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最終更新日 2015年4月1日
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文禄4年(1595年)に、阿闍梨法印(真言宗の僧位)の賢恵和尚が、十一面観世菩薩像と聖徳太子像を背負って、大和の久米寺から関東に下って、村の民家に一泊しました。そのとき夢に聖徳太子が現れて「この地に霊地あり、円泉ヶ丘という。恒に霊泉湧き出ず。永くこれに安住せん。汝もともにとどまるべし」と告げられたといわれています。これにより賢恵和尚は、翌年には本堂、聖徳太子堂、庫裡を完成させて手厚く祀った。それ以後この地は栄えたので、村の名を太子にちなんで太子堂と名付けました。
江戸時代の中期以後、江戸市民の大山詔が盛んになると、最初は世田谷新宿回りの道が使われていましたが、やがて三軒茶屋と用賀の間に近道が開かれて、一般には両道とも大山道といわれるようになりました。そして、大山道に沿った三差路に、信楽、角屋、田中屋という三軒のお茶屋ができ、旅人の道中の憩いの場として繁昌しました。ここが旅人の道中の目標となり、いつしか三軒茶屋と呼ばれるようになりました。
若林という地名については、はっきりした決め手はありませんが、新田の古い表現だとも言われ、開発造成され植林された若い木の並んでいるところを意味するものだろうと言われています。
参考「ふるさと世田谷を語る 池尻・三宿・太子堂・若林・三軒茶屋」(世田谷区、平成6年3月発行)、「出張所のあらまし」
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