時間を旅する風景街歩きシリーズ 風景press 08 みち かつてのせたがやの道の風景を求めて 大山道(おおやまみち) おもて面 おもて面 画像1画像2 三軒茶屋の昔と今の風景写真 世田谷区の道のなりたちと風景 村と村をつなぐ道 世田谷区一帯は、かつてその大部分が農村地帯であり、村落と村落を結ぶ道ができたといわれています。 おもて面 画像3 江戸名所図会(郷土資料館所蔵) 川沿いに発達した農道 農業には水が必要なため、川沿いに田畑がつくられました。世田谷の多くの川は北北西から南南東に向かって流れ、蛇行しています。そのため、一部の田畑に沿った農道も方位にかかわらず蛇行することとなりました。「道がわかりにくい」と言われる地区は、この農道の特徴が現在も残された場所かもしれません。 世田谷の古道(こどう) 世田谷には中世や江戸時代より利用されてきた「古道(こどう)」と呼ばれる歴史ある道があります。江戸時代の五街道のひとつ「甲州街道」「雨ごいの山詣で」でにぎわった「大山道(おおやまみち)」、甲州街道以前に江戸と府中を結んだ「瀧坂道(たきさかみち)」、大山道(おおやまみち)から分岐して登戸に向かう「登戸道(のぼりとみち)」等です。これらの道は幹線道路や生活道路のような役割を果たしました。旅人の往来により茶屋や旅籠屋等ができ、街道沿いの風景は徐々に変化していきました。現在も、緩やかに曲がる道筋や、道路わきにたたずむ道標など、当時の面影が残る場所があります。 おもて面 画像4 世田谷区内を通る古道(こどう)図 宅地開発 大正時代になると、深沢・桜新町をはじめとする宅地分譲や成城学園の移転とあわせた住宅地開発、さらに玉川全円耕地整理等の耕地整理や区画整理等により、計画的な格子状の区画による整然とした住宅地の風景がつくられてきました。 おもて面 画像5 昭和初期の成城学園の風景写真(郷土資料館所蔵) 急激な都市化 世田谷区全体の道路整備がまだ不十分な中、大正12年に発生した関東大震災による都心からの被災者の流入や、鉄道整備に伴う沿線開発により、急激な宅地化が進んでいきました。さらに第二次世界大戦で世田谷は空襲の被害が比較的少なかったため、戦後更に人口が増加しました。こうした急激な都市化に道路整備が追い付かず、現在も蛇行した狭い道が多い風景が残る地区があります。 幹線道路の計画 世田谷や隣接市町村の人口増加等により、本格的な道路計画が必要となり、1927(昭和2)年に都市計画区域全般にわたる道路網(どうろもう)計画が決定されました。その後何度か見直され新たな道路計画が決定されました。 また、1964(昭和39)年の東京オリンピック開催に向けて、会場となる駒沢公園や馬事公苑へのアクセス確保のため、玉川通り、環状七号線、世田谷通り等の整備が行われました。その後、環状八号線等も整備され、多くの車が行き交う幹線道路の風景がつくられてきました。 おもて面 画像6 昭和初期の環状七号線の様子の写真 (郷土資料館所蔵) 現在も様々な道の整備が進められ、こんにちの世田谷区の道の風景へとつながっています。 STUDY 学ぶ・深める 現在の世田谷区の道の風景 〜せたがや道づくりプランの分類から〜 1 幹線道路(環状七・八号線、国道246号等) 幅22m以上あり、都県をまたいだ移動等、比較的長距離の交通を担います。 道沿いの風景 沿道には中高層ビルや大型店舗が目立つ一方、大きく育ったフウやケヤキの街路樹の風景を楽しめる場所もあります。 おもて面 画像7 環状八号線の風景写真 2 地区幹線道路(世田谷通り、駒沢通り等) 幅15m程度。隣接する区や市へまたがった移動等、比較的中長距離の移動に使われます。 道沿いの風景 車の交通量は多いが、一部区間において植栽帯や電線地中化等の整備が進められています。名称も世田谷にちなんだものが多いです。 おもて面 画像8 世田谷駅から道梅丘駅をつなぐ自転車レーンのある区役所西通りの風景写真 3 主要生活道路(弦巻通り、城山通り等) 幅10〜13m程度、通勤・通学、買い物など地域の移動に使われます。 道沿いの風景 車の交通量は比較的少な く、沿道にはハナミズキやサルスベリ等の花が咲く街路樹もあり、散歩道として楽しい道もあります。 おもて面 画像9 サルスベリが色鮮やかな千歳通りの風景写真 4 地先(ちさき)道路 各戸に面する道路 幅6m程度。日常生活の中で最も基本となる道です。 道沿いの風景 歩道がなく道と家が接しているため、道路から生け垣や庭木をめでたり、旧道の家並みの面影が残る場所に出会うことがあります。 おもて面 画像10 庭先のみどりが豊かな奥沢の道の風景写真 ご紹介 世田谷区の新しい道の風景 小田急線上部利用施設(世田谷代田駅西側〜東北沢駅) 地下化された小田急線の世田谷代田駅から東北沢駅の区間の上部について、一部区間の整備が完了し、通路が開通するとともに、小田急電鉄による商業施設等が開設されました。 この区間は、区がつくる通路と小田急電鉄がつくる建物が、一体的な空間となるように連携し、工夫を行いながら整備されました。 鉄道をイメージしたデザインを採用するなど、土地の記憶を残す工夫が取り入れられています。 おもて面 画像11 区の通路と民間敷地が同一に整備された道の写真  おもて面 画像11キャプション 区の通路と小田急電鉄の敷地の舗装材を同一にすることで、一体感のある空間となっています。また、通路の端部を曲線にすることで、やわらかな印象となっています。 おもて面 画像12 画像13 工夫して整備された道の風景写真 おもて面 画像12 画像13キャプション 線路を模した舗装のデザインを取り入れたり、レールをイメージした部材を使用することで、風景の継承を表現しています。 こんな整備も! 北沢川緑道 もともとあった橋の欄干を再利用もしくは形を似せて作ることで、かつてあった川の風景の面影を残しています。 おもて面 画像14 北沢川緑道の風景写真 なか面 古道(こどう) 大山道(おおやまみち)をたどって、世田谷の道の風景を感じてみよう! 道は私たちの日々の営みと密接な関わりを持ち、それぞれの時代の役割を果たしながら現在へと引き継がれてきました。その中でも「古道(こどう)」には、各時代の世田谷の名残が今も数多く見られます。 その「古道(こどう)」のひとつ「大山道(おおやまみち)」を歩き、かつての世田谷の様子に思いを巡らし、歴史が偲(しの)ばれる風景を感じてみませんか。 古道(こどう)「大山道(おおやまみち)(矢倉沢往還)」 「大山道(おおやまみち)」は、江戸の赤坂を起点として、青山、渋谷、三軒茶屋、用賀を経て、二子の渡しで多摩川を渡り、溝口、長津田、厚木、そして伊勢原(大山)へ至り、更には秦野、松田を経て、矢倉沢関所に続く脇街道です。 神奈川県にある大山は、世田谷からも望むことができ、山容の美しさから、古くから霊山として信仰の対象となっていました。別名雨降山とも呼ばれ、雨ごいや五穀豊穣、商売繁盛で信仰を集める阿夫利神社や、不動明王の信仰の中心である雨降山大山寺があります。江戸時代中期以降、庶民の間で「大山詣(おおやまもうで)」がブームとなり大山道(おおやまみち)は人々でにぎわいました。 また、世田谷では、日照りの時に大山に雨ごいに出かける風習(大山講)などが各地にあり、昭和まで残っていました。 「大山道(おおやまみち)」は、区内の各地域の生活に深く関わってきた身近な道です。 なか面 画像1 池尻大橋から二子玉川まで大山道(おおやまみち)を示した地図 地図 凡例 大山道(おおやまみち) 史跡等(地図上には1から50までの史跡の場所をプロット) 「史跡等」は、玉川地域振興課地域振興・防災担当作成「大山道(おおやまみち)マップ」を基にしております。 1〜50の史跡の詳細につきましては、HP「大山道(おおやまみち)マップと史跡ガイド」内のPDFファイルをご覧ください。 下記より該当のホームページにアクセスできます。 https://www.city.setagaya.lg.jp/theme/kanko/002/003/003/d00021915.html なか面 画像2 三軒茶屋付近 世田谷通りの風景写真 なか面 画像2キャプション 世田谷通りは地区幹線道路の一つです。 なか面 画像3 環状七号線の風景写真 なか面 画像3キャプション 常盤陸橋から見える環状七号線は幹線道路の一つです。 なか面 画像4 ボロ市(いち)通りの風景写真 なか面 画像4キャプション 代官屋敷のあるボロ市通りは地先道路の一つです。 なか面 画像5 弦巻通りの風景写真 なか面 画像5キャプション お地蔵様のある交差点から伸びる弦巻通りは主要生活道路の一つです。 なか面 画像6 国道246号の風景写真 なか面 画像6キャプション 国道246号は幹線道路の一つです。二子玉川駅周辺の道沿いでは、道路両側の商業施設が緑化されたうるおいのある風景を見ることができます。 池尻の今昔 江戸時代の池尻稲荷神社周辺 この当時は、人家も少なく、田畑が目立つのどかな風景でした。池尻稲荷神社沿い南側の大山道(おおやまみち)は、現在もやや道幅が狭く、穏やかに蛇行しており、当時の面影を感じることができます。 なか面 画像7 江戸時代の池尻稲荷神社周辺の風景絵(郷土資料館所蔵) 明治時代の池尻周辺の軍事施設所在地 大山道(おおやまみち)沿い以外は静かな農村でしたが、明治になり騎兵第一大隊等が移転してきたことにより、軍事関係者の需要に合わせ、大山道(おおやまみち)沿いに商店や旅館が増え始め、活気づいていきました。 なか面 画像8 古地図「世田谷往古来今」出典 高度成長期の国道246号と玉川電鉄(池尻稲荷神社付近) 玉川電鉄の開通により、主要な交通は大山道(おおやまみち)から玉川電鉄が敷設された道路(現在の国道246号)に移りました。道路沿いは、多くの店でにぎわい、都市化が進みました。 なか面 画像9 線路の敷かれた道路の写真(郷土資料館所蔵) 三軒茶屋の今昔 明治30年代の三軒茶屋の交差点付近 江戸時代、大山詣の人々などに利用された大山道(おおやまみち)の分岐点に、三軒の茶屋があったことが、地名の起こりと言われています。写真には、その内の一軒と道標が写っています。 なか面 画像10 昔の茶屋の風景写真(郷土資料館所蔵) 昭和40年代の三軒茶屋の交差点付近 玉川電鉄開通や東京オリンピックに伴う道路の拡幅や国道246号などが整備され、その風景は大きく様変わりをしました。 なか面 画像11 電車や車の通る三軒茶屋の風景写真(せたがやWEB写真館出典) 多摩川の今昔 江戸近郊八景之内 玉川秋月 多摩川は水が澄んで魚も多く、周囲の眺めも美しいことから、昔から多くの歌などに詠まれてきました。特に行善寺から眺める景色が格別なことから、行善寺(玉川)八景と名付けて親しまれていました。 なか面 画像12 浮世絵(国立国会図書館所蔵) 大正10年代の多摩川の様子 玉川電鉄の開通により、行楽客が誘致され、当時は、鮎漁を楽しむための屋台船や料亭でにぎわっていました。 大正14年に二子橋が完成し、現在では、高層マンションや商業施設、公園がつくられ、世田谷のにぎわいの拠点の一つとなっています。 なか面 画像13 屋台船や料亭のある風景写真(郷土資料館所蔵) 発行 2021年4月(第63号) 世田谷区 都市整備政策部 都市デザイン課  〒154-8504 世田谷区世田谷4-21-27 電話 03-5432-2039 ファクシミリ 03-5432-3084 ホームページ 風景PRESS 検索 令和3年5月以降問い合わせ先 〒158-0094世田谷区玉川1-20-1 電話 03-6432-71 53 ファクシミリ 03-6432-7996