令和2年2月の「区長の談話室」(ゲスト:田中れいか氏)

最終更新日 令和2年2月10日

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令和2年2月の「区長の談話室」

2月2日・9日放送 区長の談話室 「児童養護施設を巣立つ若者に夢を!」

(補足)2月9日は2月2日の再放送です。

児童養護施設の子どもたちの多くは、原則18歳で退所の日を迎えますが、希望の進路に進むのは難しい傾向にあります。退所後は自活を余儀なくされるため、経済的に不利な面が多く、大学進学率も著しく低い状況にあります。また、本人の希望で進学を果たした場合にも、学業と両立しながら学費や住居、生活費等を一人で捻出する必要があり、大変厳しい現状に置かれています。区では全ての若者が同じスタートラインに立ち、未来を切り開いていくために「せたがや若者フェアスタート事業」として「世田谷区児童養護施設退所者等奨学基金」を創設しました。今回は区内児童養護施設出身のゲストをお招きして、地域社会の私たちにできることを考えていきます。

あいさつ、ゲストとテーマ紹介

  • (広報広聴課長)広報広聴課長の山戸です。今日は「児童養護施設を巣立つ若者に夢を!」と題しまして、18歳で児童養護施設から巣立つ若者たちへの応援策についてお送りしていきます。早速ゲストをご紹介しましょう。モデルで、NPO法人プラネットカナールの広報を担当されている田中れいかさんです。田中れいかさんは、世田谷区内の児童養護施設のご出身で、モデル業の傍らNPO法人活動もされております。それでは田中さん、区長、よろしくお願いします。
  • (保坂区長・田中さん)よろしくお願いします。
  • (広報広聴課長)早速ですが田中さん、NPO法人プラネットカナールではどのような活動をされているのでしょうか?
  • (田中さん)そもそも児童養護施設というのは、全国に3万人ほどですね、子どもたちがいまして、親と離れている子どもたちが暮らす施設です。そこに暮らす子どもたちというのは、原則18歳で施設を出なければならず、その施設を出るタイミングになりますと、いきなり一人暮らしをするためのお金を自分で出さなければいけないんですね。となると、その時の一人暮らし用の家具家電一式揃えるってなると、皆さんご経験もあるとおり、約20万円ぐらい自分で出して引っ越さなきゃいけない。という現状がある中で、私たちNPO法人プラネットカナールでは、皆さんのご家庭で不用になったきれいめな家具・家電を、ボランティアさんできれいにクリーニングして、それを施設の子どもたちにプレゼントするという活動をしています。
  • (区長)そのまま生活が始められるようにってことですね。
  • (田中さん)そうです。自立の負担を無くす、といった活動をしています。

1億円を超えた世田谷区への寄附、児童養護施設とは? ゲストの話

  • (区長)今日、田中さんにぜひお話しいただきたいのは、そもそも区内の児童養護施設にいらしゃって、世田谷区でも児童養護施設の出身の若者たちが、例えば大学とか専門学校を志して、進学しようかどうしようかと迷うときに、継続できるだろうかと心配になります。
  • そこで、返さなくていい給付型の奨学金ですね、これはちょっと長い名前なんですが、「世田谷区児童養護施設退所者等奨学基金」というね、これを作りました。そして寄附を呼び掛けました。実はこの寄附が、10月の末に1億円を超えました。
  • (田中さん)はい。ネットで目にしました。びっくりしました。
  • (区長)1億円というのは大変なお金ですが、多額にいっぺんに限られた人が、ということではなく、もう本当に毎年定額で多くの人が継続して支援を受けられるというのが特徴なんですね。見ている方、聞いている方に、児童養護施設出身と紹介しましたけれども、プライベートな部分も可能な範囲で、児童養護施設がどのような存在なのか、また、田中さんが子どもの時にどのような事情で入ることになったのか、生活してきたのか。お話しいただけますか?
  • (田中さん)はい。私が児童養護施設に入るきっかけになったのは、当時7歳の時でした。両親が夜中に喧嘩をするようになって、言い合いがヒートアップして暴力沙汰になってしまって、お母さんが家を出て行って、結果、両親が離婚することになったんですけど、そういったことが原因で施設に入ることになりました。
  • (区長)その時には、どういう場所かとか、7歳だからすぐに理解はできなかったですか?何か事情の説明などはありましたか?
  • (田中さん)私は3人兄弟でして、4つ上のお姉ちゃんと3つ上のお兄ちゃんで、末っ子が私だったんですね。最初に保護されたのは私とお姉ちゃんだけでして、当時、小学校5年生のお姉ちゃんは、自分の頭の中をフル回転させて、こういう事情があって家を出てきたんですって警察の人に説明したみたいで、私は何も知らずについて行くだけで精いっぱいで。その時は、お姉ちゃんがいたらから安心したっていうのが一番大きい。
  • (区長)お姉ちゃんと同じ児童養護施設に行くことになったんですか?
  • (田中さん)はい。
  • (区長)そこでの生活はどうでしたか?
  • (田中さん)温かい家っていう感じでした。はい。
  • (区長)温かいっていうのは、施設の職員の方とか?
  • (田中さん)そうです。あとは同い年くらいの子がいっぱいいて、2つ目の学校みたいな雰囲気で、楽しかったです。
  • (区長)児童養護施設自体、やはり虐待とか、あるいはご両親の仕事とか暮らしがうまくいかなくて養育できないとか、いろいろな事情があることでそれぞれ集まってくるじゃないですか。そういう中で、結構その「温かい」というイメージはずっと続いたんですか?
  • (田中さん)もちろん一緒に暮らしていくと、仲良くなればなるほど、自分の親は実はねとか、兄弟実はいるんだけど離れて暮らしているんだよねとか、そういう、実は、実は、という寂しい気持ちにもなるんだけど、総合してそういう子たちも一緒に、ごちゃまぜで暮らしていけるっていうのが、私にとっては「温かさ」だったかなと思います。
  • (区長)なるほど。田中さんの小学校2年生とかの頃、どんな思い出がありますか?
  • (田中さん)2年生で施設に入ったときは、夏休みに施設の担当職員と1対1で、池袋のサンシャイン水族館に行ったのが思い出です。
  • (区長)趣味とかスポーツとか、何か打ち込んだことがありますか?
  • (田中さん)東京都の児童養護施設では部活動がありまして、バレーボール・ドッジボール・サッカー・野球ってあるんですけど、私は施設に入ってすぐバレーボールとドッジボール、ゆくゆくはサッカーもやりまして、運動を通じて、他の施設の子と仲良くなったり、もちろん、同じ施設の子同士、仲良くなったりというのが、私の中ではずっと継続してやったことなので、今でも思い出になっています。
  • (区長)なるほど。結局、田中さんはどのぐらいの間、家に戻らず、児童養護施設にいたことになるんですか?
  • (田中さん)はい。8歳から18歳まで。
  • (区長)10年間、長い時間ですね。8歳と言ったらまだ小学生、18歳と言ったらもう高校を卒業して、その10年間を振り返るとどうですか?
  • (田中さん)もちろん、途中おうちに帰りたいって何年も何年も言ったことがあったんです。小学校3年生から5年生くらいまで、毎年担当職員におうち帰りたいって言ったんですけど、職員がやんわりやんわり「でも、それってできないことだよね。」と言ってくれて、子どもながらに諦める心がついて、そこからはもう、ここが私の家なんだって思うようになって、結果10年いたっていうことになるので、そういう思いもありながら、総合して自分の居場所があって良かったなって、今では思います。
  • (区長)お姉ちゃんはずっと一緒にいたんですか?
  • (田中さん)お姉ちゃんは高校1年生までいました。
  • (区長)アルバイトとかを始めていこうみたいな時期は?
  • (田中さん)高校生になったら皆アルバイトしよう!って先生に言われるので、私は高校1年生の秋から、11月から始めました。
  • (区長)友達も高校になると大体バイトする子が多かったんですか?
  • (田中さん)一応、中学校3年生の時に、高校受験のための塾に通わせてもらって、進学校と言われる所には入学したんですけど、やっぱりこう分かれる。進学をめざす子と、推薦とかで何となく進学する子に分かれて、私はどっちかというと何となく進学する波に乗ってしまって、その子たちと一緒にお互いアルバイトができるような環境でしたね。
  • (区長)なるほど。話が高校にいきなり飛んでしまったんだけど、もう一度戻して。小学校から中学にかけて、将来の事とか、どんな風に進路を選ぼうとか、悩んだりとか、割と最初からイメージを持っていたりとか、どんな状態でしたか?
  • (田中さん)小学校から中学校の時は、おそらく学校の宿題とかで「将来の夢」を考えるってあると思うんですけど、何となく子どもと関わる仕事がしたいと思っていました。というのも、環境がやっぱり子どもと関わる環境なので、それしか知らない。だから学校の先生とかピアノの先生とか、そういった夢に行きがちでした。
  • (区長)そうするとやはり、先生になるためには進学をしてっていうことも考えていたんですか?
  • (田中さん)考えていました。
  • (区長)高校受験の準備はどうでしたか?
  • (田中さん)高校受験の準備は、塾に通わせてもらえるっていうことだったので、じゃあ頑張っていこう、上をめざそうっていう気持ちにはなれました。
  • (区長)いわゆる受験勉強とかには集中できましたか?
  • (田中さん)はい。夏期講習から冬まで半年間みっちりやりました。
  • (区長)ではまた高校時代まで戻ってきて、打ち込んだこと、アルバイト以外に思い出などどうでしょうか?
  • (田中さん)高校時代はアルバイト以外ないですね。
  • (区長)そんなに働いたんですか?
  • (田中さん)はい。やっぱり施設にいると自立、自立って言われますし、100万円は貯めようねという謎のゴールが決まっているので、とにかくアルバイトをして先生を安心させようとか、自分自身も安心させようって感じだったので、その他の事をするっていう頭が無かったですね。
  • (区長)でも、100万は貯めようねっていうことは、18歳の高校の卒業式で出なければいけないっていうのは、常に意識の中にはあったということかな?
  • (田中さん)やっぱり合計で10年間もいると、毎年毎年出て行く先輩の事を見続けている訳なんですね。ってなると、段々と自分の番が近づいてくるんだなぁっていう感覚は常にあったので、そういう気持ちはありました。
  • (区長)そうすると、アルバイトである程度お金を貯めて、そして大学に入れた?
  • (田中さん)はい、入れました。
  • (区長)そして、今度は大学に行きながら、新たな夢とか、あるいは子どもの頃から子どもに関わるみたいな、その辺りはどんな風に資格だとか、仕事の選択だとか、夢はどんな感じだったでしょうか?
  • (田中さん)進学したのは、保育士の資格が取れる学校でした。というのも、途中ファッションの道に行きたいとか、道をそれたこともあったんですけど、施設の先生が、手に職をつける仕事は不安定だからやめときなっていうアドバイスがあって、資格取れる学校に行こうっていうところでそこに着地しました。それと同時に施設にいる間から、女の子あるあるですが、モデルになりたいっていう夢もあったので、進学してからは施設の先生にも見られない環境ということで、自分のやりたいこと全部やろうっていうことで、保育士の学校に行きながら、モデルの道も模索していました。
  • (区長)18歳で高校卒業してから施設を出て、自立生活が始まったわけですよね。それは大きな変化でしたか?
  • (田中さん)はい。大きかったです。
  • (区長)ではその辺りの続きをまた伺いたいと思いますが。田中さんね、何か習い事とか趣味でやったことはありますか?
  • (田中さん)小学校5年生から、ピアノのボランティアさんにピアノを習った事です。
  • (区長)相当弾けるようになりましたか?
  • (田中さん)はい。ショパンのワルツまで弾けるようになりました。
  • (区長)すごいな~。弾いてて一番好きな曲は?
  • (田中さん)ピアノの先生がジブリの楽曲がすごい好きな方で、魔女の宅急便が一番好きな曲です。
  • (区長)魔女の宅急便!

ゲストの話の続き、区の応援策、私たちにできること、まとめ

  • (広報広聴課長)今日は、「児童養護施設を巣立つ若者に夢を!」と題しまして、18歳で児童養護施設から巣立つ若者たちへの応援策についてお送りしていきます。ゲストはモデルでNPO法人プラネットカナールの広報を担当されている田中れいかさんです。田中れいかさんは、世田谷区内の児童養護施設のご出身です。
  • (区長・田中さん)よろしくお願いします。
  • (区長)先ほどまでの話で、18歳までは児童養護施設にいて、高校卒業して進学するとともに、生活環境も変わりましたよね。どんな変化でしたか?
  • (田中さん)いつも8人~10人の子どもとワイワイ暮らしていたのが、ぱったり消えて1人。家に帰っても電気ついていない、ただいまって言っても誰も返してくれない。すごい寂しい、孤独感っていうのを早速味わいました。
  • (区長)経済的にも全部自分でやらないといけない。それは緊張しましたか?
  • (田中さん)そのシミュレーションを施設の職員と念入りにやっていたので、その通りにやっていれば私は卒業できるという自信はあったので、それが頼りでした。
  • (区長)そして大学の生活を経て、社会に出て行くという選択をしたわけですか?
  • (田中さん)はい。
  • (区長)それはいつ頃?
  • (田中さん)社会に出るというよりは、結局私は夢を優先してしまいました。
  • (区長)夢は、ファッションモデル?
  • (田中さん)はい。若いうちだからできる事をと思って。就職はせずに、フリーターを長らくやりました。
  • (区長)実際、その夢は挑戦してどうでしたか?
  • (田中さん)ミスコンっていう形で出場でして、何となく成績は収められたので、叶えられたかなって今では思っています。
  • (区長)一方で、今田中さんはNPO法人の活動をしながら、児童養護施設ってどんな所なのかとか、社会的養護って言うんですね。その児童養護施設や里親の下で養育される子どもたちを支える制度ですが。これについていろいろ公演をしたりしているんですよね。どんな内容で、何を訴えていますか?
  • (田中さん)私の雰囲気からすると、すごいとっつきやすいと思われるみたいで、施設ってどんなところ?とか、どんな子たちが住んでいるの?とか、どんな両親の下で育てられている子が住んでいるの?という疑問を持っている方が多くて、知らない人に知ってもらうような内容にはしています。
  • (区長)なるほど。今振り返ると、児童養護施設もたくさんの子どもたちを養育しているし、また、これから里親の下で育つ子どもたちも増えていくと思うんだけども、社会がみんなで応援しているというようになった方が良いと思うんだけど、その辺りはどうでしたか?
  • (田中さん)世田谷区は応援の力がすごく良い地域だと、私はいつも他の地域でもPRしています。やっぱり、他県に行くとご年配の方が偏見と言いますか、悪い子たちが住んでいる場所だから、あの子とは関わっちゃいけないよとか。それが子どもに受け継がれて、子どもが施設にいる子をいじめるとか。そういう話も聞くと、やっぱり世田谷区にいた時っていうのは、そういったいじめも一切なかったですし…
  • (区長)施設にいるからということで、差別を受けたり排除されたりすることはなかった?
  • (田中さん)全くなかったです。
  • (区長)それは良かった。それだけやはり、施設自体も温かく、また子どもたち同士もお互い支え合ったり、本音を言い合ったりみたいな、そういう場でしたか?
  • (田中さん)はい。地域に包まれているような場所だったので、有意義に過ごすことができました。
  • (広報広聴課長)区長、前半でもご紹介しましたが、世田谷区のせたがや若者フェアスタート事業、そして、世田谷区児童養護施設退所者等奨学基金も、区民の皆さんに具体的に支えていただきたいですね。
  • (区長)はい。世田谷区で、田中さんがいた福音寮、あともう一つ東京育成園という児童養護施設があるんですが、いずれもですね、現在も虐待問題などに関心が高いですよね。一日でも早くお子さんを保護するべきだという声は高まるんですが、8歳で児童養護施設に入った田中さんが10年、18歳まで過ごした訳ですね。どんどん成長する訳で。そうやって社会が預かった若者たちを、ちゃんとフェアな条件でスタートできる状況かどうかっていうのを考えてみると、経済的なところで奨学金などまだ足りないよねということで、給付型奨学金付き3万円というのをまず創設しました。それから、住宅費かなり掛かりますよね。区営住宅で、何人かでシェアして住んでもらえると、1万円の負担で暮らせますよという、住宅支援ですね。それからもう一つは、一人ひとりの力では限りがあるので、集まって情報交換したりする居場所支援。この3つをね、フェアスタート事業ということで始めていこうという頃に、たぶんその情報が田中さんの下にも入ったと思うのですが、どのような受け止め方だったでしょうか?
  • (田中さん)私は施設を出てから2年間は一人暮らしを経験して、20歳になって、ちょうどのこの事業が始まるということで自立支援コーディネーターという、専属の自立の先生に事業の話を聞かせてもらって、毎月4万円掛っていた家賃が1万円になるならいいじゃん!と思って利用することに決めました。
  • (区長)学費はどうだったんですか?
  • (田中さん)学費はですね、実は半年間留年していたこともあってカツカツでした。
  • (区長)このフェアスタート事業の奨学金は使えなかった?
  • (田中さん)残念ながら、できませんでした。
  • (区長)もうちょっと早く出会えれば…。ということで、1億円を超えたこの基金が。もっともっと児童養護施設や、里親の下から羽ばたいて行こうとする若者たちに、一緒にもっとこう後押しの環境を作りたいなと思うんですが、いかがですか?
  • (田中さん)それはもちろん大賛成ですね。
  • (区長)はい。どんな支援の在り方が一番いいのか。それは田中さんも含めて、当事者の皆さんの声。それから、この問題に関心を寄せている、実は世田谷区には児童相談所も作るんですね4月1日から。なので、社会が預かるという場合に、しっかりとバックアップしていくと。そんな社会的養護の仕組みを作りたいというふうに思っています。
  • そして、田中さんのこれからの夢、活動の目標、聞かせてもらえますか?
  • (田中さん)やっぱりこれまでは、自分が未熟なこともあって、自分が自分がっていう感じで、私が前に出るっていう感じだったんですけど。これからは一歩引いて、他の後輩たちの発言をもっとみんなに周知してもらうように手伝うとか、そういうバックアップの役割がしたいなって、今は思っています。
  • (区長)自分がではなく、支える側に回ると。
  • (田中さん)はい。
  • (広報広聴課長)大変田中さんの魅力あふれる話を伺ってきたところですけれども、最後に区長本日のお話のまとめをお願いします。
  • (区長)田中れいかさんは、4年か5年前、福音寮を出てすぐの頃から知り合いなんですね。シンポジウムでこうやって話してくれたりとか、すごく明るく、率直に意見を言ってくれるんで、とてもありがたかったと思います。田中さんだけじゃなくて、自分の状況はこうだよって話してくれる子も増えましたよね。
  • (田中さん)はい。
  • (区長)このフェアスタート事業をさらに広げていきたいので、ふるさと納税も含めて、ぜひ、寄附に参加してほしいと思います。4月には世田谷区の児童養護施設に行くかどうか判断することになる児童相談所、いわゆる児相と言いますけどね。これができます。同時に、世田谷区ならではの一人ひとりの子どもにやさしい、また可能性があれば何にでも挑戦ができる、制限されない、そんな環境を作っていきたいと思っています。
  • (田中さん)はい。
  • (広報広聴課長)本日は貴重なお話をどうもありがとうございました。今日は、児童養護施設を巣立つ若者たちへの応援策についてお送りしてきました。田中れいかさんありがとうございました。
  • (区長・田中さん)ありがとうございました。

写真2月放送
左より、保坂区長、田中氏

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