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最終更新日 2021年1月12日
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現在、都立駒沢オリンピック公園は区民の憩いの場となっていますが、かつては日本人の手により初めて建設されたゴルフ場でした。
1914年(大正3年)6月に、井上準之助をはじめとした政界・財界の指導者により、駒沢に6ホールのコースとして東京ゴルフ倶楽部が誕生し、1922年(大正11年)4月19日には英国皇太子プリンス・オブ・ウェールズと日本皇太子(昭和天皇)が親善ゴルフを楽しまれたとのことです。
東京ゴルフ倶楽部は1932年(昭和7年)5月に埼玉県朝霞の新設コースに移転し(朝霞コースは1940年(昭和15年)に陸軍の用地として接収され、現在の埼玉県狭山に移転)、その後、駒沢ゴルフ場を目蒲電鉄(現東京急行電鉄)が引き受け、駒沢ゴルフ倶楽部となりました。玉川村(現在の野毛)や砧村(現在の砧公園)にも1932年(昭和7年)にゴルフ場ができ、世田谷のゴルフ場は東京名物になったということです。
駒沢ゴルフ場は1941年(昭和16年)に軍に接収されましたが、戦後、ここに野球場ができ、一時東映フライヤーズ(北海道日本ハムファイターズの前身)のフランチャイズ球場としても使われました。1964年(昭和39年)の東京オリンピックでは第二会場として、サッカー、バレーボールなどで大変盛り上がりました。
参考 「せたがやゆかりの人」(昭和63年3月16日、世田谷区区長室広報課発行)、「ふるさと世田谷を語る 野毛・上野毛」(平成3年3月、世田谷区総務部文化課文化行政係)、「世田谷、町村のおいたち」(昭和57年10月1日、世田谷区区長室広報課発行)
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