■豪徳寺の調査の様子(平成30年11月)  新たな区史編さんに向けた  本格的な調査が始まりました。  昨年の秋から、新たな世田谷区史編さんに向 けた資料の本格的な調査が始まりました。 なんど  写真は、今まで未調査であった豪徳寺の納戸 を昨年 11月に調査した様子です。(詳細は2 ページ)  区史編さん担当では、区内の寺社、世田谷に 古くからお住まいの方々がお持ちの古文書、区 内外の吉良氏関係の古文書などの調査も進めて います。(詳細は3ページ) 第 2号 平成 31年(2019)3月  区民の皆様からの資料や情報提供を  お願いしています  昭和 37年(1962)に『新修 世田谷区史』、 昭和 51年(1976)に『世田谷 近・現代史』 が発刊され、それから既に半世紀が過ぎていま す。  この間に遺跡や文化財等の調査により、各分 野での調査・研究が進み、新たな視点からの区 の歴史の見直しが進んでいます。  区史編さんでは、この間の蓄積を活かすとと もに、これを機会に新たな資料を発掘し、貴重 な歴史資料として活かしてまいります。  皆様がお持ちの資料等の情報がございました ら、区史編さん担当までご一報ください。(詳 細は 4ページ) 1  豪徳寺で世田谷吉良氏の  新たな古文書が発見されました ◆戦国時代の古文書 今まで全く存在の知られていなかった世田谷 きら 吉良氏の古文書が見つかりました。世田谷吉良 氏は、室町幕府を開いた足利氏の一族で、室町 から戦国時代にかけて世田谷を支配しました。 発見されたのは、吉良氏の朱印が押された古 か おう 文書と吉良頼康の花押(今でいうサインのよう なもの)がある古文書です。宛先は「弘徳院」 「弘 徳禅院」と書かれていました。豪徳寺の前身は こうとくいん 弘徳院とされていますが、そのことを裏付ける ものです。 ■ 細長い箱の蓋を取ると古文書が・・・  開いてみると吉良氏の古文書でした!◆江戸時代の古文書 せんたくじ 吉良頼高の菩提寺・泉澤寺 (川崎市中原区 上小田中 )にかつてあった阿弥陀如来像の 胎内墨書(たいないぼくしょ) などを写した「吉良頼康公直筆写抜書」 きょうほう (享保 6年〈1721〉)が見つかりました。長い 間所在がわからなくなっていましたが、豪徳寺 の所蔵であることが確認されました。 このほか、江戸時代の過去帳や土地関係の証 文なども見つかっています。 ■ 「吉良頼康公直筆写抜書」(左)と金具の付いた箱に  入っていた江戸時代の古文書(右) 2 くり ◆移築当時の庫裏の写真・図面  現在の庫裏は 旧佐倉藩堀田家 の江戸屋敷内に あった建物 (書 院 )を関東大震 災後に移築した と考えられてい ます。今回見つかった写真は移築当初の庫裏の 姿を撮影したものです。 図面には、移築以前の堀田家別邸のものがあ りました。下の写真ではほとんど判別できませ んが、図面上には薄い赤線が数カ所あります。 これは、 実際に移築した部分を示していると考 えられ、堀田家にあった建物を丸ごと移築した わけではないことがうかがえます。 ■塀も庭も造られていない豪徳寺庫裏 ■「堀田家別邸内諸建物平面図(其一)」(昭和 3年 9月) ほうきょういんとう ◆宝篋印塔  供養塔・墓碑として建てられた宝篋印塔につ いては、全体と部材ごとの写真撮影・計測を行 たくほん い、文字がある部分は拓本を取りました。拓本 とは木や石、または石碑や器物に刻まれた文字 や文様を紙に写しとったものです。作業の結果、 従来言われて来た文字と異なる文字が刻まれて いることがわかりました。 ■宝篋印塔■宝篋印塔の拓本作業の様子   拓本作業―西福寺―  赤堤3丁目の西福寺では、阿弥陀像の図像が いたび 刻まれた貴重な板碑の拓本を取りました。 ■板碑の拓本作業の様子   吉良氏関係文書の調査―泉澤寺―  泉澤寺の古文書 調査の様子です。  紙の折り方や大 きさなども詳しく 調べました。   等々力村「豊田家文書」を入手しました 昨年末に「豊田家文書」(江戸時代後期から 明治時代にかけての古文書 61件)を入手しま した。 てんしょう 豊田氏は、かつて世田谷吉良氏に仕え、天正 18年(1590)吉良氏が世田谷を退去してから は等々力村・下野毛村などに土着し、帰農した と伝えられています。その後、江戸時代に入る なぬし と、等々力村旗本鈴木氏領の名主を代々世襲し ました。 こちょう 明治になると、副戸長・戸長などの村役人を 務め、地域の発展に寄与しました。 「豊田家文書」が発見されたことで、新たな 等々力の史実が判明することが期待されます。 ■「豊田家文書」の一部 ・大平家(中世文書) ・池尻地域(軍事施設跡の視察) ・めぐろ歴史資料館(中世文書) ・豪徳寺(石塔・板碑) ・玉川・砧地域  (耕地整理関連史跡等の視察) ・川崎市泉澤寺(中世文書) 月調査先(内容) 5月 6月 9月 10月 ・西福寺(仏像・板碑) ・港区立郷土歴史館(中世文書) ・豪徳寺(中世・近世・近現代資料など) ・群馬県立歴史博物館(中世文書) ・伊東市文化財管理センター(中世文書) 11月 12月・在塚家(聞取り調査) ・飯田家(聞取り調査) ・大場家(聞取り調査・近現代資料) ・大原社会歴史問題研究所(近現代資料) ・三鷹市教育委員会(近現代資料) ・齋田記念館(近世・近代資料) 月調査先(内容) 11月2月 ■2018年5月〜2019年2月調査先一覧 3  資料のご寄贈、情報提供  ありがとうございました  『区のおしらせ』や『区史編さんだより』(創 刊号)をご覧になられた区民の皆様から多くの 資料や貴重な物品のご寄贈、情報をご提供いた だきました。本当にありがとうございました。  今後ともよろしくお願いいたします。 寄贈者のお名前主な寄贈品 相原 明彦  様鉄道記念乗車券 井出 美影  様戦時国債 上保 照代  様家計簿 大場 博司  様戦時国債 金子 廣子  様種痘済証 清家 絢子  様家庭用品購入通帳 永田 武彦  様住宅営団取得書類 末原貫一郎 様スクラップブック 山本 和雄  様裁縫箱  旧家の調査を進めています   『新修 世田谷区史』(昭和 37年)の編集参 考資料の中に、「世田谷区内旧家調べ目録」(昭 和 34年)という簿冊がありました。 旧家とは、江戸時代に名主や年寄(としより) などの村役 人を務め、今でも続く家のことです。これらの 旧家には古文書が残されていることがありま す。この目録は当時の編さん室が、世田谷の旧 家をくまなく尋ね、古文書の有無を調べて書き 上げたものです。この目録を手がかりに調査を 進め、その結果収集された古文書は『世田谷区 史料』や『世田谷区史料叢書』などとして刊行 されました。それらは区史やさまざまな研究の 基礎資料として活かされています。  今回、区史を編さんするにあたり、再度旧家 の皆様に新たな資料発掘のご協力をお願いして います。これまでに、相原家、秋山家、飯田家、 齋田家、下山家、長島家の皆様にご協力をいた だきました。今後も新たな資料の発掘に努めて まいります。  皆様のご自宅や物置に、古い写真(風景・家 族など)やアルバム、手紙、はがき、各種書類、 日記や日誌、手帳類、通帳、レコード、カセッ トテープ、8ミリフィルム、地図、家計簿、新聞、 雑誌、書画、絵画、チラシなど眠っていませんか。  ちょっと待って、捨てないで  −資料提供・聞き取りのおねがい−  これらは貴重な歴史 資料かも知れません。 もういらないから、邪 魔だからと言って、捨 てる前にご一報くださ い。 区では新たな区史の 編さん作業を始めまし た。様々な資料を収集・保存するとともに、区 民の方々からも聞き取りを行い、区史に活かし ていきたいと考えています。  まずは電話でご連絡ください。  区史編さん担当 03(6432)6144  世田谷の歴史をたどる冊子を発売中 .昭和 30 年頃. 永田氏提供 ■東急大井町線上野毛付近 ■価格 /1080円 ■販売場所 /区政情報セ ンター(世田谷区民会館 内)、総合支所区政情報 コーナー、郷土資料館、 世田谷文学館、世田谷美 術館  区制 85周年を記念して、原始・古代から現 おうこらいこん 代までを記述した『世田谷往古来今』を発行し ました。  世田谷の歴史や文化、お住まいの地域に対す る興味・感心を深めていただけるように、これ までの遺跡発掘や古文書の調査なども踏まえ、 現時点における最新の成果をまとめています。 4