六郷用水(次大夫堀)

最終更新日 令和3年1月12日

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用水路図
用水路図
六郷用水掘定之事の画像
六郷用水掘定之事

区内を流れる川の1つに「丸子川」があります。実は、この川は昔、次大夫堀と称された用水の名残です。用水とは田畑の灌漑用(かんがいよう)に掘られた人工の川のことです。

関東に入国した徳川家康は、江戸を本拠に定め、城下町の整備を進める一方で、その財政的基盤を支える関東平野の開発を目的に、利根川や荒川など、大河川の改修工事を行いました。世田谷を流れる次大夫堀もそうした事業の一環として、慶長16年(1611年)、多摩川の水を利用して堀削された用水施設です。取水口は、多摩郡和泉村(現在の狛江市和泉)で、全長は23.9キロメートル。

次大夫堀という名称は、この工事を指揮した代官・小泉次大夫の名に由来しますが、六郷領(大田区)の開発を目的とするものであったことから、六郷用水ともいいます。また、次大夫堀の工事には、男性ばかりを動員すると農作に支障をきたすということで、女性も動員されました。男性10人に対して1人の割合で女性を加えたところ、工事の能率がおおいに上がったそうです。このようなことから、次大夫堀は別名「女堀」とも呼ばれました。

参考 「世田谷の歴史と文化」(平成17年3月31日、世田谷区郷土資料館発行)、「せたがやゆかりのひと」(昭和63年3月16日、世田谷区区長室広報課発行)

(補足)掲載写真は世田谷区立郷土資料館所蔵のものです。

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