地名の由来(等々力・玉堤・尾山台)

最終更新日 令和3年1月12日

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等々力・玉堤

「トドロキ」あるいは「トドロ」という地名は全国に多い。たいていは、川の流れの激しいところや滝のあるところである。等々力渓谷が今の渓谷の深さになるまでにはいくつかの段階があり、途中に滝ができたりそれが崩壊したり、そしてまた滝ができたりを繰り返したのであろうと推測される。その崩壊の音はまさに轟くような音がしたので、「トドロキ」という地名になったと思われる。

明治22年、それまでの奥沢・尾山・等々力・下野毛・上野毛・野良田・用賀・瀬田の8村が合併して玉川村が成立し、等々力村は大字等々力となった。明治45年、府県境界の変更があり、多摩川右岸にあった区域は神奈川県となり、左岸にあった神奈川県の一部を編入した。昭和7年、世田谷区成立時に、玉川村大字等々力(飛地を除く)の区域は玉川等々力町1~3丁目に区画された。昭和45年3月、住居表示の実施に伴う町区域の変更により、旧玉川等々力町1丁目のうち丸子川(旧六郷用水)以南の区域を玉堤1・2丁目とし、その他の区域は等々力1~8丁目に区画した。

尾山台

近世末期までは、「荏原郡小山(おやま)村」といった区域である。「尾山」は「小山」の変化したもので、小山とはこの村の主要部分が多摩川左岸崖線中にあるところから称せられたと考えられる。小山が尾山となったのは明治7年から明治22年までの間と思われ、理由は、荏原郡に小山(こやま)村(現品川区小山)があって漢字で表した場合に紛らわしかったことによると考えられる。

明治22年、それまでの奥沢・尾山・等々力・下野毛・上野毛・野良田・用賀・瀬田の8村が合併して玉川村が成立し、尾山村は大字尾山となった。昭和7年、世田谷区成立時に、玉川村大字尾山の区域は玉川尾山町となった。昭和45年3月、住居表示の実施に伴う町区域の変更により、旧玉川尾山町の区域は、尾山台1・2丁目に区画されたほか、旧玉川等々力町1丁目の一部と、旧玉川奥沢町3丁目の一部とを編入して尾山台3丁目とした。

参考 「世田谷の地名」(世田谷区教育委員会、平成元年3月発行)、「世田谷、町村のおいたち」(世田谷区区長室広報課、昭和57年10月1日発行)

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