世田谷代田、駅周辺、まちづくりニュース、ナンバー十八。 世田谷区、北沢総合支所、街づくり課、れいわ三年三月発行。 このお知らせは、代田一丁目から六丁目全域に、お配りしています。 世田谷代田駅、駅前広場、が完成しました。 おだやかな日常が、歴史になるむら。富士山が見える、ダイダラボッチの駅前広場。 小田急線の地下化の後、代々木上原駅から、梅ヶ丘駅間の、線路跡地の施設整備と、その利用が進んでいます。 今年三月には、おだやかな日常が、歴史になるむら、富士山が見える、ダイダラボッチの駅前広場、をコンセ プトにした、世田谷代田駅、駅前広場が完成を迎えました。 駅前広場や、駅間通路など、区が整備した施設とともに、商業施設や複合施設、温泉旅館、保育園など、小田 急電鉄の施設も、利用を開始しており、これで世田谷代田駅周辺、かっこ、代田富士みごろ広場から、鎌倉通 りの区間、かっこ閉じ、の線路跡地が、全て利用できるようになりました。 これまで、この区間の整備に、ご理解とご協力をいただき、誠にありがとうございました。 駅前広場の、整備の経緯。 区は、地域の皆さまのご意見を、いただきながら、都や鉄道事業者と調整し、平成21年度に、駅前広場整備 計画を策定し、駅前広場の区域等を、定めました。 平成24年度には、まちづくりワークショップで、舗装やベンチ、みどり、階段、駅前の車寄せ、案内板、モニュメ ント、防災施設等について、意見交換を重ねました。 その結果、コンセプトと整備案がまとまり、設計を経て、へいせい三十年度から工事を開始し、令和3年に、富士山 が見えるダイダラボッチの駅前広場、が実現しました。 多くのご意見を賜り、ありがとうございました。 代田のダイダラボッチ。 世田谷代田駅の、改札口を出ると、西に向かって視界がひらけ、伝説の巨人、ダイダラボッチが歩いて、あた かもその重みで、くぼんだかのような、駅前広場ができました。 この伝説の巨人について、改定、世田谷の民話、かっこ、世田谷区発行、かっこ閉じ、に、代田村に巨人がの っしのっし、と題した掲載がありますので、ここで紹介します。 代田村に巨人がのっしのっし。 ここ何年か世田谷では、夏の乾きと冬のきびしい北風で、土が冷えこみ、春を待つ村里の人たちは、ことしこ そはと、神仏に、願いをかけるしかありませんでした。 だが、その祈りもききません。 春に向かって、ますます冷えた空気が、丘も森も、屋敷も畑もかこい、ふるえあがる日がつづくのです。 そんなある日、ピタリと北風がとまり、南国のような日ざしが、いっぱいに畑を、あたためはじめました。 その日は、しばらくぶりに、富士も浅間も、日光の山脈も見える、雲ひとつない日でした。 が、ふしぎなことに、男体山と浅間山の頂に、棹をかけて、大きなモメンの着物で、北風をふせいでいるのが、 だれにでも見えるのです。 風よけは着物だ。 大ダコのように空に舞っている。 いったいだれのものだ。 巨人が洗たくして、干し忘れたのだろう。 そんなばかなことがあるものかと、村人は、だれも目をうたがいながら、おそるおそるながめてみるものの、 申しあわせたように、家の戸をかたくしめてしまいました。 その宵のこと、風とともに世田谷の、代田の丘と荒地を、のっしのっしと音をたて、歩きまわる大男がいるの です。 代田村の人たちは、あまりの大音に、どこの家でも、雨戸を細めにあけると、月光のもとで、巨人が、タスキ がけでモッコをかつぎ、せっせと畑や田をつくっていくのです。 巨人は、夜なべで働きつづけ、朝になって日がさすと、もうどこかに、かくれてしまいました。 いままで代田の村は、雑木と畑の高台でしたが、一夜あけると、大きなくぼ地ができ、水も湧き、田圃ができ ていたのです。 代田村の人たちは、驚きです。巨人が一夜で、田野を拓いてくれたと。 つぎの日、代田で夜目に見た巨人は、筑波山に腰をかけ、長いキセルを、浅間山の煙で火をつけ、煙草をうま そうに、すっていました。 巨人は、黙って、代田の方に顔を向け、にっこりと。 お問い合わせ先。 世田谷区北沢総合支所、街づくり課。 住所は、一、五、五の、八、六、六、六。 世田谷区北沢、二の、八の、十八、北沢タウンホール、十一階。 電話番号は、03、5、4、7、8の、8、0、7、3。 ファックス番号は、03、5、4、7、8の、8、0、1、9。 担当は、岡崎、真子、及川です。