玉川電気鉄道(玉電)

最終更新日 平成24年8月26日

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玉電開業

玉川電気鉄道

玉川電気鉄道

明治40年(1907年)3月、様々な難関を切り抜けて、まずは道玄坂上~三軒茶屋間が開通し、続いて明治40年(1907年)4月1日には三軒茶屋~玉川(現在の二子玉川)間が開通しました。その後、明治40年(1907年)8月に道玄坂上から渋谷まで伸び。玉川~渋谷までの全線が開通しました。
玉電は当初、多摩川の砂利輸送を目的の1つしていたため「ジャリ電」とも呼ばれていましたが、開業後は旅客誘致のための遊園地やプールの開設など行楽地としての開発や、電力供給事業や住宅地の分譲など、沿線の開発にも力を入れ、世田谷・玉川地域の発展にも大きく寄与しました。

開業当時の運賃

渋谷~玉川間を5区分に分け、1区3銭(当時のコーヒー1杯、そば1杯と同じ値段)。当時の物価としてはかなり高額の電車賃を惜しみ、歩く人の方が多かったといいます。

路線の拡大

玉川電気鉄道沿線案内図
玉川電気鉄道沿線案内図

大正13年(1924年)に玉川~砧間(砧線)、大正14年(1925年)には三軒茶屋~下高井戸間(現在の世田谷線)、昭和2年(1927年)には玉川~溝ノ口間を開業するなど、着々と路線を延長していきました。なお、昭和13年(1938年)には、東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)に合併されました。

大正末~昭和初期の駅

  • 玉川線
    渋谷 道玄坂上 大坂上 大橋 池尻 三宿 太子堂 三軒茶屋 中里 上馬 真中 駒沢 弦巻 新町 用賀 瀬田 遊園地前 玉川
  • 世田谷線
    三軒茶屋 西山 若林 松陰神社前 世田谷 上町 豪徳寺 宮ノ坂 山下 六所神社 松原 七軒町 下高井戸
  • 砧線
    玉川 中耕地 吉沢 大蔵 砧

玉電の廃止

路面電車として長年親しまれてきた玉電も、昭和30年代後半ころからは、急増する自動車に行く手を阻まれ定時運行が困難になり、ノロノロとしか走れないさまを「ジャマ電」とまで言われようになりました。
昭和44年(1969年)、首都高速3号線建設に伴い、玉川線・砧線が廃止され、開業以来63年にわたる歴史に幕を閉じました。その際、専用軌道を走る三軒茶屋~下高井戸間は世田谷線と改称し、現在に至っています。

新玉川線の開業

昭和52年(1977年)、渋谷~二子玉川園(現在の二子玉川)間が新玉川線として開業しました。平成12年(2000年)には田園都市線に改称されました。

砧線跡歩道

砧線跡歩道
砧線跡歩道

マンホール
マンホール

砧線の中耕地駅周辺から吉沢駅にかけての線路跡は、「砧線跡歩道」として整備されています。駅跡の石碑や砧線の歴史を説明した表示板のほか、玉電や駅のイラストをあしらったマンホールなどがあります。

参考 「特別展 玉電 玉川電気鉄道と世田谷のあゆみ」(平成元年12月13日 発行世田谷区立郷土資料館)

(補足)掲載写真(玉川電気鉄道、玉川電気鉄道沿線案内図)は世田谷区立郷土資料館所蔵のものです。

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