世田谷の地盤について 第1 世田谷の地史 現在の世田谷の地層がどのようにしてできたのかを、図1の模式地質断面図及び図2の山の手台地生成の模式図を参考に、時代の新旧にしたがって簡単に説明します。 1 三浦層群の堆積時代 いまから、約1000万年前には世田谷区を含めて、関東平野は古東京湾と呼ばれる海面下にあり、現在の関東山地や、丹沢山塊、三浦半島、房総半島などに相当する陸地から運ばれた砂がたまって、三浦層群上部の海成層が生成しました。三浦層群の堆積後、古東京湾の西部は隆起して、陸上に現われ、世田谷区もこのとき陸地になりました。 2 下部東京層の堆積時代 洪積世に入って、関東平野一帯は再び沈降して海が広くなり周辺の三浦層群の中にきざまれていた谷の中までも、海水が浸入するようになり、東京の山の手地域もそのとき海に没し、その上に河川から運ばれた土砂が下部東京層として堆積しました。 3 東京れき層の堆積時代 その後、横浜方面や武蔵野西部は再び陸地になりましたが、武蔵野東部はなお海面下にあり、西方の山地から砂れきが運ばれ、れき層が広く堆積して三角州を形成しました。これが東京れき層となります。 4 上部東京層の堆積時代 その後東京湾は盆地状に沈降し、海は再び拡大しました。 そこに上部東京層を形成する土砂が流れ込み、次第に湾岸に堆積して湾を狭め、武蔵野台地は次第に陸化しはじめました。 この終わりごろ、伊豆や富士方面に火山活動があり東京、横浜方面にも火山灰が降下して陸化していた横浜方面では下末吉ローム層となり、東京付近では浅海中に堆積して上部東京層の上に火山灰質粘土からなる渋谷粘土層を形成しました。 5 武蔵野れき層の堆積時代 武蔵野が陸化し広い海岸平野ができると、ここを流れる多摩川などの河川が浸食し、氾濫し、砂れきを運んで武蔵野れき層が堆積しました。当時の世田谷区内を考えてみると、後に述べる淀橋台、荏原台の台地の間を流れる現在の北沢川、烏山川の流域と、荏原台の西側の低い武蔵野面に古い多摩川が流れ、その河原に武蔵野れき層の砂れき層が堆積したものと思われます。 この頃箱根火山、富士火山の活動があり、関東南部一帯に火山灰を降らせ厚く堆積しました。 これが武蔵野ローム層です。ここでいったん火山活動は停止し、武蔵野ローム層の表面は風化され腐食されました。 6 立川れき層の堆積時代 東京湾の海面はさらに下がり、多摩川などの各河川の位置もほぼ現在の位置に固定して、前述したような武蔵野れき層の上に武蔵野ローム層の重なった武蔵野面と呼ばれる地域は段丘となり、多摩川沿いにはさらに低い河原ができて立川れき層が堆積しました。 後に多摩川の河原はさらに低くなり、立川れき層の上には立川ローム層が堆積して、立川段丘となり現在の地形を形成しますが、火山活動が再び起き、古富士火山、もしくは現在の富士山が関東南部一円に火山灰を降らせて、武蔵野ローム層の上にさらに立川ローム層を形成しました。 この時代は、欧州や北米で知られている最後の氷河期に相当します。 7 沖積層の堆積時代 洪積世から沖積世(約1万年前以降)に入り、海面は多少上下しながら、多摩川などの各河川はその流域に土砂を堆積し、その河口を埋めて形成しました。主に粘土、シルト、砂、れきからなる未固結で含水比、間隙比が高く、軟弱な土層となっています。 以上、地層のなりたちについて述べてきましたが、太田道灌の時代(西暦1470年頃)以来、武蔵野台地の東部、山の手台地は開発されており、旧市内といわれるところでは、崖も石垣・コンクリートで覆われ、地層の露頭を見ることはなかなか困難です。 世田谷区内において、等々力渓谷は地層の露見する数少ない代表例です。 等々力渓谷では図のように立川ロームからの基盤の地層まで一通り観察することができます。  上から立川・武蔵野ローム層、その下に厚さ1メートルの粘土層、そして2メートル厚の褐色のれき層(武蔵野れき層)があります。  このれき層はれきの大きさ、種類が多摩川の河床れきとよく似ているので、過去の多摩川河床れきと推定されます。 第2 世田谷の地形  世田谷区の地形は、大きく武蔵野台地と多摩川の低地とに区分されます。さらに、台地、低地とも地形高度や地質によって細かく区分されます。  図4は武蔵野台地の地形区分図です。武蔵野台地は、青梅(海抜200m)を扇頂とする旧多摩川の扇頂地で、西から東に向けての範囲で山の手台地部を総称して呼ばれています。台地の地形面は、下末吉面・武蔵野面・立川面の3つに大別されます。  下末吉面は地域により、淀橋台・荏原台と呼ばれ、こちらはいずれも海抜30〜60mの高さを持ち、周囲の武蔵野面より高くなっています。  武蔵野面は、ローム層の下に武蔵野れき層または山の手れき層と呼ばれる段丘れき層が分布する部分で、下末吉面より一段低い海抜30〜50mの平坦な台地面です。武蔵野面は、古い順に豊島・目黒台の面と本郷台の面とに分類されます。  立川面は、狛江から上流の多摩川沿岸に武蔵野面より15m前後の明瞭な崖をつくって帯状に分布する部分をいい、立川台と呼ばれています。  図5の世田谷区の地形区分図で、世田谷区の地形を説明します。  これによると、台地は南へ行くと多摩川の低地で切れているほか、地盤高の違いによって世田谷区も3つに分類されています。最も高い台地で世田谷区のほぼ中央から南東部にかけて傾斜していて分布している部分を荏原台といい、北部(世田谷区松原・大原)あたりに分布している部分は淀橋台といわれ、海抜40〜50mとなっています。淀橋台・荏原台は下末吉面に属し、一般的な地質構成は図7に示すように、関東ローム層が、上部東京層に属する渋谷粘土層を直接覆っているのが特徴となっています。  この下末吉面より一段低い高度30〜50mの平坦な台地面は武蔵野面と呼ばれ、世田谷区の西部や南部の多摩川の低地との境付近、及び中〜北部に東西〜南東方向に分布し、 豊島台と呼ばれています。最も低い台地面は立川面で、南西部の多摩川沿いにわずかに分布しており、立川台とも呼ばれ、台地面の高度は多摩川の低地より1〜2m程度高くなっています。これら各台地面の高度は、一般に南東方向(烏山方面から奥沢方面)に傾斜しており、世田谷区の北西部で高く、南東方向に低くなっています。  低地は台地の中でみられる河谷底と、多摩川の堆積作用による氾濫平野・自然堤防に分類されます。武蔵野扇状地の末端には、いくつかの湧水地があり池をつくっています。そこから流れ出る川の河谷底は台地をきざむ烏山川、矢沢川、呑川、仙川などとなり河谷の谷底にある平坦な面を示している地形で、河谷の浸食、堆積作用により形成されたものです。世田谷区の南部および南西部の多摩川沿いにみられる氾濫平野は、多摩川や野川の堆積作用により形成されたもので、地形面の高度は上流部で約20m、下流部で約10mとなっています。また、この氾濫平野の中には旧河道沿いに形成された高さ1m前後の自然堤防がみられます。  これらの低地と台地、および台地域における荏原台と豊島台とは斜面で接しています。斜面の高さはほぼ15m以下ですが、多摩川沿いの沖積低地と台地との境は、高さ20m前後の急崖となっています。 第3 世田谷の地層 現在の世田谷区の地層を時代の新旧にしたがって整理すると、表2のようになります。 これらの各層について、下位のものよりその地層や分布状況について説明します。 1 三浦層群 本層は主として青灰色の泥岩およびよく締まった細粒砂よりなり、N値(注釈)はほとんど50以上を示します。 本層は世田谷区の地下に広く分布しており、図11−1・11−2の地層断面図にみられるように、区北西部では地下深くに伏在しており、断面図に現れていません。 南北方向の断面図にみられるように、本層上面には、砧5丁目付近から桜丘3丁目を経て、中町3丁目付近に至る谷部がみられ、この北および東側は20メートル前後のがけとなっています。 これは過去における多摩川の浸食によって形成したものと考えられます。 また、区北西部では、北に向かい徐々に深くなっているものと考えられます。 (注釈)N値とは、重さ63.5キログラムのハンマーを高さから75センチメートルから自由落下させ、標準貫入用サンプラーを30センチメートル打ち込むのに要する打撃回数をいいます。 N値は土の硬軟さの目安とはなりますが、土の性状とは直接的に対応しないことが多く、砂質土と粘性層ではN値による地耐力等の比較はできません。 2 下部東京層 本層は区南部においてほとんど分布しておらず、北西部において三浦層群を覆って分布しています。 主として暗灰から暗青緑色を呈する締まった細砂から中砂よりなり、所々に小れきを混入するほか、れき層をはさむことがあります。 N値は30から50以上を示します。 3 東京れき層 区北東部において、下部東京層もしくは三浦層群の上位に異なる層厚1から3メートルのれき層が、本層に相当するものと考えられます。 径20から50ミリメートルのれきよりなり、砂を挟むことがあります。 本層は上部東京層と下部東京層の間に挟まれ、関東ローム層のすぐ下には存在しません。 4 上部東京層 台地域のほとんどの地域において、武蔵野れき層あるいはローム質粘土層の下に分布しています。本層は青灰色から黄褐色の粘土、シルトおよび細砂よりなり、腐植物や貝殻片を混入しています。粘土やシルトのN値は10以上のものが多く、また細砂は15から40までを示します。 層厚は10メートル以下ですが、前述の三浦層群の谷部においては、N値5前後の軟弱な粘土・シルト層が分布しており、厚いところでは20メートルに達しています。 5 武蔵野れき層 武蔵野れき層は豊島台に相当する台地の地下に分布しています。 図7の武蔵野台地の地盤断面図を見ると、ローム質粘土層の淀橋台・荏原台に相当する台地(下末吉面)の地下には分布していません。 本層は径100ミリメートル以下のれきによりなり、上面は平坦で北西から南東方向にゆるく傾斜しています。 6 ローム質粘土層 本層は立川台を除く台地部のほとんどの地域において、ロームの下に分布しており、三浦層群、東京層、武蔵野れき層を覆っています。 茶灰から緑灰色あるいは乳灰色の粘性土で、N値は10以下示しますが、一般には5前後のものが多く、層厚は8メートル以下で豊島台に比べ荏原台でやや厚くなっています。 本層は渋谷粘土層、池袋粘土層、板橋粘土層等と呼ばれる火山灰質粘土層を一括したもので、渋谷粘土層は下末吉ローム層と対比されます。 7 武蔵野ローム・立川ローム(関東ローム) 豊島台・荏原台には武蔵野ローム層と立川ローム層が分布しますが、その区分は難しく、褐色から茶褐色の火山灰からなり、ところにより腐植物を混入します。 層厚は両者合わせて10メートル以下でN値は10以下を示し、一般には5前後のものが多く、また野川の右岸には立川台があり、立川れき層の上位に約4メートルの立川ローム層が分布するほか、その下流の低地域においても沖積層におおわれて本層が分布しています。 8 立川れき層 野川右岸の立川台地において、地表面下約4メートルに層厚約4メートルの立川れき層が分布します。 径2から50ミリメートルまでのれきによりなり、N値は50以上の値を示します。 また下流の低地域においても沖積層の下位に本層が分布しています。 9 河谷底の沖積層 台地を刻む中小河川の河谷底に分布し、腐植物粘土、シルト・ローム質粘土層などよりなります。 N値は0から2前後と小さい値を示します。層厚は10メートル以下で、河谷の上流部で5から10メートルと厚いが、中・下流部では5メートル以下となっています。 10 沖積低地の沖積層 本層はN値0から3の軟弱な粘土、シルト、腐埴土などよりなり、厚さは多摩川沿いの沖積低地では、喜多見および玉堤付近で10から15メートルと最も厚く、玉川2丁目から4丁目付近で5から10メートル、他の地域では5メートル以下となっています。 また、宇奈根1丁目付近および玉川1丁目付近では粘性土はみられず、砂およびN値20から50を示す数メートルの砂礫層が分布しています。 第4 世田谷の地下水 地下水は、日常生活や建設事業の計画、構造物の設計において重要な要素の一つです。 ここでは、図8を参考に世田谷区内の地下水の状況について説明します。 世田谷区の沖積台地における地下水は、主として関東ローム層を帯水層として賦存しています。 また、深度が深くなると武蔵野れき層、立川れき層の中にも賦存しています。 さらに、東京層の中の砂層の部分や三浦層群の中の砂層の部分も帯水層となっています。 これらの地下水の賦存状況は、地質状況と密接な関係があり、関東ローム層の中の地下水は不圧地下水となっていますが、深度が増すに従って特に三浦層群の中の地下水は被圧地下水となっています。 武蔵野台地における関東ローム層の地下水位は、地表面下1から4メートルに地下水面を形成しているところが多くなっています。 このような地下水位の浅いところでは、下位にローム質粘土層が分布しています。武蔵野れき層における地下水位は、地表面下5から10メートルに見られます。 淀橋台や荏原台では、関東ローム層やその下位にある東京層の砂層に地下水面が形成され、東京層の砂層の地下水は、被圧されていることが多く、武蔵野台地の地下水面は一般に武蔵野台地の地形と類似しており、全体的に見れば北西から南東に向かって順次低下しています。 立川段丘における地下水の主要な帯水層は、立川れき層です。世田谷区では武蔵野台地と立川段丘の比高差があり、地下水が不連続になっています。地下水位は立川段丘では地表面下5メートル以浅のところに多く見られます。 地下水面は武蔵野台地の地下水と同様に地形と類似しており、北西から南東に向かって順次低下しています。 多摩川に沿った沖積低地における地下水は、地表面下1から2メートルのところに見られます。 武蔵野台地を刻む中小河川沿いの河谷底では、河川によって運搬堆積された沖積層が分布し、この地層中に地下水が賦存しています。 この地域は地下水谷となっており、台地から低地へ地下水が流動して集まるような形になっています。 また、多摩川に沿った沖積低地の地下水は、多摩川の河川水との連続性が考えられます。 第5 世田谷の活断層 現在分かっている範囲では、区内に活断層はありません。 しかし、世田谷区の地層をみますと、数万年、数十万年、数百万年にわたって土砂が堆積し、また、市街地を形成するために、地表面を切ったり、盛ったりして元の地盤がはっきりしないなどのため、活断層があったとしても発見することが困難となっています。 東京都内の活断層分布をみますと、区部に活断層はありませんが、これはないのではなく、むしろ、分からないということです。 第6 世田谷の液状化 東京都の調査によりますと、区内においては、液状化の可能性が大きいと予想されている地域はありませんが、東京都の調査は大きな区画(500メートルメッシュ)で考えられており、もう少し細かく調査をしないとはっきりしない部分があります。 建物の安全対策として、まず木造建物については基礎をコンクリート構造にすることです。 基礎の強さを増して、不同沈下等に対処します。 次に液状化の恐れがある地盤では、杭打ち等により建物の重量を液状化する地盤より下の地盤に伝えるようにする等の配慮が必要です。 そして木造建物等以外の構造計画を要する建物については、特に建物を建てる敷地ごとに地盤調査をし、その調査結果に基づいて、基礎の設計を行うようにして下さい。 いずれにしても、建物等を建てる時は、その敷地の地盤等をよく調査し、その地盤にあった基礎は何がよいのか十分に検討する必要があります。 第7 基礎構造の選択 世田谷区の地盤は、以上述べてきましたように複雑に入り組んでおり、基礎を選定する場合は、「強さに対する安全性」と「変形(沈下)に対する対処」について検討が必要になります。 建物の基礎構造を選択する場合には、世田谷の地盤の概略を念頭に置いて地盤調査をおこなうとともに次の点に留意して下さい。 1 安全に荷重を支えること 地盤の支持力又は杭の支持力を十分な安全を有するものにします。 2 沈下量が許容限度以下であること 建物が一様に沈下することは、その量が特に大きい場合を除けばたいした支障がないわけですが、最大沈下量の何割かは必ず不同沈下量となってあらわれます。 これによって建物の一部は亀裂を生じ、雨もりによる耐久性の低下をきたし、場合によっては傾斜等のために建物の使用を不可能にすることもあります。 不同沈下を避けるため異種の基礎構造を同一の建物に混用しないことが肝要です。 3 耐久性と安全性のあること 耐久性(木材や鋼材を直接地盤中に使用する場合)は、特に考慮が必要です。 4 先を見通した近隣への対策を 基礎工法によっては、近隣建物に支障を与えたり、または受けたりすることがあります。 既存の建物にたいしては比較的具体性があるので容易ですが、将来の工事の予想についてはきわめて困難な場合が多いので、できるだけ先を見通した近隣への対策が必要です。 5 施工が容易で確実性があるもの 以上の事項に留意して、地盤の種類によって、直接基礎、杭基礎等の適切な基礎構造を選択して下さい。 第8 地質断面図 基礎構造の選択等に際して、世田谷区の地質断面図を載せておきましたので参考にして下さい。 『世田谷の地盤について』の冊子に関してのお問い合わせは、以下のところまで。 都市整備政策部 建築審査課 構造審査担当 電話 03-6432-7169