玉川温室村

最終更新日 平成24年8月26日

ページ番号 16655

玉川村の温室
玉川村の温室

等々力では、耕地整理が進む一方で、新しい農業も始まっていました。宅地化の準備はしても、整理の済んだ碁盤目の田畑では農作が続きました。

新しい農業とは温室栽培で、大正14年に現在の東京都世田谷区等々力1丁目で、アメリカ帰りの農園主が始めたのが最初でした。当初の頃の温室経営者は他県の出身者が大部分で、等々力の人々は「おかしな農業をやっているな」と見ているだけだったのですが、経営の成功を見て手がける人が瞬く間に増えたということです。

昭和5年から昭和15年ぐらいまでの間に、経営面積は計42,000平方メートルにも及びました。農村にビニールハウスの多い昨今ならともかく、当時はいかにも新鮮で、東京府下らしい農村風景だったことでしょう。

これが「玉川温室村」として知られるようになると、バスを連ねて見学者が来たり、全国から研究生が集まったものでした。研究生たちは各農家に3人~4人ずつ園丁(えんてい)として住みこんで栽培技術と経営方法を学んでは、それぞれの故郷の村に温室を建てました。

玉川温室村で栽培していたのは、カーネーション、スイートピー、シクラメンといった洋花、メロンやイチゴといった高級果実でした。当時はカーネーション1本が7銭ないし8銭(卸値)だったということです。ゴールデンバットというタバコが1箱6銭だった時代です。

今は2軒~3軒となり、温室村と呼ばれることも少なくなりましたが、多摩堤通りにあるバス停には「玉川温室村」の名を見ることができます。

参考 「世田谷、町村のおいたち」(昭和57年10月1日、世田谷区区長室広報課発行)、「世田谷の歴史と文化」(平成17年3月31日、世田谷区立郷土資料館発行)

(補足)掲載写真は世田谷区立郷土資料館所蔵のものです。

このページについてのお問い合わせ先

玉川総合支所地域振興課計画・相談

電話番号 3702-1134

ファクシミリ 3702-9020

(注意 掲載内容に関するお問い合わせについては、回答にお時間をいただく場合や他のお問い合わせ先をご案内する場合があります。)