区のおしらせ「せたがや」令和6年1月1日号(2・3面)

最終更新日 令和6年1月1日

2024 新春対談

劇場は演劇を上演するだけでなく、何かと出会う「広場」として考えてみたいですね。白井晃さん/コミュニケーションなどの教育にも演劇の手法が有効ではないかと感じました。保坂区長/自分はどう観て、どう感じるか。自分の感覚を信じて楽しむことが大切だと思います。田中圭さん

 俳優、そして演出家として第一線で活躍され、現在は世田谷パブリックシアターの芸術監督を務める白井晃さん。テレビドラマなどで人気を博し、ドラマはもちろん、映画、舞台など様々な場で活躍する俳優の田中圭さん。そしてプライベートでは舞台をよく観るという保坂区長。
 新型コロナ禍後の文化・芸術の展望についてお話を伺いました。

 

区長

区長 あけましておめでとうございます。令和6年の辰(たつ)年を、皆さんどのように迎えられているでしょうか。さて今年の新春対談は、演出家で世田谷パブリックシアター芸術監督を務める白井晃さん、そしてテレビや映画でおなじみの俳優、田中圭さんをお招きしました。
白井さん・田中さん あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
区長 さて早速ですが、白井さんは本日の対談会場でもある世田谷パブリックシアターの芸術監督をされています。舞台監督ではなく芸術監督、これはどのような役割なのでしょうか。
白井さん ここにはパブリックシアターとシアタートラムという2つの劇場がありますが、ここでどのような作品を上演していくか、また、どんな文化事業を発信していくか、スタッフとともに決めていくという役目を担っています。
区長 田中さんは演出家としての白井さんと、古いお付き合いだと伺っています。
田中さん 15年くらい前のことですが、このパブリックシアターでご一緒させていただいてからのお付き合いです。僕にとっては人生2度目の舞台で、それからは白井さん演出の舞台に何度も立たせてもらっています。
白井さん 2008年に上演した『偶然の音楽』という作品でした。すごく素直な芝居をするよい青年だなと思って、それからは2年おきくらいに一緒に作品を作らせてもらっています。そういった時間を過ごすことが長かったものですから、ちょっと息子のような気持ちも生まれて(笑)今日は久しぶりにこうして話ができてうれしいです。

公共劇場として、舞台芸術をリードしてきた世田谷パブリックシアター

区長 世田谷パブリックシアターができたのは1997年。それから四半世紀が経ちますが、改めて、世田谷パブリックシアターのような公共劇場・市民劇場とはどういうものなのでしょうか。国や自治体が運営する劇場ではあるのですが、単に劇場を貸し出しているだけではないんですよね。
白井さん 公共劇場はどういうものであるべきか、正直、日本の公共劇場はどこもまだまだ模索中だと思います。私は、公共劇場とは、例えば市民生活の中に病院があったり公園があったり学校があったりするように、重要なインフラの一つだと思っています。地域に暮らす皆さんが文化や芸術的なものに触れ合う場所、そして心を解放できる場所として、公共劇場が存在していければよいなと考えています。
区長 世田谷パブリックシアターが公共劇場としてこれからどこをめざし、どう存在するか。それはこれからの芸術監督としてのお仕事にも関わってくることだと思います。役者さんの側として、田中さんは世田谷パブリックシアターをどのように感じていらっしゃいますか。
田中さん 僕は舞台の仕事では、この劇場に一番多く立たせていただいているのですが、演じる上でとてもやりやすいですし、観客の皆さんにとって観やすい劇場だと思います。とても愛着のある好きな場所です。スーパーマーケットや駅の上に劇場があるんですよね。舞台の後、ご飯も食べに行きやすい。ここに暮らす人たちの生活の一部に溶け込むように存在しているということが、いいなと思います。それともう一つ、稽古場があることがうれしい。
白井さん 他の劇場では、稽古は別の場所でやって、リハーサルで初めて劇場に入るというのが一般的なのですが、ここは、創作環境として稽古場、作業場も劇場内に持つという理念で、劇場全体が設計されているんです。稽古場と劇場が直結した中で作品作りを考えられるからこそ、ここには、作品に携わる人の、先端的な部分を引き出してくれる魅力があると思います。
区長 そうした点でも、世田谷パブリックシアターは、日本の舞台芸術をリードしてきたと言えるわけですね。
白井さん そう思います。実際、(田中)圭さんはドラマや映画など、たくさんの場で活動されていますが、圭さんがこの劇場でやるときには、彼の中に持っている非常に先端的な部分を出してくれているのではないかと思うのです。私自身にしても、我々は社会とどう向き合って考えていくのかといった、現代社会へ問いかける先端の作品を作ってきました。世田谷パブリックシアターだから、新しいことにトライできる。この劇場をそうした存在として捉えています。
田中さん 僕は勝手にホームだと思っています(笑)ここでやるときは、心強さを感じています。

「劇場は広場だ」
様々な出会いを生む劇場の可能性

白井さん 一方で開館26年目を迎えて、公共劇場はちょっと次の段階に入ってきているかなとも思っています。
区長 世田谷パブリックシアターがこれからどこへ向かっていくのか、気になります。
白井さん これからもこの劇場から先端を行くような作品を常に発信していきたいというのがあるのと同時に、「人と人とが出会う場」として劇場がもっと機能していければいいなと。世田谷パブリックシアターの初代劇場監督だった佐藤信さんは「劇場は広場だ」という言葉を掲げられていたのですが、我々の暮らしが他者と出会うことによって織り成されている中で、劇場をもっと他者と出会う「広場」にしていきたいと思っています。作品を観るのも他者と出会うことですし、例えばワークショップをやるのも他者との出会いです。
区長 舞台を2時間、3時間とずっと観た後、ちょっと違う人間になっているような感じを覚えることがありますが、ある意味で作品を通じた出会いに感化されたということなのかなと思います。また、実際に世田谷パブリックシアターでは公演活動だけでなく、演劇を持ってまちへ出たり、演劇ワークショップを行ったりするなど学芸事業を展開しているんですよね。
白井さん はい、開場当初から続いている事業です。いまや演劇活動のアウトリーチのモデルケースになるくらい、世田谷の学芸事業は豊かな活動を行っています。例えば「かなりゴキゲンなワークショップ巡回団」は小・中学校に訪問して、演劇ワークショップを行っています。また、移動劇場として、特別養護老人ホームやデイケアサービスの施設に行って皆さんに公演を観ていただく。高齢者の方など、劇場に来られなくなってしまっている方にも演劇を観る機会を作ろうという試みです。それから、演劇部のない中学生のための「世田谷パブリックシアター中学生演劇部」。毎月開催している「デイ・イン・ザ・シアター」では、一つのキーワードをもとに小さなお芝居を作っています。
田中さん すごいですね。パブリックシアターもシアタートラムも常に公演などを行っていると思うのですが、それ以外にそのような多彩な事業をしているなんて。表現する力、それを受け取る力は最初から誰もが持っているわけではないと思うので、それを培う場を率先して作ろうというのは本当に素敵だと思います。
白井さん コロナ禍があったことで、他者とのコミュニケーションを学ぶことが難しい状況に置かれてきた子どもたちが演劇ワークショップを通じて、身体を使って他者と協働しながら何かを表現することを体験する。この体験の記憶、身体の中に残っている感覚というのは、成長していく中ですごく大きなものとして残ると思っています。
区長 30年ほど前に取材に行ったイギリスでは、小学校内に劇団の事務所を置くことになっていて、演劇を使っていじめやコミュニケーションの問題を考えるという授業を行っていました。
白井さん 実は私も演劇を始める前は、人とコミュニケーションを取るのがすごく下手で、人の目を見て話せないシャイなタイプだったんです。でも演劇を始めて、相手とせりふを言い合うとか、身体を接した表現をしていく中で、自分が解放されていくという経験をしました。

アートはとことん楽しむことから広がり、発展していく

区長 社会は定型的な固まったものでできているのではなくて、いろんな表現があるということを、伝えていきたいですね。お芝居はちょっと難しそう、美術は難解で苦手だなとか、そういう人もいらっしゃると思いますが、様々なアートの世界と親しみ、豊かな芸術文化都市を作っていくには、どのようなことが考えられますか。
田中さん 僕は、基本的には楽しむことが大切だと思っています。例えばお芝居には、その作品が持っているテーマや、自分なりに解釈した意味といったものはありますが、僕はそれをお客さんに必ず伝えようと考えて演じることはしません。伝わったらラッキーですが、どんな解釈があってもいいし、感想があってもいいし、結局はその人がその時間をどう楽しんでくれたかが大事。僕自身、毎舞台、毎舞台、楽しもうとしてやっていますし、楽しむということを追求していけば、それが蓄積されて、より楽しむにはということを考えるようになったり、入り込んでいったりするのではないかと思っています。
区長 白井さん、どうでしょうか。
白井さん 世田谷区には世田谷パブリックシアターのある世田谷文化生活情報センターの他に、世田谷文学館、世田谷美術館がありますが、どれも離れているので、線で結ぶようなことを何かできないだろうかと考えています。世田谷文学館館長の亀山郁夫先生に伺うと、今、作家の方たちは、肉筆で書く人はほとんどいなくなってきているそうです。パソコンを使うということは、文字や文学が紙を媒体としたものから乗り越えていく、様々な形で共有しやすいということです。あるいは美術にしても多様な表現が生まれていて、映像表現もあったりする。アートというものを演劇、文学、美術とカテゴライズするのではなくて、もっともっと交流して一つの輪のような形を形成できるような仕組みができていったら……夢のような話ですが、考えるとワクワクします。
区長 アーティストの表現の機会を広げ、またそれを受け取る観客との関係というところからジャンプして、次の次元に行く世田谷流をぜひやりたいですね。
 では、お二人の今年の抱負をお聞かせください。
田中さん 今年は30代最後の年になります。すごく思い出深い作品やご縁のある方と一緒にお仕事をさせてもらうことが決まっていますので、30代最後の「やんちゃ頑張り」をしようかと思っています。
区長 シアタートラムで白井さん演出の作品に出演されるそうですね。
白井さん 『メディスン』という、私の大好きなアイルランド生まれの作家の作品を田中さんとじっくりやらせていただき…
田中さん 白井さんのじっくりは大丈夫です(笑)
白井さん 稽古が長い?(笑)
田中さん 長いですね(笑)でもびっくりするくらい演者とじっくり考えてくださいます。
白井さん いやいや、私も年齢を重ねてきて、だいぶ短くなりました(笑)人と人とが直接出会うことが難しかったコロナ禍にもようやく幕が引かれようとしていますので、この劇場から新しい表現や出会いが生まれ、心動かされる場所となるよう頑張っていきたいと思っています。
区長 『メディスン』は5・6月の上演ですね。楽しみにしています。本日はありがとうございました。
白井さん・田中さん ありがとうございました。

白井晃(しらいあきら)さん

白井晃(しらいあきら)さん

 1957年京都府生まれ。演出家・俳優。早稲田大学卒業後、遊◉機械/全自動シアター主宰。音楽劇、ミュージカルなど幅広く演出を手掛けるほか、俳優としても活躍。
 第9・10回読売演劇大賞優秀演出家賞、湯浅芳子賞(脚本部門)などを受賞。2014年にKAAT神奈川芸術劇場アーティスティック・スーパーバイザー(芸術参与)に就任後、2016~2021年に同劇場の芸術監督を務めた。2022年から世田谷パブリックシアター芸術監督に就任し、現在に至る。
 世田谷パブリックシアターで多数の舞台演出をしており、今年5~6月に上演する『Medicine メディスン』も演出。
ヘアメイク/国府田 圭

田中圭(たなかけい)さん

田中圭(たなかけい)さん

 1984年東京都生まれ。俳優。2000年に任天堂のCMでデビュー。2003年に話題作となったドラマ『WATER BOYS』で主人公の親友役を務め、注目を集める。これまで多数の映画やドラマ、舞台など話題作に出演するほか、バラエティ番組にも多数出演し、幅広く活躍中。
 世田谷パブリックシアターで上演した作品にも多数出演し、今年5~6月に上演する『Medicine メディスン』にも出演。
ヘアメイク/小林 雄美
スタイリスト/荒木 大輔

 

対談の模様は、区公式YouTubeチャンネル新しいウインドウが開きますで6月30日まで配信します。
また、1月1日(祝)・7日(日)・14日(日)いずれも午前11時30分から、ラジオエフエム世田谷(83.4メガヘルツ)で放送します。

 

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