世田谷区政概要 2023 世田谷区 もくじ 区の紋章、区の鳥・花・樹 4 区の紋章 4 区の鳥・花・樹 4 地勢 5 位置 5 面積 5 人口と世帯 6 区の歴史 7 生い立ち 7 年表 9 名誉区民・区民栄誉章 13 名誉区民 13 区民栄誉章 15 宣言 17 健康都市宣言 17 平和都市宣言 17 交通安全都市宣言 18 子ども・子育て応援都市宣言 18 世田谷区気候非常事態宣言 19 姉妹都市 20 ウィニペグ市 20 ウィーン市ドゥブリング区 20 バンバリー市 20 世田谷区民健康村 21 議決機関 23 区議会の構成 23 区議会本会議 23 委員会 23 傍聴・その他 24 世田谷区議会議員名簿 25 執行機関 26 区長 26 行政委員会 27 教育委員会 27 選挙管理委員会 27 監査委員 28 農業委員会 29 基本構想 30 世田谷区基本構想 30 基本計画 33 実施計画 36 財政状況 39 令和4年度決算の概要 40 世田谷区公契約条例 41 地域行政 42 地域行政の展開 42 世田谷区地域行政推進条例 42 世田谷の5地域のあらまし 45 世田谷地域 45 北沢地域 45 玉川地域 46 砧地域 47 烏山地域 48 区のまつり 50 昭和50年からの区政等のあゆみ 51 刊行物一覧 71 世田谷区の歌 81 ★本書は、原則として令和6年1月1日現在(事業実績等については令和4年度中)を基準に記述しました。ただし、利用の便を考慮し、それ以降にわたって記述したところもあります。 ★各事業の所管につきましては、説明文の末尾にある( )内に記述しました。ただし、同じ所管の事業が続く場合は、一番最後の事業の末尾にのみ所管名を記述しました。 区の紋章、区の鳥・花・樹 区の紋章  区の紋章は、昭和31年の大東京祭を記念して紋章図案を募集し、その結果、当時上馬一丁目在住の故高山節子さんの作品が選ばれ、 昭和31年10月1日に制定された。  外輪の円は区内の平和、中心は「世」の文字が三方に広がり、人々の協力と区の発展を意味している。 区の鳥・花・樹  昭和43年6月、東京100年を記念して、区の象徴とするのにふさわしい、区民に親しまれる鳥、花、樹を公募した。応募内容について、各分野の専門家の意見を基に選考した結果、鳥は「オナガ」、花は「サギソウ」、樹は「ケヤキ」にそれぞれ決定し、同年9月に制定した。 オナガ  東部イベリア、中国、日本などに広く分布しているが、日本では特に関東平野に多い鳥。人家近くの疎林に小群をなして棲んでいる。頭が黒く名前のように長い尾は淡青、体全体は灰色がかった水色で、木立の間を飛びまわる姿は、とても印象的である。繁殖期5~7月。雑食性。カラス科。 サギソウ  白い3cm ほどの花形が白鷺そっくりのラン科の多年生草木。奥沢鷺の谷(現在の九品仏付近)には、この花にまつわる言い伝えや哀しい伝説が残っている。 ケヤキ  区内各所に見られる幹の太い、まっすぐな大木。こずえがほうき状に繁茂し、4~5月ごろ新芽と同時に淡黄緑色の小さい花をつける。大木であり、広い板面が得られるところから、お寺や神社などの建築材によく使われている。葉を落としたけやきが冬空へそびえている姿には雄大な風格と美しさがある。 地勢 位置  世田谷区は東京23区中の西南端にあり、おおむね東経139度39分、北緯35度38分(区役所本庁舎)に位置する。  東は目黒区・渋谷区、北は杉並区・三鷹市、西は狛江市・調布市、南は大田区とそれぞれ接し、さらに多摩川をはさんで神奈川県川崎市と向かい合っている。 面積  面積は58.05㎢で、最も小さい台東区の約6倍にあたる。 人口と世帯  令和6年1月1日現在の住民基本台帳によると、人口918,141人、世帯数496,436世帯である(表1)。  人口は大正から急激な勢いで増加し、昭和50年代に入ると横ばいとなったが、平成8年以降緩やかに増えている(表2)。 区の歴史 生い立ち 世田谷の遺跡  世田谷区は都内でも有数の遺跡密集地であり、その分布は区内のほぼ全域におよぶ。時代的には約3万5 千年前の石器製作跡から近世の大名陣屋に至るまで、ほぼ全時代を網羅している。特に水利に恵まれた多摩川沿いの国分寺崖線上は居住するのに適していたとみえ、多くの遺跡が確認されている。  世田谷の代表的遺跡・遺構としては、瀬田遺跡・下山遺跡・嘉留多遺跡の石器製作跡(旧石器時代)、瀬田遺跡の貝塚、諏訪山・桜木遺跡の集落(縄文時代)、堂ケ谷戸遺跡の環濠集落(弥生時代)、野毛大塚古墳・喜多見稲荷塚古墳(古墳時代)、下山遺跡の火葬墓(奈良・平安時代)、世田谷城跡、奥沢城跡(戦国時代)、喜多見氏陣屋跡(江戸時代)などが挙げられる。 江戸氏と木田見郷  武蔵国木田見郷(現喜多見一帯)が鎌倉時代から江戸氏一族・木田見氏の領地であったことは、「熊谷家文書」により明らかである。『一谷嫩軍記』で有名な熊谷直実の家に代々伝わる「熊谷家文書」には、木田見成念の子孫たちが木田見郷の領地を巡って熊谷氏との間に起こした相論に関する文書が含まれている。その初見は文永11年(1274)のものであり、これが区内における土地領有関係を示す最も古い文書となっている。江戸時代に、2万石の大名にまでなった喜多見氏は本来、木田見氏とは別の家であったが、室町時代に千束郷内より喜多見の地 へ移住してきたものと考えられる。 世田谷吉良氏  吉良氏は清和源氏・足利氏の支族で、三河国幡豆郡吉良庄より起こった。世田谷吉良氏はその庶流で、足利義継を祖とし、その子・経氏の時、吉良姓を名乗ったと伝えられる。経氏の孫・貞家は建武政権・室町幕府の要職を歴任した後、奥州探題となって陸奥国に下向し、勢力を拡大した。しかし、奥州からの撤退を余儀なくされた吉良治家は足利将軍家の「御一家」として鎌倉公方に仕えることとなった。この吉良氏は、世田谷と蒔田(現横浜市)にその本拠を置いたので、世田谷御所あるいは蒔田殿と称せられるようになった。吉良氏が世田谷城を構築した時期については全く不明であるが、治家の鎌倉鶴岡八幡宮にあてた寄進状から、永和2年(1376)の段階で、既に吉良氏の領地が世田谷郷内にあったことが分かっている。 北条氏と吉良氏  北条早雲が小田原に城を構えて以来、関八州に絶大な勢力を誇っていた戦国大名北条氏は世田谷吉良氏が将軍家足利氏の一族であることを重視し、これを滅ぼすことなく平和的に懐柔しようと考えた。北条家2代当主・氏綱は、その娘を吉良頼康の夫人とした。また、吉良氏朝の元にも、前代に続き、北条家の娘(鶴松院)が嫁いでいる。 世田谷新宿と楽市(ボロ市)のはじまり  北条氏は領土の拡張に伴って、要所要所に支城を配置し、その領国体制を固めていった。その中でも、特に重要な拠点であった江戸と小机(現横浜市)を結ぶ位置にある吉良氏の本拠地・世田谷は、北条氏の注目することとなったのであろう。北条氏4代の当主・氏政は天正6年(1578)、世田谷に新たに宿場(世田谷新宿)を設けるとともに、ここに楽市を開き、矢倉沢往還の整備に努めた。その目的は、軍事・政治上必要な伝馬の確保にあり、宿場の繁栄が必要不可欠であった。こうして、世田谷の楽市が開かれたのである。この時北条氏によって開かれた楽市は、その形を変えながら、今もボロ市として存続している。 家康の関東入国  天正18 年(1590)、豊臣秀吉と敵対していた北条氏が滅ぼされると、北条氏と強いつながりをもっていた世田谷城主・吉良氏朝は、下総国生実に隠棲した。また、当時、吉良・北条両家に仕えていた江戸氏の末裔・江戸勝重(後、勝忠)も、秀吉の軍勢と戦ったが、小田原落城の後、喜多見に潜伏することとなった。  一方、北条氏に代わって関東に入国した徳川家康は戦役の後、関東各地に潜居していた旧家・名族の者たちを家臣に取り立て、その優遇策を図った。吉良氏朝の子・頼久は、天正19年(1591)、上総国長柄郡寺崎村に1,125石の領地を与えられ、江戸勝重も、文禄元年(1592)頃に、旧領・喜多見村500 石を安堵されている。家康の家臣となった頼久は吉良姓を名乗ることをやめ、蒔田と改姓したが、その曽孫義俊の時、吉良姓に復した。また、江戸勝重も、家康の新しい居城の地・江戸をその姓とすることをはばかって喜多見と改姓した。その後、喜多見氏は代々江戸幕府の要職に就き、ついには2万石の大名となったが、元禄2年(1689)、一族の刃傷事件に連座して御家断絶となっている。 近世の村落支配  家康が関東に入国すると、世田谷のほとんどの村がその直轄領となり、代官・松風助右衛門の支配下に置かれた。私領としては、喜多見氏・藤川氏らの旗本7人が、喜多見村・深沢村・経堂在家村など都合9か村に給地を与えられたに過ぎなかった。  寛永年間(1624-1643)に入ると、大幅な領主替えが行われ、幕府領15か村(後、20か村)が井伊家の江戸屋敷賄料として彦根藩領に組み込まれたのをはじめ、14か村が旗本領に、1か村が増上寺領に変わった。その間、村々においては新田畑の開発が進み、飛躍的に生産力が増した。元禄8年(1695)には、増大した生産高を把握するために検地が施行され、村高(公定生産高)が確定した。元禄期は近世村落の支配体制が完成した時期であり、この時確定した村高は明治維新まで変更されることはなかった。 幕末の動乱と世田谷  安政5年(1858)、大老職に就任した井伊直弼は日米修好通商条約の調印を断行し、将軍継嗣問題に決着をつけた。さらに直弼は、反対派の一掃を謀って「安政の大獄」を強行したが、安政7年(1860)3月3日、激高した水戸浪士らが、江戸城桜田門外において直弼を暗殺した(桜田門外の変)。領主・井伊直弼の暗殺事件は、世田谷領20か村の人々をも震撼させる一大事件であった。  安政6年(1859)に貿易が開始され、外国使臣や貿易商が続々来日すると、攘夷思想を持った者たちによる外国人殺傷事件が頻発した。中でも文久2年(1862)に起きた生麦事件は、大きな波紋を投げかけた。賠償金を要求してイギリス艦隊が横浜港で示威行動を起こすと、たちまち、その噂が江戸市中に流れ、動揺した人々は親戚縁者を頼って家財道具の疎開を始めることとなった。当時江戸郊外の農村地帯であった世田谷は格好の疎開先となった。押し寄せる時代の波は、農村地帯・世田谷をものみ込んでいったのである。 明治期における区域の沿革  明治2年(1869)の東京府の開設、そして明治4年(1871)の廃藩置県断行など、維新改革が行われた明治の初めには、世田谷は品川県や彦根県(旧井伊領、後に一時長浜県とも呼ばれる)に分かれたり、また東京府や神奈川県に分かれるなど目まぐるしく所属や区域が変わった。明治11年には東京府に市街地の15区と周辺の6郡が置かれ、世田谷の中東部は荏原郡に、千歳・砧地区の村々は神奈川県北多摩郡に属した。さらに東京市の誕生した明治22年(1889)には、町村制の施行により東京府の4か村(世田ヶ谷・駒沢・松沢・玉川)と神奈川県の2か村(千歳・砧)が誕生し、明治26年(1893)には、神奈川県に属していた三多摩郡が東京府に移管された。  また、明治40年(1907)には区内最初の電車、玉川電車が開通した。 昭和7年、世田谷区誕生  大正から昭和初期には京王線・小田急線・大井町線・井の頭線などが開通した。大正12年(1923)9月、関東大震災が発生すると被害を受けた下町の人々は地価が安く交通の便のよい近郊へ移住し、世田谷も急激に人口が増え、電車の沿線は住宅地に変貌していった。都心で被災した寺が、この年から昭和期にかけて、烏山に26か寺も移転し、寺町を形成している。このころ、玉川村全域で住民の手により大規模な耕地整理が行われているが、住宅化への先取り事業として特記すべきことである。  昭和7年10月1日東京市の区域が拡張され、世田谷も東京市に所属し、世田ヶ谷町・駒沢町・玉川村・松沢村の2町2村で「世田谷区」が成立誕生した。さらに、昭和11年10月には北多摩郡であった千歳・砧村の2村が世田谷区に編入され、現在の大きさとなった(この時の人口は21万701人)。  第2次大戦の終わりごろ、世田谷も空襲に遭い被害を受けた。しかし、空襲による損失が比較的少なかったため、戦後から昭和40年代にかけて人口が急増した。  現在約92万区民の住む住宅都市となった世田谷。開発が進む中、緑化の推進や環境保全など、潤いのあるまちづくりに取り組んでいる。 年表 名誉区民・区民栄誉章 名誉区民 世田谷区名誉区民は、区政の進展に卓絶した功績があった区民に対し、その功績をたたえ、区民敬愛の対象として顕彰するものである。 名誉区民(顕彰順) 特別名誉区民 区民栄誉章 世田谷区民栄誉章は、福祉、まちづくり、芸術文化、スポーツ等の分野で顕著な業績をあげ、区政または学術、技術の発展に寄与した区民に対し、その栄誉をたたえ、区民敬愛の対象として顕彰するものである。 宣言 健康都市宣言  区を取り巻く社会構造の変化に伴う生活環境の不安が生じている中で、区民の生命と健康を守り、世田谷の環境を守る都市を作るため、昭和46年3月22日に、23区に先駆け健康都市宣言を行った。 健康都市宣言  世田谷区は、東京都の西の玄関として近代都市への道を歩んできたが、急激な都市化は、区民の健康に影響をおよぼし、今や環境を保全すべき重要な段階にきている。  このときにあたり、世田谷区は「緑と太陽の文化都市」をめざして、身体の健康・精神の健康・環境の保全を基調として、あらゆる施策を結集し、健康で文化的な、明るく住みよい都市建設のため、全区民と手をたずさえ世田谷区を「健康都市」とすることをここに宣言する。 昭和46年3月22日 世田谷区 平和都市宣言  平和を愛する区民の願いと、区議会の「平和都市宣言に関する決議」の採択を受けて、核兵器の廃絶と世界に平和の輪を広げていくことを誓い、40回目の終戦記念日にあたる昭和60年8月15日に、国の内外に向けて平和都市宣言を行った。 平和都市宣言  われわれの住む地球上から核兵器をなくし、戦争のない平和な社会を実現していくことは、すべての人びとの願いである。  しかし、いまなお世界の各地では、武力による紛争が絶えず、一方核軍備の拡張競争は一段と激化し、世界の平和に深刻な脅威をもたらしている。  われわれは、人類永遠の平和を樹立するために、核兵器がこの地球上からなくなる日を心から願うとともに、我が国が今後とも核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませずの「非核三原則」を堅持していくことを強く望むものである。  世田谷区は、平和を愛する区民の願いにこたえ、核兵器の廃絶と世界に平和の輪を広げていくことを誓い、ここに「平和都市」であることを宣言する。 昭和60年8月15日 世田谷区 交通安全都市宣言  昭和50年代の後半から交通事故は減少の気配が見られず、「第二次交通戦争」といわれるような憂慮すべき状況にあった。このため区は、交通事故を防ぎ安全な社会を造るために全力を挙げることを決意し、区議会の「交通安全都市宣言に関する決議」の採択を受け、平成6年4月6日、交通安全都市宣言を行った。 交通安全都市宣言  私たち世田谷区民すべてにとって、交通事故のない、安心して生活できる、安全な社会を実現することは、共通した強い願いです。  しかし、区内の交通事故は増え続け、多くの区民が亡くなったり、怪我をする人々も多数にのぼり、道路などを壊されることも数多く、人や物に対する被害が大きくなっています。  交通事故により、毎日の平穏な生活を奪われ、家庭の中では、家族が悲しい思いをするなど、悲惨な生活を送る区民も多くなっています。  私たちは、このような交通事故を防ぎ、区民のすべてが、安心して充実した生活を送ることができる、安全な社会を造らなければなりません。  このため、世田谷区は、区民とともに、全力を挙げることを決意し、ここに「交通安全都市」を宣言するものです。 平成6年4月6日 世田谷区 子ども・子育て応援都市宣言  子どもや子育て家庭を取り巻く環境が大きく変容する中、今を生きる子どもの育ちを支え、子育てを応援するまちづくりを推進し、区民とともに「子どもがいきいきわくわく育つまち」を築いていく基本姿勢を明確にするため、平成27年3月3日に、子ども・子育て応援都市宣言を行った。 子ども・子育て応援都市宣言  子どもは、ひとりの人間としてかけがえのない存在です。  うれしいときには笑い、悲しいときには涙を流します。感情を素直にあらわすのは、子どもの成長のあかしです。子どもは、思いっきり遊び、失敗しながら学び、育ちます。子どもには、自分らしく、尊重されて育つ権利があります。  子どもは、地域の宝です。  大人は、子どもをしっかり見守り、励まし、支えます。地域は、子育て家庭が楽しく子育てできるように応援します。子どもは、成長に応じて社会に参加し、自分のできることと役割、みんなで支えあう大切さを学んでいきます。  子どもは、未来の希望です。今をきらめく宝です。  大人は、子どもにとっていちばんよいことを選び、のびのびと安心して育つ環境をつくります。  世田谷区は、区民と力をあわせて、子どもと子育てにあたたかい地域社会を築きます。ここに、「子ども・子育て応援都市」を宣言します。 平成27年3月3日 世田谷区 世田谷区気候非常事態宣言  地球温暖化の影響と考えられる強力な台風や集中豪雨などの被害が世界各地で頻発する中で、こうした気候危機の状況を、区民や事業者と区が共有し、気象災害から区民の生命と財産を守る取組みと、二酸化炭素の排出を削減し気候変動を食い止める取組みを進めるため、令和2年10月16日に気候非常事態宣言を行った。宣言においては、2050年までに二酸化炭素排出量実質ゼロを目指すことを表明している。 世田谷区気候非常事態宣言 ~区民の生命と財産を守り持続可能な社会の実現に向けて~  近年、世界各地で記録的な高温や大規模森林火災、巨大化した台風など、地球温暖化の影響と考えられる気候異変が頻発し、甚大な被害が発生しています。  世田谷区でも台風や集中豪雨により浸水被害が発生するなど、区民生活に大きな影響をもたらしています。  この危機的状況を脱するために、2015年に国連で採択された「パリ協定」では、産業革命前からの世界の平均気温上昇を2℃より十分低く保つとともに、1.5℃以下に抑える努力を追求する目標が定められています。  しかし、世界の二酸化炭素排出量は、今なお増加を続けており、気候危機の状況はまさに非常事態に直面しています。区民、事業者の皆さんとこの状況を共有し、二酸化炭素の排出を削減し気候変動を食い止める取組みと、今起こっている気象災害から区民の生命と財産を守る取組みを進め、SDGsが掲げる「誰一人取り残さない」持続可能な社会を実現しなければなりません。  世田谷区は、ここに広く気候非常事態を宣言するとともに、2050年までに二酸化炭素排出量実質ゼロを目指すことを表明します。区はこれまでも自然の力を活かしたグリーンインフラの基盤づくりや、自治体間連携による再生可能エネルギーの普及拡大等に努めてきました。人の営みが地球環境の大きな負荷となり、気候異変をもたらしていることを踏まえ、区民参加のもとより良い環境と生命を守るための行動を加速します。  また、区・事業者・区民それぞれの立場で環境への影響を考慮した取組みを実行し、みどりに恵まれた良好な環境を子どもや若者たちの次世代に引き継ぎ、持続可能な発展と脱炭素社会の実現に向け、気候危機に力を合わせて行動します。 令和2年10月16日 世田谷区 姉妹都市  国際社会が大きく変化する中で、世界の人々が多くの分野で交流し、友情と好意と協力の下に相互理解を深めることが求められている。こうした目的で、区はカナダのウィニペグ市、オーストリアのウィーン市ドゥブリング区、オーストラリアのバンバリー市と姉妹都市を提携し、市民同士の交流を主として友好を深めている。 ウィニペグ市 1 提携に至る経緯  カナダのウィニペグ市とは昭和35年(1960)の児童・生徒の絵画の交換をきっかけに友好を深め、昭和45年(1970)10月5日、ウィニペグ市議会議場において姉妹都市提携の調印を行った。 2 ウィニペグ市の概要  穀物市場として発展してきたウィニペグ市は、人口約75万人。カナダ有数の都市で、マニトバ州の州都である。多くの民族が集まり、国際色豊かな気風を醸し出している。カナダの公用語は英語とフランス語であるが、ウィニペグ市は英語圏である。 ウィーン市ドゥブリング区 1 提携に至る経緯  区とオーストリア・ウィーン市ドゥブリング区は、ともに文化都市を志向し緑豊かな住宅都市である。この共通点の多い両都市が芸術・文化等の交流を通じて学び合い、友好を深めることで合意し、昭和60年(1985)5月8日、区議会議場において姉妹都市提携の調印を行った。 2 ドゥブリング区の概要  ドゥブリング区は人口約7万3千人。東京と同様23区からなるオーストリア共和国の首都ウィーン市の第19区にあたる。ドイツ語圏に属し、区内には有名な「ウィーンの森」があり、ドナウ川を望む緑豊かな住宅地域で、歴史と伝統を誇るウィーンの中でも特に自然と文化の調和がとれたまちである。 バンバリー市 1 提携に至る経緯  世田谷区の小学生がバンバリー市を訪問したことがきっかけで交流が始まり、平成4年(1992)11月10日、区議会議場において姉妹都市提携の調印を行った。 2 バンバリー市の概要  バンバリー市は西オーストラリア州第2の都市で、人口は約3万2千人、インド洋に面したオーストラリア南西部の主要な港町であり行政の中心地である。  優良な農産地帯と鉱物資源に恵まれ、木材産業も主要産業の一つである。野生の動植物も多く大自然に囲まれた景勝地である。 世田谷区民健康村 世田谷区民健康村  群馬県川場村と昭和56年に縁組協定を結び、区民の第二のふるさとづくりを行なっている。交流の拠点である2か所の宿泊施設を中心に、区立小学校の移動教室や、年間を通じた様々な交流事業のほか、バーベキューや野球、サッカー、スキーなども楽しめる。 1 健康村のねらい  区民健康村づくりは、都会ではあまり望めなくなった、澄んだ空気、深い緑、清く流れる水、豊富な動植物などの自然に接しながら、地元の人たちと相互に協力して都市と農山村の交流を深めていくことを目的にした「第二のふるさと」づくりである。 2 健康村づくりのあゆみ 3 交流事業 ⑴ 健康村里山自然学校  区民、村民の共通の財産である川場村の自然環境を協働で守り、育て、次世代に受け継ぐための事業。 ①里山塾 ●親子里山体験コース  川場村を舞台に、家族で自然に親しむ体験をする。 ●おとなの里山コース  森林(やま)や野原(茅場)をフィールドとした里山の保全・育成活動を通じて、里山ならではの様々な知識や基礎技術を学ぶ。 ●茅葺コース  現役の茅葺職人等から、伝統的な技術を学ぶ。 ②農業塾 ●棚田オーナー  農家の方の指導の下、棚田での米づくりを体験する。 ●農業技術教室  農家の方の指導の下、川場村の農業(野菜づくり)を学ぶ。 ●手づくりそばの会  自分たちの手で種まきから収穫、そば打ちまでを体験し、本物の手づくりそばの味を楽しむ。 ●レンタアップル  1年間りんごの木のオーナーになって春の摘花と秋の収穫を楽しむ。 ●レンタル農園  1年間畑を借りて自主的に農業を行う。 ③こども里山自然学校  夏と冬に世田谷区と川場村の小学校5・6年生を対象に、自然散策、森林体験、夜の森を歩くナイトハイクや農作業体験など、自然に親しみながら里山に暮らす人々との交流を深める活動を行う。 ④川場まるごと滞在記  中学生~高校生を対象にした、農作業や森林作業など遊びから一歩進んだ農山村体験をする。 ⑵ 自然の中でスポーツ フライフィッシングスクール  川場村や周辺の渓流での釣りを楽しむ。 ⑶ 文化活動 木ごころ塾  地元森林組合の指導の下、川場村の木材を使用した木工品づくりを体験する。 ⑷ 川場村を楽しむ ふるさとパック  川場村特産の旬の味が家庭に届けられる。 ⑸ 教育の場として  区立小学校5年生の移動教室が1泊2日の日程で行われる。川場村の自然を活かした、季節ごとの活動を行う。 【周辺案内】  区民健康村のある群馬県川場村は、沼田市の北側、武尊山の南麓に広がる扇状の村で、その8割以上が森林で囲まれている。集落は、薄根川、桜川、溝又川沿いのゆるやかな斜面に集まっている。  村には、スキー場、キャンプ場、テニスコー卜、野球場、体育館、登山コース等が整備されている。  また、周辺には、日光、尾瀬、谷川岳、水上・猿ケ京などの温泉や、尾瀬戸倉、丸沼、武尊、天神平、宝台樹などのスキー場があり、年間を通じて楽しめる。 【健康村への交通】 ・関越自動車道 沼田IC より20分 ・上越新幹線 上毛高原駅より無料送迎車 (要予約) ・上越線 沼田駅より路線バス利用 ・尾瀬高速バス 沼田インター入口(土橋) 停留所より無料送迎車 (要予約) (区民健康村・ふるさと・交流推進課) 議決機関  地方公共団体の機能は、条例や予算、行政の基本的な方針を決定する議決機関と、その決定に従って実際に行政を行うことを任務とする執行機関に分けられている。  議決機関である議会の議員と、執行機関の長は、住民から選挙で選ばれ、相互の抑制と調和を図りつつ円滑な行政運営を期している。 区議会の構成  議会の議員の定数は、地方自治法により、条例で定めることとされている。世田谷区の場合は50人と決めている。  議員の任期は4年で、現在の区議会議員の任期は令和5年5月1日から令和9年4月30日までである。 区議会本会議  議会の会議には、定例会と臨時会があり、いずれも区長が招集する。  区議会では、定例会は条例で年4回(毎年2、6、9、11月)開催することになっている。 令和4年の議会活動状況 委員会 1 常任委員会  委員会の名称と所管事項は下記のとおり。5つの委員会の設置を条例で定めている。また、委員の定数は条例で1委員会9人以上と定められており、選任の際、委員数を決定する。委員の任期は2年である。 2 議会運営委員会  議会運営に関する事項を所管する委員会。委員の定数は、条例で12人以上と定められており、選任の際、委員数を決定する。委員の任期は1年である。 3 特別委員会  特別委員会は、必要がある場合に議会の議決で設置され、委員の定数も議決で定められる。 傍聴・その他 1 傍聴  本会議や常任委員会、特別委員会は誰でも傍聴できる。 2 議会刊行物 世田谷区議会会議録  本会議での発言内容や議案などの会議資料を掲載している。  議員や区の理事者に配付するほか、区政情報センター、区立図書館などに配置し、区民の利用に供している。  なお、予算・決算特別委員会の会議録も同じ方法で配付している。 せたがや区議会だより  本会議における議案の審議結果や、代表・一般質問の一部とその答弁の要約、付託された請願の件名と審議結果などを掲載し、新聞折り込みで配布しているほか、駅に設置されている広報スタンドなどにも置いている。  また、視覚障害のある方などのために、区議会だよりのデイジー版・CD版・点字版を発行している。 せたがや区議会のはなし  区議会の役割と仕組みなどを、写真や図表等で分かりやすく解説し、区民に配布している。 区議会月報  定例会や委員会などの議会活動の結果を掲載している。 3 テレビ中継  本会議や予算・決算特別委員会の模様を、本庁舎、総合支所および市民活動支援コーナー(キャロットタワー3階)のテレビで放送している。 4 ホームページ  委員会の構成、会議の日程、議員の氏名や会派名などを掲載している。本会議や委員会の会議録の検索も可能である。  また、本会議と予算・決算特別委員会の模様をライブ配信、録画配信している。 5 ラジオ放送  定例会における区長の招集あいさつおよび代表・一般質問とそれに対する答弁の模様をエフエム世田谷(83.4MHz)で録音放送している。 世田谷区議会議員名簿(令和6年1月1日現在) ◎議長 ○副議長 執行機関  世田谷区は、東京都23区を構成する団体の一つで、日本国憲法および地方自治法によって、地方公共団体として認められた自治体である。  地方公共団体は、地方自治法で普通地方公共団体と特別地方公共団体の2種類に分けられている。「都の区は、これを特別区という」(地方自治法第281条第1項)。特別区は法人格を有する特別地方公共団体である。  区には、区民の福祉を実現し、円滑、適切な行政を進めるための議決機関と執行機関を置くことが法定されている。  区の事務事業を執行するために、区には執行機関として区長、行政委員会および委員が置かれている。 区長 1 区長  区長は、区民によって直接選挙され、区を代表する最高責任者である。行政の執行にあたっては、副区長以下の補助機関を指揮・監督し、統括している。  その職務は、区本来の事務(固有事務)のほか、国や東京都から委任された事務(委任事務)についても管理執行している。また、他の執行機関が行う事務事業について総合的な調整を図る機能を持っている。  区長の選出は、昭和22年4月から昭和27年8月まで公選によっていたが、昭和27年9月から「都知事の同意を得て、区議会が選出」する選任制に変わり、昭和50年3月まで続いた。その後、昭和49年の地方自治法の改正により、昭和50年4月から再び区民の投票による公選制に改められた。 2 補助機関  区長の権限とされている事務事業を実施するために、区長の補助機関として、3名の副区長(特別職)と一般職員(一般職)がいる。  副区長は、区長が区議会の同意を得て選任する。その職務は、区長を補佐し、区長と一体となって事務事業を執行し、区長の長期不在など法定された場合に区長の職務を代理する。任期は4年である。  一般職員は、区長の補助機関として事務事業を担当している。職員数は5,465人(令和6年1月1日現在)である。 行政委員会  行政委員会は、特に政治的中立性を強く要求される部門を、民主的な合議制により執行しようという意図の下に設けられたものである。したがって、一般の行政機関からはある程度、独立した地位に置かれている。  世田谷区には、教育委員会・選挙管理委員会・監査委員(独任制)・農業委員会が設けられている。 教育委員会  教育行政における責任体制の明確化や、迅速な危機管理体制の構築などのため、改正「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が、平成27年4月1日から施行された。  これに伴い、区長が招集し、原則公開で開催される総合教育会議において、区長と教育委員会とが協議・調整を尽くし、区の教育行政の目標や施策の根本的な方針などを定めた大綱を区長が策定している。  また、教育委員長と教育長を一本化した新「教育長」の設置が定められ、教育委員会は、区議会の同意を得て区長が任命する、教育長および4人の委員で組織される。教育長の事故などにより、事務に支障をきたすことがないよう、教育長はあらかじめ職務代理者を、その委員の中から指名する。任期については、教育長が3年、委員は4年であり、どちらも再任が認められている。 【教育委員会の構成】 教育長 1人 委員(教育長職務代理者を含む) 4人 【教育長】 任期=3年(平成28年12月1日から※) ※地方教育行政の組織及び運営に関する法律の改正に伴う新制度への移行による(それまでの任期は4年)。 選挙管理委員会  選挙管理委員会は、各種選挙の公正な執行を確保することを目的に設置された機関であり、4人の委員による合議制をとっている。委員は区議会において選挙され、補充員も同時に選挙される。  選挙管理委員の身分は地方公務員法上の特別職である。委員および補充員の任期は4年で、補充員は委員に欠員が生じた場合、委員として補充される。選挙管理委員会は代表者として委員の中から委員長を選出する。  委員長は選挙管理委員会を招集し、3人以上の委員の出席により会議を開く。その議事は出席委員の過半数をもって決め、可否同数のときは委員長が決定する。 1 区の選挙管理執行事務規模  選挙人名簿登録者数  772,522人(令和5年12月1日現在)  投票区 114 開票区 1 (衆院選は2)  1投票区あたりの名簿登録者数約6,800人 2 選挙の種類 3 選挙管理委員会事務局  選挙管理委員会の権限に属する事務を処理するため、委員会の補助機関として事務局が設置されている。  事務局には、委員会の任命する職員が配置され、選挙人名簿の調製、選挙啓発、各種選挙の執行および委員会に関する事務を処理している。 4 明るい選挙推進協議会  明るい選挙を推進するとともに、選挙の重要性を周知し、もって区民の積極的な政治参加を図ることを目的として設置された民間の協力団体である。 監査委員  監査委員は、地方公共団体が必置しなければならない執行機関の一つであり、地方公共団体の財務に関する事務の執行などの監査を基本的な職務とする、独任制の機関である。  本区においては、区長が議会の同意を得て、識見を有する者および議員のうちから、それぞれ2人ずつ選任している。任期は、識見を有する者から選任された監査委員は4年、議員から選任された監査委員はその議員の任期となっている。  識見を有する者から選任された監査委員のうちの1人が代表監査委員に選任され、事務局職員の任免その他庶務事務を執行する。  なお、識見を有する者から選任された監査委員のうち、1人が常勤となっている。 主な監査などの種類 定期監査  区の財務に関する事務の執行などについて、毎会計年度1回以上期日を定めて監査する。 財政援助団体等監査  必要に応じて、区が補助金など財政的援助を与えているもの、区が資本金などを出資しているもの、および公の施設の管理を行わせているものの出納事務などについて監査する。 例月出納検査  会計管理者の権限に属する現金の出納について、毎月、日を定めて検査する。 決算審査・基金運用状況審査  区長から送付された決算書およびその他必要な書類、並びに基金の運用状況を示す書類を審査し、決算認定を受ける定例区議会までに意見を区長へ提出する。 健全化判断比率審査  区長から送付された健全化判断比率(実質赤字比率など)並びにその算定の基礎となる事項を記載した書類を審査し、意見を区長へ提出する。 住民監査請求監査  住民の請求に基づき執行機関または職員の違法若しくは不当な公金の支出などについて監査する。 農業委員会  農業委員会は、農地などの利用関係の調整、農地の交換分合その他農地に関する事務を執行する機関であり、「農業委員会等に関する法律」に基づき設置されている行政委員会である。  当委員会には委員の互選による会長および会長職務代理者のほか、意思決定に参画する委員、そして事務に従事する事務局職員が置かれている。  農業委員会委員は、区長が議会の同意を得て任命する。任期は3年となっている。世田谷区の場合、定数は21人である。 事務事業  農業委員会の行う事務は、法令業務と任意業務があり、前者の具体的な事務としては、農地法に基づく農地などの利用関係の調整、農地の売買や貸借などの許可・承認、農地転用届出の審査などがある。  後者の事務としては、農業生産、農業経営および農業者の生活に関する調査研究や情報提供、世田谷区農業振興計画実現に向けた認定農業者の育成、農地利用の最適化に関する施策について、関係行政機関に対する意見の提出などがある。 基本構想  区は、昭和53年6月、地方自治法の規定に基づき、議会の議決を得て、区民本位のまちづくりをめざす区政の長期的な指針である「世田谷区基本構想」を定め、そのもとに「世田谷区基本計画」を策定し、各種施策を推進してきた。  その後、21世紀の望ましい将来像を区民とともに確かめあい、その実現に向けた指針として、平成6年9月に区議会の議決を得て、新たな「世田谷区基本構想」を定めた。  そして、平成23年に地方自治法が改正され、基本構想の策定義務は撤廃されたが、平成6年の「世田谷区基本構想」の策定から年数が経過し、区を取り巻く社会情勢も大きく変化していることから、時代の要請と変化に応える新たな基本構想を策定することとした。平成25年4月、区長の附属機関である「世田谷区基本構想審議会」より答申を受け、平成25年9月に区議会の議決により新たな「世田谷区基本構想」が策定された。 世田谷区基本構想 〔平成25年9月27日議決〕  世田谷区は、1932(昭和7)年に世田谷、駒沢、玉川、松沢の2町2村が合併して生まれました。その後、1936(昭和11)年に千歳、砧の2村が合併して現在の世田谷区の姿となり、いまでは、東京都内で最も多くの人が暮らす住宅都市へと発展しました。区民と区は国分寺崖線や多くの河川、農地などの貴重な自然環境と地域の文化、伝統を大切にしつつ、寛容で活気あふれる社会を築くとともに、自治を追求してきました。  一方、少子高齢化によって、世田谷区でも人口構成が大きく変わり、単身・高齢者世帯がますます増えていきます。金融、労働、情報などのグローバル化が進み、地球資源の限界にも直面しています。格差や少子化、社会保障の維持などの課題に取り組むことも求められます。また東日本大震災と原子力発電所の事故は、災害への日ごろの備えがきわめて重要で、緊急の課題であることをあらためて認識させただけでなく、一人ひとりの生き方や地域社会のあり方を見なおすきっかけとなりました。  こうした厳しい時代にあっても、先人から受け継いだ世田谷のみずとみどりに恵まれた住環境や、多様性を尊重してゆるやかに共存する文化・地域性は、子どもや若者の世代へ引き継いでいかなければなりません。多様な人材がネットワークをつくり、信頼関係に支えられてだれもが安心して暮らすことができる都市を築いていくことが必要です。  世田谷区はこのような考え方のもとで、基本構想として、今後の目標や理念を九つのビジョンにまとめました。これは今後20年間の公共的指針です。区民は主体的に公にかかわり、地域とのつながりをさらに深め、自立して自治をより確かなものにします。区は自治体としての権限をより広げ、計画的に行政を運営し、区民や事業者とともに、基本構想の実現に努めます。 ○九つのビジョン 一、個人を尊重し、人と人とのつながりを大切にする  個人の尊厳を尊重し、年齢、性別、国籍、障害の有無などにかかわらず、多様性を認め合い、自分らしく暮らせる地域社会を築いていきます。差別や偏見をなくし、いじめや暴力のない社会を実現します。だれもが地域の活動に参加できるようにします。世代を超えて出会い、集える多様な場所を区民とともにつくります。人と人とのつながりを大切にして、一人ひとりが地域の中で自分のライフステージに沿って居場所や役割を見いだし、活躍できるようにします。安心して暮らし続けるためのセーフティネットを整えます。 一、子ども・若者が住みやすいまちをつくり、教育を充実する  家庭、学校、地域、行政が柔軟に連携して教育の充実につとめます。子どもの人権を守り、個性や能力を伸ばし、郷土を慈しむ心や豊かな人間性を育みます。子ども・若者が希望を持って生活できるようサポートし、住みやすい、住みたいまちをめざします。また子育て家庭や保育を必要とする家庭を支援し、親の学びと地域の中の交流の機会を設けるなど、子どもと大人が育ちあうまちをつくります。区民やNPOによる子どもや若者、子育て家庭のための活動も応援します。 一、健康で安心して暮らしていける基盤を確かなものにする  一人ひとりがこころとからだの健康や病気の予防を心がけ、できる範囲で公の役割を担えるような地域づくりを進めます。障害者や高齢者をはじめ、だれもが安心して暮らしていけるように身近な地域で保健・医療や福祉サービスの基盤を確かなものにします。世田谷で実績のある区民成年後見人の取り組みや高齢者の見守りなどをさらに広げ、そうした活動にたずさわる人材を地域で育てます。多世代が共に協力して支え合う新たな暮らし方を希望する人も応援します。 一、災害に強く、復元力を持つまちをつくる  老朽化しつつある社会インフラを保全、更新するとともに、建物の耐震化・不燃化や避難路の整備、豪雨対策など、安全で災害に強いまちづくりを進めます。区民が防災・減災の意識と知識を持ち、小学校などを地域の拠点とし、災害弱者になりやすい人への支援もふくめた地域づくりに力を尽くします。災害時の活用を意識して、自らの暮らしに不可欠なエネルギーや食糧などは、一つの方法に頼らないようにして備えておきます。災害など何かあってもしなやかに、そしてすみやかに立ち直れるまちにしていきます。 一、環境に配慮したまちをつくる  将来の世代に負担をかけないよう、環境と共生し、調和したまちづくりを進めます。農地、屋敷林といった武蔵野の風景をはじめ、23区内でも希少なみずとみどりを保全・創出し、その質と量の向上を図ります。また、地球環境の問題も意識し、エネルギーの効率的な利用と地域内の循環、再生可能エネルギーの拡大、ごみの抑制、環境にやさしい自転車や公共交通機関の積極的な利用などを進めていきます。 一、地域を支える産業を育み、職住近接が可能なまちにする  地域を支える多様な産業を育成していきます。活気のある商店街や食の地産地消を可能にする農地、環境や生活に貢献する工業技術も重要です。各分野で世田谷ブランドを創造し、区内外に伝えます。区内に数多くある大学、NPOなどの専門性や人材を生かします。ソーシャルビジネスなどによって若者や子育てをしている人、障害者、高齢者も働き手となる職住近接が可能なまちにします。仕事と生活の両方を大事にするワークライフバランスを提唱していきます。 一、文化・芸術・スポーツの活動をサポート、発信する  区内から多くの人材を輩出している文化・芸術・スポーツの分野では、区民の日常的な活動をさらにサポートし、より多くの人に親しむ機会を提供します。区民が生涯を通じて学び合い、文化やスポーツを楽しみ、世代を超えて交流できる地域の拠点をつくります。そこで生まれた文化や芸術を国内外に発信していきます。また、いまも残る世田谷の伝統行事や昔ながらの生活文化も将来の世代に引き継ぎます。 一、より住みやすく歩いて楽しいまちにする  区は他の自治体に先駆け、区民と手を携えて総合的なまちづくりに取り組んでいます。今後も区民とともに、地域の個性を生かした都市整備を続けていきます。駅周辺やバス交通、商店街と文化施設を結ぶ道路などを整えます。歴史ある世田谷の風景、街並みは守りつつ、秩序ある開発を誘導し、新しい魅力も感じられるよう都市をデザインします。空き家・空き室を地域の資源として活用するなど、より住みやすく、歩いて楽しいまちにしていきます。 一、ひとりでも多くの区民が区政や公の活動に参加できるようにする  自治の担い手である区民が区政に参加できる機会を数多く設けます。幅広い世代の区政への関心を高め、多様な声を反映させるため、区民が意見を述べる場を今後もつくります。地域の課題解決に取り組む区民や団体が、互いに協力して自治を進められるよう支援します。区をはじめ公の機関・組織は情報公開を徹底するとともに、区民との信頼関係を築いていきます。町会・自治会やNPOの活動にも加わるなど、地域の課題に主体的に向き合う区民が一人でも多くなるよう努力します。 〇実現に向けて  区はこの基本構想の実現に向けて、次の方策を講じていきます。 《計画的な行政運営》 ・基本構想にもとづいて、基本計画や実施計画などをつくります。 ・基本計画などについて、計画から実施、評価、それを受けた改善のサイクルをつくり、外部評価も含め、検証しながら進めていきます。 《地域行政と区民参加》 ・区民の視点に立って多様な課題に対応できるよう柔軟に組織を構築します。 ・きめ細かい地域行政を展開するため、総合支所、出張所・まちづくりセンターなどでも区民が区政に参加する機会を数多くつくっていきます。 ・地域における行政サービスのあり方を踏まえた区庁舎の整備を進め、災害時の拠点としても十分機能するようにします。 《自治権の拡充と持続可能な自治体経営》 ・都区制度の改革や財政自主権の確立に積極的に取り組み、自治権を広げるとともに、持続可能な自治体経営に向けて行政経営改革を進め、財政基盤を強化します。 《区外との協力》 ・国や都と協力し、近隣自治体とも連携して広域的な課題に取り組みます。国内外の自治体との関係を深め、それぞれの特色を生かして、災害時の協力体制などを築きます。 ・多文化が共生する社会の実現に向けて、国際交流を進めていきます。 基本計画  「世田谷区基本構想」(平成25年9月議決)を実現するため、平成26年度を初年度とする令和5年度までの向こう10年間にわたる取組みとして、新たな「世田谷区基本計画」を策定した。 ※なお、現在、令和6年度を初年度とする新たな「基本計画」の検討を進めており、令和6年3月に策定予定である。 位置づけ  基本計画は、区民生活のニーズと世田谷区の抱える課題に対して、区民とともに実現をめざす将来目標を設定し、向こう10年間に区が重点的に取り組む施策の方向性を明らかにした区政運営の基本的な指針であり、区の最上位の行政計画である。 基本方針  基本構想が示す九つのビジョンの実現に向け、3つの基本方針を示す。 ○住民自治の確立-参加と社会的包摂-  住民自治の確立に向けて、区の計画や条例の策定などへの区民参加を充実し、地域行政を進め、住民の意思を尊重した区政運営を行う。また、社会的包摂の仕組みをつくる。 ○環境と調和した地域社会の実現  みずとみどりに恵まれた生活環境を守り、次の世代に伝えるとともに、都市の魅力や活力の創出のため、暮らし方や都市機能のあり方を見直す。環境・エネルギー、災害への備えを進め、環境と調和した復元力を持つ地域社会をつくる。 ○自治権の拡充と持続可能な自治体経営の推進  地方分権の動きの中で、区民に身近な基礎自治体として、実情や区民ニーズを踏まえ、主体性や独自性を持った政策展開を図る。特別区制度改革、行政経営改革を進め、強固で安定した財政基盤を確立し持続可能な自治体経営を行う。 世田谷区がめざすまちづくり像  世田谷の「広域生活・文化拠点」や「にぎわいと交流の軸」などを位置づけ、相互にネットワークを図り、個性と魅力あふれる「子どもが輝く参加と協働のまちせたがや」をめざす。 マッチングによる政策の推進 ○定義と政策の推進  目的を共有し、縦割りを超え、様々な分野や主体を横つなぎ・組み合わせることで、課題解決の力を高めるよう、相互に協力して政策を進める。 ○情報公開と区民参加  外部委員会から意見をいただき、検証するとともに、区民へ情報を提供し、意見を聴きながら進める。 重点政策  重点政策は、基本構想の「九つのビジョン」に込められた目標や理念を踏まえ、確実に主要な課題を解決し、諸施策を展開するにあたり、特に重要な政策についてその目的と方向性を掲げ、区の関係部門が連携し、区民・事業者とともに、総合的に展開することをねらいとしている。 ①子ども若者が住みたいまちづくり、教育の推進 「子育て応援都市をめざします」 ②高齢者・障害者等の在宅生活を支え、孤立させないための地域包括ケアシステムと住まい 「高齢者を孤立させない都市をつくります」 ③安全で災害に強いまちづくり 「災害に強く復元力のある都市をつくります」 ④自然の恵みを活かして小さなエネルギーで暮らす豊かなまちの実現 「自然エネルギーと新たな活力が生まれる環境共生都市をつくります」 ⑤世田谷の文化の創造と知のネットワークづくり 「文化・芸術・スポーツを多世代で楽しむ都市をめざします」 ⑥豊かなコミュニティ活動の発展と住民自治の推進 「コミュニティ活動で互いに支える都市をつくります」 分野別政策  基本構想の「九つのビジョン」を行政の各分野において具体化し、4つの分野別の体系で表したものである。  基本構想で示された目標や理念を踏まえて、法定計画などの個別計画を策定するため、各分野の課題や方針、施策の方向を明らかにしている。 ○健康・福祉 ①健康づくりの推進 ②相談支援体制の確立及び保健・医療・福祉の連携強化 ③区民、事業者等との協働による地域づくり ④保健福祉サービスの質の向上と権利擁護の促進 ⑤地域福祉を支える基盤整備 ○子ども若者・教育 ①若者が力を発揮する地域づくり ②地域社会を創る生涯学習の充実 ③子どもが育つ環境づくり ④質の高い学校教育の充実 ⑤虐待のないまち・子ども・子育て家庭への支援 ○暮らし・コミュニティ ①地域コミュニティの促進 ②安全・安心のまちづくり ③多様性の尊重 ④文化・芸術の推進 ⑤生涯スポーツの推進 ⑥快適で暮らしやすい生活環境の創造 ⑦産業振興・雇用促進 ○都市づくり ①災害に強い街づくり ②みどりとやすらぎのある快適な住環境の推進 ③魅力ある街づくり ④交通ネットワークの整備 ⑤都市基盤の整備・更新 地域計画  各地域の特性と地区におけるまちづくり活動の目標(地区ビジョン)を踏まえ、めざしていく将来像(まちの将来像)を明らかにしている。また、基本計画の分野別政策等と整合を図り、推進する。 【まちの将来像】 ○世田谷地域 ・世田谷の歴史と文化を大切にし、交流とにぎわい、活力のあるまち ・安心して豊かな気持ちで暮らせるまち ・災害に強く安全で、いつまでも住み続けたいまち ○北沢地域 ・ともに支えあい、絆をはぐくみ、健康を招くまち ・モダンと伝統が織りなす、若さとにぎわいのあるまち ・災害に強く、安全で住みよいまち ○玉川地域 ・地域で育む安心・安全と笑顔のまち ・国分寺崖線や等々力渓谷などの自然豊かな住みよいまち ・にぎわいと元気あふれる魅力的なまち ○砧地域 ・みどりとみずと農の豊かな砧の原風景を未来に引き継ぐまち ・歴史と伝統を大切に文化とにぎわい・交流の元気のあるまち ・あらゆる世代が健やかでこころふれあう災害に強い安全・安心のやすらぎのあるまち ○烏山地域 ・地域がつくる、活気あふれる賑わいと笑顔のあるまち ・武蔵野の面影を残す自然と文化の落ち着きの中で安心と安全をともにつくるまち ・あらゆる世代がいきいきと元気で暮らせるこころのふるさと烏山 実現の方策  区では、参加、協働、ネットワーク、情報公開を進め、区民参加を推進するとともに、各政策を実行し、確実に支えていくために計画の着実な推進、執行体制の整備、地域行政の推進、財政運営、行政経営改革に取り組む。 ○区民参加の推進(参加、協働、ネットワーク) ①参加の拡充 ②協働によるまちづくり ③ネットワークの広がり ④情報公開と区民参加 ○持続可能な自治体経営 ①計画の推進と評価・検証 ②執行体制の整備 ③地域行政の推進 ④自治権の拡充と財政運営 ⑤行政経営改革の推進 外郭団体改革基本方針  外郭団体の自主・自立に向け、より一層の効率的な経営の確立をめざし、向こう10年間における区および外郭団体が取り組むべき改革の方向性を明らかにする「外郭団体改革基本方針」を定めた。 ①外郭団体のあり方に関する見直し ②外郭団体への委託事業に関する見直し ③財政的支援・関与の見直し ④人的支援・関与の見直し ⑤中期経営目標の設定及び人事・給与制度の見直し 公共施設整備方針  多様化する区民ニーズ等の変化に対応し、老朽化する施設を適切に更新、維持していくためには、施設の総量(施設数、延床面積)の増加を抑制し、効率的・効果的な公共施設の整備や維持管理によって、これらの経費を極力抑える必要があることから、向こう10年間の新たな「公共施設整備方針」を定めた。 ①施設総量の増加抑制 ②既存施設等の有効活用 ③施設整備・維持管理経費の抑制 ④運営・配置の見直し ⑤求められる機能の整備 「方針に基づく取組み」 ①中長期計画に基づく公共施設の整備 ②全庁横断的なマネジメントの推進 ③施設種別ごとの整備量の見直し 実施計画 計画の位置づけ  世田谷区基本構想(平成25年9月議決)に基づく区政運営の基本的な指針として基本計画を策定した。この実現に向けた具体的な取組みを示す計画として、新実施計画及び新実施計画(後期)を策定し、これまで着実に施策を推進してきた。コロナ禍により大きく変化する社会状況を踏まえ、令和6年度を初年度とする次期基本計画を見据え、重点的な取組みを明確化した区民にわかりやすい計画として再構築を図り、未来つながるプランを策定した。 ※なお、現在、令和6年度を初年度とする新たな実施計画の検討を進めており、令和6年3月に策定予定である。 計画期間  令和4年度~令和5年度の2か年とする。 策定の背景 ⑴社会状況の変化 ①新型コロナウイルス感染症の影響 ②大規模自然災害の発生(気候危機) ③SDGs(持続可能な開発目標)の推進 ④人口トレンドの変化 ⑤高度情報化社会の到来とデジタル・トランスフォーメーション(DX) ⑥地域における関わりの多様化 ⑵将来人口推計 ⑶財政見通し 4つの政策の柱に基づく取組み  社会状況の変化等を踏まえ、新たに4つの政策の柱を設定し、施策を推進する。また、各施策に成果の達成度を測定する指標(行動量・成果指標)を設定し、指標に対する達成度合いを測るとともに、新公会計制度を活用したフルコスト分析を実施し、評価・検証を行う。 ⑴ 4つの政策の柱 ①高齢者・障害者をはじめすべての区民の健康と生命を守る ②区民・事業者の活動を支え地域活性化を図る ③子ども若者の学びと育ちの支援 ④コロナ後を見据えた持続可能な社会の実現 ⑵ 位置づける施策の考え方  計画期間において集中的に推進し、特に重点的に取り組まなければならない組織横断的連携や区民・事業者等との参加と協働により推進する施策を、優先順位を整理し、選択と集中を図った上で位置づけた。 ①新規条例の制定など、大きな動きがある施策 ②次期基本計画でも重要な位置づけとなることが想定され、今後2年間に重点的に取り組む必要がある、組織横断的連携や区民・事業者等との参加と協働により推進する施策 DXの推進  世田谷区DX推進方針で設定した3つの方針に基づき、具体的な取組みについて、即着手できるものからスモールスタートし、トライアンドエラーによる改善を進める。 ⑴ 行政サービスのRe・Design  対面・非対面のサービスを選択できる、区民に時間を返す、区民視点の行政サービスをデザインする。 ⑵ 参加と協働のRe・Design  デジタル技術の活用により多様な参加と協働をデザインする。 ⑶ 区役所のRe・Design  職員が能力を発揮できるICT環境整備を進め、区民視点のサービス向上につなげる。 ⑷ Re・Designを支える人材の確保・育成  研修をはじめ、職務の中で小さなDX体験を積み重ねながら、意識改革に重点を置き、区のDXについて、主体的に取り組めるマインドを持った職員を育成する。 行政経営改革の取組み ⑴ 行政経営改革10の視点に基づく取組み  自治の推進と独自性のある自治体経営の確立に向け、また、コロナ禍等によるさらなる行政需要の増大と厳しい財政状況を踏まえた持続可能な行財政運営を行うため、行政経営改革の取組みを進める。 基本方針1 区民に信頼される行政経営改革の推進 ①自治体改革の推進 ②自治の推進と情報公開、区民参加の促進 ③世田谷区役所、職員の率先行動、職場改革の推進 ④執行体制の整備 基本方針2 持続可能で強固な財政基盤の確立 ⑤施策事業の必要性、有効性、優先度の視点やプロセス評価による見直し ⑥民間活用や官民連携によるサービスの向上とコスト縮減 ⑦施策事業の効率化と質の向上 ⑧区民負担等の適切な見直し 基本方針3 資産等の有効活用による経営改善 ⑨公有財産等の有効活用 ⑩税外収入確保策の推進、債権管理の適正化と収納率の向上 ⑵ 外郭団体の見直し  外郭団体改革基本方針に基づき、外郭団体が自立した経営の下、公益性と専門性を活かした、区民サービスの向上と、より一層の効率的・効果的な経営体制の確立をめざして、改革の取組みを進める。 ⑶ 公共施設等総合管理計画に基づく取組み  世田谷区公共施設等総合管理計画に掲げる取組み方針の中でも重点的に推進する取組みを重点方針として定め、計画の実効性を高めるとともに、施設総量の維持と更なる経費の抑制に向けた取組みを徹底し、持続可能な公共施設の維持管理を実現する。 財政状況 区財政の現状と課題  平成10年5月8日「地方自治法の一部を改正する法律」により、特別区は基礎的な地方公共団体として位置付けられ、平成12年度に行われた都区制度改革では、東京都から清掃事業等が移管されるなど、特別区の事務機能の拡大化が図られた。また、東京都に留保されていた市町村財源を可能な限り移譲する方針に基づき、入湯税、ゴルフ場利用税交付金および航空機燃料譲与税が特別区に移譲されるとともに、法定外の目的税や普通税の賦課徴収が可能となった。さらに、平成18年度からは、特別区債の発行について、許可制から協議制に変更された。  特別区に特有の制度である都区財政調整制度(次項「都区財政調整制度」参照)については、23区の財源偏在が著しい中で、大都市の一体性・統一性を確保する必要性等から制度が存続され、地方自治法上も明確に位置付けられたが、都と区の役割分担や、都区および23区相互間の財源配分など、引き続き都区間で検討すべき課題が残っている。  このように特別区に関する法制度が変遷してきた中で、区が区民に最も身近な政府として、責任を持って区政を展開するためには、特別区税を始めとする自主財源のより安定的な確保を図ることが重要である。  区の財政状況については、歳入の根幹を占める特別区民税が、長期にわたる経済不況や政府の減税政策(平成11年度からは恒久的減税)の影響等により、平成6年度以降大きく減少してきた。平成13年度以降は、緩やかに増収に転じてきたが、平成19年度には、個人住民税所得割10%比例税率化(および都区の税率配分の変更)の税制改正により、大きな減収となった。さらに、平成20年秋以降の急激な景気悪化の影響で大幅な減収となったが、平成24年度以降は納税者数の増加等から増収傾向となった。  特別区債は、通常債の発行に加えて、平成6年度以降の特別減税等の実施に伴う税収減を補うため減収補てん債等を発行した。これにより、起債現在高が増加し、その償還のために公債費の増加と公債費比率の上昇を引き起こした。このため、平成14年度以降は、起債の発行の抑制に努め、起債残高は縮減していたが、梅ヶ丘拠点整備などの投資的経費の増により平成28年度から令和2年度にかけては増加となった。その後、令和3年度以降は再び縮減傾向となり、令和4年度末残高は約556億円となっている。  基金については、財源不足への対応を図りながら計画的な活用と積立てに努めた結果、令和4年度末残高は、約1,532億円となっている。  区財政においては、物価高騰や拡大するふるさと納税の影響など、依然として予断を許さない状況が続いている。  こうした状況下においても、大規模自然災害への備えをはじめ、障害者自立支援給付などの社会保障関連経費、道路・公園等の都市基盤整備、本庁舎等整備や区立小中学校など公共施設の改築・改修等、増加する行政需要に対し将来を見据えながら確実に対応していく必要がある。 都区財政調整制度  特別区は、地方自治法上の特別地方公共団体として位置付けられており、他の市町村とは異なる財政上の取り扱いとして都区財政調整制度がある。  都区財政調整制度の目的は、第1に、都区双方が分担する「大都市事務」(特別区が存する大都市地域において本来「市」が行うべき事務。「市」としての特別区が行う事務と、広域的または統一的に処理する必要性から都が行う消防・水道事業等の事務がある)の財源を都区間で配分する。第2に、特別区相互間の行政水準を適切かつ均衡のとれたものとするための調整財源として機能させることである。具体的な運用としては、本来区が課税すべき市税で特例的に都が課税している税目のうち、固定資産税、市町村民税法人分、特別土地保有税の3税(「調整税」という)の収入額と法人事業税交付対象額及び固定資産税減収補填特別交付金との合算額に都条例で定める配分率55.1%を乗じた額を特別区分の調整交付金の財源とし、各区への交付金は、区ごとに算定した基準財政収入額(※1)と基準財政需要額(※2)に応じて配分される(令和4年度における本区への交付額は、666億1,000万円)。  平成12年度の都区制度改革により、都区財政調整制度についても、事務事業の移管、介護保険制度等の新たな施策の展開、地方分権の推進等に伴い、都区の配分割合の変更や総額補てん主義および納付金制度の廃止などの見直しが行われた。また、平成19年度には、「三位一体の改革」の特別区への影響等を踏まえ、特別区の配分率が52%から55%に変更された。さらに、令和2年度には、児童相談所関連経費の基準財政需要額算定などにより、配分率が0.1%増え、55%から55.1%に変更された。 ※1 基準財政収入額:各特別区の財政力を合理的に測定するために、特別区民税、利子割交付金、地方消費税交付金などの一般財源の収入について算定した額のことをいう。 ※2 基準財政需要額:各特別区の行政経費を、その目的・種類ごと(例えば民生費、土木費、教育費等)に分類し、この経費の分類ごとに算定された額を合算したものをいう。 令和4年度決算の概要  歳入では、特別区税が、ふるさと納税による大きな影響(△87億1,300万円)を受けたものの、前年度比46億4,300万円の増となった。また、特別区交付金においても、財源である固定資産税や市町村民税法人分の増収などにより、前年度比66億5,000万円の増となった。一方で、国庫支出金は、子育て世帯等臨時特別支援事業にかかる国庫補助金の減などにより、前年度比で△54億900万円の減となった。  歳出では、義務教育施設整備基金への積立額の増などにより、教育費が前年度比で88億5,300万円の増となったことに加え、新型コロナ対策や物価高騰対応等により、衛生費・産業経済費なども増となった。一方で、庁舎等建設等基金への積立額の減などにより、総務費が前年度比で△40億1,000万円の減となったほか、子育て世帯等臨時特別支援事業の減などにより、民生費が△18億2,500万円の減となった。  こうした状況のもと、令和4年度の区一般会計の決算収支額は歳入総額3,938億3,100万円で前年度比4.6%の増、歳出総額は3,737億8,800万円で前年度比4.8%の増となった。この結果、歳入から歳出を差し引いた額(形式収支)は200億4,400万円、この形式収支から翌年度へ繰り越すべき財源48億6,000万円を差し引いた実質収支は151億8,300万円となった。また、実質単年度収支は11億6,500万円となった。 (財政課) 世田谷区公契約条例  世田谷区が事業者と結ぶ契約(公契約)における基本方針を明らかにし、区長及び事業者の責務等を定めることにより、公契約において適正な入札等の手続きを実施するとともに、公契約の業務に従事する労働者の適正な労働条件の確保並びに、事業者の経営環境の改善を図り、区内産業の振興や地域経済の活性化を通じて区民の福祉が向上することをめざして制定した(平成27年4月1日施行)。 1 世田谷区公契約適正化委員会及び労働報酬専門部会  公契約の履行過程の全般における適正を確保するため、区長の附属機関として世田谷区公契約適正化委員会(以下「委員会」) を、また、委員会に労働報酬下限額を審議させるため、労働報酬専門部会を置いている。 2 労働報酬下限額  予定価格が一定額以上の公契約において、契約事業者が労働者に支払う職種ごとの労働報酬の下限とすべき額を、区長が条例に基づき決定し、告示している。  契約事業者には、この労働報酬下限額を守ることによって、労働者に適正な賃金を支払い、労働者の適正な労働条件の確保と向上を図るよう努める責務のあることを条例に定めている。 【告示額】令和5年4月1日適用 (1)予定価格3千万円以上の工事請負契約 ①国土交通省定義の51職種技能労働者のうち熟練労働者=公共工事設計労務単価の85% ②見習い・手元等の未熟練労働者、年金等受給による賃金調整労働者=1時間あたり1,470円 ③上記に該当しない労働者=1時間あたり1,230円 (2)予定価格2千万円以上の工事請負契約以外の契約(委託等) =1時間あたり1,230円 (経理課) 地域行政 地域行政の展開  世田谷区では、地域住民に密着した総合的なサービスの提供、地域の実情に沿ったまちづくりや地域福祉などを推進するため、平成3年に「地域行政制度」を導入した。  「地域行政制度」とは、都市としての一体性を保ちながら、区内を適正な地域に区分して行政拠点を設置し、これを中核として総合的な行政サービスやまちづくりを実施する世田谷区独自のしくみである。  昭和53 年に制定した「世田谷区基本構想」(当時)に基づき、地域に関わる事務事業や地域住民への行政サービスを総合的に行う機関として新たに総合支所を整備することとした。  現在、本庁のほかに、5つの地域の総合支所、28の地区のまちづくりセンターによる三層構造の行政拠点を設置している。 世田谷区地域行政推進条例  近年、高齢化の進展や世帯構成の変化、気候変動等による災害の多発などに伴い、地域社会での支え合いの重要性が再認識される一方で、働き方の変化や新型コロナウイルス感染症の影響、情報通信技術の急速な発展などを背景に、人と人との関わり方も変化している。そのため、防災や防犯、介護、子育てなどの多岐にわたる地域社会の課題の解決に向けて、身近なところでの区民生活の支援の必要性が高まっている。  このような状況を踏まえ、区政運営の基盤である地域行政制度について、地区がその要となるよう改革するために、世田谷区地域行政推進条例を令和4年10月1日に施行した。 《地域行政制度の改革に向けた区の責務》 1 地区・地域において区民が必要な行政サービスを利用することができる環境の整備 2 地区・地域において区民が区政に関する意見を述べることができる環境の整備 3 地区・地域において区民がまちづくりに取り組むための必要な支援 《三層構造の行政拠点の位置付け・役割》 1 まちづくりセンター(地区)  町会・自治会など地域活動団体へのまちづくり活動の支援、防災・防犯活動への支援、広報・広聴などを行っている。また、あんしんすこやかセンター、社会福祉協議会地区事務局及び児童館の四者で連携し、高齢・障害・子育て等の相談に対応する「福祉の相談窓口」や、買い物支援・居場所づくりなどの「参加と協働による地域づくり」を行う「地域包括ケアの地区展開」に取り組んでいる。  地域行政制度の改革に向けては、区民生活を包括的に支援する地区の行政拠点として、多様な相談や手続きに対応する窓口を担うとともに、地区の実態に即した取組みの実施やまちづくりの支援を行っていく。 2 総合支所(地域)  住所の変更、証明書の交付などの手続きや、国民健康保険の一部手続き、戸籍関係の手続きなどの窓口業務を担う「くみん窓口」を設置している。また、防災・防犯対策、保健福祉施策、街づくりの推進など、総合的な行政サービスの提供とまちづくりを推進する役割を担っている。  地域行政制度の改革に向けては、地域の行政拠点として、地域経営(業務の専門性を生かして、地域の実態を把握し、また、地域における社会資源を活用することにより、計画的に地域の課題の解決に当たること。)を担うとともに、まちづくりセンターの取組みの支援を行っていく。 3 本庁(全区)  区としての政策方針、計画、危機管理における本部機能など全区的な統括を基本に、一部行政サービスの実施機関としての役割を持ち、総合支所間の調整、連携などを行っている。  地域行政制度の改革に向けては、社会状況の変化や地域経営を踏まえた施策の立案などを行い、まちづくりセンターや総合支所と情報共有し、一体となって施策を実施するとともに、適切な政策手法の活用や資源の配分を行うことにより、効率的・効果的な区政運営を行っていく。 地域行政のあゆみ 昭和53年6月 「世田谷区基本構想」議決 昭和54年4月 「地域行政推進本部」設置 6月 「地域行政基本方針」策定 昭和56年3月 「地域行政のあり方」 「地域行政基本計画案」 (地域行政検討プロジェクトチーム報告) 9月 「地域行政区民の集い」実施 昭和58年10月 「身近なまちづくり推進員制度」発足 昭和60年4月 「烏山福祉事務所」新設 昭和61年4月 北沢・烏山両地域に「支所開設準備室」設置 昭和62年11月 「地域行政推進計画」(地域行政推進プロジェクトチーム最終報告) 昭和63年2月 「地域行政推進計画」策定 6月 「地域行政実施本部」設置 「今後の望ましい出張所像をもとめて」(出張所機能検討委員会最終報告) 10月 世田谷地域に「支所開設準備室」設置 平成元年5月 「地域行政実施計画(案)」策定 10月 「地域行政実施計画」策定 平成2年5月 出張所等名称区民アイディア募集 7月 「地域行政移行計画」策定 平成3年 4月 「地域行政制度」導入 5総合支所開設 平成5~6年 「地区カルテ」作成 平成6年9月 新たな「世田谷区基本構想」議決 平成7年3月 「第2次地域行政推進計画」策定 4月 「身近なまちづくり推進員制度」を整理・統合し、「身近なまちづくり推進協議会」発足 平成9年4月 「保健所」「福祉事務所」を統合再編し、5地域に「保健福祉センター」を設置 平成11年4月 総合支所に「街づくり部」を設置(区民部、保健福祉センターとともに3部制) 7月 「新たな出張所をめざして」(出張所機能検討委員会最終報告) 平成12年4月 文化生活情報センター総合案内窓口で休日・夜間の住民票発行業務開始 7月 「新たな出張所への移行の方針」策定 平成13年6月 烏山区民センター案内窓口で休日の住民票発行業務開始 平成14年3月 「新たな地域行政推進の方針」策定 5月 「地区まちづくり支援職員」制度発足 7月 「地区まちづくり担当職員」制度発足 平成15年3月 文化生活情報センター総合案内窓口(休日・夜間)、烏山区民センター案内窓口(休日)で印鑑登録証明書発行業務開始 平成16年4月 総合支所の「建築指導課」を廃止し、建築確認等の事務を本庁に集約 5月 「新たな出張所のあり方に関する報告」策定 9月 「新たな出張所移行計画」策定 平成17年2月 「新たな地域行政の推進について」(中間のまとめ)策定 4月 新たな出張所のスタート(27か所の出張所の窓口を7か所に集約し、それ以外の20か所を「まちづくり出張所」として、地区まちづくり支援を強化)(出張所改革) 証明書自動交付機の導入 11月 「新たな地域行政の推進について」策定 平成18年4月 総合支所の区民部長、保健福祉センター所長および街づくり部長を廃止し、新たに「副支所長」を設置 総合支所の「土木課」を廃止し、総合支所「街づくり課」に土木担当を置くとともに事務を本庁に集約して「土木事業担当部」を設置 平成20年3月 「出張所改革の評価・検証」報告 5か所の出張所で土曜日窓口を通年で開設 平成21年1月 「まちづくり出張所の名称のあり方に関する報告書」作成 10月 「まちづくり出張所」の名称を「まちづくりセンター」へ変更 平成22年9月 まちづくりセンターとあんしんすこやかセンターの一体整備開始 平成25年3月 「地区力の向上と地区防災対策の強化について」策定 4月 出張所・まちづくりセンターを「地区防災支援担当」と位置付け、「まちづくり担当係長」を「まちづくり・防災担当係長」と改称 地区情報連絡会を各地区で開始 平成26年3月 「今後の地域行政の推進について」策定 6月 防災塾を各地区で開始 平成27年3月 「新たな地域行政の展開について」策定 平成28年3月 「地域包括ケアの地区展開とまちづくりセンターの充実について」策定 平成28年7月 全地区にまちづくりセンターを設置(7か所の出張所のまちづくり機能を分離し、これまでの20か所と併せて、全27地区にまちづくりセンターを設置) 地域包括ケアの地区展開の全地区実施 平成29年3月 「地区・地域の強化に向けた取組みについてー地域行政の推進(平成29~32年度)ー」策定 平成29年7月 総合支所に「くみん窓口」開設(北沢出張所、等々力出張所、成城出張所を区民課区民係に改組) 平成30年4月 総合支所に「保健福祉センター」を設置 平成31年4月 保健福祉センターに「子ども家庭支援課」を設置 令和元年7月 用賀地区を分割し、二子玉川地区を新設 二子玉川出張所と二子玉川まちづくりセンターを設置(27地区→28地区) 総合支所「くみん窓口」で戸籍業務の土曜日窓口の開設 令和元年12月 条例制定に向けて「世田谷区地域行政検討委員会」設置(令和3年3月提言) 令和2年1月 マイナンバーカード専用証明書自動交付機設置(証明書自動交付機廃止) 令和4年1月 全てのまちづくりセンターとあんしんすこやかセンターの一体整備完了 10月 「世田谷区地域行政推進条例」施行 「世田谷区地域行政推進計画」策定 令和5年3月 5か所のまちづくりセンターに「マイナンバーカード電子証明書手続きコーナー」を設置 ※上馬、梅丘、奥沢、祖師谷、上祖師谷 令和6年2月 7か所のまちづくりセンターに「マイナンバーカード電子証明書手続きコーナー」を設置 ※若林、上町、代沢、松原、九品仏、船橋、喜多見 (地域行政課) 世田谷の5地域のあらまし 世田谷地域 1 土地利用  世田谷地域は区の東部に位置し、区役所をはじめ税務署・登記所・都税事務所等があり、区の行政上の中心となっている。  環状七号線の東側は、大正から昭和にかけて農地が宅地化され、郊外型ベッドタウンのはしりとなった地域であり、古くからの木造住宅が密集する市街地が広がっている。西側は一部で農地もみられる一般的な住宅地となっているが、近年は、宅地の細分化や中高層マンションの建設が進んでいる。 2 歴史  この地域は室町時代から吉良氏の領地であり、江戸と小田原を結ぶ交易の地として、大山道沿いに街並みが発展してきた。  区役所の周辺は幕末の思想家・吉田松陰を祀った松陰神社、上町駅の近くには江戸時代の彦根藩世田谷領の代官の住宅(代官屋敷)があるなど、歴史がしのばれる地域である。 3 人口  約25万3千人(令和6年1月1日現在)と、区内5地域の中で人口が最も多く、人口密度も最も高い。  世田谷地域は都心から近く、流出入率の高い20代から30代の単身世帯が多いという特徴がある。 4 住環境  古くから宅地化が進んだ木造住宅密集地域では、都市基盤が未整備で老朽化した建物も多い。防災性の向上をめざし、市街地の不燃化や災害時の避難経路の確保、延焼防止のための道路の整備を進めている。  みどりの貴重な資源である民有地の緑や農地は減少する傾向にあり、世田谷地域のみどり率は区の平均より低く、1人当たりの公園面積も区の平均を下回る等、公園・緑地が不足している。  地域内には首都高速3号線、国道246号、環状7号線、世田谷通りの幹線道路が通っており、道路網の骨格を成している。 5 産業  三軒茶屋や経堂、松陰神社前、三宿など、駅や主要道路沿いに商店街が発達してきた。  最近では、従来から地域を支えてきた世代と新たに加わった若い世代が協力し、ともにまちを盛り上げようとする活動が生まれている。  また桜丘等では農地、直売所も存在する。 6 イベント  代官屋敷周辺では、戦国時代の楽市を由来とし、440年以上の伝統を持つ「世田谷のボロ市」が開催され、冬の風物詩となっている。  世田谷線沿線では連携してイベントを開催しており「三茶de 大道芸」や「せたがや駅前楽市楽座」等は区外からの来訪客も増えている。「経堂まつり」、「松陰神社参道商店街 秋まつり」等、地域住民や商店街が主体のイベントも盛んに行われている。 7 区民の活動  世田谷地域内46町会・自治会を始め、多くの人々の関わりを得て地域活動が展開されている。子どもから高齢者までの支えあいネットワークづくり、地区ごとの避難所運営訓練や防災訓練なども、それぞれ工夫しながら進められている。また、地域内には多くの大学があり、学校と地域が災害時協定を結ぶなど、防災活動などを通じて連携を深めている。 (世田谷総合支所) 北沢地域 1 土地利用  北沢地域は区の北東部に位置し、小田急線、京王線、井の頭線で都心に直結し、沿線の下北沢、明大前、下高井戸、豪徳寺等の駅周辺は、商業地として栄え、地域全体が市街化している。区画整理が完了した良好な住宅地もあるが、都市基盤が未整備のままの地区も見られる。 2 歴史  明治の末までは地形に対応した6つの村からなる純農村の姿をとどめていたが、大正期の私鉄開通と関東大震災による都心からの移住を契機に、昭和初期までの約20年間に、急速に住宅地が形成された。  また、井伊家の菩提寺である豪徳寺や世田谷吉良氏の世田谷城跡を始め、森巌寺、北澤八幡神社等、寺社も多く存在している。 3 人口  人口は、約15万3千人(令和6年1月1日現在)で、区内でも人口が集中している。井の頭線以東の地区で単身居住者が多く、平均世帯人員が1.7人と少ない。65歳以上の高齢者の比率は他地域とそれほど変わらないものの、年少者(14歳以下)の比率が区内で最も低いことから、老齢化指数(65歳以上の人口÷14歳以下の人口)は区内で最も高い。 4 住環境  北沢地域は東西に長く、環状七号線が地域のほぼ中央を南北に通っている。羽根木公園や豪徳寺等の寺社に緑が残っているが、みどり率は区の平均よりも低く、一人あたりの公園面積も区内で最も少ない等、公園・緑地が不足している。  この地域は、区内でも比較的早い時期に住宅需要に対応して市街地が形成され、交通の便がよく、商店も多いため都市生活には便利であるが、狭い道路に沿って住宅や商店が建ち並び密集度が高くなっており、災害に強い安全な街づくりに取り組んでいくことが必要となっている。  桜上水などの一部には、まだ農地が残り貴重な緑地空間を創出しているが、今後宅地化されていく可能性もあり、適切な土地利用を実現するための誘導や、道路や公園の基盤整備を図る必要がある。 5 産業  早くから各駅の周辺に地区の核となる商店街が形成され発展してきた。小規模であるが事業所や店舗の分布密度は高く、特に下北沢駅周辺では面的広がりを見せている。商業活性化に対する意欲は強く、地元と結びついたイベントの定着が見られる。桜上水地区ではわずかではあるが、農業が営まれている。 6 イベント  「下北沢天狗まつり」「代田もちつき」「針供養」等古くから地域に根ざした行事が多く、また「せたがや梅まつり」「桜まつり」「きたざわまつり」等も住民主体で行われている。  また、若者のまちとして活気のある下北沢駅周辺では、「下北沢音楽祭」「下北沢演劇祭」等、様々な活動が活発化しており、情報の発信地となっている。 7 区民の活動  リサイクル、文化創造、福祉、健康づくり、冒険遊び場づくり等の面で、活発なボランティアや地域活動があり、これらのグループ間交流も盛んに行われている。  また、住民参加の手法を取り入れた協議会方式による防災街づくりが進められている。 (北沢総合支所) 玉川地域 1 土地利用  玉川地域は区の東南部に位置し、多摩川や等々力渓谷等に多くの自然が残り、閑静な住宅地が広がる地域である。早くから民間による宅地開発や玉川全円耕地整理事業等が行われ、道路等が計画的に整備された街である。二子玉川駅周辺は、地域の中心的商業拠点として、また多摩川以西に広がる神奈川県域との接点として発展している。 2 歴史  多摩川沿いの台地には石器時代・古墳時代の遺跡が分布しており、特に野毛大塚古墳では刀剣が発掘され全国の注目を集めた。大正初期には新町住宅(桜新町)が玉川電鉄と提携して開発され、隣接する田園調布とともに田園都市の様相を明らかにした。戦後は、東京オリンピックの開催にあたり、駒沢公園の整備や環状八号線・駒沢通り等の幹線道路も整備され、近代的で明るい雰囲気が地域にもたらされた。 3 人口  玉川地域の面積は、5地域の中で最も広いが、人口は世田谷地域に次いで約22万6千人(令和6年1月1日現在)となっている。平均世帯人員は約2.0人で、砧地域に次いで多く、区の中では比較的単身世帯が少ない地域である。人口構成からみると、20代の若者の比率が低く、ファミリー層が多いのが特徴である。 4 住環境  みどり率や一人あたりの公園面積は、区の平均を上回っており、特に多摩川の河川敷および国分寺崖線等に多くの緑が残る。また、都市農地も比較的多いため、全体として緑が多い地域となっている。しかし、近年開発が進み、集合住宅の増加や、相続等による宅地の細分化等により、住宅地での緑は年々減少している。このため、これまで維持してきた良好な住環境の保全が課題となっている。 5 産業  区の広域生活・文化拠点の一つである二子玉川駅周辺では、駅東側における再開発事業により、商業施設やホテル等の整備が完了した。これにより駅周辺では大規模な商業店舗やオフィスの集積が一層進んでおり、交流の拠点として拡大を続けている。  また、それぞれの駅前等を中心として形成されている商業地は、地域住民のコミュニティの場となっている。  一方、郊外住宅地として発展してきたこの地域では、貴重な緑である農地が残されており、様々な野菜の栽培が行われている。また、ぶどうやみかんの収穫体験ができる農園もあり、区民に潤いと憩いを提供している。 6 イベント  奥澤神社の「大蛇のお練り」や浄真寺の「おめんかぶり」等の伝統的な行事とともに、各地区では「二子玉川花みず木フェスティバル」、「新春奥沢地区まつり」、「新春餅つき大会」、「おどろきとどろき祭り」、「新春マラソン大会」、「ふれあいラリーまつり」、「さくらまつり」など、様々なイベントが行われ、住民相互の交流を図る場となっている。 7 区民の活動  玉川地域は、古くから住む人々の結びつきが強い地域でもあり、伝統的な行事や文化的な遺産等を自分たちで守っていこうという意識を強く持っている。名所・旧跡に石標を建て、誰もが気軽にふるさと巡りができるコースを作る取組み等も地域住民によって行われてきた。また、各地区では、高齢者や子育て中の方など、住民同士のグループによる地域支えあい活動が活発に行われるなど、安心して住み続けられるまちをめざした様々な取組みが進められている。 (玉川総合支所) 砧地域 1 土地利用  砧地域は区の西部に位置し、主に住宅地が広がる台地と、農地と住宅が混在する多摩川沿いの平地からなる地域である。台地と平地の境には、貴重な湧水や植物、樹林地を持つ国分寺崖線が広がるみどりとみずが豊かな地域である。  みどりと調和した良好な住宅地が広く分布し、区の代表的なイメージを形成しているが、近年は大規模な集合住宅も増えている。 2 歴史  野川や仙川の周辺では、多くの埋蔵文化財が発掘されている。また、喜多見地区周辺では、歴史と農村文化の名残をとどめる神社・史跡・伝統芸能等の文化遺産も多い。  大正の終わりに成城学園の立地を契機として誕生した成城は、当初より計画的なまちづくりが行われ、「学園のまち」として洗練された雰囲気をもって発展してきた。  大学や映画撮影所、世田谷美術館など教育・文化施設も多く存在する文化的環境の高い地域である。 3 人口  砧地域の人口は約16万5千人(令和6年1月1日現在)で、人口密度は区の他地域と比べて最も低い。年齢構成は、区の平均と比較して年少人口の割合が多い。また、高齢者の割合も年々増加している。 4 住環境  砧公園など大規模な公園が立地し、住民一人あたりの公園面積は5地域の中で最も広く、地域のみどり率も最も高い。また、都市化の進展にも関わらず多くの農地が残されているなど、みどりとみずの豊かな環境に恵まれているが、農地面積については漸次減少傾向にあり、市街地内に残る貴重な緑地として保全が求められている。  また、小田急線の各駅周辺では、連続立体交差事業の終了後も引き続き駅前広場や側道の整備等、街づくりが進められている。  道路・交通環境の面では、地域内の道路ネットワーク等基盤整備が不十分な状況である。コミュニティバス路線が、地域の交通機関として大きな役割を担っている。  地域の南西部では、東京外かく環状道路の建設が行われており、今後の地区の変化を見据えた街づくりが求められている。 5 産業  良好な住環境を背景に、撮影所・研究所等の産業の集積が見られ、成城学園前駅や祖師ヶ谷大蔵駅をはじめとする小田急線の各駅周辺には、地域生活を支える商業の集積が見られる。また、農地では野菜を中心に様々な農作物が作られており、地域内の直売所等で販売されるなど地産地消の農業が展開されている。 6 イベント  昭和53年(1978年)から開催されている「たまがわ花火大会」は、世田谷ならではの迫力ある花火を打ち上げ多くの人々に親しまれている。  「祖師谷ふるさとフェスティバル」や「成城さくらフェスティバル」、「船橋ふれあいまつり」、「喜多見地区区民まつり」、「砧地区緑化まつり」等地区ぐるみの祭りが定着し、住民相互の交流も活発に行われている。 7 区民の活動  砧地域では、住民が中心となり、文化創造や福祉につながる活動、環境を守り育てる活動が盛んに行われている。  特に、町会等による地域の高齢者の支え合い活動が多くの地区で行われるなど、区民活動がますます活発になっている。また、地域の絆や区民の防災力を高める活動も多くなっている。 (砧総合支所) 烏山地域 1 土地利用  烏山地域は、区の北西部に位置し、地域全体は比較的平坦な台地で、仙川の流れが小さな起伏を形成している。地域交通としては、東西方向に京王線が通っており、南北の公共交通はバス路線が担っている。幹線道路は甲州街道と環状八号線が整備されているものの生活道路については、地域全体の体系的な整備が未だ不十分な状況となっている。  地域の特徴としては、駅を中心に商店街が発展し、線路を挟んで南北に戸建てや集合住宅が建ち並び、八幡山や北烏山など大規模な集合住宅が点在する住宅市街地となっている。 2 歴史  旧甲州街道が東西に走る烏山地域は「間の宿」(休憩用の宿)として賑わいがあったが、京王線開通(大正2年(1913年))以降、郊外住宅地としての開発が進められるようになった。関東大震災後に都心部から移ってきた寺が集まってできた「烏山寺町」や、徳冨蘆花ゆかりの「蘆花恒春園」や「世田谷文学館」があり、歴史や文化の香り高い地域である。 3 人口  人口は約12万人(令和6年1月1日現在)で5地域の中では最も少ない。また、65歳以上の高齢者の人口割合は、約21%となっている。  人口密度は、15,550人(令和6年1月1日現在)とほぼ区全体と同様である。 4 住環境  農地や寺社、比較的大きな樹林地などの民有地によりみどり豊かな環境を保っている烏山地域は、相続等による農地の宅地化などが進み、みどりの減少傾向にある。また、蘆花恒春園や祖師谷公園が配置されているものの、一人当たりの公園面積は区全体の平均を下回っている。  近年、公的団地の建替えや大規模敷地の土地利用転換に合わせ、周辺の住環境に配慮した土地利用の誘導と都市基盤の整備に取り組んでいる。  また、京王線の各駅周辺では、連続立体交差事業を契機に、街が大きく変化する機会を捉えて区民等が主体となった街づくりが進められている。甲州街道や環状八号線などの幹線道路は整備されているが、地区内の生活道路は狭く少ない状況にあり、安全な道路整備が求められる。そのため、道路や公園の基盤整備を図る必要がある。 5 産業  商業地は京王線駅周辺および甲州街道等の幹線道路の沿道に見られる。特に、地域のほぼ中央にある千歳烏山駅周辺では、買物等のにぎわいが見られる。みどり豊かな地域の農地は、新鮮な農作物の供給源であるとともに、区民が土に親しむ機会となる区民農園や、気軽に収穫体験できる農園が多くあり好評を得ている。 6 イベント  蘆花恒春園において、烏山地域ゆかりの文豪徳冨蘆花の顕彰とともに、地域全体の輪の広がりを目的とした「烏山地域蘆花まつり」は多くの人々に親しまれている。  また、各地区では、上北沢の「自由広場」、上祖師谷の「トライアングルフェスタ」、そして季節の風物詩となっている烏山の「からすやま夏まつり」、「お笑い夏まつり」、「からすやま新年子どもまつり」など区民の自主的なイベントが活発に行われている。 7 区民の活動  各地区では、町会・自治会や商店街、様々な地域活動団体が、環境を守る活動や清掃美化、放置自転車クリーンキャンペーンなどの活動を行っている。また、住民相互のコミュニティや絆づくり、賑わいのあるまちづくりをめざし、住民と行政が協働したユニバーサルデザインのまちづくり、桜並木の保全、千歳烏山駅周辺のきれいな街づくりなどに取り組んでいる。  高齢者が心身ともにすこやかな人生を過ごすために、ふれあい・いきいきサロン、支えあいミニデイ、自主活動グループが中心となり、助け合い、支え合っていく仲間づくりの取組みも進められている。 (烏山総合支所) 区のまつり  ふるさとは遠くにあるものではなく、身近なところでつくるという発想に立ち、区では特色のある地域のまつりを通して、ふるさと意識の高揚とふれあいの場(機会)づくりを図るため、次の事業(まつり)などを支援している。 1 せたがやふるさと区民まつり 区内のまつりの“メインイベント”として、区内各地域の個人・団体などが協力しあい、それぞれの連帯感を高め、ふれあいの輪を広げるとともに、ふるさと意識の高揚を図る。  8月第1日曜日とその前日の土曜日に実施。せたがやふるさと区民まつり実行委員会が主催。 2 雑居まつり  世田谷のボランティア活動と福祉を発展させるため、地域住民の連帯により、ボランティア意識の高揚を図る。  毎年10月に実施。雑居まつり実行委員会が主催。 (区民健康村・ふるさと・交流推進課) 3 世田谷のボロ市  440年以上の歴史があり、世田谷の冬の風物詩として親しまれている郷土行事「世田谷のボロ市」の振興と発展を図る。  毎年、12月と1月の15・16日の両日、“ボロ市通り”とその周辺で行われる。せたがやボロ市保存会が主催。  東京都指定無形民俗文化財に指定されている。 (世田谷総合支所地域振興課) 4 せたがや梅まつり  都内有数の梅の名所である区立羽根木公園を広く周知するとともに、様々なイベントを通して、区民にふれあいの場を提供する。  毎年、2月上旬より約1か月間、実施。せたがや梅まつり実行委員会が主催。 (北沢総合支所地域振興課) 5 等々力渓谷イベント  東京23区内唯一の渓谷である「等々力渓谷」の豊かな自然に親しんでもらうことで、区民の渓谷への理解を深めるとともに、自然を大切にする気持ちを育むことを目的とする。 毎年4月頃:等々力渓谷たけのこ掘り体験 7月頃:等々力渓谷「七夕かざり作りと自然観察会」 11月下旬: 等々力渓谷みかん狩り体験 等々力渓谷保存会・世田谷区が主催。 (玉川総合支所地域振興課) 6 世田谷区たまがわ花火大会及び多摩川クリーン作戦  区民に多摩川の水辺に親しんでもらうとともに、周辺環境の美化に努めることにより、「ふるさと」意識の醸成と「区民相互の絆」を深める。世田谷区ならではの華やかで迫力ある花火演出を行うとともに、川崎市と世田谷区との連携・協力に関する包括協定に基づき合同開催する。  世田谷区たまがわ花火大会実行委員会・世田谷区が主催。 (砧・玉川総合支所地域振興課) 7 烏山地域蘆花まつり  都立蘆花恒春園を会場とし、烏山地域の振興、ふれあいのあるまちづくり、徳冨蘆花の顕彰を目的とする。  10月第4日曜日に実施。烏山地域蘆花まつり実行委員会が主催。 (烏山総合支所地域振興課) 8 地域ふるさとまつり  それぞれの地域特性を生かした様々なふるさとまつりに対する支援により、区民交流を促進し、さらに各種団体の共同の行事として発展させ、まちづくりの推進を図る。 (総合支所地域振興課) 昭和50年からの区政等のあゆみ 刊行物一覧 ●有償刊行物は、主に区政情報センターや区政情報コーナー(北沢・玉川・砧・烏山総合支所内)で販売しています。 世田谷区の歌 世田谷区政概要2023 発行 令和6年3月 広報印刷物登録番号 No.2206 編集 世田谷区政策経営部広報広聴課 〒154-8504 東京都世田谷区世田谷4-21-27 電話03-5432-2009 FAX 03-5432-3001