区指定有形文化財(建造物) 旧山田家住宅は昭和12年(1937)頃に建築されました。 建築主は楢崎定吉という人で、アメリカで事業を成功させた実業家で、帰国後にアメリカの住宅の影響を受けてこの住宅を建設したと伝わっています。 終戦後は一時進駐軍(GHQ)に接収されていたといわれています。楢崎氏について詳しいことはわかっていませんが、昭和35年(1960)には住宅を売却し、手放しています。 翌36年には画家で南画院(現特定非営利活動法人南画院)の代表として活躍した山田盛隆氏(雅号・耕雨)が購入し住まいとしました。 旧山田家住宅(きゅうやまだけじゅうたく)1棟、附(つけたり)、建築申請資料10枚、不動産取得税資料3枚、封筒付、指定年月日平成28年2月1日 旧山田家住宅はハケと呼ばれる崖線(国分寺崖線、こくぶんじせん)上にあり、ホタルの自生地として知られる「みつ池」を眺望できます。 国分寺崖線は多摩川の河岸段丘(崖)で、緑や湧き水などの豊かな自然が残されています。 旧山田家住宅のある台地の下には、「みつ池」と呼ばれる豊富な湧き水があり、崖線とその上の台地には上神明(かみのしんめいいせき)遺跡と呼ばれる縄文時代の集落跡や横穴墓など古代の遺跡が分布しています。 4箇所の湧き水が湿地帯をつくり、奥深い森にはハンノキやイヌシデなどの落葉樹林と、武蔵野の林を代表するクヌギやコナラなどの林とが混じり合っています。 昭和30年頃までは農村の里山として管理され、湧き水は農業用水として利用されていました。その水温調整のために3つの溜め池が作られ、これが「みつ池」の由来となりました。 昭和48年頃、ここにも開発の手が伸びると同時に、自然保護を求める自然環境保護運動が起こり、昭和53年にその一部が東京都の「成城みつ池緑地保全地区」に指定され、世田谷区の「自然的環境の保護及び回復に関する条例」(現世田谷区みどりの基本条例)により「神明の森みつ池特別保護区」が誕生しました。 以後、保護区は年数回の開放日に一般公開されています。また、旧山田家住宅の周辺地域は成城学園が開発分譲した学園町でした。 田園郊外の良好な環境の中、住環境に配慮した様々な申し合わせによって、秩序ある快適な住宅街が形成されました。現在でも成城自治会が「成城憲章」を掲げ、住民自らが成城地区の文化や環境を守るまちづくりの規範を示しています。 区指定有形文化財(建造物) 旧山田家住宅は昭和12年(1937)頃に建築されました。建築主は楢崎定吉という人で、アメリカで事業を成功させた実業家で、帰国後にアメリカの住宅の影響を受けてこの住宅を建設したと伝わっています。 終戦後は一時進駐軍(GHQ)に接収されていたといわれています。楢崎氏について詳しいことはわかっていませんが、昭和35年(1960)には住宅を売却し、手放しています。翌36年には画家で南画院(現特定非営利活動法人南画院)の代表として活躍した山 田盛隆氏(雅号・耕雨)が購入し住まいとしました。 所有者 世田谷区 建築面積 188.25u 地下平面図、1階平面図、2階平面図 発行 世田谷区教育委員会事務局 生涯学習・地域学校連携課 文化財係 ―旧山田家住宅のご利用案内− 開園時間午前9時30分より午後4時30分まで 休園日 毎週月曜日(ただし、月曜が祝日の場合は次の平日)年末年始(12月29日〜1月3日)交通小田急線「成城学園前」駅西口より徒歩7分 発行 〒154-8504 世田谷区世田谷4丁目21番地27号 電話03-5432-2726 ファックス03-5432-3039 平成29年8月発行 世田谷区指定有形文化財 区立成城みつ池緑地(世田谷区成城4丁目20番地25号)