FMラジオ区提供番組「区長の談話室」紹介・令和元年8月の「区長の談話室」(ゲスト:きむら けん氏)

最終更新日 令和元年8月12日

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「区長の談話室」とは

コミュニティFMラジオ局「エフエム世田谷」では、世田谷区提供番組「世田谷通信」の中で、保坂区長がゲストと対談する『区長の談話室』を放送しています。

毎回、様々な分野に精通するゲストをお迎えして世田谷の魅力や今後の区政について様々な角度からお話していきます。

放送日時

毎週第1・2日曜日 午前11時30分~正午

(補足)第2日曜日は再放送です。

令和元年8月の「区長の談話室」

8月4日・8月11日放送 区長の談話室 「歴史を学んで平和を考える!」

(補足)8月11日は8月4日の再放送です。

 昭和20年8月15日の敗戦から74年が経ちます。世田谷区では40年の節目にあたる昭和60年(1985年)8月15日に平和都市宣言を行いました。戦争による日本側の死者は一般人を含め約250万人以上といわれ、多大な犠牲を払いました。戦争を二度と繰り返さないために、平和の大切さを伝えていくことが、私たちのつとめです。戦争中、長野県に疎開していた世田谷区内の小学生と特攻隊員の交流を紹介しながら、改めて戦争体験を通して平和を学ぶ尊さを考えていきます。

あいさつ、ゲストとテーマ紹介

  • (パーソナリティ)さて今日は8月ということで「歴史を学んで平和を考える」と題して「平和の大切さ」についてお送りしていきたいと思います。早速ゲストをご紹介しましょう。作家で、文化探査者のきむらけんさんです。よろしくお願いいたします。
  • (区長・きむら氏)よろしくお願いします。
  • (パーソナリティ)きむらさんは、物語作家でいらっしゃいますが、「もうひとつの戦史 鉛筆部隊と特攻隊」「特攻隊と(松本)褶曲山脈」「忘れられた特攻隊」など戦争を平和に関するノンフィクションの著作もたくさん出されていらっしゃいます。今日は、これらのお話を中心にお送りしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
  • (きむら氏)よろしくお願いします。

世田谷区立平和資料館の紹介、世田谷の疎開児童と特攻隊との交流

  • (パーソナリティ)ということで、区長、今日はですね、実は私達はスタジオではなくて、池尻にあります世田谷公園の中の世田谷区立平和資料館にお邪魔しているんですよね。この平和資料館、今年の3月にリニューアルしたという事なんですが、ご説明お願いできますか。
  • (区長)はい、この世田谷区立の平和資料館は、世田谷公園の緑深い一角の中にあって、一階のみのコンパクトな資料館にはなっていますけれども、戦争を振り返り、戦争中の子どもたちや区民の暮らし、また戦争に駆り立てていった時代の空気などを分かりやすく展示しています。今は独立した資料館ですが、長年、学校の中の一角にですね、資料館ではなくて、資料室としてありました。区民の方からですね、戦争を物語る、戦争を刻んでいる、例えば遺品だとか、あるいは家の中に大切に保存してあったもの等を寄贈して頂いて、そしてその寄贈品の中から展示をしているということで、戦後70年、平成27年2015年の節目の年に開館をしました。ただ長年の展示をしていた、そのままの展示物を持ってきたものですから、例えば少し写真が弱くなっていたり退色してしまったりしていました。それで今年の3月に全面的に展示の方もリニューアルされて見やすくなったと思います。
  • (パーソナリティ)分かりました。この新しくなった平和資料館なんですが、きむらさんいかがですか。
  • (きむら氏)そうですね、私は玉川小にあった平和資料室というか、あそこに僕ね、何度も伺ったんですよ。それからですね。やっぱり今、戦争を学んで平和を考えることが、とても大事だと思うんですよね。ここにある展示物っていうのは、戦争を学ぶリアルな教材だと思うんですね。だから僕はやっぱり、戦争が風化していく中で最も大事なのは、この戦争のことを子どもたちに伝える事だと。だから、子どもたちにね、ぜひ見てほしいと思いますね。
  • (パーソナリティ)はい、という事でその平和資料館から今日はお送りしたいと思います。さて区長、今、私達の手元にですね、きむらさんが執筆された「もうひとつの戦史 鉛筆部隊と特攻隊」という本があります。区長お読みになったと思うんですけれども、リスナーの皆さんにこの本についてご紹介して頂けますか。
  • (区長)そうですね、これは世田谷区内の代沢小学校だとか東大原小学校だとか、いくつもの小学校が戦争の空襲が激しくなって危険だということで、学校をまるごと松本近くの浅間温泉というところに疎開をしてですね、過ごしていたと。そこに特攻隊として出撃する兵隊さんたちが、その任務と任務の合間に滞在をしていて、その小学生たちとの交流があり、そのやり取りがあったことを、きむらさんが克明に調べ上げていって、一人ひとりの子どもだった頃のお話を聞き取って、鉛筆部隊というのは後ほど説明して頂きたいと思いますが、そういう形で戦争の記憶というのを持たれている、当時子どもだった方も今、だいぶ高齢になってきているので、大変貴重な本だと思いますし、子どもたちから見た戦争というところでの重要な記録だと思います。
  • (パーソナリティ)なるほど。きむらさん、このご本を書かれた動機というのはどのようなことだったんでしょうか。
  • (きむら氏)私はこの本を書こうとして書いたのではないんですよね。
  • (パーソナリティ)はい。
  • (きむら氏)代沢小は長野県のお寺に疎開していたんですね。その時に子どもたちは寮歌を歌ってたんですね。そしたらその寮歌に心を奪われた人がいたんですよ。その人がですね、ぜひ歌詞を知りたいということで、私に質問が寄せられたんですよ。そのことがきっかけで鉛筆部隊の存在を知ったんですよね。
  • (パーソナリティ)はい。
  • (きむら氏)学童と特攻隊との人間ドラマなんです。あんまりこれ、ないんですよ。例が。
  • (区長)鉛筆部隊っていう意味はどういう意味なんですか。
  • (きむら氏)鉛筆部隊はですね、要するに代沢国民学校が8月にですね、長野県浅間温泉に疎開するんですね。それで疎開して、これがですね、6つの旅館に分かれるんですよ。その一つが千代の湯旅館っていうんですね。これを受け持ったのが柳内達雄先生っていうことで、その先生がですね、これは8月の13日ですね、子どもたちをみんな集めて、君たちは銃後の守りについたと。君たちをこれから鉛筆部隊と命名するといったんですよ。要するに君たちは武器を持たないと。だけど鉛筆は持てるんだと。じゃあ鉛筆で何をするかっていうと、まずやって欲しい事は、毎日毎日、日記を書いてほしいと。それからお父さんお母さんに手紙を書いてほしいと。それから兵隊さんに慰問の手紙を書いて下さいと。そういう風にすることによって、書いて書いて書きまくることによって君たちは大人になると。大人になった時に兵隊さんになって頑張って下さいよっていうか。今日から君たちを鉛筆部隊と命名しますと。
  • (区長)そういうことがあったんで、子どもたちの手による日記とか手紙とかが比較的多く残っているという事があるんですね。
  • (きむら氏)はい、それはね、本当に、あとでちょっとお見せしますけれども、まず手紙ですよね。それから日記をね、本当に書いて書いて書きまくったんですよ。それが今も多く残っているんですよね。だからやっぱりね、子どもたちが書いて書いて書きまくるってことはね、とっても大事ですよね。これは今に通じる話なんですね。
  • (区長)その代沢国民学校っておっしゃてましたけれども、今の代沢小学校ですよね。ちょうど新しい校舎が出来上がりつつあって、でもよく見ると坂口安吾さんのね、碑があったりするんですね。元々きむらさんは下北沢周辺の文学者、小説家だったり俳人だったりたくさんお住まいになっていた、その一種の近代文学史というか、下北沢に相当の色々の文士が住んでいたんだっていうことを地図にされたりとか、そういう活動をいつもされていて、そこで私もお会いして、鉛筆部隊のこの本を紹介頂いたりということなんですね。
  • (パーソナリティ)そういう内容の本という事なんですけれども、今、お話にもありましたけれども、区長、世田谷の児童たちも集団疎開していたということですよね。もう今となると、どういうことなのかなと、想像がつかないという方もたくさんいらっしゃると思うんですけれども。
  • (区長)藤咲さんの世代と、私は60代前半ですよね。私は自分の母とか父親などから夕飯の時にですね、ご飯の時にやはり多かったのは戦争の話を聞くのが多かったですね。その時に疎開の話とか、うちの母は勤労動員ということで横須賀の工場に弾丸作りに行ったのよとか、そういう話をしょっちゅう聞いていたんで、わりとピンとくるんですが、じゃあ、私が自分の子どもの世代に疎開の話をしたかというと、やっぱりしてなかったのかもしれないなということで、ちょっと記憶が途絶えちゃう時期になってるかもしれないですね。
  • (パーソナリティ)そうですね。となると、今この平和資料館の方に私たちいますけれども、その時の様子が平和資料館の中で見ることができるということなので、ちょっと今展示の方があるので、こちらも区長、一緒にご紹介して頂いてよろしいですか。
  • (区長)はい。
  • (パーソナリティ)区長、今この展示のところで、こちら朝起きてからの集団疎開っていうのが、どういうふうに行われていたのかっていう事を、ここで見て分かるようになっているんですけれども。
  • (区長)そうですね、今の子どもたちが見たときに、やっぱり昔の子どもたちでも子どもの絵そのものですから、ちょうど絵葉書のように、絵日記のように、朝起きて、体操したり掃除をしたり、また色々な暮らしですね、疎開生活ってどんなことをしていたのかなってことが良く分かるようになっていると思いますね。
  • (パーソナリティ)そうですね。
  • (区長)こうやってクラス全員が一つの、今の例の温泉旅館に泊まったケースもあれば、先程きむらさんがおっしゃたようにお寺に泊まっていたりとか、様々ですが、相当数の子どもたちが世田谷区で言えば、新潟県、長野県などに疎開していったんですね。
  • (パーソナリティ)世田谷からもたくさんの子どもたちが集団疎開していたということなんですよね。
  • (区長)そうですね。はい。
  • (パーソナリティ)なるほど。ここを見ると本当に子どもたちが実際に書いたものを見るということは、実際同じ世代の子どもたちにとっても色々考えることも多いでしょうね。
  • (区長)そうですね。特にその疎開した先に、疎開したからといって特攻隊のこれから出撃するというお兄さんたちと会話するっていう事は、まずあまりない事なんですよね。きむらさんね。
  • (きむら氏)はい、ほとんどないです。
  • (区長)ただ実際にここ、松本近くの浅間温泉では、そういう触れ合いがあったということですね。
  • (パーソナリティ)今、お話の中に特攻隊という言葉が今までに沢山出てきたんですけれども、その集団疎開と同様に、特攻隊という言葉にももうなじみがこの時代なくなってきているのではないかなぁという気がするんですけれども、どういう事なのかという事を、きむらさん、簡単にご説明して頂いていいですか。
  • (きむら氏)特攻隊っていうのはですね、特別攻撃隊って言うんですよね。
  • (パーソナリティ)を、略して特攻隊。そうなんですね。
  • (きむら氏)これは飛行機に爆弾を搭載して、操縦士もろとも敵の艦船に突撃するという役目を担っているんですね。それでなんで松本に来ていたのかっていうのは面白いところなんですけれども、要するに沖縄戦に備えて昭和20年の2月に松本飛行場に武剋隊という隊がですね、やってきたんですよ。このうちの6人が千代の湯に宿泊して、学童と生活をしたっていう。その時にひと月あまり生活する中で子どもたちと非常に仲良くなるんですね。自分たちの年上のちょっとお兄さんだから、本当になついちゃって。本当に子どもたちを大事に大事にした。そしたら旅立つときに自分の思いを書いたものをですね、子どもたちにあげたんですね。
  • (パーソナリティ)今、今日お持ちいただいていますけれども。
  • (きむら氏)これがこの世田谷平和資料館に所蔵されているんですよ。
  • (パーソナリティ)これ、布ですよね、きむらさん。布に文字が書いてあって。
  • (区長)黄色い本当に鮮やかな布に墨で。本当に数年前に書いたって言われてもそうかなって思うくらいいい状態で保存されているんですね。昭和20年3月5日今西さんと立川さんっていう方にね、宛てた。立川裕子さんって方が疎開の子どもだったわけですよね。
  • (きむら氏)ふたつあるんですけど、これはこのままですよね。正しく伸びよ健やかにって、大平定雄伍長が書いたものなんですよ。今西修軍曹は長い言葉で、漢語調で書いてあるんですね。これはポイントはですね、書いてありますけれども、「東亜の空を守りて散らん」なんですね。つまり簡単に言いますと、日本の空を守るために私は敵艦にぶつかって潔く死にますよっていう風に書いてあるんですよ。その立川さん、もう亡くなられましたけれども、会った時にこの話をしてくれたんですよ。なんと彼女が言ったかというと、満州国皇帝から頂いたものなんですよと。
  • (区長)この黄色い布がですね。
  • (きむら氏)そうなんですよ。
  • (区長)今見ても本当にツヤツヤして普通の布ではないという感じですね。きむらさんのご本によれば、昭和20年戦争が終わるまさにその年の戦争末期ですよね。そのころには本土になかなか飛行機自体がなかったと。そこで中国大陸の方に駐在して、そういう航空隊を集めて特攻隊として編成をしたと。なので、その溥儀に拝謁したという事のようなんですね。
  • (きむら氏)なぜに松本に来たかっていったら、ちょっとね、大きな問題ですけれども、簡単に言えば特攻機っていうのはすぐ行かないんですよ。特攻用に機体を改造する必要があってね、爆装っていうんですけれどもね。爆装のために松本まで来ていたっていうことなんですね。
  • (パーソナリティ)分かりました。
  • (区長)特攻隊というと、その勇壮さとかその国のために命を捧げて、本当にそれだけのために亡くなっていったっていう、その側面も確かにあるんですけれども、きむらさんのご本を読むとですね、色々な言葉を残していらっしゃるんですよね。やっぱり学徒出陣で徴兵されたときに、お前たちは消耗品であるというふうに上官から言われたという事を23歳の隊員は、特攻隊に選ばれる直前にそんな言葉を残していたり。今から紹介する言葉ですね、人間は人間がこの世を作った時以来少しも進歩していないのだと。恐ろしきかな、あさましきかな、などど、やはり自分にとっての運命は変え難いけれども、やはりこれまで勉強してきたこととか、将来やりたかったことなどへの思いを、色んな形で吐露されているんですね。ですから、それを読み、またその子どもたちの記憶をこうやって本を通して伝えられると、やっぱり私たちと全く変わらない、若者が生きて帰れない、特攻という役割を与えられた時のその気持ちをね、考えてみる機会になりますね。
  • (パーソナリティ)はい。そうですね。この後もまだまだお話続きます。

まとめ

  • (パーソナリティ)さて今日は「歴史を学んで平和を考える」と題しまして、「平和の大切さ」についてお送りしています。ゲストには、作家で文化探査者のきむらけんさんをお迎えしています。きむらさん、特攻隊が出撃の前夜に児童たちに贈ったという、歌った愛唱歌が、きむらさんの著書の中に出て来ているんですけれども、ちょっとここで私がその歌詞を朗読させて頂きたいと思います。よろしくお願いします。

浅間温泉望郷の歌

1広い飛行場に黄昏迫る

 今日の飛行も無事済んで

 塵にまみれた飛行服脱げば 

 かわいい皆さんのお人形

2明日はお発ちか松本飛行場

 さぁっと飛び立つ我が愛機

 かわいいみなさんの人形乗せて

 わたしゃ行きます〇〇へ

3世界平和が来ましたならば

 いとしなつかし日の本へ

 帰りゃまっさき浅間をめがけ

 私しゃいきます富貴の湯へ

  • (パーソナリティ)という歌詞になりますね。この歌詞の歌のいわれっていうのは、きむらさん、どういう事なんでしょうか。

(きむら氏)まずですね、浅間温泉に来てたのは、満州で編成された特攻2隊っていうか、それがひとつは武剋隊と武揚隊なんですね。武揚隊はですね、富貴の湯という旅館に泊ってたんです。ここを疎開宿として使っていたのがですね、東大原国民学校、今の下北沢小学校ですね。ここに泊まってた武揚隊隊はですね、昭和20年の3月の末に松本を飛び立ったんです。それでですね、出撃前夜、全員が富貴の湯の舞台に立ってですね、お別れの歌を歌ったんです。そこを聞いてるのは200名近い女子なんです。女子の宿でしたから。で歌ったんですね。彼らは出撃すれば死ぬわけですね。だからこの歌っていうのは一晩限りで消えていく運命にあったんですよ。ところがですね、もう何十年、70年経ってでしょうかね。秋元さんっていう人に取材したら、なんとその歌の歌詞とメロディを覚えてたんですよ。それで歌詞とメロディがあればなんとかこれ復元できるんではないかというふうに思って。

  • (区長)なるほど。
  • (きむら氏)なかなか簡単にはいかなかったんですよ。だけどちゃんとですね、協力してくれる人がおりまして、作曲家の明石隼太さんが、俺やると言って、それで一晩で消えてく運命にあった歌がですね、よみがえったんですね。当然タイトルはないわけですよ。ないけれども、やっぱり残すために何か題を付けなきゃいけないっていうんで、これ、浅間温泉望郷の歌っていうのは、私が付けたんです。それがいきさつです。
  • (パーソナリティ)はい、わかりました。区長は歌詞を聞かれていかがですか。
  • (区長)本当に、相手は200人の小学生の女の子たちで明日は命はないかって、ないことが確実な特攻隊員が思いっきり子どもたちに希望を伝えたと。そこに最後に世界平和っていうね、言葉が出て来ることに非常に感動しました。
  • (きむら氏)僕この間、知覧に行ったんですね。やっぱり知覧の展示物っていうのは、本当にもう頭を下げざるを得ないですよね。非常に強烈なアピールっていうかな、やっぱりなんていうかな、本当のことを言えないんですね。色んなもの見てますけども、もう言う事はありませんとかね、潔く散りますとか、笑って行きますとか、そういうことなんですよ。ところがね、松本で子どもたちと接していた特攻隊員は違うんですよ。本当の事言っちゃうんですよ。
  • (パーソナリティ)はい。
  • (きむら氏)なんで本当の事言っちゃうかっていうと、こういう文体に、お前たちがどんなに可愛かったかと。それからやっぱり子どもによっては結婚してねと、生きて帰ったら結婚してねと言われた子も複数いますね。
  • (区長)あぁ。
  • (きむら氏)この人もそうですよ。
  • (パーソナリティ)今、展示物にありますけれども。
  • (きむら氏)松本さんもね、私も言われたのよって。だから本当の事を言うんですよね。
  • (区長)子どもたちにほんとは熱い思いをね、正直に伝えたってことですね。
  • (パーソナリティ)そうなんですね。
  • (きむら氏)だから、二つあって、やっぱり平和への思いと、それから子どもたちに対する情愛を言ってるんですよ。だからね、非常に貴重なんですよね。
  • (パーソナリティ)そうですね。
  • (区長)ここまで木村さんが調べ上げて、そしてその代沢小学校も下北沢小学校もまたたくさんの小学校から疎開に行った、そしてこの特攻隊と鉛筆部隊。このことについてはぜひ世田谷の子どもたち、親、あるいは多くの人たちがまだまだ知らない事ですから広げて頂きたいですよね。
  • (パーソナリティ)そうですね。では最後になりましたが、きむらさん、これまでもたくさんの資料を発掘していらして、そしてたくさんの戦争体験者の皆さんと出会って色々な感想をお持ちだと思うんですけれども、これからの平和への思いについて、一言最後にお願いできますか。
  • (きむら氏)戦争が風化してきてるってことは言えますね。しかし大勢の人から聞いてきたことで学んだことはありました。その三つを皆さんにお伝えしたいんですね。一つ、戦争は始まったら終わらない。殺し合いがいつまでもいつまでも続く。二つ、人がどんどん死んでも何とも思わなくなる。三つ、いざ戦争となると人間が人間でなくなる。命は毛ほどに軽くなり、軍隊では虫けら同然に扱われ、果ては人間が武器代わりに使われるようにもなる。最後に一つ紹介したいんですけれども、終戦の年にですね、鉛筆部隊の学童へ先輩から手紙が来たんですよ。それで、ここになんと書いてあったかといったら、君たちも僕も日本の国民全部がこの苦を押しのけて一等国を作り上げましょう。またそうせねば後の世の人たちに対して申し訳が立たなくなります、とありました。不戦の誓いですね。
  • (区長)大切なメッセージですね。この平和資料館をぜひ多くの人にも見て頂きたいし、この世田谷公園はですね、平和の木や誓いの碑など、広島長崎から寄せられた木もあります。
  • (パーソナリティ)そうですね。
  • (区長)8月15日を前にですね、色々と戦争について親子で語ってみて頂きたいなと思います。
  • (パーソナリティ)はい、分かりました。今日はちょっと胸が詰まるようなお話をたくさん聞いて私も勉強になりました。ということで、今日は平和の大切さについてお送りしてきました。世田谷区立平和資料館は池尻の世田谷公園の中にあります。開館時間は午前9時から午後5時まで。休館日は毎週火曜日と年末年始です。ご興味のある方ぜひお出掛けください。
  • きむらさん、区長、今日はどうもありがとうございました。
  • (きむら氏・区長)ありがとうございました。
写真8月放送
左から、パーソナリティ、きむら氏、区長

過去の「区長の談話室」 

平成30年9月の区長の談話室「待って!その電話、詐欺かもしれません!」(ゲスト 鈴木佳枝氏)の内容

平成30年10月の区長の談話室「文化財を伝える守り人」(ゲスト 今田洋行氏)の内容

平成30年11月の区長の談話室「郷土資料館でボロ市の歴史を感じよう!」(ゲスト 武田庸二郎氏)の内容

平成30年12月の区長の談話室「健康長寿の秘訣はこれだ!」(ゲスト 山木正義氏、山木静枝氏)の内容

平成31年2月の区長の談話室」「若者が情報を発信、「ねつせた!」を知っていますか?」(ゲスト 「ねつせた!」メンバー)の内容

平成31年3月の「区長の談話室」「あなたの「働きたい」「雇いたい」を応援します!」(ゲスト 香山桂子氏)の内容

令和元年6月の「区長の談話室」「家にも学校にもないものを!」(ゲスト:下村 一氏)の内容

令和元年7月の「区長の談話室」「世田谷的ライフスタイルとは!」(ゲスト:清水明洋氏)の内容

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