令和5年8月の「区長の談話室」(ゲスト:樋口恵子氏)

最終更新日 令和5年9月11日

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令和5年8月の「区長の談話室」

令和5年8月6日・13日放送
区長の談話室「平和で豊かな社会で輝いて生きる!」

※8月13日は6日の再放送です。

「生きづらさ」という言葉が広く流布されていますが、子どもから高齢者まで誰もが生きやすい社会は皆の願いです。ゲストの東京家政大学名誉教授・樋口恵子さんは、自らを「ヨタヘロ期」と呼びながら、社会問題に関心を持ち、発信を続けています。豊かな社会で輝いて生きることの大切さについて語っていただきます。また毎年8月は平和について考える時期でもあります。戦争を二度と繰り返さないため、後世に平和の大切さを伝えていきます。戦争を体験したゲストからお話を伺います。

ゲスト紹介 

  • パーソナリティ:「区長の談話室」、今日も保坂展人区長と一緒にお送りしていきます。区長、よろしくお願いいたします。
  • 区長:よろしくお願いします。
  • パーソナリティ:さて今日は「平和で豊かな社会で輝いて生きる」と題しましてお送りしていきます。早速ゲストをご紹介しましょう。評論家で東京家政大学名誉教授の樋口恵子さんです。よろしくお願いいたします。
  • 樋口氏:こんにちは。よろしくお願いします。
  • パーソナリティ:今日の番組なんですが、7月22日に行われました「らぷらすフェスタ」終了後に収録をしています。先月もこの番組の中で「らぷらすフェスタ」を取り上げたんですけれども、どのような催しだったのかということを区長の方からお願いいたします。
  • 区長:私もちょっと興奮してましてですね。樋口さんすごいなぁっていうね。びっしりもう会場は満員だったんですよ。なんとね、200人くらいがね、キャンセル待ちで。でもキャンセルした人が3人くらいしかいなかったというくらいで、すごい人気で。そこでやっぱり人生生きるってなんなのか。七転び八起きですからね。本当にワクワクする内容でした。
  • 樋口氏:今日集まったのは、ここの地元の昭和女子大学の坂東眞理子先生もお出になってという事でございまして。地元の力でございます。
  • 区長:樋口さんのお話を聞きたいという方も多かったし、坂東さんとお二人でっていうのはめったにない機会でございましたので、昭和女子大を借りてね、そのまま終わった直後でお疲れだと思いますが。
  • 樋口氏:直に会える場所がこの区内にあるっていうのはいいですね。
  • 区長:そうですね。
  • パーソナリティ:では早速なんですけれども、今日の「らぷらすフェスタ」の模様を一部お聴き頂きたいと思います。

「らぷらすフェスタ」の様子(7月22日開催)、感想


【「らぷらすフェスタ」音声】

  • 樋口氏:つくづくこの頃私思う事が、老いこそ個性的であるという事です。私がもうちょっと若い頃は歳を取るという事は皆似たり寄ったりのじいさんばあさんになる事だと思っておりました。ところが老いというものは一人ひとり個性がある個体の上に乗って老いというものも運ばれる。人間の体というものは体ごと老いの道を歩んでいくものでございます。今私は91歳でございますけれども、同級生もだいたい90か91でございます。その生き残ってるそういう人たちを見ますと、本当に様々なんですね。
  • 区長:老いこそ個性的って聞いて、はっと思ったんですが。確かに皆同じようにという事ではなくて、一人ひとりに違う老いが訪れるという事ですね。耳が聞こえなくなったり、字が書けなくなったり、ちょっと足が弱くなったり。色んなところに不自由なところも出てくるけど、その人それぞれがそうだという事で。樋口さんも90歳を過ぎて癌の手術をされたというお話はちょっとびっくりしました。
  • 樋口氏:ちょっと健康診断みたいに診てもらいましたら、乳がんが出来ているということで。ただ幸いなことに宿主が衰えておりますから癌の方も衰えていて、放っておいてもそんなに急に悪化するという事はないそうだという事でございまして。ただそれにしても全身麻酔で取るか取らないかっていうのはしばし悩みました。
  • 区長:そうですよね。
  • 樋口氏:やっぱりお若い方の乳がんの手術より心臓の持ちこたえができるかどうかという事で。ですから、皆さんもできるだけおかしいと思ったらお若いうちにいらっしゃる方がよろしゅうございますね。
  • 区長:今日のお話の中でも、昔からお付き合いがあるお友達とか、あるいは話し相手になっていらっしゃる方がとても大事だというお話があったと思うんですけれども。皆さんも大事にして下さいね、これからもできますよって。なんかその辺りが伝わったかなと思いました。
  • 樋口氏:言ってみれば、特にコロナ期の3年間っていうのは、直な会話ができなかったうっとおしさっていうのがあったと思うんです。私、実は助手をしてくれている人のお母様がやっぱりお身体の具合が悪くて、夕ご飯を、要するにケイタリング。
  • 区長:配達してくれるお弁当ですね。
  • 樋口氏:そうですそうです。私も同じものを取るようになったんですよ。そしたらなんだか親近感が湧いてね。お話したこともないし存じ上げてないんですけれど、とにかく同じ弁当が運ばれて、私が蓋を開いてそれを食べている。あぁ彼女のお母様も今は同じ物を味わっていらっしゃるな、今日のは味が薄すぎるけれどお母様はなんて思ったかしらとかね。それだけでなんて言うんでしょうか、人と人とのコミュニケーション、人と人との風景を思い浮かべることができるっていうのは、とっても幸せな事だと思いました。ですから本当にコロナの弊害っていうのは、あとできっと色々出てくると思うんですけれども、でもそれを取り返すべく、歳をとった人とか、特に一人暮らしの方などは、出会って語れる場所。世田谷区さんはもちろんあちこち暑いときに立ち寄れる場所とか。
  • 区長:おやすみ処でございます。
  • 樋口氏:おやすみ処、そうそう、いい名前があるんでした。ぜひ続けて頂きたいなと思っております。
  • 区長:後半ですね、坂東眞理子さんとの対談の中で最後の方でしたかね、樋口先生が少し身を乗り出してですね、一歩出ることが大切ですよと、皆さんここに来た人たちは偉い!って、ちょっと声を大きくしてね、言って頂きました。
  • 樋口氏:そうです。一歩出る勇気というか、私、新聞社の身の上相談回答者という立場をやらせて頂いて、もうろくな回答になってないとは思うんです、一生懸命考えてお答えしておりますが、やっぱり友達を作りたい、誰かと触れ合いたい、だけど勇気がないっていうようなご質問が多いんですけれど。これは私、多少無責任かもしれないけれど、まず出会う事が最初で、そして、誰かの意見に触れ合って、そして考えて欲しいと。でそこに馬が合わなかったら別にずっといる必要ないんですもの。私はこれからの日本社会、高齢者が間もなく3分の1に達する。しかも、そのうちのかなりの多くは女性を中心とする一人暮らしの社会になってまいります。こういう場合なんとしてでも生の人間に触れ合うチャンスを作るという事は、これは私、自治体行政はよくわからないんですけれど、おそらく自治体行政にとりましても、とても大事なことになるんじゃないかと思っておりまして。誰かに相談できる、誰かに出会える、そういう仕組みを作って頂きたい。私は、しょく、しょく、しょく。食は食べる事、二番目の触は触れ合う触、そしてもう一つはやっぱり仕事を持つと人に触れ合えますから。私はお給料その他待遇が悪すぎてはいけませんけれど、人と触れ合って自分の能力を見てもらうという意味で、職業の職。この3つは高齢者の地域を結ぶ絆として大事にして頂きたいなぁなんて思っております。
  • 区長:今のお話もね、すごくはっとさせられたんですが、「しょく、しょく、しょくですよ」って言った時に、3度の食事が大事だななんて思っちゃったんですけども。やっぱり食べることと、触るの触ですね、そして仕事をするの職業の職と。この食、触、職と。樋口さんのお話しその点すごくわかりやすくて。
  • 樋口氏:ありがとうございます。
  • 区長:「ヨタヘロ期」っていう不思議な言葉を創造されていらっしゃるんですが、これ「ヨタヘロ期」っていうのはどういう?
  • 樋口氏:今の私がまさにそうなんです。今日は車椅子使わせて頂いていますけれど、車椅子なくても出ようと思えば出られます。ですけれど、やっぱり安全の事を考えると車椅子ですよね。つまりこれを「ヨタヘロ」というのです。それで助手がついててくれる方がありがたい。この間、要介護認定受けまして、要支援1取れましたけれど。やっぱりこれから色々お世話になる事と思いますけれど、使う方も上手に利用しながら、そしてこうやって皆様のお助けを借りながらも、こうして社会に出ていくという事が、少なくとも私がより重度の要介護になるのを半月か1年遅らせてるんじゃないかと思っております。
  • 区長:そうですね。もうひとつ大事な話題をね、8月なんでお聞きしたいと思っています。戦争を振り返る8月でもありますので。
  • パーソナリティ:はい。その辺りのお話、このあと後半にお伺いしていきたいと思います。

ゲストの戦争体験、平和の大切さ

  • パーソナリティ:今日は「平和で豊かな社会で輝いて生きる」と題しましてお送りしています。ゲストは、評論家で東京家政大学名誉教授の樋口恵子さんをお迎えしています。引き続きよろしくお願いいたします。
  • 樋口氏:よろしくお願いします。
  • パーソナリティ:さて区長、今日は8月6日ということで、78年前広島に原爆が投下された日という事で、先ほどの樋口さんの講演の中でも、この命があるのも平和のおかげだと、命を頂いて生きているという言葉が、私とても胸に残ったんですけれども。8月っていうのはやはり色々とこういう事を考えなくちゃいけないっていう月でもありますよね。
  • 区長:そして今ですね、過去だけじゃなくて、ウクライナでは大量にミサイルだ、砲弾だという事で、一般の人も含めて、もちろん双方の軍隊の人たちも大量に亡くなっていると。その戦争がちょっと嫌な事に身近になってきただけにですね。私、1955年、戦争が終わって10年経ってから生まれてますので。
  • 樋口氏:お若い。
  • 区長:やっぱり先輩である樋口さんに、あの戦争の時の話をね、少しお聞きしたいなと思います。その頃は、樋口さんは国民学校に通われていた?
  • 樋口氏:はい、国民学校の最高学年の6年生でございまして。世田谷区も含めて6大都市の義務教育の子どもは集団疎開と言って、それぞれ政府が指定して地方の旅館やお寺やそういう所へ分宿して疎開いたしました。
  • 区長:ちょうど昭和16年、1941年に国民学校最高学年で。世田谷の子どもたちも。
  • 樋口氏:もちろん23区、35区ですか、当時は。
  • 区長:ほとんど長野県に行ってるんですよ。
  • 樋口氏:私も長野県です。
  • 区長:長野県の温泉に行ったりとか。
  • 樋口氏:温泉。
  • 区長:そうなんですか。
  • 樋口氏:地元の方も大変良くして下さったんですけど、何しろこっちは6年生の食べ盛りですから、あそこで飢えた思いは生涯忘れませんね。
  • 区長:やっぱりお腹いっぱいには食べられなかったですか。
  • 樋口氏:もちろん。いくらお腹いっぱいに食べさせたって食べたい年頃ですから。本当に。ですから私たちにとっては戦争体験イコール空腹、飢餓感。もうあれだけはごめんだという。平和というのは食物のあることです。
  • 区長:そして講演の中にもあったんですが、大変聡明なお兄様がいらっしゃって沢山の本を読まれていてとお話になっていました。
  • 樋口氏:やはり戦争中に、私なんかは思えばおとなしかったからそこまで睨まれなかったんですけれど、兄は学校でも有名な軍国主義的な先生が受け持ちになっちゃったんで、そりが合わなかったんですね。学校内で有名になるくらい列の外へ出されぶん殴られ。
  • 区長:目を付けられちゃったんですね。
  • 樋口氏:はい。入学試験にはとんでもない内申書を書かれ、それらが後でわかったからいいんですけれど。ですから教育というものも平和な中でないと、少なくとも穏健な民主主義が守られていく中で、平和が守られていかないと子供の成長も本当にゆがめられるなと思って。私は陰の方から小さくなって見ておりました。
  • 区長:お兄さんは戦争のさなかに亡くなってしまったんですか。
  • 樋口氏:はい、そもそも兄危篤で私は呼び返されて、3月でございましたから、もうこちらの進学の時期が迫っておりましたからそのまま東京に居ついちゃいました。空襲も怖かったですよ。うちは焼けませんでしたけれど。
  • 区長:3月って東京大空襲。
  • 樋口氏:そうそう。3月10何日ですね。山の手大空襲で練馬駅とかその辺がやられた時、知り合いの方も亡くなられましたし、うちの近所では死亡者は出なかったですけれど。
  • 区長:そんな中東京に戻って来られたと。
  • 樋口氏:戻ってきて家に着いている間に出遭いました。だから戦禍をくぐったという思いはございます。
  • 区長:お兄さんが容態が悪くなって。
  • 樋口氏:悪くなって、その間に死んでしまいました。結核性脳膜炎で。
  • 区長:なるほど。
  • 樋口氏:もう結核になったら安静にしている。運が良けりゃ助かるというところでございました。
  • 区長:私の亡くなった父も結核になったんですね。それで兵隊に行かなくて済んだんですけれども。当時は薬もなかったんで。
  • 樋口氏:ペニシリン以前なんですよ。
  • 区長:そうなんです。のこぎりで背骨を切ってですね、それで療養所にずっといたっていうことで。親父の背中を流すとちょっとへこんでました。肺をひとつ取っちゃったんで。まぁなんとか生き延びたんですけれども。うちの父の場合は。
  • 樋口氏:いや、それはあの時代としてはご運がよろしいですね。結核で生き延びられるかどうかっていうのが日本人の寿命を左右するなんて言われた時代でございましたから、それはよろしゅうございました。
  • 区長:そして、東京もたくさんの人が大空襲で亡くなり、広島、長崎もありました。沖縄でも大変な地上戦があった。戦争はもう二度と繰り返すまいっていう日本の社会ね、そうですね、私が小学生の頃は、まぁそこはもう絶対に繰り返さないよねっていう空気がとっても強くあったと思うんですが、最近はだいぶね、ちょっと薄れてきてしまったかなという危惧があります。改めてやはり今、戦争の危険というのが地球上あちこちでございますよね。
  • 樋口氏:はい、今本当に辛いですね。
  • 区長:私たちの住んでいるこの日本の周辺でもね、まぁ色々危ない要素はあります。
  • 樋口氏:ありますけれど、一方で1945年以来60年70年の平和を守り通した歴史もあるんだと思いましょうよ。特に中心になったのは、戦争体験のある我々高齢者たちを含めてでございますから、やっぱり私はどこへ行きましても、「今私がこうして91歳でお話ができているのは誰のおかげか。平和のおかげです。」から話を始めます。
  • 区長:今日もお話の最後にね、平和のおかげですっていう言葉を聞いて、戦争の事も含めて色々思う事も多かったんですけれども。この日本の平均寿命が延びましてね、多くの人が、私も含めてですけれども、いわゆる高齢者の、しかも75歳以上で。少しサポートとか介護とかも必要な人がこれからどんどん増えていきますよね。
  • 樋口氏:はい。
  • 区長:そんな時に、「じじばば食堂」という名前も出たんですけど、ちょっと5分ゆっくりと歩いて、ただご飯を食べるだけなんだけれども、ちょっとお茶を飲みながら、ちょっとお話をしたりして帰るとか、そういう場っていうのがやっぱり大事なんだろうなっていうふうに改めて樋口先生の話を聞いて。
  • 樋口氏:国によりましてはね、例えば香港のような街であるとか、そういう大道で家族そろって食事をするっていうのが普通になっている国もあるそうで。私ももうちょっと若ければね、「世界の朝ごはん拝見」なんて言ってね、ルポルタージュでも書きたいんですけれど。家族そろってお味噌汁でなければ家族でないかって言ったら、そうではない親密な家族が作られているっていう訳でございまして。それで、そういう色んな習慣を交換しあいながら、しかし家族は大事に守られているっていう様々な文化があってということを、日本も受け入れていかなきゃいけないんじゃないかと思ってます。
  • 区長:私の父や母もずいぶん前に亡くなったんですけれども、家族は出会い、そしていつか別れる。そして一人暮らしで過ごす時期が長くなる高齢者の方も、特に女性がね、男性に比べると長命ですから、多くなると。世田谷区ずいぶんね、多いんです。やはりお一人で。
  • 樋口氏:いや、世田谷だけではないでしょうよ。
  • 区長:もう日本中そうでしょうね。
  • 樋口氏:日本中そうでして。ですから私はこれから日本という国は稀な人が長生きするんじゃなくて、みんな長生きするようになりますから。それで、80、90、100まで生きまして。そして、ある世代の人は非常に子どもが少なかったんですよ。結婚も少なかったんです。ですから、子どもや孫、私は「ファミレス社会」と呼んでおりますけれども、「ファミリーレス社会」です。つまり家族と呼べる親族が周りにいなくなる社会。今子どもさんだいたい1人か2人しか生みませんから、子どものいない人が増えていく。しかし、日本の法律制度は要介護認定受けるっていっても一番の親族は誰ですかっていうことにやっぱりなるわけですね。それはもちろん仕方のないことだと思いますけれど。これは私、区長さんのお仕事でもあると思うんですけれど、これだけ家族が少なくなった社会で、家族代行者を誰がするかっていう。ていうのは、私この間ちょっと家で倒れまして。つまづいてなんですけれども、たいして怪我もなくて終わりましたんですが、しばらく、一瞬立ち上がれなくなったんですね。で、立ち上がって、ご近所がとてもフランクに付き合ってくださるもんですから、お隣りへ駈け込んですぐ親戚や助手や、に電話してもらって、全く事なきを得て。遠くの親戚より近くの他人という事を改めて思いいたったんですけれど。日本の地域行政はそこまで来ていないと思います。
  • 区長:なんとかそこをですね、世田谷区でも地域食堂とか、28か所、身近な行政施設があります。
  • 樋口氏:えーあるんですか。
  • 区長:あります。そこで介護の相談とかも、全部そこでできるようになってるんですが、ただ行政に相談するだけじゃなくて、ちょっとよもやま話をするとか、お茶を飲むとか、あるいは趣味を一緒にやるとかね。
  • 樋口氏:そうです。
  • 区長:というところで、用がなくても顔を出すようなところに高齢者の方が。
  • 樋口氏:そうそう、それでしばらく座ってても怪しまれない。
  • 区長:そうです。おやすみ処も今200数十か所あるんですけれども。
  • 樋口氏:それは、世田谷は素晴らしいと思いますよ。
  • 区長:最後に、今日講演でも言われていたように、一歩外に出ましょうと。身体が出れなくても電話をするとか、手紙を書くとか、色々な意味で繋がるっていう事がいかに大事かっていう事を言われていらっしゃったんで、少しリスナーの皆さんにも呼び掛けて下さい。
  • 樋口氏:ぜひ行動して頂きたいと思っております。友達から電話一本あると嬉しいですよ。

 まとめ

  • パーソナリティ:わかりました。貴重なお話本当にどうもありがとうございました。では区長最後に、リスナーの皆さんに一言お願いします。
  • 区長:はい、やっぱり誰もがですね、歳を取っていく。「ヨタヘロ期」ってすごい名前にもびっくりしましたけれども、でもそれだって自分の問題でもあるなって正直思います。でもそこで、やっぱり繋がり、あれどうなってるのかなって様子を見に行ったら倒れてたとかね、そこで助かったって方のお話もたくさん知ってますので、やっぱりお互いがちょっと声を掛け合ったり心配しあう仲が複数ある、これが本当にセーフティーネットで、大事だし、たぶん見守ってる安全パイだけじゃなくて楽しいですよね。なんかあった時に分かち合うってことですね。そのことの大事さを今日、樋口先生から改めて教えて頂きました。ありがとうございました。
  • パーソナリティ:どうもありがとうございました。今日は「平和で豊かな社会で輝いて生きる」と題しましてお送りしてきました。樋口恵子さん、そして保坂区長、どうもありがとうございました。
  • 樋口氏・区長:ありがとうございました。
写真8月
写真左より樋口氏、パーソナリティ、保坂区長

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