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最終更新日 2012年8月15日
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烏山地域の地名の由来を紹介します。
烏山の地名の由来は諸説あり、古くは南北朝時代にはすでに烏山と呼ばれていたようです。
烏山という地名は、地質、土質に関係があり、しかも人々にとって最も身近な表土によるものと推察されています。世田谷地方の表土の大部分は、植物が堆積して変化した「黒土」であり、乾燥して風が吹けば舞い上がり、雨が降ればたちまちぬかるみになります。表土の黒色を形容して「烏」を当て、耕作地もしくは自然の地盤に対して「山」を当てたものではないかという説があります。
同様に「黒色のアス(灰)の山」の語が転縮して、クロアス山が「カラス山」になったという説もあります。
出典「世田谷の地名(下)」
給田の地名の由来は、「荘園領主が預所および下司・政所・公文などの荘官や地頭に職務給として給与した田(角川日本史辞典より)」だったものが、そのまま地名になったようです。
出典「世田谷の地名(下)」
北沢という名は、世田谷には池や沢がたくさんあり、南部の深沢、奥沢、馬引沢に対して北の方にある沢という意味から、北沢の名がついたと伝えられています。かつては上北沢と下北沢とは広い土地でつながっていたものが、その後、赤堤、松原、代田などに分かれたといわれています。
出典「ふるさと世田谷を語る」
昔の記録の中には、梶山村(鍛冶山村)と呼ばれていたこともありました。カジ山とは鍛冶屋が必要とする炭をまかなう山だったのではないかとされており、また山という呼び名は、樹木の生い茂った林や森をも意味していたということです。
村の北の方は雑木林や杉山(後には竹山となる)の地で、南の方も森や林の広がる台地でした。この台地に建てられた八幡神社に因んで、八幡山村と名付けられたといわれています。
出典「ふるさと世田谷を語る」
村名の祖師谷は、昔この地に地福寺があって、この寺内に祖師堂が建立されたことによるとされています。祖師谷村が上と下に分かれたのは、元禄八年(1695年)の検地の時です。
出典「ふるさと世田谷を語る」
鎌倉時代に粕谷三郎兼時という豪族が住んでいたと伝えられています。
出典「ふるさと世田谷を語る」
烏山総合支所 地域振興課
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