第1章 世田谷区のあらまし 第1章では、世田谷区の地勢、人口推移、市街地の変遷などのデータをまとめています。区を取り巻く現況や歴史を捉えることは、街づくりを進めるにあたって大切な一歩となります。 1. 区の概況 4ページ 2. 人口 6ページ 3. 地価の状況 11ページ 4. 区役所周辺の市街地の変遷 12ページ 1. 区の概況 (1) 位置・面積 世田谷区は、東京23区中の南西部に位置し、都心(東京駅)まで約9〜18キロメートル、副都心(新宿・渋谷)まで約1〜10キロメートルの距離にあります(下図)。 東は目黒区・渋谷区、北は杉並区・三鷹市、西は狛江市・調布市、南は大田区とそれぞれ接し、さらに多摩川をはさんで神奈川県川崎市と向かい合っています。 世田谷区の形は、東西約9キロメートル・南北約8キロメートルのほぼ平行四辺形であり、面積は約58.05平方キロメートルです。これは、大田区に次ぐ広さで、東京都区部総面積の約1割を占めています。 (2) 地域の区分 世田谷区では、区役所(本庁)とともに、総合支所と出張所がそれぞれ役割を分担し、連携し合いながら、区民の立場に立った行政サービスの提供やまちづくりを進めています。 総合支所には世田谷地域、北沢地域、玉川地域、砧地域、烏山地域の5つがあり、区内61町、277丁目を分担して管轄しています。(右図) (3) 交通 区内には、様々な道路や鉄道が通っています。 鉄道については、私鉄3社8線が走っています。京王電鉄(京王線、井の頭線)、小田急電鉄(小田原線)、東急電鉄(東横線、田園都市線、大井町線、目黒線、世田谷線)があり、主な駅は広域生活・文化拠点に位置付けられる下北沢駅や三軒茶屋駅、二子玉川駅があります。 道路については、幹線道路として、国道20号(甲州街道)や、国道246号(玉川通り)、都道3号(世田谷通り)、都道311号(環状八号線)、都道312号(目黒通り)、都道318号(環状七号線)があるほか、中央自動車道や東名高速道路、首都高速道路などの高速道路が整備されています。 (4) 地勢 世田谷区は、多くの部分を占める武蔵野台地と、その南西側を流れる多摩川沿いの低地から成り立っています。武蔵野台地の東南部は、多摩川によって形成された河岸段丘で、標高の低い立川面と、高い武蔵野面の二段が形成されています。このうち、区内の台地はほとんどが武蔵野面で、南西の端には多摩川に向かって急な段丘崖があります。 台地部の標高は、北西側で40〜50メートル、南東側で25〜40メートルほどで、台地全体が南東に向かって緩やかに傾斜しています。 区内を流れる河川には、南西部を流れる一級河川の多摩川や、仙川、野川、谷沢川などがあります。これらの河川は区内を枝分かれ状に流れ、台地を浸食しながら丘や谷の起伏を形成してきました。こうしてできた代表的な地形が国分寺崖線です。国分寺崖線は約10万年前にわたる武蔵野台地の浸食によりできた崖地であり、多摩川と野川に沿って10〜20メートルの高さを有するその斜面は、区内で唯一の帯状の緑地帯となっています。 2.   人口 (1) 人口・世帯数の増加 ●ファミリー世帯が増加 2020年国勢調査による世田谷区の人口は943,664人で、2015年比で4.5%増加しました。1980年からの推移をみると、1995年まではほぼ横ばいで推移していましたが、2000年以降は増加傾向が続いています。 2020年の世帯数は492,065世帯で、2015年比で6.1%増加しました。1980年からの推移をみると、一貫して増加傾向を示しています。 2020年の1世帯あたりの人口は1.92人で、2015年比で0.03人減少しました。1980年からの推移をみると、一貫して減少が続いています。一方で世帯数は増加していることを踏まえると、区内では世帯の小規模化が進んでいるといえます。 年齢(三区分)別人口の推移をみると、2020年の15歳未満は108,940人、l5〜64歳は638,629人、65歳以上は190,042人となっています。1980年からの推移をみると、l5歳未満は2000年までは減少していましたが、2005年からは増加に転じています。l5〜64歳はほぼ横ばいで推移し、2020年には増加に転じました。なお、65歳以上は一貢して増加しています。 (2) 昼夜閻人口の状況 ●昼閻人口は13.9万人の流出超過 2020年の世田谷区の夜間人口は94.4万人で、23区中第1位となっています。また、昼間人口は80.5万人で、第4位となっています。昼夜間の人口を比べると、昼間人口のほうが夜間人口よりも13.9万人少なく、住宅都市としての特徴が表れています。同様の傾向は、杉並区、大田区、江戸川区、練馬区、足立区といった、23区の外縁部に位置する区でみられます。これに対し、都心3区(港区、中央区、千代田区)や副都心を有する新宿区では、夜間人口よりも昼間人口のほうが多く、オフィスや店舗などが集まる中心業務地区としての特徴が表れています。 (3) 年齢別の人口構成 ●人口の高齢化が進んでいる 人口の年齢(三区分)別割合の推移をみると(左下)、2020年における割合は、年少(l5歳未満)人口がll.6%、生産年齢(l5〜64歳)人口が68.l%、老年(65歳以上)人口が20.3%となっており、5人に1人が高齢者です。また、1985年からの推移をみると、老年人口(65歳以上)は総数・割合ともに2015年まで一貫して増加していましたが、2015年から2020年にかけては、人口は0.5万人増加したものの、割合は1.3ポイント減少しました。 また、5歳階級別人口をみると(右下)、最も人口の多い年齢層は2015年には男性・女性ともに40〜44歳でしたが、2020年にはいずれも45〜49歳となるなど、人ロピラミッドの重心が総じて上方向に移動しています。 (4) 人口分布の状況 ●ほぼ全域において人口が増加。総数は区東部で多く東高西低の傾向が一層強まる 2015年から2020年にかけて、区内各地で人口が増加しています。277ある町丁目のうち、155箇所で100人以上の人口増加がみられました。 一方で、100人以上の減少があった町丁目はわずか9箇所でした。その内訳は、八幡山、祖師谷、大蔵、新町などの一部で、分布に明瞭な傾向はなく、大規模な団地の建て替えによるものと考えられます。 また、100人以上の人口の増加や減少がなく、この5年間で大きな変動がなかった町丁目は、上祖師谷、成城、喜多見といった、区の西縁部で多くみられます。 区の人口は、従来は東部に偏りがありましたが、この5年間でこうした傾向がさらに強まりました。 (5) 年少人口分布の現況と推移 ●全年齢人口よりも減少傾向が顕著な地域あり。総数は区中央部に多い傾向 2015年から2020年にかけて区内の町丁目別年少(15歳未満)人口は、全年齢人口と同様に、区内でほぼ一様に増加がみられました。一方で、上祖師谷、成城、喜多見といった区西縁部の地区では、総人口は大きな変化がなかったのに対し、年少人口は減少傾向がみられました。 全年齢人口は区東部の町丁目で多いのに対し、年少人口は世田谷、弦巻、桜丘といった、区中央部で多い傾向にあります。このことから、東部と中央部では、同じ人口増加傾向がある町丁目でも、その居住世帯や流入世帯の特徴が異なることがうかがえます。 (6) 高齢者人口分布の状況と推移 ●区東部で居住者の世代交代が進行か 2015年から2020年にかけての区内の町丁目別高齢者(65歳以上)人口は、増減が地域差として明瞭に表れています。増加した町丁目は、北烏山、南烏山、成城、玉川などの比較的鉄道の利便性が高いエリアや、世田谷、弦巻、用賀などの区中央部に多くみられます。一方で、減少した町丁目は、北沢、太子堂、三軒茶屋など、都心に近い区東部に多くみられます。 (3)年齢別の人口構成(7ページ)で示したとおり、世田谷区では高齢化が進んでいます。区東部に限らず、元々高齢者が多い場所で自然減が進行していることがうかがえますが、鉄道駅などの公共交通の利便性が高いエリアにおいては高齢者が増えているところもあり、移住による社会増がおこっているとも読み取れます。 3.   地価の状況 ●区内各地で地価が上昇。特に東部での上昇幅が大きく、都心回帰の動きがうかがえる 区内の平均地価は、2016年(1平方メートル当たり545千円)から2021年(1平方メートル当たり634千円)にかけて高騰しており、2012年以降は連続して上昇が続いています。2021年について地域別にみると、玉川南部(1平方メートル当たり759千円)が最も高く、これに世田谷東部(1平方メートル当たり731千円)、北沢東部(1平方メートル当たり730千円)が続きます。2016年から2021年にかけてどの地域でも地価が上昇していることに加え、特に都心寄りの地域での伸びが著しいことから、人口の都心回帰が進んでいることがうかがえます。 なお、年別の推移では、それまで続いていた世田谷区及び23区の住宅地地価の上昇傾向が2020年に弱まっていますが、これには新型コロナウィルスの感染拡大が影響しているものと考えられます。 4. 区役所周辺の市街地の変遷 (1) 市街地の変遷 ●市街地形成と防災等の問題 現在の区役所周辺は、1889(明治 22)年に発足した世田ヶ谷村の一部で、1923(大正 12)年に世田ヶ谷町となった後、1932(昭和 7)年に東京市に編入され、世田谷区となりました。 世田ヶ谷村の頃から役場が置かれたこの地域は、明治時代前半は田園風景が広がっていましたが、1925(大正14)年に世田谷線が開通すると次第に宅地化されるようになりました。なお、玉川電車の砧線がその前年に開通しています。 大正時代に起きた関東大震災以降は都心からの人口流入により戦後の混乱期、そして高度成長期には地方からの人口流入により宅地化に一層の拍車がかかり、耕地整理や区画整理による宅地分譲が進むとともに、郊外住宅開発が本格化し、公的住宅についても昭和30年代から40年代にかけて建設が活発化していきました。こうした背景の中、都市基盤が未整備のまま現在の密集した市街地が形成されましたが、防災上、住環境上大きな課題を抱えるようになりました。 特に、木造住宅密集地域があることから、延焼遮断帯となる広幅員道路の整備や、道路整備にあわせた沿道建築物の不燃化が遅れています。また、災害時の消防活動困難区域を解消するため、若林三丁目を中心に幅員6メートル以上の道路を整備する必要があります。一方で、広域避難場所外周市街地では、避難場所としての安全性を早期に高める必要があるため、不燃化建替えを積極的に推進していくことが求められます。 ●事業導入 区役所周辺地域では、都市基盤による避難地や延焼遮断帯の確保、これと合わせて沿道建物や密集地域の建物の不燃化・耐震化等を進める必要があることから、区役所周辺地区街づくり計画をはじめとして、さまざまな整備計画が策定されています。 これまでにもいくつかの事業が行われてきましたが、例えば、密集住宅市街地整備促進事業(国)と東京都木造住宅密集地域整備促進事業(都)として、道路が狭く木造老朽建築物が密集している地域に耐火性の高い建物への建替え促進と道路整備や空地の確保を図り、安全で災害に強い街づくりを進めてきました。 更に、防災上必要な避難路や避難場所の周辺では、耐火建築物を促進することにより、震災や火災により生じる輻射熱を避けて安全に避難できるよう建築物の不燃化を進める都市防災不燃化促進事業を行ってきました。また、延焼遮断帯に囲まれた防災生活圏の区域内では、総合的に防災街づくりを推進する防災生活圏促進事業として、建物の不燃化や若林公園や烏山川緑道の整備を進めてきました。近年では、若林もみじ公園や若林きんもくせい公園が整備されています。 (2) 区役所本庁の歴史 ●公園・道路の整備を経て住宅の街へ 世田谷区は1932(昭和7)年に荏原郡世田ヶ谷町、駒沢町、松沢村、玉川村の2町2村が合併して発足し、これに1936(昭和11)年に千歳村と砧村が加わり、現在の行政区域となりました。初代庁舎には現在の若林5丁目にあった旧世田谷ヶ町役場が使用されましたが、手狭であったことから、バラックを増築して対応したことが記録されています。この建物は、後に青年学校として使用されました。 1939(昭和14)年には、2代目庁舎が竣工しました。このとき、庁舎は若林5丁目から、現在の庁舎所在地である世田谷1丁目に移転しました。防火壁を有する木造2階建てで、書庫には鉄筋コンクリート造も用いられていましたが、1945(昭和20)年5月の大規模な空襲により焼失してしまい、この後しばらくは区内3か所に分散して執務が行われました。 1948(昭和23)年に3代目庁舎が竣工しました。2代目と同じく木造2階建てでしたが、資金不足により寄付を募集するなど、戦後の厳しい経済環境下で建てられたこともあり、その使用は10年程度にとどまりました。 1960(昭和35)年に4代目庁舎(第1庁舎)が竣工しました。当時は高度経済成長期の最中で、区の人口は急増していました。終戦時の1945(昭和20)年には35万人程度だった人口は、1960(昭和35)年には65万人ほどまで増えていたのです。これを受けて、住民サービスを行う区役所の規模もこれまでに比べて大規模化し、鉄筋コンクリート造の地上5階地下1階建ての大規模な庁舎となりました。 庁舎を設計したのは、東京文化会館(台東区上野公園)、東京都美術館(同)などを手掛けた前川國男氏で、モダニズム建築らしいシンプルで機能的な様式をとりつつも、吹き抜けに大沢昌助氏がデザインしたレリーフが設置されるなど、美的要素も多分に取り入れられた建物となりました。 その後、1967(昭和42)年には第2庁舎が竣工しました。区の人口は1970年代前半、ちょうど高度経済成長が終わる頃に80万人前後で停滞しはじめますが、1990年代中頃を底に増加に転じます。こうした状況下で、1992(平成4)年には第3庁舎が竣工し、現在にいたります。 (3) 区役所本庁舎の建替え ●区役所の整備 区では、長らく区民や職員に親しまれてきた本庁舎(1960(昭和35)年完成)および区民会館(1959(昭和34)年完成)が、いずれも竣工から60年以上が経過し、災害対策や区民サービス、環境対応面などで様々な課題を抱えていたことから、この間、本庁舎等整備の検討を進めてきました。 平成28年度には本庁舎等整備の基本的な方針となる「世田谷区本庁舎等整備基本構想」を策定し、その後、基本構想に基づき設計者選定プロポーザルを実施しました。その結果、設計者として選定された最優秀者からの提案を基本とし、本庁舎については改築、区民会館ホールについては保存・改修することとし、基本設計及び実施設計を取りまとめてきました。 工事段階では、現在の敷地内で庁舎機能を維持しながら工事を行う必要があることから、工事を3期に分けて実施します。令和3年度より1期工事に着手しており、令和9年度中の全体竣工に向けて、現在、工事を進めています。 世田谷区本庁舎等整備では、下に示す5つの基本的方針を定めています。基本的方針の一つである「1)区民自治と協働・交流の拠点としての庁舎」においては、区民に親しまれる庁舎を目指すとともに、現庁舎の空間的な特質を継承するとしています。 【本庁舎等整備の基本方針】 1)区民自治と協働・交流の拠点としての庁舎 2)区民の安全・安心を支える防災拠点となる庁舎 3)すべての人に分かりやすく、利用しやすい、人にやさしい庁舎 4)機能的・効率的で柔軟性の高い庁舎 5)環境と調和し環境負荷の少ない持続可能な庁舎