上馬地区の紹介

最終更新日 平成26年10月21日

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上馬地区の概要について

上馬地区は、環状七号線と国道246号線(首都高速3号線)が地区内で交差しており、幹線道路によって大きく4つに分けられています。

東急田園都市線駒沢大学駅があり、駒澤大学学生の往来は、まちに活気をもたらしています。
この地区には、5つの町会(上馬東町会、上馬西町会、上馬北部町会、上馬・駒沢明和会、上馬親和会) が、暮らしやすく 安全・安心なまちづくりに取り組んでいます。高齢者クラブ(中里ことぶき会、上馬健好会、駒沢互楽会、駒留長寿会)の活動も盛んで、地域での交流や健康増進・文化活動など多岐にわたる活動をしています。

管内の通学校は、小学校は駒沢小学校、中学校は駒沢中学校です。駒沢小学校では、地域住民の自主運営による総合型地域スポーツクラブ『こまざわスポーツ・文化クラブ(KSCC)』が、幼児から高齢者まで幅広い年齢層を対象として活動しています。

地名の由来

現在の上馬1丁目~5丁目、三軒茶屋1・2丁目、駒沢2・3丁目は、「上馬引沢」と呼ばれていました。

江戸時代のはじめは、馬引沢村(上郷、中郷、下郷)として存立していましたが、その後、上馬引沢村と下馬引沢村に分かれました。この上馬引沢、下馬引沢の下2文字を省略し、「上馬」「下馬」と呼ぶようになりました。

この地を馬引沢と呼ぶようになったのは、次のような言い伝えがあります。文治5年(1189年)源頼朝が奥州の藤原泰衡を討伐するため、この地を通ったときに、頼朝が乗った馬が突然暴れだして蛇崩川の深みに落ちて死んでしまいました。頼朝は、この事故の戒めとして「この沢は馬を引いて渡るべし」と申し渡したので、以後「馬引沢」の名が付けられたというものです。 

主なみどころ

駒留八幡神社(上馬5丁目35番)

一説では、鎌倉時代北条氏が執権のとき、社地の選定に迷った北条左近太郎が馬に乗り、手綱を緩めて気ままに歩かせ、馬の止まった所
に経筒を埋めて塚を築き、その上に本殿を造営して駒留八幡としてとして祀ったと言われています。せたがや百景に選定されています。


常盤塚(上馬5丁目30番)

区の花さぎ草ゆかりの常盤塚です。せたがや百景に選定されています。


宗円寺(上馬3丁目6番)

曹洞宗に属し、鎌倉時代、北条左近太郎が開基したとされる古いお寺です。明治5年にここで就学所が開かれ、後に、旭小学校となりまし
た。国道246号線のそばに「旭小学校発祥の地」の碑が立っています。


駒澤大学耕雲館(駒沢1丁目23番)

昭和3年に菅原栄蔵氏の設計により建築されたライト風建物です。当初は駒澤大学の図書館として建てられ、現在では禅文化歴史博物館と
して使用されています。東京都選定歴史的建造物に指定されています。


蛇崩川緑道(じゃくずれがわりょくどう)(下馬1丁目8番から駒沢2丁目41番先)

昔流れていた蛇崩川にふたをしてできた緑道です。せたがや百景に選定されています。

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世田谷総合支所 上馬まちづくりセンター

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