がいせんアラカルト がいせんのお散歩を、さらにもうちょっとだけ面白くするためのこネタを集めてみました。 世田谷の隠れたがいせん自慢 岡本3丁目の富士見坂は、車道では世田谷いちの急坂である。 岡本の富士見坂は武蔵野台地の先端に位置し、国分寺がいせんにある急な坂道で、富士山を眺めるには絶好の場所である。 昔は馬車が登れなかったという勾配22パーセントの急坂である。 あらたま水道道路は、世田谷で一番長い直線道路である。 砧浄水場から杉並区の梅里付近まで、ほぼ9キロメートルの直線の道路である。 なぜ直線かというと、道路の下に太さ直径約1メートルのすいどうかんが埋められているからである。 がいせんには、巨木がいっぱいある 九品仏浄真じのカヤノキをはじめ、区内に存在する東京都指定天然記念物の巨木5本のうち、なんと4本ががいせん上にある。 浄真じのカヤノキは、樹齢700年といわれ、樹勢が盛んで実もたくさんつける。 都内最大級のカヤノキである。 ちなみに、がいせん以外のもう1本は、桜小学校のオオアカガシである。 散歩中にふと出会う趣のある古い建築物。 がいせん沿いにも多く現存する近代建築は、こんなところに着目すると面白い。 波打った窓ガラス 外から眺めて窓ガラスが波打っているようなら昭和30年代以前の建物である可能性が高い。 大量生産で作られる現在のガラスとはまた違った趣。 瀬田四丁目広場の旧小坂住宅でも見ることができる。 個性が光る、換気こう もともと天井裏の空気調整のために設けられていた換気こうはデザインもいろいろで、見比べるとおもしろい。 意匠として飾りだけつけられているものもある。 門柱やがいこうに大谷石 古くからあるお屋敷の門柱やがいこうには大谷石が使われていることが多い。 ちなみに、おもいはせの路のサインにも街並みに合わせ大谷石が使われている。 坂の名前から知るがいせん あんかざかの由来はなに 勾配が急なため、この坂を登るだけで体が熱くなるので、あんかざかと呼んでいた。 別名、ぎょうぜんじ坂ともいい、当時はこの急な坂を下り、調布橋を渡り、二子の渡しにいったそうだ。 お茶屋坂の茶屋ってどんなの 江戸時代の初め頃、この地を治めていた旗本、喜多見重勝が眺めの良い坂の上に茶屋を建てて、喜多見の里から多摩川や富士山の姿を楽しんだと言われている。 不動坂の由来はなに 成城から喜多見不動に降りる不動坂。 由来はこの喜多見不動にちなんだもの。 昔ながらの切り通しの面影がある。 寮の坂の寮って何寮なの こたえは尼さんの寮。伝乗じの尼さん達の住んでいた寮があったことから名付けられたそうである。 がいせんならではの生きもの 豊かな自然環境そのままに、さまざまな動植物が共存するがいせんは、生きものつながる世田谷プランに位置づけられており、次世代に引き継ぐことが大切である。 サワガニやゲンジボタル、イチリンソウやキンランなど、ちょっと目を凝らして散策すると、近頃の都会ではめずらしい生きものと出会える。 ドングリとカブトムシ 世田谷のがいせん上で見られるドングリは10種類ほど。 ちなみにカブトムシの幼虫は、コナラやクヌギの落ち葉でできた腐葉土の下で育ち、初夏になると成虫となって樹液を吸う。 足元にドングリが落ちていたら、夏にはその周りでカブトムシと出会えるかも。 オオタカ、オニヤンマ、ゲンジボタル これらは、国分寺がいせんに住むたくさんの生きものの中でも、特に自然の豊かさを象徴する生きものたち。 大空を舞うオオタカを見つけたら、きっとがいせんの凄さを実感できるであろう。 がいせん沿いには古墳が多い 多摩川沿いのがいせん沿いには野毛大塚古墳や上野毛稲荷塚古墳、御岳山古墳など多くの古墳が点在する。 太古の昔から川が人々の暮らしと密接に関係していたことや権力者が眠る地として眺望のいい場所が好まれたことが関係していると考えられる。 ちなみに静嘉堂文庫も元々は旧三菱財閥・岩崎けのびょうしょとして買いもとめられたところ。 問い合わせ先 みどり33推進担当部 みどり政策課  電話番号03-6432-7904 ファクシミリ03-6432-7989