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最終更新日 2013年6月13日

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地名の由来(赤堤・池尻・梅丘・大原)

赤堤

赤堤の名が歴史に見られるのは、(中略)天正12年(1584年)です。その年の11月に西福寺の僧法師賢幸が、高野山金剛峯寺の宝塔院法印乗清から、権律師に補任された時のうわ書きに赤堤村西福寺と書かれたのが最初で、この時、光林山持明院西福寺の山号院号がつけられたと記されています。この赤堤の名は、南の北沢川本流と北の支流が東へ曲がる赤土の高台に、昔防塁があったとされて付けられましたが、その時期は奈良時代、戦国期、室町期説などがあって、はっきりしていません。(「ふるさと 世田谷を語る 上北沢・桜上水・赤堤・松原」(平成8年3月発行)より引用)

池尻

池尻村は、その名からもまた低地が多いことからしても、昔はこの目黒川沿いの低地にはかなり大きな池があったのではないかといわれています。そしてこの池尻の名は池の下の端にある土地という意味からつけられ、後に池尻から分村した池沢村(1661年~1680年ごろ)も、池がある程度干上がった所からこの名がついたといわれている。(「ふるさと 世田谷を語る 池尻・三宿・太子堂・若林・三軒茶屋」(平成6年3月発行)より引用)

梅丘

梅ヶ丘駅ができ、これは後の町名にもなりました。(中略)昭和9年4月になって新設された駅でした。駅名について、小田急50年史の記録によると、「この地は北沢窪という地名で、かつては麦畑の中に一基の古墳があり、出土品もあった。したがって梅丘は古墳にちなむ埋ヶ丘に由来するとの説がある。またこの地の大地主旧家に梅の古木があり、同家の家紋も梅をかたどったものであるところから、これをとって優雅な「梅ヶ丘」の駅名をつけたともいう。」(以下略)とあります。この大地主というのが相原家で、たまたま同家を訪れていた三人の間で新駅名のことが話題に上ったとき、相原家の土蔵の梅鉢の家紋を見て、これにちなんで梅ヶ丘にしてはとの提案がされ、小田急側にも異議なく採用されたということです。(「ふるさと 世田谷を語る 経堂・宮坂・梅丘・豪徳寺」(平成10年2月発行)より引用)

大原

大原は、昔は代田村の一部で、萩久保、西大原、東大原という三つの字から成っていました。(中略)大原は、その名のとおり「広い原っぱ」ということから付けられた名ですが、土地はだいたい海抜40メートルから45メートルほどの大地で、西側には50メートルほどの高所があります。(「ふるさと 世田谷を語る 代田・北沢・代沢・大原・羽根木」(平成9年3月発行)より引用)

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