

この栗林は、世田谷のかつての農村風景を今に伝える地域の一部であり、地域の自然の遊び場として親しまれています。

栗林 栗
栗林 栗のイガ

(14)次大夫堀公園

世田谷の農村風景と昔ながらの小川を復元したのが次大夫堀公園です。

公園の名称は、小泉次大夫が昔この地域の用水を確保するために作った堀の名にちなんでつけられました。

面積は約38,000平方メートルで650メートルの水路を有し、その水路に沿って当時の古民家や水田(1,400平方メートル)が配置されています。

水路や池には、コイ・メダカ・アメンボもたくさん生息しており、コサギがきてドジョウをついばむ姿も見られます。

水田では毎年稲作が行われ、近隣の保育園や小学生達による田植えや稲刈りが、東京中央農協の協力のもと行われています。

また、昭和63年11月に開園した民家園は、名主屋敷(主屋1棟、土蔵2棟)、民家2棟、表門などを移築復原し、公園内の次大夫堀や水田とあわせて、江戸後期から昭和初期にかけての農村風景を再現しています。

次大夫堀公園 総括
次大夫堀公園の様子 総括の様子

ここで 今回のまち歩きは終了となりました。

まち歩きにご参加のみなさま、案内人の田島氏とで春の陽気を感じながら、和やかで楽しい時間を過ごすことができました。

改めまして、案内人の田島様、ご参加いただきましたみなさま、どうもありがとうございました。

また、まち歩きのスポットとしてご協力頂きました、服部農園、氷川神社、慶元寺、たのしい家喜多見のみなさま、ご協力頂きまして大変ありがとうございました。

なお、今回ご案内を頂いた田島氏が理事長を務める「NPO法人 せたがや喜多見 農とみどり」では、不定期で今回のまち歩きと同様のまち歩きイベントを開催しています。

ご興味のある方は、以下の連絡先にお問い合わせ頂くか、都市デザイン課までご連絡ください。

 

NPO法人 せたがや喜多見 農とみどり

メールアドレス:info@nou-midori.org

電話番号:090-6159-2693

当日資料について

まち歩き当日に使用した手持ち資料については、ページ下部の添付ファイルからダウンロードしていただけます。

是非、ご活用いただき、多くの方に喜多見地域の農の風景を楽しんで頂けたら幸いです。

 

お問い合わせ先

都市整備政策部 都市デザイン課  

ファクシミリ:03-6432-7996