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最終更新日 2021年1月12日

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新町住宅地の桜並木

新町の住宅街は、東京信託株式会社が関東最初の郊外開発として、現在の深沢7丁目~8丁目から桜新町1丁目にかけて農地を買収して住宅として造成し、大正2年から分譲したものです。会社は、宅地造成と同時に、住宅地内の道路沿いに桜を植え、並木として整備しました。また、この開発には玉川電鉄も協力し、住民サービスに電車の無料パスを発行したりしました。

深沢八丁目の桜

深沢八丁目の桜

大正の頃、この新しい住宅地に住んでいた作家の宮本百合子は、自身の作品の中で住宅地の様子を描いています。

「坂の上の方をとほってゐる桜が古木で梢(こずえ)をひろげ、枝を重くさし交してゐるばかりでなく、並木通りからまた深い門内の植ゑこみをへだてて建てられている住宅が、洋風にしろ、和風にしろ、こつたものばかりであつた。外壁に面白い鉄唐草(てつからくさ)の窓をつけたスペイン風の建物などがあり、桜並木には人気(ひとけ)がなかった。雨の降る日にそこをとほると、桜の梢からしたたるこまかい雨の音がやはらかく並木通りのはしからはしまでみちてゐて、人つこ一人とほらない青葉のトンネルのやうな道のどこからか、ピアノがきこえたりした。」

当時の住宅地に暮らすさまざまな人々や、洋風、和風の家が混在しているとともに、この住宅地が桜並木と一体となって整備されていたことが想像されませんか。

このように、桜並木が住む人の心を和ませてきた町の名が一部「桜新町」となったのも、自然の流れだったのかもしれません。ちなみに、この町の桜には4月初旬を中心に華やかに咲く桜とは別に、4月下旬に満開を迎える「八重桜」があり、比較的長期にわたって訪れる人々を楽しませています。

参考 「特別展 玉電 玉川電気鉄道と世田谷のあゆみ」(平成元年12月13日、世田谷区立郷土資料館発行)、「世田谷、町村のおいたち」(昭和57年10月1日、世田谷区区長室広報課発行)

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