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最終更新日 2022年5月23日

ページID 3488

世田谷区立次大夫堀公園民家園の文化財

世田谷区立次大夫堀公園民家園は、江戸時代後期から明治にかけての農村風景を再現しています。

旧加藤家住宅主屋(きゅうかとうけじゅうたくおもや)

世田谷区指定有形文化財(建造物)

昭和56年5月20日指定

江戸時代

桁行7間(12.7メートル)、梁間4.5間(8.0メートル)、寄棟造、茅葺

物置付、間口1.5間(2.7メートル)、奥行4間(7.2メートル)

旧加藤家住宅主屋内部

内部

旧加藤家住宅主屋外観

外観 撮影 清水襄

喜多見にあった加藤家の屋敷から移築した主屋は、江戸時代末の安政2年(1855年)以前に建てられたと推定されています。間取りは整形四ッ間型といい、俗に田の字型とも呼ばれる形式で、関東地方では江戸時代後期の農家に一般的に見られた間取りです。

加藤家では明治期に養蚕を盛んに行なっていたので、主屋にはスノコ天井や煙出し櫓など、養蚕のための様々な工夫が見られるのも特徴の一つです。

村内の一般的な農家の屋敷として復元されています。

旧城田家住宅主屋(きゅうしろたけじゅうたくおもや)

世田谷区指定有形民俗文化財

昭和60年2月19日指定

江戸時代

桁行6.5間(12.0メートル)、梁間5間(9.2メートル)、寄棟造、茅葺

旧城田家住宅主屋外観

外観

旧城田家住宅主屋ひろま

ひろま 撮影 清水襄

旧城田家住宅主屋2階があるみせ部分

2階があるみせ部分

この主屋は、喜多見にある城田家の屋敷から移築しました。城田家屋敷は登戸道と筏道が交わる辻にあって、江戸時代末には酒屋を営んでいたといわれています。主屋は弘化3年(1846年)以前に建築されたと推定しています。間取りは喰違い四ッ間型ですが、ドマに広く張り出した板床や厨子二階などの店造りが特徴です。

店舗を併用した江戸時代の古民家の特徴を生かして、園内の売店として活用しています。

旧安藤家住宅(きゅうあんどうけじゅうたく)

世田谷区指定有形文化財(建造物)

平成5年4月30日指定

江戸時代

桁行13間(24.0メートル)、梁間5間(9.2メートル)、寄棟造、茅葺

附 内倉 明治28年9月、表門

旧安藤家住宅主屋座敷外観

座敷外観

旧安藤家住宅土間内部

土間内部 撮影 清水襄

旧安藤家住宅座敷内部

座敷内部

この主屋は旧大蔵村名主であった安藤家の屋敷内に建っていたものです。安藤家では天保5年(183年)頃に村名主となり、主屋を建てたと推定されます。

間取りは、農家と名主の役宅の機能を兼備えているため、式台が付く多室型となっています。

民家園では、主屋から続く内倉や糸場、役宅から眺める庭、表門など、かつての安藤家の屋敷配置をできる限り再現しています。

旧秋山家住宅土蔵(きゅうあきやまけじゅうたくどぞう)

(きゅうあきやまけじゅうたくどぞう)

世田谷区指定有形文化財(建造物)

昭和56年7月22日指定

江戸時代

桁行3間(5.4メートル)、梁間2間(3.6メートル)、土蔵造、切妻造、茅葺

旧秋山家住宅土蔵外観
外観

旧秋山家住宅土蔵1階内部
1階内部 清水襄

この土蔵は深沢の秋山家屋敷の入り口脇に建っていた外倉で、穀倉として使用されていました。内部に文政13年(1830年)の祈祷札が打ち付けられており、この頃に建築されたと推定されています。

穀倉であったため、害虫や湿気の対策として、内部の床と壁には板を張っています。

園内では名主屋敷の外倉として復元されています。

旧谷岡家表門(きゅうたにおかけおもてもん)

世田谷区指定有形文化財(建造物)

平成3年1月24日指定

江戸時代

桁行6.7間(12.1メートル)、梁間2間(3.6メートル)、寄棟造、茅葺

旧谷岡家表門正面外観
正面・外観

旧谷岡家表門中央通路部分
門部分 撮影 清水襄

この門は深沢にある谷岡家屋敷から移築しました。長屋門形式の表門で、門の両側には2間(けん)四方の部屋が配され、一方が土間の納屋、一方が床板張りの穀倉です。

当初は長屋門ではなく、両脇の部屋は2棟の別々の建物であったと推定しています。天保9年(1838年)に、2棟の建物をあわせ、中央に門を付けて長屋門にしたと考えられています。

民家園では正門の脇に配置され、農具などの展示室として活用しています。

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教育政策・生涯学習部 生涯学習課 文化財係

ファクシミリ:03-3429-4267