どんな声も、うけとめます  世界をみれば、1日1.25ドルで暮らす「極度の貧困」にある人々は12億人にのぼり、その1/3が、13歳未満の子どもです。(世界銀行のレポート 2013年度)。  日本においても、子どもの相対的貧困率は1990年代半ば頃から上昇傾向にあり、最新の推計では、16.3%でした(厚生労働省2014年)。つまり、約6人に1人の子どもが相対的貧困のなかで育っています。  このような状況を改善するために、国連は、「私たちの世界を転換する:持続可能な開発のための2030アジェンダ)」(2015年9月末)を採択し、貧しい国、豊かな国、中所得の国のあらゆる国々に行動を求めました。  この目標は、“人間中心”で、“誰一人取り残されない”、また、“恐怖や暴力から自由で、平和的であり”、“包括的で公正な質の高い教育を提供し”、“地球規模の連帯の精神に基いている”社会を育むことを目指しています。どの国の人たちも、子どもたちがいじめや虐待、貧困などから解放されるために、努力することを意味しています。  世界銀行のレポートは、すべての人々が、豊かで満たされた生活を共有できるようにするためには、弱い立場の人々を経済に取り込みさえすればよいのでなく、発言権やエンパワーメントの確保ができる包摂的な社会とすることが必要と述べています。  せたホッとは、これからも、子どもの権利をまもるために、子どもたちの声を聴いて、一緒に問題解決の糸口を探り、力を蓄えることができるような相談・支援活動を行っていきます。 せたホッとは児童館などで広報啓発活動をしています。  日本のありかたをきめる憲法で人間が人間であるために認められる権利として、基本的人権が保障されています。子どもも一人の人間として、基本的人権が保障されています。  ではなぜ子どもの権利を決めなければならないのでしょうか。子どもとおとなの違いについて考えてみると、子どもの権利について特別に考えなければならないことがわかります。子どもといっても赤ちゃんから小学生・中学生、高校生など身体の大きさも能力も違います。たとえば、生まれたばかりの子は、一人ではとうてい生きていけません。つまり子どもは赤ちゃんからおとなへと成長・発達していく存在であり、おとなの支援を必要としているから、子どもの権利について特別に定めて、子どもをまもっていく必要があるのです。それでも子どもはただまもられるだけの存在ではなく、一人の人間として、権利の主体であることを忘れてはいけません。子どもも一人の人間として尊重されなければならないのです。  1989年には、子どもの権利をまもるために「子どもの権利条約」が国連総会で全会一致で採択され、国際社会として子どもの権利保障の基準が示されることになりました。  子どもの権利条約で、4つの原則といわれているのは、「差別の禁止」「子どもの最善の利益」「生存および発達の権利」「子どもの意見表明権」です。 そのうち、「子どもの最善の利益」は、子どもの成長発達を支援するおとなはその子にとって最善の利益は何かを考え、それを優先して子どもを支援していかなければならないということです。 「意見表明権」というと少し難しい言い方になりますが、赤ちゃんでもお腹がすけば泣いて訴えることができ、それを聞いておとなはミルクをあげたりします。赤ちゃんはそういう形で意見を表明していると考えることができます。子どもの意見は、その年齢および成長にあわせて、尊重されます。                       「せたホッと」は子どもの権利を保障するという観点から、それぞれの子どもが置かれた特定の状況にしたがって、その個人的な背景、状況およびニーズを考えながら、それぞれの子供の最善の利益は何かを判断して関係調整をしたり、周囲のおとなに働きかけたりします。子どもの意見や声を尊重し、一人ひとりの子どもの気持ちに寄り添いながら、子どもの権利を擁護するための機関です。   教育を受ける権利をすべての子どもに保障すること ―マララ・ユスフザイさんの思い              2014年に17歳という史上最年少でノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさん。彼女は、パキスタン北部で生まれました。15歳のとき、スクールバスで帰る途中、乗り込んできた男に頭と首を撃たれ、一時意識不明の重体になったのですが、イギリスの病院に運ばれ治療を受け、さいわいにも命をとりとめました。それではなぜ、マララさんは撃たれてしまったのでしょうか。  パキスタンの北西部を中心に活動していたイスラム武装勢力のタリバーンは、女子が教育を受けることを認めていなかったのです。マララさんは学校に通いたいという気持ちを伝えるため11歳のときにおびえながら登校する日々をブログに書いて発信しました。その内容が世界的に注目され、タリバーンの標的になってしまったのです。  マララさんは、2013年7月に国連で「一人の子ども、一人の教師、一冊の本、一本のペンが、世界を変えられる。教育こそが、唯一の解決策です」とスピーチし、教育を受ける権利をすべての子どもに保障することの重要性を世界に投げかけました。  ノーベル平和賞受賞式典では「私には声を上げずに殺されるのを待つか、声を上げて殺されるか二つの道しかありませんでした。だから声を上げて殺されるのを選んだのです」「子どもたちには権利があります。質の良い教育を受け、労働から解放され、人身売買にあわない権利が。そして幸せな人生を送る権利があるのです。私はこうした子どもたちに寄り添います。」と力強くスピーチし、世界から称賛されたのです。 教育を受ける権利の保障は、言い換えるならば、生存および発達の権利の基盤となる学習権を保障するということです。