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世田谷区立郷土資料館

更新日:平成28年4月1日

ページ番号:0138265

施設の概要

所在地〒154-0017 東京都世田谷区世田谷1-29-18 【ボロ市通りの世田谷(大場)代官屋敷敷地内です。代官屋敷入口よりお入りください。】
電話番号03-3429-4237
ファクシミリ03-3429-4925
公共交通機関東急世田谷線「上町」駅下車徒歩約5分。上町駅に近隣案内図があります。
バスは(渋谷駅~上町・祖師谷大蔵駅・成城学園前駅・調布駅南口、田園調布駅~世田谷区民会館、等々力~祖師谷大蔵駅)の「上町」バス停から徒歩約5分。
開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時半まで)
地域行事「せたがやホタル祭りとサギ草市」(毎年7月)、「世田谷のボロ市」(毎年12月と1月の15日・16日)開催日には、行事終了時刻まで開館します。
休館日 毎週月曜日、国民の祝日(その日が月曜日の場合は翌火曜日も休館。ただし11月3日・23日の祝日と、ボロ市開催日は開館します。11月24日は閉館します。)、年末年始(12月29日~1月3日)。館運営・工事等の都合により、休館日を変更することがあります。
館内設備 館内には、エレベーター・オストメイト対応障がい者用トイレ・AED(自動体外式除細動器)があります。
代官屋敷敷地内および郷土資料館内は禁煙です(喫煙場所はありません)。また、飲食もお断りしています。
館内貸し出し用の車いすを用意しております。ご希望の方は本館1階事務室までお申し出ください。

 

郷土資料館の写真その2
(資料館正面)
郷土資料館の写真その4
(新館)
郷土資料館の写真その3
(代官屋敷通路から)
                                      
  
外観イラスト

下記の項目をクリックしてご覧ください。

展示

歴史講座・野外歴史教室

刊行物

博物館実習

集会室

世田谷区立郷土資料館について

世田谷区立郷土資料館は、世田谷区政30周年事業の一環として昭和39年9月10日に開館した都内最古の公立地域博物館です。建物の設計は日本近代建築の歴史に大きな足跡を残した建築家・前川國男氏によるものです。その後、収蔵資料の増加により手狭となったので、昭和62年に新館を増築しました。平成26年9月10日で開館50周年を迎えました。
 世田谷区に関する区内外の歴史・民俗資料等の収集・保存、展示、調査・研究を行っています。
 入館は無料です。皆様のご来館をお待ちしております。

館内案内図

野毛大塚古墳出土品が国の重要文化財に指定されました。

当館所蔵の野毛大塚古墳出土品が、8月17日に国重要文化財に指定されました。当館では、10月25日(火曜日)から特別展「国重要文化財指定記念  野毛大塚古墳展」を開催します。また、10月29日に玉川区民会館において、シンポジュームも開催します。 野毛大塚古墳のパンフレットは下記の添付ファイルよりご覧ください。

野毛大塚古墳(野毛1-25 区立玉川野毛町公園内)

特別展「国重要文化財指定記念  野毛大塚古墳展」を開催します。

開催内容については下記の関連リンク「世田谷区立郷土資料館特別展「国重要文化財指定記念 野毛大塚古墳展」を開催します。」からご覧ください。

特別展ポスター

季節展「ボロ市の歴史」を開催します。

イベント名 世田谷区立郷土資料館 季節展「ボロ市の歴史」
日程 平成28年12月13日(火曜日)から平成29月1月29日(日曜日)まで開催します。
期間中の休館日  毎週月曜日、祝日、年末年始(12月29日から1月3日)
時間 午前9時から午後5時まで(ボロ市開催日は、ボロ市終了時間の午後8時まで開館時間を延長します。)
会場

世田谷区立郷土資料館

28ボロ市

郷土資料館からのお知らせ  

屋外展示物に解説を表示しました。

新館脇の奥に展示してある「ウテナ烏山工場の衛兵詰所」と「街頭型火災報知器」については、これまで立ち入り禁止場所として、解説もありませんでしたが、この度、間近で観られるよう通路を解放し解説を表示しました。

  • 衛兵詰所

太平洋戦争中に南烏山のウテナ本舗烏山工場が陸軍材料倉庫として使われた際、倉庫の入り口付近に設置されました。その後、工場の門衛所として使われていましたが、昭和62年、工場棟の解体に伴い当館に移設されました。館内では世田谷区教育委員会が平成25年3月発行した、株式会社ウテナと久保家が所有していた歴史的建造物についてまとめた「久保家旧宅の記録」(A4 76ページ 926円)を販売しています。

  • 火災報知器

一般家庭に電話が普及する昭和30年代までは、街頭に設置した報知機が消防署への通信手段として重要な役割を担っていました。電話の増加により減少し、昭和42年には製造が中止され、49年までにすべてが撤去されました。展示している報知器は昭和48年に世田谷消防署より寄贈されました。

屋外展示物1
(衛兵詰所と火災報知器)
屋外展示物2
(展示解説)
屋外展示物3
(屋外展示への通路)

ボロ市通り桜栄会商店会のサービスが受けられます。

地元の商店会「ボロ市通り桜栄会商店会新しいウィンドウが開きます)」さんのご協力をいただいて、ご来館いただいた方々へ商店での割引等のサービスを提供しています。どうぞご利用ください。サービスをご利用頂くためには、サービス券が必要です。当館に置いてあるサービス券を各店舗にお持ち下さい。

サービス券がご利用いただける協力店の情報については、下記添付ファイル「協力店情報新しいウィンドウが開きます)」よりご覧ください。

桜栄会地図

 

 

世田谷(大場)代官屋敷について(国指定重要文化財・東京都史跡)

 郷土資料館は世田谷代官屋敷の敷地内にあります。

大場家表門
(表門)
大場家住宅
(主屋南側)
代官屋敷主屋
(主屋北側)

 重要文化財に指定

世田谷代官屋敷は、江戸時代中期以来、彦根藩世田谷領20ヵ村の代官を世襲した大場家の役宅で、大場代官屋敷とも呼ばれています。大名領の代官屋敷としては都内唯一の存在であり、その由緒により、昭和27年11月3日、「都史跡」に指定されました。同時に同家所蔵の古文書は一括して「都重宝(現在都指定有形文化財)」に指定されています。また、現存する大場家住宅主屋及び表門の二棟が、近世中期の代表的上層民家としてよくその旧態を保存し、貴重な建造物であるとの理由で、昭和53年1月21日、住宅建造物としては都内で初めて国の「重要文化財」に指定されました。

構造および規模は下記のとおりです。
    
 主屋                          表門
   寄棟造・茅葺・北面玄関    長屋門・寄棟造・茅葺
    桁行 17.33m(57.2尺)    桁行 7.0m(23.1尺)
    梁間 11.03m(36.4尺)    梁間 3.7m(12.2尺)
     面積 191.15m(57.84坪)    面積 25.9m( 7.83坪)

大場家屋敷の始まり
 天正のはじめ頃、世田谷吉良氏の重臣大場越後守信久・同外記房勝父子は、元町の旧居(世田谷区役所第二庁舎の所)を廃し現在地に居を移しました。天正6年(1578)、小田原北条氏が世田谷新宿を設け、楽市を開いた頃のことです。信久親子が転居して以来、大場家は代々ここに継承され現在に至っています。

現在の建物
 大場家住宅の普請記録としては、信久から7代目の大場六兵衛盛政が元文2年(1737)に建て替えた時のものが初見です。元文4年の『勘定帳』によると、盛政は「座敷居宅大破」のため彦根藩より米105俵を借用して改築を行っています。盛政は同4年、代官職に登用されましたが、それから14年後の宝暦3年(1753)、役向専用に「書院座敷」を増築し、居宅部分にも改修を加えました。文化元年(1804)には、10代の当主・弥十郎が「書院座敷」を建替えました。下記掲載の古絵図は、その折り作成されたものと推測される現存最古の図面です。この時、改築されなかった主体部分は盛政時代そのままを描いたものと考えられます。弥十郎は同12年に内蔵も建てています。また、嘉永年間(1848-1854)には、11代の当主・隼之助景長が2階座敷を増築し、その際、名主詰所が新たに設けられました。近代に入ると、主屋内部の改修が更に進み、江戸の頃とは少し様相を異にしていましたが、昭和42年、住宅の保存のために解体修理が行われ、往時の姿が復元されました。但し、屋敷西側に立つ内蔵は大正12年(1923)に建て替えられたものです。また、弥十郎が建て替えた「書院座敷」は増築して邸内の別の場所に移されていましたが、解体修理がなされた昭和42年、武者小路実篤の“新しき村”(埼玉県入間郡毛呂山町)に移築されました。

主屋の内部
 南北両面の入口は農家式の大戸になっています。玄関には式台が設けられ、それを上ると直ぐに18畳の「広間」があって、代官家に相応しい格式を備えています。広間西側の「役所の間」「次の間」は、代官の執務室として用いられた部屋です。また、仏間と押入を挟んだ7畳半の部屋を、大場家では「切腹の間」と呼び、「事ある時はここでいつでも腹を切る覚悟で職務に当たった」と伝えられます。

代官屋敷平面図

三軒茶屋の地名の由来となった3軒の茶屋の位置について

三軒茶屋は、江戸時代に大山道と登戸道の三叉路沿いに3軒の茶屋があったことから、この地名になったことはよく知られていますが、その3軒の茶屋、信楽、田中屋、角屋のうち、角屋の位置については誤解があるようです。

昭和9年の「区勢総攬」(区勢調査会発行)には「三軒茶屋由来」として、3軒の茶屋の位置について次のように記述しています。

「三軒茶屋の名称は、旧幕時代現在の玉川電車三叉路に三軒の茶屋が点在せるより起こりたるものにして、当初三軒の茶屋とは、信楽、角屋、田中屋の三軒なり。信楽と角屋は、三叉路、即ち江戸より来りて、右世田谷登戸道左二子大山街道と分かれる、その分岐点の処に、田中屋は世田谷側(現在田中陶器店のある場所にして、同店は、田中屋の後襲なり)に在り、信楽は、現在の喫茶店石橋屋の処にありて、後年、付近石橋の辺りに在りし石橋屋と云ふに店を譲りたれば、爾来石橋屋と称し、現在に至れるものなり。角屋の跡は、現在の西澤洋品店の北隣にして、現在の末孫詳しかならずと云ふ。・・・・・」

これによると、3軒の茶屋の位置は下図のようになります。このことは、下記の「綱下ヶ道しるべ 」に描かれた茶屋の位置からも推定できます。

三軒茶屋
3件の茶屋の位置
西澤洋品店写真
茶沢通りから西澤用品店方面を望む(昭和36年)
  
明治40年頃三軒茶屋
玉電開業当時の三軒茶屋(明治40年頃 後方が石橋楼)
石橋楼図
東濤舎筆「石橋楼図」(当館蔵)

信楽は、明治2年に石橋楼という名の、料亭と旅館を兼ねた店になりました。明治14年2月に明治天皇が馬引澤村に行幸し、兎狩りを上覧したときに、石橋楼に立ち寄りましたが、その様子が「明治天皇記」に書かれています。石橋楼の主人、山本織之助は、玉川電気鉄道の敷設に便宜をはかったお礼として、玉川電気鉄道株式会社より「東濤舎」筆の「石橋楼図」(下図)を送られました。

 豪徳寺と松陰神社について  

  豪徳寺

招き猫で知られる豪徳寺は大谿山(だいけいざん)と号する曹洞宗の古刹で、もとは世田谷吉良氏ゆかりの寺院で、弘徳院と称してました。江戸時代に世田谷領15ヶ村(のち20ヶ村)が彦根藩井伊家の領地になり、これを機に井伊家の菩提寺となりました。万治2年(1659)に井伊直孝が没すると、その法号「久昌院殿豪徳天英大居士」にちなんで寺名を豪徳寺と改めました。以後、江戸で亡くなった藩主や、その家族がここに葬られました。井伊直弼の墓があることでも有名です。彦根藩主井伊家墓所は国の史跡に指定されています。 また、豪徳寺の仏殿、仏殿像、梵鐘は、世田谷区の指定文化財です。

江戸名所図会 豪徳寺
江戸名所図会 豪徳寺

 

 

松陰神社

吉田松陰の墓がある松陰神社は、豪徳寺から直線距離で700mほどの所にあります。この一角は江戸時代、大夫山(だいぶやま)あるいは長州山と呼ばれていました。これは、寛文12年(1672)、萩藩第2代藩主、毛利大膳大夫綱広が在府の折に同藩が若林村の百姓からこの地を購入して抱屋敷としたことによります。安政の大獄で死罪となった吉田松陰の遺骸は、当初、小塚原の回向院(えこういん)に葬られましたが、文久3年(1863)正月に、高杉晋作、伊藤博文らの手により、この地に改葬されました。元治元年(1864)に禁門の変が起きると、幕府は長州に征伐軍を送り、若林村の抱屋敷は没収され、松陰の墓も破壊されました。しかし、その4年後には明治維新となり、明治元年(1868)、藩命を受けた木戸孝允が新たに墓碑を立て、明治15年(1882)には、毛利元徳や松陰の門人達が墓畔に社を築いてその霊を祀り、松陰神社となりました。

松陰神社境内図
松陰神社境内略図(明治22年 福羽美静制作 当館蔵)
 

 

 

 

  豪徳寺と松陰神社

綱下ヶ道しるべ

天保3年(1831)に世田谷代官・大場隼之助が、霊験あらたかな松として知られていた「綱下ヶ松(つなさげがまつ)」を祀った、武蔵国橘樹郡宿河原村の松壽弁財天への参拝途中、茶屋で買い求めた案内図の一つで、当時の世田谷の様子がわかる貴重な資料です。三軒茶屋の地名の由来とされる3件の茶屋や、上北沢牡丹園、下北沢森厳寺の境内にあった富士塚などが描かれています。複製品を常設展示しています。

綱下ヶ道しるべ

綱下ヶ道しるべ(天保3年 板元 竹澤直次 当館蔵)    展示解説シートはこちら新しいウィンドウが開きます)からご覧ください。

三軒茶屋部分拡大図
(三軒茶屋部分拡大図)
松壽弁財天
松壽弁財天(川崎市高津区久地)

地図情報


 

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郷土資料館

電話番号03-3429-4237

ファクシミリ03-3429-4925

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