区のおしらせ「せたがや」令和5年1月1日号(2・3面)

最終更新日 令和5年1月1日

新春対談

新春対談

 「せたがや音楽研究所」の所長であり、大ヒットした「マツケンサンバⅡ」で知られる作曲家・舞台音楽家の宮川彬良(あきら)さん。音楽プロデューサーでベーシスト、昨年はロックシンガー ジャニス・ジョプリンの生涯を描いたブロードウェイのミュージカル を日本で総合プロデュースされた亀田誠治さん。そして、若い頃にジャニス・ジョプリンの大ファンだったという保坂区長。
 音楽の持つ無限の可能性を感じさせてくれるお話となりました。

 

区長

区長 あけましておめでとうございます。令和5年の新春対談は、音楽に携わるお二人にお越しいただきました。作曲家でピアニストの宮川彬良(あきら)さん、音楽プロデューサーでベーシストの亀田誠治さんです。
宮川さん・亀田さん あけましておめでとうございます。よろしくお願いします。
区長 さて、宮川さんは「せたがや音楽研究所」の所長という肩書きで、毎回ユニークな企画の音楽会を開催されています。また、NHKの子ども向けテレビ音楽番組「クインテット」は10年以上続いた超人気シリーズでした。
宮川さん 番組が終わってからもう10年。番組を見てくれていた子どもたちは社会人になっていますが、いまだに「あ、アキラさんだ」なんて声をかけられます。とにかくあの番組ではたくさん曲を作りました。オリジナル曲、クラシックや童謡のアレンジ曲、数えると600曲くらいになりますね。
区長 そして宮川さんといえば、やはり「マツケンサンバⅡ」ですが、この曲はどんなふうに生まれたのですか。
宮川さん あれはね、歌えたんですよ。歌詞を見たら、自然に歌えたんです。「叩けボンゴ♪」「オーレ、オーレ♬」って(笑)
亀田さん メロディーが降りてきた…という感じですか。
宮川さん 降りてきたというか、知っていたという感じで。1回歌えて、メモも何もしていないのにまた歌えて、3回続けて歌えたので、これはもうOKだなと。あとはゆっくり、今歌った通りに譜面に書いていきました。
亀田さん うらやましいな、僕はそういう奇跡が絶対にない人間です(笑)
宮川さん 僕もそんな経験は後にも先にもこの1回だけです(笑)

母親が歌ってくれた子守唄、十代の頃に夢中になった音楽が原点

区長 亀田さんはスピッツやGLAYから石川さゆりさんまで、幅広くプロデュースされており、ロックバンド「東京事変」ではベースを弾かれています。
亀田さん いろいろなことに関わることで、いつもフレッシュな気持ちで音楽を続けてこられている感じですね。
区長 昨夏は早逝したロックシンガー、ジャニス・ジョプリンの生涯を描いたブロードウェイミュージカル「ジャニス」の日本公演総合プロデューサーを務められました。私は若い頃、ジャニスのレコードをすり切れるくらい聴いていて、ジャニスには思い入れがあります。東京国際フォーラムでのステージは素晴らしかったです。
亀田さん ありがとうございます。おかげさまで「どうして3日間で終わってしまうの?」と惜しんでくださる声をたくさんいただきました。緊張したのは、本家のスタッフがブロードウェイから観劇に来るんですよ。「誠治、OKだよ」「素晴らしかったよ」と言っていただきましたが、大人になってもテストってあるんだなと思いました(笑)
区長 作曲もプロデュースも大変なお仕事ですが、音楽の道に進まれたきっかけは何だったのでしょうか。
宮川さん 僕の場合は父が格好良く見えたので…
区長 日本ポップス界の草分け的存在である宮川泰(ひろし)さんですね。
宮川さん 口笛吹いて譜面書いて、「時間だ」というと車でお連れの人が迎えにきて、数十分後にはテレビの音楽番組に出ている。誰にでもできることではないですし、憧れましたね。自分もやってみたいと思ってなんとか音楽の仕事にはこぎつけたのですが、父にはいつも「彬良(あきら)、お前の譜面はすごいんだけど、メロディーに歌心がない」とくり返し言われて。どうしたらいいんだろうと悩みましたね。
亀田さん 彬良(あきら)さんでもそういう時代があったんですね。
宮川さん それがある時、ふと、お袋が「ねんねんころりよ」って歌ってくれた子守唄を思い出して「あ、こういう曲をつくればいいのかな」という天啓みたいなものを受けたんですよ。
亀田さん 僕も子守唄、覚えています。うちはシューベルトの子守唄のメロディーだったのですが、歌詞が「誠治はいい子です、誠治はいい子です〜」って無限ループで(笑)
宮川さん 歌心って誰もが自分の中に持っているメロディーで、これを聞くと自然に心が動かされるみたいなものなのかな、ということに気づいたんですね。勉強してきた音楽と生まれた頃から体の中にある音楽とが、ここで握手できたという感じでした。
区長 亀田さんは「FM亀田」というラジオ放送局をやっていたそうですね。
亀田さん はい、自分の部屋につくった架空放送局です。選曲、DJ、そしてリスナーも自分。「FM亀田・DJ亀田誠治様」と書いたリクエストはがきを毎週自分宛てに送っていました。
宮川さん すごいな(笑)何歳頃の話ですか?
亀田さん 小学6年生から高校2年生、彼女ができるまで毎週放送していました。もともとは在日米軍が発信するラジオに夢中になって、アメリカのヒットチャート American Top 40のハードリスナーでした。ロック、R&B、ソウルもあればディスコもあって、もうめちゃくちゃカッコいい。ところが自分のあまり好きではない曲がずっと1位なのが悔しく思えてきて、それなら自分のオリジナルチャートをつくって放送しようと。この頃から、どんな形でもいいから音楽に関わりたいと、強く思うようになりました。そのときに吸い込んだジャンルを超えた音楽のエキスが、今の自分をつくっていますね。

音楽は人生、日々の暮らしに欠かせないもの

区長 音楽というのは人を楽しい気持ちにさせたり、生命力を喚起させたり、あるいは躍動をつくり出す素晴らしい役割があるのではないかと思うのですが、音楽はどんな力を持っているとお考えですか。
宮川さん 音楽ってすごく大切なもの。自分にとってはもはや趣味、趣向とか、そういった次元では語れないものです。みんなが音楽だと思っているものは、音楽ビジネスだったりするじゃないですか。でも、朝起きて「おはよう」という気分や食事をするときの箸の上げ下ろしがもう音楽で。人生、日々の暮らしにすごく必要なものに違いないと思っているんです。
亀田さん 賛成ですね。生きていると様々な場面で音楽に救われることがありますし、音楽を聴いてわけもなく涙が出てきてしまったり。また、僕はベースプレーヤーでもあるので、楽器を奏でる喜び、合奏して響き合ったときの感動。そうした心を揺さぶられる経験をさせてくれる音楽は、日々に欠かせないものだと感じています。
宮川さん 例えば合唱では、それぞれのパートが全部よいメロディーになるよう、僕らはがんばって作曲や編曲をするんですよ。そしてなおかつ、全部の音が同時に鳴ってもぶつからず、ハーモニーを奏でる。この調和ということを、人間はどうして見習わないのかなと思いますね。
区長 戦わないということですよね。
亀田さん 戦わない、戦争しない。ぶつかっている音は気持ちが悪いし、気持ちが悪いのでぶつからないように工夫しますね。
宮川さん それからこれは僕の妻(ヴァイオリニスト)の意見なのですが、どうしてコンサートの入場料はこんなに高いのかと。オペラなんか特に高額ですが、これでは「お金のある人だけが来てくれればいいよ」みたいに思えてくるじゃないですか。音楽の本来あるべき姿とは違うのではないかと、話をしているんです。
区長 亀田さんが力を入れていらっしゃる「日比谷音楽祭」は、参加費も入場料も無料でしたね。
宮川さん どんな運営の仕方をされているのか、ぜひお話を聞きたいですね。
亀田さん 日比谷公園一帯を会場に、「親子孫三世代、誰もが楽しめるフリーでボーダーレスな音楽祭」ということで開催しています。とにかく多くの人に音楽に触れてほしい、音楽を体験してほしいというのが開催の思いですね。インターネットが発達し、今様々な形で音楽に触れることはできますが、じかに生演奏や楽器に触れる「体験」こそが大切だと思っています。
区長 壁を低くするために無料と。
亀田さん 海外に行くとライブやコンサートって本当にたくさんあるんですよ。まちの至る所から音楽が聴こえてきて、無料で聴けるもの、チケットを買って聴くもの、音楽に触れるたくさんの機会があります。
区長 音楽が、ごく一部の人だけに開かれているものではないということですね。
亀田さん 音楽ってどこにでもスッと入っていけて、人と人をつなぐような力があるでしょ。コロナ禍でソーシャルディスタンスという言葉が出てきて、人と人との距離、なかでも心の距離が遠くなってしまった気がします。だから今こそ、人と人の心を音楽でつないでいきたいという思いが強くなりました。誰もが参加できる音楽のサンクチュアリのような場として、日比谷音楽祭をこれからも続けていきたいと改めて思っています。

鼻歌コンテスト、音楽のお祭り、音楽を通して世田谷をもっとおもしろくしよう

区長 日比谷音楽祭のお話が出たところで、音楽を通して世田谷をもっとおもしろくするにはどんなアイデアがあるでしょうか。
宮川さん 僕はせたがや文化財団音楽事業部でいろいろな企画をやらせていただいているのですが、一つ、やりたいのになかなか実現していない企画があるんです。
亀田さん 何ですか?
宮川さん それは鼻歌コンテストなんです。
区長・亀田さん 鼻歌!?(笑)
宮川さん 笑わないでくださいよ、本気なんですから(笑)昔うちの子どもが「カギ、ガチャンガチャン」って勝手なリズムをつけて歌っていたのをよく覚えているのですが、赤ちゃんや小さい子どもが、自分でリズムやメロディーをつけて歌っていることってあるでしょう。そういうのをうまく録音して、表彰するということをやりたいんです。
区長 せたがや鼻歌コンテスト(笑)
宮川さん 替え歌とか、メロディーとか、自然に出てくることがもう作曲家、音楽家なんですってことに気づかせちゃう、みたいな。子どもに限る方がいいと思うんですけどね、お父さんが酔っ払って鼻歌っていうのはちょっと置いておいて(笑)
区長 表彰されたことがきっかけで、未来の作曲家が生まれるかもしれませんね(笑)
亀田さん 僕は年に1回、1日でもいいので、誰もが音楽を自由にやっていいお祭りみたいな日があるといいなと思います。太鼓を叩く人もいれば、笛を吹く人もいたり、鼻歌を歌っている子もいたりして、やかましいとか言わないで、とにかく自由に音を出せる日がある。このごろ、僕は「ピースオブマインド」という言葉を使うのですが、心の平安ってやっぱりすごく大事で、その心の平安をつくってくれるものの一つが音楽ではないかと思うんですね。
宮川さん すごく素敵な考えですね。
区長 昨年、世界へ目を向けると、ウクライナでの戦火など悲しいニュースもありました。だから改めて、世界の平和や心の平安に貢献する音楽の力というものを、お二人のお話を伺って感じました。今年もよろしくお願いします。本日はありがとうございました。
宮川さん・亀田さん ありがとうございました。

 

宮川彬良(みやがわあきら)さん

宮川彬良(みやがわあきら)さん

1961年東京都生まれ。作曲家、舞台音楽家。(公財)せたがや文化財団音楽事業部スペシャルプロデューサー。代表作に「ONE MAN'S DREAM」「身毒丸」「ザ・ヒットパレード」「マツケンサンバⅡ」などがある。2021年には、祝祭音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」で第28回読売演劇大賞・優秀スタッフ賞を受賞。演奏活動にも精力的に取り組み、「コンサートはショーである」を信条に、様々な企画のコンサートを日本全国で行っている。

 

亀田誠治(かめだせいじ)さん

亀田誠治(かめだせいじ)さん

1964年アメリカ ニューヨーク生まれ。音楽プロデューサー、ベーシスト。椎名林檎、スピッツ、GLAY、石川さゆりら、数多くのアレンジを手がける。2004年に椎名林檎らと「東京事変」を結成。2007年、2015年に、日本レコード大賞編曲賞、2021年に日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。ほか舞台音楽など活動は多岐にわたる。2019年から、フリー(無料)で誰もが参加できるボーダーレスなイベント「日比谷音楽祭」の実行委員長を務める。

 

対談の模様は、区公式YouTubeチャンネルで配信しています。また、1月1日(祝)・8日(日)いずれも午前11時30分から、ラジオエフエム世田谷(83.4メガヘルツ)で放送します。

 

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