東京都指定めいしょう等々力けいこく とどろきけいこくは、武蔵野台地の南端を谷沢川が浸食してできた、延長約1キロメートルの東京23区内唯一の渓谷です。 東急大井町線の等々力駅から南に歩いて3分ほどの、谷沢川に架かるゴルフ橋脇の階段を下りると、下流に向かって谷沢川沿いに散策路があります。 夏でもひんやりとした渓谷内はケヤキ、シラカシ、コナラ、ヤマザクラなどの樹木が鬱蒼と茂り、川のせせらぎや野鳥の声が聞こえ、渓谷のいたる所から水が湧き出ています。 散策路を下流に進み、環状8号線にかかる玉沢橋をくぐると、古墳時代末期から奈良時代の頃のおうけつぼである等々力渓谷3号おうけつがあります。さらに、渓谷南端には、桜のめいしょうとして知られる等々力不動尊があります。不動尊から渓谷に下りた所に不動の滝があり、古来から今日まで滝に打たれて行をする人々が各地から訪れています。 等々力の地名は、渓谷内の不動の滝の音が響き渡りとどろいたところからついた、との言い伝えがあります。 等々力渓谷へのアクセス 電車、東急大井町線等々力駅下車、ゴルフ橋渓谷入口まで徒歩約3分。 バス、等11、等12、東98、渋82、等々力バス停下車、ゴルフ橋渓谷入口まで徒歩約5分。園01、等々力駅入口バス停下車、玉沢橋渓谷入口まで徒歩1分。等01タマリバーバス、等々力商店街バス停下車、ゴルフ橋渓谷入口まで徒歩1分、等々力不動尊バス停下車、等々力不動尊まで徒歩すぐ。 所在地 等々力一丁目22番先 等々力二丁目32、38番先 中町一丁目1番先 野毛一丁目15番から17番先ほか 公園区域面積、30,210.44平方メートル 日本庭園区域の開園時間、3月から10月までは9時から17時、11月から2月までは9時から16時30分。 年末年始休園、12月29日から1月3日まで。 大雨のときは急に川の水かさが増します。川に近づかないようにしてください。 夜間照明のないところがあります。暗くなってからは立ち入らないようにしてください。 歴史 等々力渓谷を含む地域一帯は、昭和8年に多摩川風致地区に指定されました。東京府の緑地計画の一部として、護岸と川沿いの遊歩道の整備事業に着手し、昭和11年に竣工しました。昭和32年に風致公園として都市計画決定され、東京都が昭和36年から39年にかけて整備をしました。そして、渓谷沿いの一部を中心に昭和49年に世田谷区立等々力渓谷公園として開園しました。その後、計画区域内の用地取得と整備を進め、現在は3ヘクタールを越える区域が公園となっています。 また、等々力不動尊の敷地を含む、渓谷一帯の約3.5ヘクタールの区域は、平成11年3月に東京都文化財保護条例によってめいしょうの文化財指定を受けました。 渓谷の水、湧水 等々力渓谷を構成する谷沢川は、現在の上用賀六丁目付近を水源とし、用賀、中町を貫流します。そして、等々力駅付近から渓谷の様相を呈しはじめ、渓谷内で等々力不動尊の滝も合わさり、その後、一部が六郷用水へ、残りは多摩川へと流れていきます。 この谷沢川には平成6年より仙川浄化施設からの導水が始まり、水質の改善がおこなわれました。 また、等々力渓谷には約30箇所以上の湧水が発生し、一部には窪地に集まって湿地を形成しています。谷沢川の水質は、ゴルフ橋から下流に行くにしたがって改善されていることから、この谷沢川に流れ込む湧水が、水質や水量の維持に大きく寄与していることがうかがえます。 植生 等々力渓谷の植生は、武蔵野台地のがいせんの潜在自然植生と考えられるシラカシ群集ケヤキ亜群集であり、大径木を主体とした樹林地が渓谷の斜面に沿って連続しています。 がいせんの斜面部分には、主としてシラカシやケヤキ、ムクノキが、斜面地上部や台地面にはイヌシデやコナラが多く分布しています。また、湧水が流下する緩斜面にはセキショウ草地が見られ、湧水が留まる場所には湿性植物が点在しています。 地形・地質 等々力渓谷は、武蔵野台地の南端に位置しており、この台地面を浸食して形成された開析谷です。渓谷沿いには武蔵野台地を特徴づける地層断面がよく観察できる箇所があります。地質の分布状況は、下から、台地の基盤であるかずさそうぐんのたかつごそう、その上に堆積する渋谷粘土層、武蔵野れき層、武蔵野粘土層、東京軽石層、ローム層の順にほぼ水平に堆積しています。また、渋谷粘土層と武蔵野れき層の間からは、湧水が多く見られます。 ゴルフ橋 大井町線の等々力駅近くの等々力渓谷の入口にある橋は、ゴルフ橋と呼ばれています。これは、昭和の初めに旧下野毛、等々力村に東急電鉄が開発した約8ヘクタールの広大なゴルフ場があったことに由来しています。現在の橋は昭和36年に架けられたアーチ鋼橋で、それ以前は木橋でした。 等々力不動尊 等々力不動尊はりょうごうざんみょうおういんといい、しんごんしゅうちゅうこうの、こうきょう大師が開いた等々力3丁目にある満願寺の別院です。 不動尊から渓谷に下りた所に不動の滝があり、古来から今日まで滝に打たれて行をする人々が各地から訪れています。等々力の地名は、この渓谷内の不動の滝の音が響き渡りとどろいたところからついた、との言い伝えがあります。   東京都指定史跡野毛大塚古墳 等々力渓谷近くの玉川野毛町公園内にある野毛大塚古墳は、現在の大田区から世田谷区にかけて展開するえばらだい古墳群のひとつ、野毛古墳群の中心となる5世紀初頭に築かれた大形の帆立貝形古墳です。帆立貝形古墳とは、前方後円墳の前方部が小さくなり、上から見たときに帆立貝のような形に見える古墳を言います。 古墳の規模は、しゅうごうを含め全長104メートル、ふんきゅうなが82メートル、後円部直径68メートル、高さ10メートル、前方部幅28メートルで、前方部の脇に造出部がひとつあります。ふんきゅう上からは、4基の埋葬施設が確認され、多くの武具等が発見されました。前方部と造出部は削られていましたが、現在では復元整備されています。古墳の主は、出土した副葬品などから、当初の政治の頂点であったきない王権と直接的な交渉があったことがうかがえ、現在の東京都と神奈川県の川崎市、横浜市の一部である南武蔵の小豪族たちの上に立つだいしゅちょうであったと考えられています。 等々力渓谷とその周辺には、等々力渓谷3号おおけつ、この野毛大塚古墳、みたけやま古墳、きつねづか古墳などの遺跡がこくぶんじがいせんぞいに分布しています。 東京都指定史跡等々力渓谷3号おうけつ 渓谷のさがん崖面では、古墳時代末期から奈良時代にかけて構築されたおうけつぼが6基以上発見されています。中でも昭和48年に発見された三号おうけつは、典型的なおうけつぼの形態を留めていて、埋葬人骨や副埋葬品も良好であったことから保存措置が講じられました。 おうけつぼは奥行きが13メートルで、内部はとっくりを半分に割ったような形をしています。遺体の安置場所であるげんしつとせんどうからなるぼしつと、これに至るぼどうに分かれており、この間を凝灰岩で組まれたせんもんで区画しています。おうけつぼからは、すえきのひらべ、よこべ、とうす、金銅製じかんなどが出土しました。本おうけつ群の被葬者たちは、いずれも副葬品が豊富なことから、後の武蔵国えばら群の等々力周辺を治めていた有力者であると推定されています。 日本庭園・書院 等々力渓谷谷沢川の下流部、等々力不動尊の対岸に、昭和36年に建築された書院建物とそれをとりまく日本庭園があります。池、流れ、石畳の階段園路などがある庭は、昭和48年に著名な造園家により作庭されたもので、当時のままの姿で保存されています。園内には陽当たりのよい芝生広場があり、併せて、渓谷散歩の休憩にご利用いただけます。 また、庭園周辺には、竹林やみかん畑があり、子どもたちによるたけのこ掘り体験やみかん狩り体験が、地域の等々力渓谷保存会によって行われています。 日本庭園・書院は夜間、年末年始は休園です。 公園のマップが掲載されています。マップについての詳細は玉川公園管理事務所電話、03−3704−4972ファクシミリ、03−5706−1361へお問い合わせください。 問い合わせ先 世田谷区みどりとみず政策担当部公園緑地課玉川公園管理事務所 電話、03−3704−4972 ファクシミリ、03−5706−1361 編集協力 等々力渓谷保存会、等々力不動尊 平成29年6月印刷