1ページ 世田谷区の都市デザインを巡るVol.9 周囲との調和を目指した100mの空色煙突 砧公園のお隣で、スッとまっすぐそびえ立つ空色の煙突は、世田谷清掃工場のもの。昭和63年に行われた色彩デザイン公募で、世田谷区内外から送られてきた1,040点もの新煙突案からそのデザインが採用されました。子どもから高齢者まであらゆる世代から応募があり、カラフルなもの、顔の付いているもの、季節を感じさせるものなど、多種多様なデザインがありました。採用されたものは「砧公園の緑や世田谷美術館の建物等に調和する」「シンプルで維持管理しやすい」といった観点から選ばれました。 今では環状8号線沿いのランドマークとして多くの区民に親しまれているこの煙突が、もし違う案になってたらどんな環境になっていただろう、そんなことを考えながら眺めてみても面白いかもしれません。 2、3ページ 世田谷都市デザインフォーラム2016 5年後の「まちのデザイン」 風景づくり百話第53話 魅力的なまちのデザインについて参加者の皆さんと考える「世田谷都市デザインフォーラム2016」を開催し、38名の皆さんにご参加いただきました。前半はスポーツイベントとまちづくりに焦点を当てた講演会、後半は5年後の「まちのデザイン」について参加者の皆さんと意見交換を行いました。 講演 スポーツイベントとまちづくり 講師:三ッ谷 洋子 氏(法政大学 スポーツ健康学部教授) サンケイスポーツ記者を経て、スポーツジャーナリストとして世界各国のスポーツ事情を取材。1991年、初代Jリーグ理事に就任し、以降17年間在任。2009年より現職。 「スポーツによるまちづくり」「スポーツイベント論」「女性とスポーツなど、スポーツを取り巻く幅広いテーマについて、フィールドワークを重視した研究活動を行う。 オリンピック・パラリンピックをまちづくりの契機に スポーツイベントの際は、会場周辺のまちづくり計画を考えていくことが必要です。「2012年オリンピック・パラリンピックロンドン大会」の事例をもとにお話させていただきたいと思います。 平成21年、3年後にオリンピックを控えるロンドンへ出向き、建設途中のオリンピックパークを視察しました。ロンドンは古い街並みが大切に守られ、街路には花が飾られていて、訪れる人は素敵なまちという印象を受けます。 【イギリスのレガシー】  イギリス政府はオリンピック・パラリンピックを契機とし、よりよい遺産(レガシー)を開催都市に残すため、平成24年のロンドン大会開催にあたり、5つのレガシープランを立てました。  @イギリスを世界トップのスポーツ国家にする。  Aうらぶれたロンドン東部の再編。  B若い世代の啓発。  C持続可能なオリンピックパークの設計。  Dイギリスがクリエイティブかつ開放的で居心地   がいい国であることを世界に発信する。 【ロンドン大会後の施設の活用計画】  大会後も視野に入れた建設計画は、ロンドンへのオリンピック招致の1つのポイントでした。例えば、メーンスタジアムは8万席から2万5千席に縮小され、2万人を収容した水泳センターは、現在は保育所やカフェを併設したパブリックプラザに変わりました。 【大会から4年後の街並み】  大会1年後に再訪したオリンピックパークは、美しく整備された「クイーン・エリザベス・オリンピック・パーク」に変わりましたが、周辺の古い地域は開発から取り残されたままになっていました。 「馬事公苑」を東京大会のレガシーにするには、住民参加のまちづくりの観点で取り組まなければなりません。住民の声を反映させるため、情報を公開して問題点を洗い出し、住民の当事者意識を高めていく仕組みが必要です。また、馬事公苑の周辺には、東京農業大学の「食と農博物館」や「熱帯植物園」、野菜の直売所やカフェもあります。このような地域資源を一体として活用すべきしょう。東京オリンピック・パラリンピックは、5年後、10年後のまちづくり計画や、コミュニティー像を描いていく契機となると思います。 意見交換 5年後の世田谷の「まちのデザイン」を考えよう 後半に行った意見交換では、「5年後の世田谷の『まちのデザイン』」というテーマについて、参加者5〜6人ずつのグループに分かれ、それぞれの生活の中で感じていることや意見・アイディアを交換し合いました。 「緑豊かで歴史のある世田谷の風景を大切にしたい」「お年寄りや障がい者、子どもに優しい施設や公共交通機関が増えてほしい」といった住環境のアイディアをはじめ、「サザエさん、ウルトラマン、ゴジラといった世田谷にゆかりのあるキャラクターを地域資源として活かしたい」というアイディアなど、個性的な視点や気付きに会場は盛り上がり、時には笑いが起こることも。 中でも全グループで共通していたのは、「地域の人どうしのコミュニケーションを大切にしたい」「赤ちゃんからお年寄りまで、世代を超えた交流を生み出したい」といったコミュニケーションのアイディア。住民のパワーをまちづくりに活かしたいという声も多く、世田谷をより良くしていきたいという参加者の熱意にあふれていました。 4ページ 《世田谷区の都市デザインを巡る》 取り上げた全9スポットをご紹介  平成25年度から連載してきた「世田谷区の都市デザインを巡る」は今号で最終回。これまでに巡った区内9スポットの都市デザインを最後に振り返ってみましょう。 せたがやの隠れた風景 16 砧公園の南北に伸びる園路  世田谷美術館横の園路から北を見ると、園路と道路がゆるやかに繋がって見えます。実はこの道は、公園になる前の農村風景が広がっていた頃からあり、現在も当時とほとんど変わらない位置にあります。  砧公園は砧緑地として昭和15年に設置が決まり、時代が戦争に向かう中、造成は学徒動員によって行われました。食料確保が難しく、敷地の約60%が農場となった時代には、上野動物公園用の飼料が栽培されていたということです。戦後は東急電鉄によるゴルフ場となり、再び砧公園として開園したのは昭和41年のことです。  砧公園は桜の名所としても有名です。この春は、花見をしながら、砧公園の歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。 いつかの風景ここはどこ? 雪の積もった整備中の大きな敷地。大きくそびえ立つピラミッド型の建物の奥には、団地の建物が数棟並んでいます。昭和40年代のこの風景はどこでしょうか? 風景づくりについてのお問い合わせは 世田谷区都市整備部都市デザイン課 電話:5432ー2039 FAX:5432ー3023 バックナンバーは「世田谷区 風景づくり通信」で検索