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最終更新日 2013年6月13日

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地名の由来(代田・羽根木・松原)

代田

この地域は、北条氏康の家臣垪和又太郎が永禄12年(1569年)にこの地の領主になったとき、すでに代田屯と呼ばれていたようです(『北条分限帳』)。代田の地名の由来は、「だいたらぼっち」の伝説によるという説が有力だと考えられています。昔、代田の西の守山近辺(現在の守山小学校付近)の窪地のことを村人は「だいたらぼっち」と呼んでいました。それは、この地に雨水や湧水を集めてできた沼地があり、その形が人の足跡に似ていたことから、大男「だいたらぼっち」の足跡と呼ぶようになり、池の近くの玉川上水に大男が一晩でかけたといわれる橋を代田橋と呼びましたが、今はこの橋も池もなくなっています。この「だいたらぼっち」が変化し、「だいた」になったというものです。(「ふるさと 世田谷を語る 代田・北沢・代沢・大原・羽根木」(平成9年3月発行)より引用)

羽根木

羽根木という地名は、享保10年(1725年)の記録にも残されるほど古く、地名の由来は、古老の言い伝えでは、昔から樹木が多く茂っていて、いろいろな鳥が飛んできて止まるので、鳥の羽根と合わせて羽根木になったということです。(「ふるさと 世田谷を語る 代田・北沢・代沢・大原・羽根木」(平成9年3月発行)より引用)

松原

松原の名が歴史に改めて登場するのは、年代は詳らかでないものの、経堂在家の名主松原太郎左衛門の先祖で、世田谷城主吉良氏の家臣松原佐渡守の三兄弟が松原宿を開き、その松原宿の商人たちが赤堤村の土地を開墾し、ここを独立させて松原としたと伝えられるもので、これが元禄10年から16年間(1697年~1713年)のことだとされています。(「ふるさと 世田谷を語る 上北沢・桜上水・赤堤・松原」(平成8年3月発行)より引用)

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