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最終更新日 2020年2月27日
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烏山地区は、北烏山(1丁目~9丁目)、南烏山(1丁目~6丁目)、給田(1丁目~5丁目)からなり、東京都世田谷区の北西部に位置し、杉並区、三鷹市、調布市に隣接しています。
所々に畑が残る閑静な住宅地ですが、近年、相続等の関係から、大きな敷地や農地が売却され、跡地に大規模集合住宅が建設されるなど、開発が進んでいます。
公共交通機関としては、中央に京王線が走っており、新宿などの商業地域や都心オフィス街へのアクセスは良好です。千歳烏山駅前は、朝夕の通勤・通学の方のほか、日本でも有数の商店街であるえるも~る烏山への買い物客等で、大変にぎわっています。芦花公園駅は、駅前の市街地再開発によって、駅前広場や駐輪場などが整備され、毎年、盆踊りが開催されるなど、地域の方の憩いの場所にもなっています。
屋敷林や寺院の樹木など緑が多く残されており、寺町の鴨池(高源院)の湧水のほか、昔は、烏山川、水無川など小さな河川が南北に流れていましたが、今は緑道・遊歩道となって、地域の方の憩いの散歩道となっています。
給田の地名の由来は、「荘園領主が預所および下司・政所・公文などの荘官や地頭に職務給として給与した田(角川日本史辞典より)」だったものが、そのまま地名になったようです。
烏山の地名の由来は諸説あり、古くは南北朝時代にはすでに烏山と呼ばれていたようです。
烏山という地名は、地質、土質に関係があり、しかも人々にとって最も身近な表土によるものと推察されています。世田谷地方の表土の大部分は、植物が堆積して変化した「黒土」であり、乾燥して風が吹けば舞い上がり、雨が降ればたちまちぬかるみになります。表土の黒色を形容して「烏」を当て、耕作地もしくは自然の地盤に対して「山」を当てたものではないかという説があります。
同様に「黒色のアス(灰)の山」の語が転縮して、クロアス山が「カラス山」になったという説もあります。
出典 世田谷の地名(下)世田谷区教育委員会発行より
烏山地区には3箇所の地域風景資産があり、その他、せたがや百景など様々な見所があります。
烏山つつじ緑地(北烏山6丁目16番)
4月~5月の初め、ツツジ、サツキの品種が多く、色彩の乱舞する華やかさです。
烏山寺町(北烏山2丁目・3丁目・4丁目)
世田谷の小京都といわれ、寺院が連なり、静かで緑濃いたたずまいです。
国歌の歌詞に登場するさざれ石(幸龍寺)や蕎麦禁止の石碑(称往院)、釜六の天水桶(源正寺)などもあります。
烏山の鴨池(北烏山4丁目30番1号)
寺町の北にある高源院の鴨池には、秋も深まると鴨が飛来してきます。
コガモ、カルガモ、マガモなどが、愛らしく水面を泳ぎます。
夏には池一面に咲き乱れる睡蓮が見ごろになります。
給田小学校の民俗館(給田4丁目24番1号)
給田小学校の一角にワラ葺のまま(注釈1)の農家が保存されています。
お囃子や餅つきなどの伝統行事が行われており、子どもたちにとって得がたい郷土教育の教材になっています。
(注釈1)現在は火災防止のため、燃えにくい素材で覆われていますが、建物内部からは、ワラ葺の天井が見えます。
旧甲州街道の道筋(南烏山3丁目~給田3丁目)
山本農機・山本善水商店(南烏山3丁目)を中心とした旧甲州街道の街並は、かつて地域風景資産にも選定されましたが、現在は、かつての街道筋を偲ばせる風景はほとんど残っていません。直線ではない少し湾曲したこの道筋そのものが街道だったことを知れば、かつて参勤交代が行われていた時代や、かつての宿場町の様子などを思い浮かべることができそうです。
北烏山九丁目屋敷林(北烏山9丁目1番38号)
広い敷地の中に主屋や蔵。大きなケヤキ、竹林などがあり、心が落ち着く空間です。
巨大な白菜の「下山千歳白菜」の発祥・復活の地でもあります。
2月には節分の豆まきが行われるなど、区民との交流も盛んです。
北烏山四丁目梅林市民緑地(北烏山4-43)かつて梅林だった緑地を整備し、市民緑地として一般に開放されました。
新たに植樹された樹木が成長すると、どのような緑地になるのでしょうか。
今後が楽しみです。
世田谷文学館(南烏山2丁目10番10号)
烏山中学校温水プール・クライミングウォール(南烏山4丁目26番1号)
烏山総合支所 烏山まちづくりセンター
電話番号:03-3300-5420
ファクシミリ:03-5384-3222