烏山寺町ぶらり散策マップ 烏山総合支所地域振興課 電話 03−3326−9376 散策するときの心得 @烏山寺町落ち着いた環境を乱さないようにこころがけましょう。 A寺院の境内に入るときには、お寺にご迷惑とならないようにしましょう。 B特に法事、葬式など、お寺の行事があるときには遠慮しましょう。 C墓地の中には無断で立ち入らないようにしましょう。 トイレ、電話などは、寺町通り区民集会所にありますので、そちらで、ご利用になれます。 烏山村と人々のくらし 江戸時代の烏山村は甲州街道沿いに農家が点々とある静かな農村でした。 江戸の発展に伴って玉川上水が引かれ、烏山村にも用水が分水され、次第に農村が発展してきました。 水田や麦畑、桑畑、茶畑が広がる村の暮らしは、明治になってもほとんど変わりませんでしたが、 周辺の村々に比べて水に恵まれた烏山村は、人口も多く、最も多い生産高を誇っていました。 水路には水車がかけられ、精米、製粉なども行われるようになりました。 大正時代に入ると、大正2年に京王線が通り、市街化が始まる契機となりました。 宙水とは 武蔵野台地の浅い地下水は、ふつうレキ層の中にありますが、烏山寺町のあたりでは、 レキ層より上のローム層の中にも地下水層があり、「宙水」と呼ばれています。 そのため、とても浅い井戸でも水を得ることができます。 「宙水」はどこにでもあるというものではなく武蔵野台地の中でも限られたところにしかなかったのですが、 浅い地下水は枯れやすいので、今では残っているところが、わずかです。 烏山の地下水が維持されてきたのは、水があるから木が育ち、木があるから水が保たれるという関係のあらわれで、 お寺がたくさんあるという社会環境がそれを支えてきたといえます。 関東大震災と寺町の成り立ち 大正12年に関東大震災がおこり、東京は下町を中心に大被害を受けました。 この震災復興のための区画整理などにより、浅草、築地、本所、深川などから 次々と寺院が移転し、当時、烏山村の中ではあまり開発の進んでいなかったこの地に、にわかに寺院街が形成されました。 宗派は様々ですが、26の寺が軒を連ね、周辺の市街化が進むにつれ、この一角だけが、 昔ながらの静かなたたずまいを残す地域となりました。 いつしか、小京都と呼ばれるような歴史と自然に恵まれた地域として知られるようになり、 区民や都民の訪れる散策の地ともなっています。 環境協定でまちづくり 住民によって自主的に定められた、紳士協定であり、地下水の保護を、まちづくりの手がかりとしている点で、 全国的にもユニークなものです。