このページに知りたい情報がない場合は
世田谷区トップページ > 玉川地域 > 地域の概要 > 玉川地域の歴史コラム > 玉川電気鉄道(玉電)
ここから本文です。
最終更新日 2021年1月12日
ページID 10489
玉川電気鉄道
明治40年(1907年)3月、様々な難関を切り抜けて、まずは道玄坂上~三軒茶屋間が開通し、続いて明治40年(1907年)4月1日には三軒茶屋~玉川(現在の二子玉川)間が開通しました。その後、明治40年(1907年)8月に道玄坂上から渋谷まで伸び。玉川~渋谷までの全線が開通しました。
玉電は当初、多摩川の砂利輸送を目的の1つしていたため「ジャリ電」とも呼ばれていましたが、開業後は旅客誘致のための遊園地やプールの開設など行楽地としての開発や、電力供給事業や住宅地の分譲など、沿線の開発にも力を入れ、世田谷・玉川地域の発展にも大きく寄与しました。
渋谷~玉川間を5区分に分け、1区3銭(当時のコーヒー1杯、そば1杯と同じ値段)。当時の物価としてはかなり高額の電車賃を惜しみ、歩く人の方が多かったといいます。
大正13年(1924年)に玉川~砧間(砧線)、大正14年(1925年)には三軒茶屋~下高井戸間(現在の世田谷線)、昭和2年(1927年)には玉川~溝ノ口間を開業するなど、着々と路線を延長していきました。なお、昭和13年(1938年)には、東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)に合併されました。
路面電車として長年親しまれてきた玉電も、昭和30年代後半ころからは、急増する自動車に行く手を阻まれ定時運行が困難になり、ノロノロとしか走れないさまを「ジャマ電」とまで言われようになりました。
昭和44年(1969年)、首都高速3号線建設に伴い、玉川線・砧線が廃止され、開業以来63年にわたる歴史に幕を閉じました。その際、専用軌道を走る三軒茶屋~下高井戸間は世田谷線と改称し、現在に至っています。
昭和52年(1977年)、渋谷~二子玉川園(現在の二子玉川)間が新玉川線として開業しました。平成12年(2000年)には田園都市線に改称されました。
砧線の中耕地駅周辺から吉沢駅にかけての線路跡は、「砧線跡歩道」として整備されています。駅跡の石碑や砧線の歴史を説明した表示板のほか、玉電や駅のイラストをあしらったマンホールなどがあります。
参考 「特別展 玉電 玉川電気鉄道と世田谷のあゆみ」(平成元年12月13日 発行世田谷区立郷土資料館)
(補足)掲載写真(玉川電気鉄道、玉川電気鉄道沿線案内図)は世田谷区立郷土資料館所蔵のものです。
玉川総合支所 地域振興課 計画・相談
電話番号:03-3702-1134
ファクシミリ:03-3702-0942
(注意)掲載内容に関するお問い合わせについては、回答にお時間をいただく場合や他のお問い合わせ先をご案内する場合があります。