令和4年10月の「区長の談話室」(ゲスト:永井多惠子氏)

最終更新日 令和4年11月14日

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令和4年10月の「区長の談話室」

令和4年10月2日・9日放送 区長の談話室「世田谷区で夢をかなえる!~世田谷区制施行90周年」

※10月9日は10月2日の再放送です。

世田谷区は令和4年10月1日で区制施行90周年を迎えます。区ではこれを記念して区民の生活・文化に貢献され、区民から敬愛される方々を名誉区民として顕彰することになりました。そのうちのお一方をゲストとしてお招きし、世田谷区の魅力や文化などを語り、また区制施行100周年へ向けて、未来の世田谷のあるべき姿についてお話を深めます。

ゲストとテーマ紹介

  • パーソナリティ:区長の談話室、今日も保坂展人世田谷区長と一緒にお送りしていきます。よろしくお願いいたします。
  • 区長:よろしくお願いします。
  • パーソナリティ:今日は「世田谷区で夢をかなえる!~世田谷区制施行90周年」をテーマにお話を進めてまいります。では早速、ゲストをご紹介しましょう。公益財団法人せたがや文化財団顧問で劇場事業アドバイザー、そしてこの度、名誉区民となられました永井多惠子さんです。永井さん、今日はよろしくお願いいたします。
  • 永井氏:よろしくお願いします。

区制施行90周年、名誉区民について 

  • パーソナリティ:さて区長、今年、今月で世田谷区制施行90周年という事なんですね。今どのような思いでしょうか。
  • 区長:そうですね。世田谷区という形でスタートしてから90年になるという事で、ちょうど人口も92万人のちょっと手前くらいと、大勢の方が住んでいる自治体で、永井さんはパブリックシアターもシアタートラムもあるせたがや文化財団で長年精力的にですね、企画を組み立てたりご指導頂いて。この名誉区民というのは長年区政の進展に貢献頂いた方にありがとうございますという気持ちで名誉区民になって頂くという事で、今回はですね、永井さんと一緒に、歌手の石川さゆりさんや、中川李枝子さん、「ぐりとぐら」という絵本で有名ですけれども。あとやはり歌い手、歌手の美輪明宏さんにもなって頂いています。今回ですね、区制90周年、人見記念講堂で10月16日にですね、残念ながら応募の締め切りは今過ぎてしまっているんですけれども、区政功労、そして色々と表彰式典等があった後でですね、記念イベントなども賑やかにやる予定であります。
  • パーソナリティ:はい。10月16日に式典があるということなんですが、その今回記念すべき90周年に名誉区民のおひとりとして永井さんを選ばれた経緯を、まずは永井さんにお話を伺う前に区長の方からご説明お願いできますか。
  • 区長:世田谷区というのは、特徴というのはやはり住宅都市ですよね。その中で文化の力、世田谷美術館だったり、文学館だったり、特にパブリックシアター、シアタートラムと、文化をしっかり発信をしてきたという事で、一定のイメージ、良き文化都市というイメージを持たれている方が多いと思います。どういう思いでですね、その文化発信を紡いでこられたのかっていう事を、長年の企画なども振り返ってみますと、大変やはり他のシティホールにない大きな評価を得られているのが、世田谷区のパブリックシアターだったりもします。そういう事で、ぜひご本人が迷惑でなければ、ぜひ名誉区民にという事でお願いしました。
  • パーソナリティ:はい、そういう経緯だという事なんですが、永井さん、今区長のお話にもありましたように、たくさんの世田谷の文化に色々ご尽力されてきて下さったという事なんですが、その名誉区民にというお話を頂いた時にはどういったご心境でしたか。
  • 永井氏:いや、ちょっとびっくりしました。とにかく私の場合は、せたがや文化財団という場を与えて頂いて、それで一生懸命やってきたという、そういう事だろうというふうに思っております。 

ゲストの経歴、世田谷区との関わり

  • 区長:個人的なお話をさせて頂きたいんですが、私の、もうだいぶ前に亡くなった父は、NHK資料センターっていうね、NHKの番組の色々と時代考証とかそういうことをやる、そういうことを得意としている人だったんですが、私の父のNHKにいた頃に、永井さん、お会いになったことがあるっていう事を聞いて、とても親しみを当初から覚えていたという事もあります。
  • パーソナリティ:ご縁ですね。永井さんはいかがですか。
  • 永井氏:私は本当に新人だったので。区長がお生まれになったのは仙台ですよね。
  • 区長:そうです。
  • 永井氏:仙台の放送局に、東京採用ですけれども赴任しなければいけなくて、宮城県の事を全く知らなかったので、色々資料室をお訪ねしたり、街の名前を教えてもらったり、歴史的な事を教えてもらったりという、そういう事でお父様のお世話になったというご縁はございます。
  • パーソナリティ:そうですか、そして今ここでという事ですね。またご一緒にという事で。
  • 区長:そうです。永井さんもNHKで解説委員を務められた後、退職をされて、わりとすぐに世田谷区の、当時コミュニティ振興財団と言ったんですよね。
  • 永井氏:はい、コミュニティ振興交流財団。大変長い名前です。
  • 区長:今の文化財団ですけれども、その仕事でぜひお願いしたいというお話があったそうですけれども、きっかけはどういう事だったんでしょうか。
  • 永井氏:はい、これは私が文化に関する番組を制作しておりまして、その時にインタビューしたのが、その当時文化センターを作っていた佐藤信さんという方が劇場監督として、予めそういうお約束で色々準備していらした、その方に色々番組に関わって頂いたんですね。その時の経緯で佐藤信さんが区長に推薦なさったというふうに、私は聞いております。
  • パーソナリティ:世田谷区にはもう長い間お住いなんですか。
  • 永井氏:そうですね。私、生まれは文京区の本郷なんですけれども、出入りはありましたが半世紀以上住まいしております。
  • パーソナリティ:そうなると、世田谷区の関わりというのも元々あって、そしてそこでまた文化的にということになられたわけなんですが、その他にもその後からもたくさん色々な世田谷の文化事業に尽力されたというふうにお聞きしているんですが、これまでどんなことをされていらっしゃったのかという事をリスナーの皆さんにお話して頂いてもよろしいですか。

コミュニティ振興交流財団での活動

  • 永井氏:私が関わりましたのは、コミュニティ振興交流財団というのは、今区長がおっしゃったように劇場が中核なんですね。それと、生活工房という暮らしのデザインみたいなものが中心。それから後から音楽事業が加わりました。非常に多様な文化事業を発信してたわけですけれども、やっぱり焦点は劇場事業だったと思うんですね。劇場っていうのをどういうふうに運営するのかっていう事ですけれども、はじめはたぶん世田谷区の思いは、区民が表現する場として、ある意味ではアマチュア的な活動をやって下さいという事だったかと思うんですけれども、実際に関わった劇場監督なりアーティストの方々は、プロフェッショナルなわけですよね。しかも出来上がった劇場の機構というのが非常に高度だったんです。世田谷パブリックシアターの方は600くらいですけれども、640ですね。トラムの方は240くらいですか。両方とも、非常にコンピューターを使用した高度な機能をもっておりますので、なかなか、率直に申し上げてアマチュアベースでは使いこなせない劇場でもあったんですね。そこで私が一番苦労したのは、区民の活動とプロフェッショナルとのバランスをとる、そこが非常に苦労したところですね。プロフェッショナルの方はある程度高い評価を、毎年受賞したりして非常に新聞報道などで報道されたんですけれども。もうひとつ区民への表現活動というのも、学校に、いわゆるお出かけ授業という形で。最近の子どもたちっていうのは頭でっかちで身体がちょっと弱いんですね。身体を使ってコミュニケーションをとるような授業をやったり、あるいは地域の障害者の方の表現をお助けしたり、そういう区民活動とプロフェッショナル、芸術的に高度な事業とのバランスをいかにとるかって、そこがやっぱりとても難しかったという事だったと思います。
  • 区長:永井さんが、まだ劇場としても作品の上演をこれから企画していくっていうような、ゼロベースの段階から関与されたと思うんですけれども、特にプロフェッショナルの方々の公演、非常に評価もだんだんと積みあがってきたんですね。とても人気のある劇場になり、予約なども2年先、3年先くらいまでですね、なかなか取れないというくらいになっていますが、そこはどういう思考というか、特徴を出していこうというふうに最初に考えられていたんですか。
  • 永井氏:そこはなかなか非常に難しかったところですね。アーティストの方々は分かりやすいというような事を嫌うんですよね。非常にアーティスティックな事っていうのは、一般の人は馴染めないような側面がなくはないんですよね。しかし非常に演劇好きの方はそれを喜ぶ、分かりやすいとあんまり喜ばない、そういう傾向があったり。非常にアーティスト独自の演目が出てくることがあるんです。そこでやっぱり少し同じプロフェッショナルのパフォーマンスでも、やっぱり誰にでもわかりやすいものも入れて欲しいというようなことで、色々企画について私が色々グズグズ言ったりして、軌道修正をしたりさせて頂いたというようなことはありますね。

    演劇を鑑賞するということ

  • 区長:区民との、というところで言うと、パブリックシアター友の会ですね。あの会が結構もう長年やっていらっしゃる皆さんが中心で、少しずつ世代交代しながらありますよね。ああいう会もずっと続いていて、チケットが欲しい方なんかも含めて、非常に会員もそこそこの人数になっているっていうのも特徴じゃないでしょうかね。
  • 永井氏:そうなんです。とってもありがたかったです。企業主の方、いわゆる社長さんですね、そういう方々も会員になっていて下さって。最初は400人くらいだったんですけれども、今は10倍になりました。4,000人超えているんですね。それで、社長業なんかをなさっているわけですから、普段演劇とかね、そんなものはあんまりご関心が薄い方が観られたわけですけれどもね。それがね、回を重ねるごとに鑑賞力が上がってくるんですよね。ちょっと難しいんだけど、これどうかなぁと思ってお聞きすると、「いや、面白かった」とおっしゃるんですよ。「素晴らしいですね、なんかとても鑑賞力が上がられたじゃないですか?」なんて笑い話をするんですけれども。やっぱりこういう演劇とかアート、絵画でもなんでもそうですけれども、やっぱり観ることによって自分の力っていうのが上がってくるんですよね。それと、私、一般の方々がいつもなんというのか、テレビの話をするばかりではなくて、やっぱり演劇とか文学とか美術とか、そういう事を話す、そういう人達になって欲しいなと思っておりましたので、友の会っていうのは、本当に一般の方々なんです。特に演劇が好きでも絵画が好きでもない。美術館の方はね、やっぱり美術好き、自分が絵を描くとかっていう方が多いんですよ。でもセンターの場合は、やっぱり演劇っていうものがちょっと身近ではなかった部分ですね。その方々がとても面白がって下さって、それをとても私は嬉しく思っております。
  • 区長:パブリックシアターの場合はね、もちろん演劇中心ですけれども、ダンスがあったり古典芸能があったり幅が広いんですよね。
  • 永井氏:そうですね。野村萬斎さんを途中から芸術監督にお迎えして、狂言の手法でシェイクスピアをやったり、そういう新しい企画をやりまして、これは大変評価をして頂きました。それから国際共同という事で、やっぱり演劇の水準っていうのは欧米の方が優れておりまして、イギリスから素晴らしい演出家を招いて村上春樹の原作をですね、舞台化して日本の俳優もそこに共演したというようなこともありまして。これは国際的にも評価され、ロンドン、パリ、ニューヨークなどにも巡業をいたしました。
  • パーソナリティ:おそらくそこの劇場に行くだけで世界の演劇を味わえるという、パブリックシアターの観客席っていうのも、ちょっと非日常な感じがすると私は思っているんですけれども。そういう事の大元を作られていたのが永井さんなんですね。
  • 永井氏:そんなことはないんですけど。元々演劇とか文学は非日常ですよね。非日常を味わう事によって、日常を振り返るという、そういう事があるんですよね。
  • パーソナリティ:逆に振り返る。
  • 区長:お芝居を観るっていうのはね、ちょっとハードル高いなって思っている方もいらっしゃると思うんですが、身近にある世田谷区の、特に外からも大勢の方がやってくる劇場ですので、ぜひ話題作たくさん紹介されていますので観て頂けたらなと思います。 

世田谷区の魅力

  • パーソナリティ:今、パブリックシアターのお話もたくさん伺ったんですけれども、先ほどちょっとお話がありましたが、世田谷美術館とかせたがや文化財団というのは、色々な所を皆さん、世田谷区民にとっては身近な場所ではあるんですが、あとは美術館だけじゃなくて文学館もありますし、生活工房もあったりということで、本当に区民にとっては文化が身近に感じられるようなところがたくさんありますよね。
  • 永井氏:そうですよね。やっぱり身近に文化の場があるっていうのはとっても良い事で、もちろんもうちょっと足を延ばすと渋谷とか有楽町とか日比谷とかあるんですけれども、やっぱり足を延ばしやすいところにあるっていうことはね、とても人々の心に豊かさをもたらすものだというふうに考えております。
  • パーソナリティ:わが街に、ということですけれども、そんなふうに世田谷と文化という事で長年関わって下さったわけなんですけれども、そういった世田谷というと、魅力というと色々あると思うんですが、どんなことを感じられますか。
  • 永井氏:私は世田谷に住まいした頃は小学生の頃、一旦。その時は成城学園のあたりはレンゲ畑があって水車が回っていたんですよ。それが私の原風景です。だから本当に「みどり33」っていう政策もあるんですけれども、やっぱりみどり、環境っていうものが大事だというふうに思います。それとこれは長年大場さん以来次々区長さん変わられたんですけれども、やっぱり文化に理解のある方がなって下さって本当に助かりました。「文化なんかいらない」っていう区長さんが当選された所もありましてね、身近に色んな事がひっくり返ってしまうんですよね。そういう事がなくて本当に幸せでした。
  • パーソナリティ:保坂区長、いかがですか。
  • 区長:なんでもね、効率、費用対効果がどうだとか、何人動員しているんだとかね、そういう尺度じゃないでしょうと。やっぱり幸福度なんていう言葉もありますけれども、精神的に非常に豊かな気持ちとか、改めて劇場から出る時にね、入ってきた時とまた違う世界が見えているっていうのが、やっぱり文化芸術の凄さだと思います。そういうところをですね、あんまり、行革とかっていうことで、コストカット、コストカットっていうことはなるべく言わないようにはしたんですが、ちょっと一部言ったかもしれないんですが、頑張ってこれからもいきたいとは思っています。
  • パーソナリティ:はい、わかりました。まだまだこの後もお話を伺っていきたいと思います。 

国際演劇協会日本センターとは

  • パーソナリティ:今日の区長の談話室は「世田谷区で夢をかなえる!~世田谷区制施行90周年」をテーマにお話を進めています。ゲストには、公益財団法人せたがや文化財団顧問で劇場事業アドバイザー、そしてこの度、名誉区民となられました永井多惠子さんをお迎えしています。引き続きよろしくお願いいたします。永井さんは、公益社団法人国際演劇協会日本センターの会長としてのお仕事をされていらっしゃるという事なんですが、これはどういった活動なんでしょうか。
  • 永井氏:これはユネスコのNGOなんですね。演劇やダンスを通じて、今88か国と交流しているんですけれども、国際的な組織でして、歴史は古くて第二次大戦後1948年にできまして、日本が加盟したのが1951年ですから70年くらいの歴史があるんですね。要するにコンセプトは、演劇とかダンスを通じて平和っていう事の大事さを人々の心に築いていこうっていう、そういう趣旨で事業運営がされているんです。
  • パーソナリティ:国際的にもたくさんの国が加盟されていて。
  • 永井氏:そうですね、国と地域という言い方もします。今は本当に国の境がわからなくなってきていますので。例えばウクライナの事が今は焦点ですけれども、やっぱり皆さんご存じないけれども、各地で民族の争いってとても多いんですよ。ところがそういう所でも演劇は生まれているんですね。そういう紛争地域の演劇というのをお互いに交換しあって、日本では、日本のお客さんにそれを翻訳して舞台化して見せて総合理解を深めるというような事もやっておりますし、それからイスラム圏では女性の問題がありましたり、昨年ではコロナが世界中を覆ったわけですね。統一的なテーマでコロナ禍の中の演劇っていうテーマで各国から募集したんですね。すごく面白かったんです。アメリカではお母さんの事を子どもたちがもの凄く心配しているんですけれども、お母さんの方が「もうあんなの全然関係ないのよ」っていう、本当にさっぱりした人間関係なんだなっていう。長じてからはね、そういう感じになるんだなっていう事とか。中国ではね、もの凄い統制が厳しいもんだから、一旦家を出た男の人は締め出されちゃうんですね、門が閉まって。そしたら、元の妻のところに駆け込んでしばらく逗留して、それで人間ドラマが生まれたっていうね、すごく可笑しい話がね、作品が来まして、それを日本人の俳優で演じたんですけれど、とても面白かったです。
  • パーソナリティ:この日本センターの中にも取り入れてっていうことで、それがまた世田谷区の文化の方にも色々と反映されてくるという事もありますよね。
  • 永井氏:ええ。
  • 区長:世田谷区のパブリックシアター中心に、演劇の、ずっと続けられたわけじゃなくて、本当に最後の最後の詰めまでやって上演できなかった作品、つい最近、2年ぶりですか、再演されましたけれども。影響は受けたんですが、比較的色々コツを掴みながらステージを組んで頂いて、全くやっていない時期はそんなに多くはなかったかなと思いますけれども。
  • 永井氏:いやぁ、でもコロナで最後のグランドリハーサルが終わって翌日から中止って来た時には、アーティスト達の方がね、俳優さん女優さんたちが泣き出しちゃって本当に困りましたし。
  • 区長:そうですよね。
  • 永井氏:経済的にもやっぱり長い事稽古してましたでしょ。ですからそれの保証はありまして。とてもお金の面では大変でしたけれども、これはやっぱり文化庁とか経産省とか、ああいうところの結構助成がありましてなんとかなりましたけれども、やっぱり作品を中止させるっていう事はアーティストにとって痛い思い出だったんですよね。 

    世田谷の未来、区制施行100周年をめざして

  • パーソナリティ:もうそういう事が起こらない世の中に、本当にこれからはなって欲しいなと思うんですが。今年90周年ということで、これから100周年に向けて歩んでいくわけなんですが、区長、そのあたりどんな事を思い描きますか。
  • 区長:そうですね、今のお話を続けて引き取ると、2年半に及ぶコロナの影響で演劇だけじゃなくて音楽とか映画とかですね、そういう特に文化関係、芸術関係で相当痛手を被って、まだその影響はずっと残っていると思います。一層、文化芸術に力を入れていきたいと思いますし、永井さんのお話の中で、子どもたちが頭でっかちになっているというお話がありましたけれども、今、学校の通学が難しくなる、行けないし行きたくない、行きたいんだけど足が向かない、色んな形で悩んでる子どもはすごく増えているんですね。今考えているのは、やはり子どもたちの教育の現場にですね、アートだとか表現だとかいう事をもっと身近に、またそこに打ち込んで、こんなふうに自分はやれるんだ、面白いなっていうふうに思えるような、そういう機会をですね、世田谷区の中でも、ちょっと準備して作っていきたいなっていうふうに思っている所なんですね。ですから、これからの世田谷区が劇場だけに文化が留まるんではなくて、街の中に、ちょうど「三茶de大道芸」っていう大イベントがありますけれども、パブリックシアターの中から飛び出して、街全体に芸術文化が出てくるみたいなイメージを、区内全体広いですけれども浸透させていきたいなと思います。
  • パーソナリティ:そうなるとまた、永井さんのお力をたくさん頂かなくちゃと思うんですが、永井さんはいかがですか、今のお話で。
  • 永井氏:そうですね。なかなか文化事業っていうのは本当に複雑でして、本当に一生懸命やる、好きな事をやっている人が多いもんですから、ひとつは労務管理にすごく苦労しましたね。なかなか長時間労働は今、大変規制されておりますので。そういう点も難しい事のひとつですね。もちろん子どもたちのこと、ただ暗記するっていうのではなくて、体の中に入って楽しんで興味を持って学ぶって事が大事なんで、そういう意味では演劇とかダンスのツールっていうのは、これはヨーロッパでも言われているんですけれども、有効だなっていうふうに考えています。
  • パーソナリティ:わかりました。10年後、子どもたちがまた世田谷でどういう文化を体験しながらどんなふうな大人に成長していくかっていう事を考えると楽しみでもあります。では最後に、保坂区長、一言リスナーの皆さんにメッセージをお願いできますか。
  • 区長:今日は長年、せたがや文化財団で文化芸術、特に舞台製作中心にご貢献頂いた永井多惠子さんに、改めて名誉区民にもなって頂いて、これからも的確なアドバイスを頂けたらというふうに改めて期待したところで。また、お聴きになった皆さんも演劇とかアートっていうものをもうちょっと身近に感じて頂けたかなと思いますので、またそういう機会をご自身で作って頂けたらと思います。
  • パーソナリティ:はい、わかりました。少しギスギスしたこんな時代だからこそ、文化芸術っていうのは心の栄養っていうのは改めて大事だなというふうに、今日お話を伺って思いました。保坂区長、そして永井さん、今日はどうもありがとうございました。
  • 区長・永井氏:ありがとうございました。

写真令和4年10月放送

左より永井氏、パーソナリティ、保坂区長

※撮影時のみマスクを外しています。

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