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最終更新日 2021年4月26日

ページID 3734

居住者のお話

1 都営住宅時代

  • 昭和27年、以前は一面の畑。戦後まもなく建てられた公営住宅と同様、深沢住宅も、大陸からの引揚者・戦災者等を対象とした都営住宅として誕生した。(木造平屋建35戸)
  • 当時は5年経過後払い下げが条件で、水道も垣根も何もない住宅であった。砂利道で草畑はそのままあり、井戸は4戸に1戸あったが、飲料には適さず、自費で井戸を掘り、ろ過して飲んでいた。
  • 東京都に水道を敷設するよう要求し、その費用を集めることから、自治会の活動が始まった。
  • 自治会として、住宅の払い下げの要求運動もしたが、昭和34年4月、公営住宅法が改正され、払い下げの制度が廃止となった。
  • 東京都から毎年のように建て替えの提案があったが、払い下げ条件の反古などがあり、協議には応じなかった。
  • その後老朽化が著しくなり、自治会としても建て替えは必要と考え、東京都に対して共同設計の提案を行った。

都営深沢二丁目アパートの写真

建て替え前の都営深沢二丁目アパート
当時の木造平屋住戸の写真

当時の木造平屋住戸

2. 建替え計画づくり

  • 平成2年頃、世田谷区では区民参加の「身近なまちづくり」の推進を打ち出した。区の仲立ちを条件に建替え協議の検討を始めた。
  • 平成4年、建設省の環境共生住宅のガイドラインができた。
  • 区、東京都、居住者間で深沢環境共生住宅を環境共生住宅のモデルに指定し、東京都から移管して区営住宅として建て替えることで合意に至った。
  • 平成5年4月から岩村アトリエ事務所が中心となって、毎日のように深沢周辺環境の調査を行ない、風向き、地下水脈、渡り鳥、虫の種類等を調べた。
  • 区の建替え協議会(25名)を設置した。また居住者も参加した基本設計策定委員会を設置し、2つの組織が平行して動いた時期であった。
  • 建替え協議会を5~6回開催した。「木も草花もない敷地に植物を植えて40年間も育ててきた愛着のある草木をできる限り残したい。」また「居住者も高齢化していることから高齢者にも配慮した住宅を」というのが居住者の主な要望事項であった。
  • 入居者同士でも何度も討議したり、専門家を呼んで勉強を重ね、家の設計について「中階段にしたい」「玄関が暗いので改善したい」「玄関のドアは向かい合っていないものにしたい」「採光に工夫して部屋を明るくしたい」「床面は段差のないもの」、等を居住者側から提案した。
  • 区として1号棟は6階建にして住戸数を増やしたかったが、居住者の要望や周辺環境に配慮して5階建となった。また団地内の車両出入口は2か所にして、通り抜けが出来るようにした。
  • 建替え前の2倍の70戸を確保しなければならないことから、2号棟に日当たりの悪い部屋ができてしまう予定だったが、居住者との話し合いを重ねて最終的には5号棟の住戸を増やし、日当りと住戸数の問題を解決した。

3 入居以降

  • 平成6年11月、居住者19世帯の立ち退きが始まり、除却工事が開始された。
  • 入居者説明会が行われ、平成9年4月従前居住者優先で戻り入居が始まり、それと同時に新しい入居者も入ってきた。
  • 実際住み始めてから「風通しが良い」「段差が無い」とうことで居住者からの評判は良い。従来からの住まいからすれば快適である。朝日が入るし、南面向きで、北も開いているため風の通りが大変良い。空が広い。夜景もきれいである。冬場朝の気温は16度くらいだが、暖房を入れなくても十分過ごせる。
  • 平成10年、武蔵工業大学(現 東京都市大学)が深沢の効果測定のデータを集めるため、一年にわたり、湿度・温度の計測を行った。夏場涼しく過ごせるということが計測の結果にも現れているようである。
  • 土地・建物は世田谷区の所有で、管理責任は世田谷区にあるが、環境共生住宅ということで居住者が育てていく部分も多い。花壇や手が届く屋上庭園等は自治会に管理が任されている。
  • 全国からはもとより外国からも視察者が多い。

深沢環境共生住宅~今後の課題へ

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都市整備政策部 住宅課  

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