令和5年3月の「区長の談話室」(イベントゲスト:蛭子能収氏、他)

最終更新日 令和5年6月12日

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令和5年3月の「区長の談話室」

令和5年3月5日・12日放送 区長の談話室「おれの人生、おもしろく、楽しく、あっけらかんと」

※3月12日は3月5日の再放送です。

「世田谷区認知症とともに生きる希望条例」が施行され、約2年が経ちました。「認知症になってからも安心して暮らせる世田谷」を目指すアクションが、区内各地で始まっています。今回は、その「世田谷区認知症とともに生きる希望条例」についてお送りします。番組内では、2月12日に開催されたイベント「認知症になってからも希望の持てる社会~本人が企画し、本人が語る『おれの人生、おもしろく、楽しく、あっけらかんと』」の様子もご紹介していきます。

テーマ紹介

  • パーソナリティ:保坂展人区長、今日もよろしくお願いいたします。
  • 区長:よろしくお願いします。
  • パーソナリティ:今日は「世田谷区認知症とともに生きる希望条例」についてお送りします。番組の中では、去る2月12日に行われた「認知症になってからも希望の持てる社会~本人が企画し、本人が語る『おれの人生、おもしろく、楽しく、あっけらかんと』」というイベントの様子もご紹介していきたいと思います。ではまず初めにシンポジウムの様子、冒頭の部分をお聴きください。

【シンポジウム音声】

  • 区長:ご紹介しますね。漫画家でタレントの、みなさんご存じ、蛭子能収さんです。今日はマネージャーの森永さん、認知症サポートセンターの遠矢先生にも参加していただきます。では、蛭子さんご挨拶を。
  • 蛭子氏:よろしくお願いします。あんまり喋るのがちょっと苦手なんですけども、数々のところで失敗したら笑ってください。

「世田谷区認知症とともに生きる希望条例」とは 

  • パーソナリティ:シンポジウムの内容については後程またお聴きいただきたいと思います。区長、まずは皆さんに「世田谷区認知症とともに生きる希望条例」というものができて2年という事なんですが、この条例について詳しく教えてください。
  • 区長:はい。この条例はですね、令和2年ですから3年前の秋に成立をしたものですね。名前が「世田谷区認知症とともに生きる希望条例」、これが正式名称なんで、希望条例という名前の条例は大変珍しい。実はこの条例を作るにあたって、認知症に関わってこられた介護とか医療とか、そういう専門家の先生や、働いている皆さんだけではなくて、またご家族の方々だけでもなく、当事者の3人の方がですね、この条例を作る検討会に参画していただきました。そしてディスカッションをかなり深めて、認知症だからといってその人の人格を否定してしまったり、もう何にもできないんでしょうというふうに決めつけてしまったりしないように、尊厳を持ってですね、住み慣れた地域でサポートしあいながらいきましょうと、そんな社会を作っていきましょうという理念をしっかり掲げた条例になりました。
  • パーソナリティ:自分が認知症になられた方が、こういったものに参加をされるっていうのは、なかなか聞かないと思うんですが、これはどうしてこういうふうにされたんですか。
  • 区長:はい、実は国連障害者権利条約という条約があり、この条約を作るにあたってはですね、障害者の方自身がずっと意見を言い続ける、私たちの事を私たち抜きに決めないで、というのが原則でした。認知症についても、認知症の当事者の方が世界中で意見を表明する、また、自分たちはこんな気持ちなんだという事を表明することが続いていて、世田谷区の条例をつくるにあたって、やはり認知症の方、当事者が入りました。また制定記念シンポジウム、1周年の記念シンポジウムでも登壇をされてですね、聴衆に向かって、自分たちはこういう気持ちで条例に関わりましたとか、あるいは認知症当事者の方がファシリテーターになり、発言者になるシンポジウムが行われるという、世田谷区としては理念の旗を掲げたからに、その通りにですね、常に当事者の方が参画するかたちで地域づくりを進めていきたい、そんな思いです。
  • パーソナリティ:はい。当事者の方にしかわからないことっていうのが、きっと沢山ありますよね。それを聞くことがやはり大事という事ですよね。
  • 区長:はい。それでですね、例えば認知症予防っていう言葉がよく使われる。でも予防というとですね、認知症当事者の方から見ると、予防できなかったという、なんか予防というとそこで押しとどめるというイメージになるので、備えというふうにここでは言っていこうと。それから優しく配慮して守ってあげましょうっていうのは、認知症以外の方が認知症の方について言う言葉なんですね。だから、そこを先ほど希望条例、珍しいって言ったんですけれども、希望と、お互いが認知症の方も、またサポートする方も一緒に作っていこうと。それから、サポートっていう言葉を使いましたけれども、サポーターっていう言い方、つまり、認知症の方を支えていきますよっていう意味で使われてきたんですが、これをですね、パートナーというふうに変えました。というのは、いつも助けているだけではなくて、逆に認知症の方に助けられることもあるんですね。ですから、共に歩んで行くパートナーという事にしました。そしてこの条例、理念条例、大きく認知症感、認知症になったらもう治らないので早く入院しましょう、そして、社会に戻ってくることはまずありませんとか、そういうこれは誤解であり間違ってますよと。認知症である当事者の方が尊厳を持って、お得意な所で力を発揮したり、地域のコミュニティの中で役割を果たしたり、あるいは本当にゆったりとした楽しい時間を過ごしたりすることができるんですよという事で、その考え方を、計画を作りまして、この条例を成立させるための計画ですが、アクションチームというのを作って、あちこちのあんしんすこやかセンターとか、まちづくりセンターの中にあるミーティングルームで講座をやっているというような事を、このシンポジウムでも大熊由紀子先生が紹介をしてくれました。

希望条例2周年記念イベント(2月12日実施)について

  • パーソナリティ:今の区長のお話を聞いて、認知症ってもう考え方が昔と全く違ってきていますよね。その辺りが非常に反映された希望条例になっているのかなというふうに、私自身も感じたのですが、今のご紹介していただいたイベント、2月12日に行われたのですが、概要だけ簡単に教えていただいてもいいですか。どういったイベントだったのか。
  • 区長:はい。これはですね、認知症希望条例が生まれて2周年という事で、漫画家でタレントの蛭子さんと、実は貫田直義さんというですね、テレビの第一線で番組を作ってきたプロデューサーの方、お二人が登壇して、色々私が話を聞くっていう計画だったんですが、貫田さんの方がちょっとコンディションが悪くなって、蛭子さんとマネージャーの森永さんにも手伝っていただき、また認知症サポートセンター、「にんさぽ」と略しますが、こちらの遠矢先生にも参加していただいて、非常に中身の濃い1時間を語ったという、そんな中身でした。

世田谷区認知症在宅生活サポートセンターとは

  • パーソナリティ:今、遠矢先生のお話が出たのですが、「にんさぽ」と区長がおっしゃいました、世田谷区認知症在宅生活サポートセンター、これはどういうところですか。
  • 区長:そうですね。間もなく3年になります。スタートしてからですね、うめとぴあというですね、ワクチンの接種なんかで利用したことがありますっていう区民の方も多いと思うんですけれども、こちらの中に認知症在宅生活サポートセンターが出来ています。実は、世田谷区では28か所の福祉の相談窓口であんしんすこやかセンターがあって、そこで例えば介護保険を使ったサポートなどしていく事になりますけれども、一種の専門的なセンターとして、現在、認知症の方は2万3千人いらっしゃると。介護認定で認定された人の数なんですね。大体これから800人ずつくらい認知症と認定される方が増えていくだろうと。軽度の方を入れるとですね、もう5万人以上になります。そうやって考えていくと、ご本人と同居される家族とか心配しているご友人とかというと、有に10数万人の人が何らかの形で悩んでいたり、また戸惑っていたりいらっしゃる当事者がすごく多いんですね。ですからそこのところをしっかり後押ししていく。そして条例っていう理念を掲げていく為にもですね、土台となる専門職やそれぞれの関係機関をうまく繋いでですね、在宅で認知症の方がなるべく自分らしく過ごしていけるような支援をしている、そんなセンターになります。
  • パーソナリティ:はい、わかりました。ではこのあと後半、シンポジウムの様子を皆さんにたっぷりとお聴きいただきたいと思います。 

シンポジウムの様子

  • パーソナリティ:今日の「区長の談話室」は、2月12日に行われた「認知症になってからも希望の持てる社会~本人が企画し、本人が語る『おれの人生、おもしろく、楽しく、あっけらかんと』」の模様をお送りしながら「世田谷区認知症とともに生きる希望条例」についてお送りしています。それでは、イベントでの蛭子能収さん、マネージャーの森永さん、世田谷区認知症在宅生活サポートセンターの医師、遠矢先生、そして、区長によるシンポジウムの様子をお聴きください。

【シンポジウム音声】

  • 区長:じゃあ蛭子さん、認知症ってね、軽度の軽い認知症だっていうふうに以前言われていて、認知症ですよという事を確かテレビで公表された、2年前ですか。
  • 森永氏:3年前です。
  • 区長:公表しようと思ったのはどうしてですか。
  • 蛭子氏:やっぱりどんなに生きていても、とにかく俺は仕事場で死にたくないから、一生懸命頑張るか。
  • 森永氏:人生の目的がね、死なないことですもんね。
  • 蛭子氏:そうです。そうです。死んだらもう全て終わるんで、もうちょっと生きたからにはね、せっかくだから仕事したいし、なんていうかうまくしゃべれないですが。
  • 森永氏:こういう仕事の時とかは結構はっきり喋れたりしてたんですけど、やっぱり実際介護しているのは奥さんで、やっぱりちょっと奥さんの体調とかも悪くなったりして、隠しながら事務所的にやるのもちょっとおかしいだろうということで、公表に至ったわけですもんね。
  • 区長:蛭子さんね、ご本が出てるんですね。『認知症になった蛭子さん』っていうね。これを読むとですね、色んなことをパッパッパッパッ忘れちゃうんだけど、競艇のボートの選手の話になると、ものすごいよく覚えてるっていう。なんか奥さんも嘆いていらっしゃったけど、ボートにすぐ行っちゃうと。稼いだらすぐ行っちゃうと。
  • 蛭子氏:そうですね。
  • 区長:これはボートが大好きで。
  • 蛭子氏:ボートレースが大好きで、すごくボートレースなしの生活と全然面白さが違うんで。どうしてもそっちの方に惹かれて。
  • 森永氏:でもあれですよね。ちょっと認知症になってから興味なくなっちゃたんですよね。
  • 蛭子氏:そうだね。
  • 区長:そうなんですか。ここで遠矢先生、蛭子さんは死なないことを目標にまだまだ頑張っていらっしゃるし、ご本の中でも僕は仕事するんだ、仕事をして稼がなきゃということがあって、認知症ですよと公表しながらも、やっぱり今でもですね、今日も含めて講演の場とか、テレビ番組も、ちょっと本数は減ったみたいですけれども、ちゃんと出ていってという、こういう形でやられていることについてどうでしょう。
  • 遠矢氏:ありがとうございます。先日蛭子さんとちょっと事前にお話する機会をいただいて、また賭け事の話になったんですけれども、「蛭子さん、賭け事お好きなんですね」って言ったら、「いや僕は賭け事っていうよりお金が好きなんだ」と。「それは暮らしていく、生きていくために必要だから」っておっしゃって。「今も自分が生活していくために、生きていくために、やっぱりお金を稼がなきゃいけないし、だからイラストの仕事も、こういったテレビとかイベントの仕事も受けてるんだよ」っておっしゃっていて、やっぱりそこは蛭子さんらしさって何にも変わってないないんだなっていうのを感じましたし、またそれをすごく上手く森永さんとか周りの方々が支えてくださってて、できるだけ蛭子さんがストレスなく蛭子さんらしさを発揮し続けられるようにっていう事をサポートしているのがすごく印象的でした。やっぱり認知症にとっては、その人らしさをいかに続けていくか、もちろん色んな事を忘れたりできなくなったりもするんですけれども、でも蛭子さんも今もイラスト書いていらっしゃるし、できる事も沢山あるから、それをいかに続けていくかっていう事がすごく大事だなって思いました。
  • 区長:蛭子さん、今日来ていただける予定だった貫田さん、この方はずいぶん壁の中に人の顔が見えてきたりとか、いないはずの人がいたりとか、ちょっと襲ってくるとかそういう妄想だったりとか、まぼろし、幻視ですね、そういう事があったらしいんですけど、蛭子さんの場合は何かそういう事はあったんですか。
  • 蛭子氏:いや、羨ましいですね。
  • 森永氏:羨ましくはない。すごいさすがな発想ですね。でも初期はあったみたいですよ。奥さんが一緒に行動していて、デパートの中で電車が走っているのを見たりとか、会議室に火の玉があったりとか、倒れている洗濯籠を奥さんと勘違いしたりとか。
  • 蛭子氏:俺が言った?
  • 森永氏:蛭子さんがちょっと勘違いしちゃって。今はそんな幻視見たっていうのは聞かないんですけどね。
  • 蛭子氏:俺、そんな変な事言ったっけ?
  • 森永氏:よく地方とか行っている時に、認知症の関係でトイレとかで、今すごい便利になっているじゃないですか、自動タッチとかで。一回ちょっと閉じ込められちゃったことがあって。だから、変にこの世の中が便利になるのも、ただでさえセンサーで反応しないだけでも一般の人でも焦るのに。たぶん認知症の人が、開けるっていうボタン押すだけで開くんですけれども。
  • 遠矢氏:今、蛇口とかなくて手を出すと水が出てくるとかわかりにくい。
  • 森永氏:だから本当にジャーでいいんですけれどね。
  • 区長:かえって便利になっているから使いにくくなっているんですね。
  • 森永氏:そうなんですよね。それはだから一回、ドンドンドンって蛭子さんから聞こえたんで、助けに行って、「俺ずっと一生このままかと思ったよ」って言ってたんで。閉じ込められちゃったことがあったんですよ。
  • 蛭子氏:そうだったっけ。
  • 森永氏:はい。あれはなんとかして欲しいなと思うんですけれどもね。
  • 区長:蛭子さん、何か困ることってあるんですか。あんまりない?
  • 蛭子氏:困っている事。
  • 森永氏:昔からあれですもんね。人の名前とか覚えるの苦手でしたもんね。
  • 蛭子氏:そうなんですよ。
  • 森永氏:よく台本とかもってね、現場に。
  • 蛭子氏:うん。ちょっと苦手。
  • 森永氏:でも憧れる人とかは覚えていて、つげ?
  • 蛭子氏:つげ義春さん。
  • 森永氏:横尾?
  • 蛭子氏:忠則さん。
  • 森永氏:こうやって出てくるんですよね。長崎出身ですもんね。さだ?
  • 蛭子氏:さだ・・・
  • 森永氏:役所?
  • 蛭子氏:広司。
  • 森永氏:樹木?
  • 蛭子氏:危機一髪。
  • 森永氏:危機一髪じゃないです。いいですね、急に四字熟語いいですね。
  • 区長:森永さん、森永さんの場合はお父さんが認知症で。
  • 森永氏:そうなんですよね。僕の父も認知症で、2年くらい前に亡くなっちゃったんですけれども、蛭子さんとは全く違うタイプというか、もう気力が低下して仕事したいとかそういうのも全くなく、食欲もなかったんで、僕はこう対比でみていて、すごい蛭子さんは元気だし会話もできるんで、なんでこう認知症の中でもいろんなタイプって違うのかなっていうのもちょっと先生に聞きたかったんですけれども。
  • 遠矢氏:はい、そうですね。色んなタイプがありますし、元々のその方の性格とか、あるいは周りの方の関わり方でもずいぶん認知症の在り方って変わっていくんですよね。
  • 区長:蛭子さん、やはり奥さんがね、認知症になってきて戸惑いながらですね、認知症になる前も戸惑われながら、いつもレースばかり行ってるって事で書かれていましたけれども。今やはり奥さんが支えてらっしゃるって大きいですか。
  • 蛭子氏:大きいですね、やっぱり。
  • 森永氏:よく照れて「ありがとう」とか奥さんに言える人じゃなかったんですけれども、認知症になってからよく「ありがとう」とか、感謝の言葉をすごい言うようになったのもやっぱりちょっと関係があるんですかね。
  • 遠矢氏:いや、やっぱりそれを特にお感じになるからじゃないですかね。そばにおられていつも支えてくださるっていうのは伝わってるんじゃないかなと思いますよ。
  • 区長:蛭子さん、「ありがとう」っていう事を奥様に直接素直に言えるようになったっていうことですかね。
  • 蛭子氏:えっと、俺が嫁さんに「ありがとう」っていうことになってますね。
  • 森永氏:なってますって、なんか誰かの指示みたいな感じになっちゃって。それまずいですよ。それ聞いてたらちょっと。「なってます」は、それはおかしい。そこはもうシンプルに。蛭子さんも言ってたじゃないですか、「俺本当に感謝してるんだよ」って。「ありがとう」でいいんですよ。
  • 蛭子氏:あ、そっか。
  • 森永氏:ちょっと笑かそうと思ったんですね。
  • 区長:蛭子さんにとって、世田谷区はどんな感じですか。
  • 蛭子氏:世田谷区は、公園がありますね。
  • 森永氏:公園いっぱいありますよね。
  • 蛭子氏:公園に行くのも好きで。
  • 区長:公園で今、世田谷区で大きな公園を三つ作っているんですよ。
  • 蛭子氏:あぁそうですか。
  • 区長:やっぱり木がいっぱい植えてあると、鳥がいっぱい来てくれてピーチクパーチクとすごく野鳥の声が気持ちいいんですね。だからそういう環境をもっと広げたいなと思うんですけど。鳥のさえずりなんかどうですか、蛭子さん。
  • 蛭子氏:いいと思います。ここから見ても、もしみんな鳥だったらどう。
  • 森永氏:めちゃくちゃ怖いじゃないですか。ヒッチコックの映画みたいじゃないですか。あのバーって襲ってくる。
  • 区長:これだけ大勢の鳥たちが、蛭子さんの話を聞いてるという。
  • 森永氏:面白いな。その漫画面白いじゃないですか。それちょっと描いてくださいよ。

イベントの振り返り

  • パーソナリティ:イベントの様子をリスナーの皆さんにお聴きいただきましたが、区長、振り返って今、どのようなお気持ちですか。
  • 区長:はい。私が進行役として、本当に蛭子さんの面白く楽しくあっけらかんとっていうその感じを上手く出してもらおうと思ったんですが、そう簡単ではなくてですね、話がすれ違ったりした部分もありましたし、「奥様に対するお気持ちは?」っていう会場のご質問に対して、蛭子さんがすっと立ち上がって、たぶん奥様の動作の真似をされたりですね。蛭子さんの元々のキャラクターですね、お茶の間でも知られている。そこを十分残りながら、なおかつ仕事をするっていう事に対してすごく前向きなんですね。やっぱり仕事していかなきゃ、お金も稼いでいかなきゃという事が強くあって。その希望を絶対に持ってるんだっていう、なんかポジティブだなというふうにも思いました。またマネージャーの森永さんって方がすごく蛭子さんが言わんとするとことか、言ってないこととかを、本当にタイミング良くサポートしてくれて、ずいぶんと伝わりやすくなったと思いますし、遠矢先生も蛭子さんともお会いになっているので、専門家の立場から、またこの条例の主旨に則してですね、一緒に希望を作っていくっていう事を皆さんの前で一緒に実演したというか、そんなシンポジウムになったかと思いました。
  • パーソナリティ:区長にとってどの部分が一番印象に残っていますか。沢山あると思うんですけれども。
  • 区長:そうですね。例えば話がかみ合わなかったというか、面白かったっていうところでは、蛭子さんが好きなのは公園を散歩してるところらしいんですね。公園の話になって公園に木があるじゃないですか。鳥がさえずっていてすごく気持ちいいですよねと言った時に、「あれあれ、この会場になんか鳥がいるような感じもするぞ」っていうようなお話もあってですね、どっとみんな爆笑したんですけれども。マネージャーの方が「ヒッチコックみたいだ」なんてことを言ったりして。その蛭子さんの、一番印象的な話が飛び出したんですね。

【シンポジウム音声】

  • 区長:皆さんにメッセージ、蛭子さんから伝えたいことっていうのがあればおっしゃって、なくても何か言って欲しい。
  • 蛭子氏:とにかく簡単に死なないでっていう。
  • 森永氏:すごい。一番最後にいいこと言いましたね。大事ですよね。
  • パーソナリティ:区長、深いですね。
  • 区長:いやこれね、会場がシーンとなりましたよ。やっぱり「死なないで生きていこうよ」って蛭子さんが呼び掛けてくれた。自分でそういう気持ちでいるだけじゃなくて、皆さんを見ながらですね、言ってくれたんで。とてもこのシンポジウムやって良かったなと思いました。
  • パーソナリティ:本当に希望を感じる言葉でしたね。

まとめ

  • パーソナリティ:では区長、そろそろお時間になりました。リスナーの皆さんにメッセージをお願いします。
  • 区長:認知症、まだまだ分かっていないことが多いんですが、少なくとも何もできなくなるとか人格が全部入れ替わるということではないんですね。私の母も認知症でだいぶ対話を続けてきましたけれども、覚えていることはずっと最後まで覚えていたし、その助言もしてくれました。できないこともやっぱり出てきましたね。ただそこで尊厳を持って自分らしく生きる、そういうふうに周りの方が接するとご本人も穏やかに過ごすことができる。なんか否定されて違う違うと縛られると、怒ったりとかね、そういう反応もあるっていうこともだんだんわかってきています。ですから認知症の方自身が周りのご家族と一緒に誇りをもって、その人らしく生きることができるような、やりやすいような、経験談を色々交流できるような世田谷にしていこうというのがこの条例の役割だと思います。
  • パーソナリティ:はい、ありがとうございました。今日は「世田谷区認知症とともに生きる希望条例」などについて保坂区長とともにお送りしてきました。保坂区長、今日もありがとうございました。
  • 区長:ありがとうございました。

写真 令和5年3月放送分

左より山戸高齢福祉部長、保坂区長、パーソナリティ ※撮影時のみマスクを外しています。

ポスター令和5年3月放送分

令和5年2月12日(日曜日)に開催したイベント当日の様子は、希望条例2周年記念イベント開催報告ページをご覧ください。

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