令和元年度 (2019年) ドゥブリング区姉妹都市提携35周年記念親善訪問報告書 世田谷区議会 親善訪問団 目次 ◎親善訪問団名簿 1 ◎訪問日程 2 ◎ドゥブリング区姉妹都市提携35周年記念親善訪問を終えて 3 ◎ドゥブリング区の概要  4 ◎姉妹都市提携35周年記念親善訪問について 1.ホーフブルク宮殿  10 2.姉妹都市提携35周年記念式典  11 3.世田谷パルク(世田谷公園) 13 4.ドゥブリング区主催 夕食会 14 5.シュタイナー学校 15 6.NMS クリム校(令和元年度世田谷区小学生派遣団受入れ校 19 7.MODUL観光学校 21 8.ウィーン農業大学 24 9.Schlumberger社(スパークリングワイン製造所) 25 10.ウィーン市役所 26 11.Seestadt Aspern(都市開発地域) 令和元年度 ドゥブリング区姉妹都市提携 35周年記念親善訪問団 職 氏名 所属 団長 下山芳男 区議会議員 副団長 板井斎 区議会議員 団員 おぎのけんじ 区議会議員 団員 高久則男 区議会議員 団員 いそだ久美子 区議会議員 団員 つるみけんご 区議会議員 随行 下村義和 区議会事務局議事担当係長 訪問日程 日程 滞在都市 訪問先・主な行事 10/21(月)出 発 10/22(火)ウィーン ◎施設訪問 〇ホーフブルク ◎姉妹都市提携35周年記念式典 ◎施設訪問 〇世田谷パルク(世田谷公園) ◎ドゥブリング区主催 夕食会 10/23(水)ウィーン ◎施設訪問 〇シュタイナー学校 〇NMS クリム校 (令和元年度世田谷区小学生派遣団受入れ校) 〇MODUL観光学校  〇ウィーン農業大学 〇Schlumberger社 (スパークリングワイン製造所) 10/24(木)ウィーン ◎施設訪問 〇ウィーン市役所 〇Seestadt Aspern (都市開発地域) 10/25(金)〜26(土)帰国 ドゥブリング区姉妹都市提携35周年記念親善訪問を終えて 団長 下山芳男 私たち親善訪問議員団の一行6名は、ダニエル・レッシュ区長の招聘を受け、保坂区長、和田議長とともにオーストリア共和国ウィーン市ドゥブリング区との姉妹都市提携35周年記念式典に出席するため、去る令和元年(2019年)10月21日から10月26日に至る6日間にわたり、ドゥブリング区を訪問いたしました。 ドゥブリング区と世田谷区との交流は、昭和58年(1983年)に、当時のドゥブリング区長であるアドルフ・ティラー区長の世田谷区訪問をきっかけに交流の機運が高まり、昭和59年(1984年)にドゥブリング区において姉妹都市提携仮調印が交わされ、翌昭和60年(1985年)に世田谷区におきまして、正式に姉妹都市提携覚書への調印を行い、今日に至っております。 私たち親善訪問議員団は、今回のドゥブリング区訪問にあたり『姉妹都市交流の更なる発展に向けて』ということを主眼に置き、レッシュ区長をはじめとする関係者の方々と友好関係を深めるとともに、世田谷区の小学生を受け入れてくださっている小学校や様々な施設を 訪問させていただき、ドゥブリング区の歴史や文化、生活環境などを学ばせていただきました。 議員団として区長、議長とともに、交流の前進に向けた熱意を伝え、末永い交流の継続に向けお互いが努力していくことが確認できたことは、大きな成果であったと感じております。 交流内容等の詳細は項目ごとに後述いたしますが、今回の訪問は議員団各位にとって誠に有意義なものとなりました。訪問の成果は、今後の議会活動を通じて本区の行政に十分反映させて参ります。 最後になりますが、レッシュ区長、ヴーツル副区長、トーマス副区長をはじめ、迎え入れていただきましたドゥブリング区の皆様、ご協力いただきました関係者の方々に対し、親善訪問議員団を代表いたしまして、心より感謝申し上げます。 ドゥブリング区の概要 1.ドゥブリング区のあらまし ドゥブリング区は、オーストリア共和国の首都ウィーン市内の北西部に位置する閑静な住宅地域です。区の東側にはドナウ川が流れ、区役所などがある町の中心部や、住宅地などは主に区東部に集中しています。また、区内の北部から西部にかけて『ウィーンの森』が広がっています。この森の中には、カーレンベルグ(483.5m)、フォーゲルザングベルグ(516m)などの山があり、中でも、ヘルマンスコーゲルス(543m)はウィーン市でもっとも高い山になります。 区内には、中部から西部にかけて多くのぶどう農家があり、ワイン醸造が盛んに行われています。醸造元が経営するホイリゲと呼ばれる居酒屋が、グリンツィングを中心に数多くあります。 かつて、楽聖ベートーベンもこのドゥブリングに住んだ時期があり、有名な交響曲第3番『英雄』、第6番『田園』は、この地で生み出されたと言われているなど、音楽の都ウィーンにふさわしい歴史と文化を感じさせます。 ドゥブリング区は、東京都同様に23区に分かれている、ウィーン市の19番目の区であり、人口は約7万人、面積は約25平方キロメートルです。 2.ドゥブリング区の歴史 19世紀後半のウィーン市の膨張にともない、1890年、ニーダーエステルライヒ州議会は、ウィーン市周辺の村々を合併させることを決定しました。この法律は、1892年に発効されました。 ドゥブリング区もこの法律に基づいて、1890年にハイリゲンシュタット、 ウンター・ドゥブリング、ヌスドルフ、オーバー・ドゥブリング、ジーベリン グ、カーレンベルガードルフ、グリンツィングの7村を合併して第19区とし て作られました。 その後、1938年には、第18区(ヴェーリング区)より、ノイシュティフト・アム・ヴァルデ及びザルマンスドルフの2村を併合しました。 3.ドゥブリング区の紋章 1891年に制定。7村のシンボルを組み合わせて作られた。 1938年には、ノイシュティフト・アム・ヴァルデとザルマンスドルフのシンボルを加え、現在に至っています。 〇9つのシンボルの説明 @ハイリゲンシュタット この地の守護神、大天使ミカエルが、自ら打ち倒した龍の上に立っている。グリンツィング通りにある教区教会は、この大天使ミカエルを祭っている。 Aウンター・ドゥブリング 描写されているこの聖人については、聖ヤコブか聖フィリップだと言われている。この地区には教区教会がないため、オーバー・ドゥブリングの教区教会に人々は属している。 Bヌスドルフ 一本の幹より伸び、実や葉をつけた2本の枝は、くるみの木を表す。 『ヌスドルフ』は、『くるみ村』という意味であるが、村の名前がくるみの木に由来するという説は、正しくないとされる。 Cザルマンスドルフ キリスト教迫害の殉教者、聖セバスチャンが描かれている。過去、トルコ軍によってキリスト教迫害が行われた。 Dオーバー・ドゥブリング 古くから村印となっている『ぶどう』のデザイン。この地の重要な 産業はぶどう栽培だった。 Eノイシュティフト・アム・ヴァルデ ペストの病人達を看護中に、自らこの病で倒れたという聖ロコスが描かれている。それにより彼はあらゆる困窮の救済者と崇められている。 Fジーベリング 聖セヴェリンが描かれている。しかし、ジーベリングという地名が、彼の名に由来するという説は、正しくないとされる。 Gカーレンベルガードルフ この地の守護神、聖ゲオルグが、前足を高々とあげる馬にまたがり、 竜を退治している。 Hグリンツィング 貴族がぶどうの房をもっている。この地の高貴なワインを象徴している。 4.ドゥブリング区の行政制度  ウィーン市は、東京と同様23区からなっており、その第19区がドゥブリング区です。各区には、区議会があり、また区議会により選挙された区長がいます。  なお、予算は人口、道路面積などに応じて算出されたウィーン市からの交付金によって賄われており、区の担当事務は、「小中学校の建物の維持管理」、「道路、公園の建設、整備(信号も含む)」、「墓地、市場の運営」等となっています。 〇区議会、区長の制度 @区議会 区議会議員は、ウィーン市選挙法に基づき、直接選挙され (比例代表選挙)、任期は5年。 区議会は市議会の補助的機関、下部機関に位置づけられ、区の利益に関する事務のほか、市議会から明示的な委任のあった区域内に関する事務を処理する。それらの事務処理に当たっては、常に市議会の指示に従わなければならない。 A区長 区長は、区議会の最高責任者であり、区議会の第1党に属する者の中から区議会議員により選挙される。 区長は、区議会議員である必要はないが、区議会議員の被選挙権を有していることが必要である。同時に区議会議員である場合に限り、区長は表決に参加し、議長となる。 また、区議会はその構成員の中から2人の副区長(1人は第1党、もう1人は第2党に所属)を選挙する。 区長、副区長とも任期は、市長と同じ5年である。 区議会の議決が、@法律に違反し、A市議会の議決に違反し、Bその権限を超え、あるいはC区の利益を著しく害すると認めるとき、区長はその 執行を延期し、14日以内に市長の採決を得なければならない。 その場合、市長はその執行を停止し、同じ14日以内に市議会にその事案を提出し、決定を求めることができる。 また、ウィーン市長は区長を罷免する権限をもっている。 区は、区レベルにおいて市の権限に属する事務や、市長から委任された事務を執行する補助的機関である。 委任事務は、自ら処理するか、区議会議員に執行させることになる。 区長はいつでも、市議会に出席し、審議に加わることができる。 ドゥブリング区との交流年表 年 月 交流内容等 1983.5 アドルフ・ティラー区長初来日 1984.10 ドゥブリング区にて姉妹都市提携仮調印 1985.5 世田谷区議会議場にて姉妹都市提携覚書調印 1986.10 世田谷区にて多摩川・ドナウ川友好河川共同宣言調印 (ヘルムート・ツィルク ウィーン市長一行 世田谷区来訪) 1987.8 ドゥブリング区にてドナウ川『世田谷湾』命名式 1988.7 二子玉川兵庫島にて多摩川・ドナウ川友好河川記念碑除幕式 1989.10 ドゥブリング区長一行 世田谷区来訪 1992.5 ドゥブリング区にて「世田谷パルク」オープニングセレモニー 1992.10 第1回世田谷区小学生派遣団がドゥブリング区を訪問(以降毎年訪問) 1994.4 世田谷区にて姉妹都市提携10周年再確認宣言書調印式実施 1994.6 区議会海外派遣調査団がドゥブリング区訪問 1996.4 世田谷区長がドゥブリング区訪問 1996.9 区議会海外派遣調査団がドゥブリング区訪問 1999.10 ドゥブリング区にて姉妹都市提携15周年再確認宣言書調印式実施 ドナウ川 『世田谷湾』 命名式実施 ※旧世田谷湾の沈没による 2003.5 ドゥブリング区長一行 世田谷区来訪 2004.10 ドゥブリング区にて姉妹都市提携20周年再確認宣言書調印式実施 2009.5 世田谷区議会議場にて姉妹都市提携25周年再確認宣言書調印式実施 2009.10 ドゥブリング区にて姉妹都市提携25周年記念式典実施 2014.6 ドゥブリング区にて姉妹都市提携30周年再確認宣言書調印式実施 2018.10 ダニエル・レッシュ ドゥブリング区長就任 2019.6 世田谷区議会議場にて姉妹都市提携35周年再確認宣言書調印式実施 2019.10 ドゥブリング区にて姉妹都市提携35周年記念式典実施 姉妹都市提携35周年記念親善訪問について 1.ホーフブルク宮殿 日本を出発しウィーンに到着した翌日10月22日、朝7時でもホテル周辺は薄暗く、街を足早に行き交う市民の服装からも厳しい寒さを覚悟しましたが、気温は思ったほど冷え込んでおらず、日中も過ごしやすい一日となりました。8時30分頃、我々が宿泊するホテルのロビーにダニエル・レッシュ区長、ローベルト・ヴーツル副区長が突然現れ、驚きとともに世田谷区を訪問いただいた6月以来の再会に固い握手を交わしました。まさに、ドゥブリング区を代表するお二人の我々に対する歓迎の意が伝わる一場面となりました。  ヴーツル副区長より、「今回は様々な施設を訪問いただくプログラムを設定させていただいた。私たちオーストリア人ではかなり厳しい行程となっているが、時間に几帳面な日本人である皆様であれば、可能であると考えている。」という冗談を交えたお話をいただきつつ、区長、議長とともに初めの目的地である、ホーフブルク宮殿へと向かいました。 ご案内いただいたホーフブルク宮殿は現在のオーストリアのルーツであり互いの理解をさらに深め合うため、まず初めに見ていただきたい施設とのことでした。 ホーフブルク宮殿は、ウィーンのほぼ中央にあり、ハプスブルク家の皇族たちが住居として使用していた居城で、広大な敷地内には大統領の公邸、国立図書館、博物館なども併設されています。 現地のガイド兼通訳の佐野さんとヴーツル副区長にも同行していただき、ウィーンの歴史、当時のエリザベート皇后の暮らしぶりなどを事細かに説明していただきました。 外では、オーストリアの建国記念日である10月26日に軍隊のイベントが開催されるとのことで、敷地内には軍事車両などが整然と並んでいました。また、ファンデアベレン大統領は、日本の即位礼正殿の儀に出席するため渡日しており、公館の前には日本の国旗が掲揚されていました。 また宮殿内は至る所で修復作業が行われており、佐野さん曰く、直していない時はないとのこと、またこうした歴史的建造物の修繕は多方面からの寄付によって実現していることも教えていただきました。 2.姉妹都市提携35周年記念式典 ホーフブルク宮殿を後にした私たち議員団は、カーレンベルクのレストランに移動し、レッシュ区長、ヴーツル副区長らと昼食を共にし、その後、姉妹都市提携35周年記念式典が行われるドゥブリング区役所に向かいました。会場となったのは真新しいホールで、使われるのは今回で3回目とのことでした。 到着してまず驚いたのが、ドゥブリング区庁舎の入り口に「ドゥブリング区へようこそ」と書かれた手作りの大きな看板が立てられており、世田谷区の旗がドゥブリング区の旗と並んで掲揚されていたことです。 熱烈に歓迎いただいていることを肌で感じつつ会場に向かうと、入場の際には生演奏で出迎えいただき、席に着くと盛大な拍手をいただきました。更に驚いたことは世田谷区からの小学生派遣団による合唱が、式の冒頭に披露されたことです。 この世田谷区の小学生派遣団による合唱は、当初の予定にはないサプライズで、文化大使であるアブラハムさんの計らいだったとのことでした。子どもたちは緊張しながらもとても良い歌声を聴かせてくれました。 式典には区長、副区長を始め、ドゥブリング区議会の全ての党から代表議員のほか、姉妹都市提携の礎を築いた立役者である、ティラー前区長や35年前の当初より両区の通訳、調整などにご尽力いただいたラート昭子さんも出席されていました。 まずはレッシュ区長から歓迎と今後のより良い関係を約束したご挨拶。レッシュ区長はちょうど姉妹都市提携が結ばれた1984年生まれの35歳ということで会場も大いに湧きました。続いて保坂区長、和田議長と挨拶が続き、両都市の未来を担う子どもたちをはじめとした交流の一層の進展を誓い、調印式へと移りました。 その後ティラー前区長からの祝辞、また現地在住の日本の方々による合唱が披露されました。音楽の都ウィーンの中にあるドゥブリング区らしく、楽器による演奏や合唱など、音楽をふんだんに取り入れた心温まる式典となりました。 また、本日二度目のサプライズとして、保坂区長にドゥブリング名誉区民の証書が送られました。こうして終始和やかな雰囲気の中、最後もアブラハムさんの美 声が披露され、記念式典は終了となりました。 式典への参加を通して、それぞれの都市が持っている魅力を十分に引き出しながら、お互いに理解を深め、さらに友好を深めるための取り組みの推進が必要であると改めて認識いたしました。 3.世田谷パルク(世田谷公園)  記念式典を終えた私たちは、姉妹都市提携の象徴である、「世田谷パルク」(世田谷公園)に向かいました。 世田谷パルクは1992年5月、日本の造園家 故中島健氏の設計により造られました。日本の自然を象徴的に再現した公園で、多くの池や小川があり、日本独特の鑑賞用植物が植えられています。公園には茶室、雪見灯籠、多くの石像、泉水があり、入り口には石庭も設けられています。多彩な花々と四季折々の変化を楽しめるように日本カエデ、桜、蘚苔類、ツツジなどが植えられており、訪れる人々を楽しませています。また、隣接する老人ホームの方々をはじめ、市民の憩いの場となっているというお話をいただきました。 私たちが訪れた際は、茶室において現地の日本の方々により抹茶をたてていただきました。抹茶を飲み干すと、令和の文字が現れるという演出までしていただきました。 また、園内はカエデが真っ赤に紅葉しとても素晴らしい景色を見ることができました。結婚式を挙げたばかりのカップルが記念写真を撮りに来ているところに遭遇したため、公園についてのお話を聞いてみると「この公園は景色が素晴らしく、市民みんなに愛されている公園です。」という回答をいただきました。 前区長のティラー氏より、「公園を計画した当時は、このような良い土地に、何故公園を作るのかという否定的な意見も多かった。しかし、今ではウィーンの観光名所であるとともに市民の憩いの場でもあり、皆から愛される公園となっている。世田谷区の協力もあり、このような素晴らしい公園をつくることができました。作った当時の魚も池でまだ泳いでいますよ。」と世田谷パルクについてのお話を伺うことができました。 姉妹都市提携をきっかけとして、世田谷の名が付けられたこの公園に対するドゥブリング区の友好的な思いに感謝するとともに、これまで継続している両区の交流の更なる発展に向け、現在のドゥブリング区との親密な関係を世田谷区民にも伝えていく必要性を強く感じました。 4.ドゥブリング区主催 夕食会  世田谷パルクの訪問を終えたのち、ドゥブリング区でご準備いただいた夕食会場である「ホイリゲ」に向かいました。 「ホイリゲ」とは、オーストリア東部に見られるワイン酒場で、1789年、当時の皇帝ヨーゼフ2世がウィーンのぶどう農家に、年間300日以内に限り自家製ワインを小売し、簡単な食事を提供する許可を与えたのが始まりとのことです。夕食会は、令和元年6月に世田谷区に来訪された、ヴォルフ氏の経営するホイリゲ「Wolff」で開催されました。「Wolff」は1609年創業で伝統のあるホイリゲであり、店舗の裏にあるブドウ畑で栽培したブドウを使用してワインを製造しているとのことでした。 夕食会の冒頭にヴォルフ氏より、「ホイリゲ」という言葉は「神聖なものを提供するということであり、今年の新酒という意味がある」との説明がありました。 この夕食会には、レッシュ区長、ヴーツル副区長はもちろん、多くのドゥブリング区議会議員も参加され、今後の交流のあり方を語り合う絶好の機会となりました。 保坂区長の挨拶の後、訪問議員団団長による挨拶および議員の紹介を行った後、早速4つのテーブルに別れ、それぞれ意見交換が始まりました。 夕食会では、生演奏に合わせてオーストリアの伝統的な踊りや素晴らしい歌声が披露され、会話が進みやすい雰囲気づくりにも配慮いただきました。 姉妹都市提携当初より携わっていただいているラート昭子さんに交流を長く続けるにあたり必要なことを伺ったところ「出来るだけお金を使わないことと、相手に使わせないことではないか。」というお話がありました。自治体の規模はそれぞれ異なり、人口にしても予算にしても全く異なるものです。お互いが同じように対応するのは困難であるため、背伸びをして相手に良く思わせるのではなく、気兼ねなく対応できる範囲で続けていくのが長続きの秘訣なのではないかということでした。 議員団とドゥブリング区の議員も各テーブル毎、食事をしながら、とても良い雰囲気で、今後の姉妹都市交流の展開などについて、活発な意見交換をすることが出来ました。 5.シュタイナー学校 翌23日は、様々な教育施設を訪問させていただくプログラムを設定していただきました。まず、ドゥブリング区の隣、第18区ヴェーリングにあるシュタイナー学校を訪問しました。シュタイナー学校は、オーストリア生まれの哲学者でゲーテ研究、ルドルフ・シュタイナーの教育学を実践する学校です。 世界で最初にシュタイナー学校が設立されたのは1919年で、自由ヴァルドルフ学校の名でドイツのシュツットガルトに創設されました。 ウィーンではその8年後になる1927年に創設され、併せてシュタイナー幼稚園も設立されました。しかし法律上は「学校」と認められず、補助金などの様々な課題を克服して学校が創設されました。 校長先生の説明では、「シュタイナー教育は人間の発達についての専門的な知識に基づく創造的な仕事であり芸術と同じ性質を持っている。また、シュタイナー学校の教師は子どものなかに眠っている能力を全面的に引き出し,子どもの発達に奉仕することに専念している。」と語られていました。 同校は幼稚園に加え1学年から12学年まで学んでおり、校長の案内で1年生から8年生までを視察しましたが、深く印象に残ったのは、シュタイナー学校の授業は詩と音楽と絵画に満ちていることでした。 以下、シュタイナー教育の特色を記載します。 1.試験のない学校 試験中心の教育が必然的にもたらす点数による序列化は,子どもたちに無意味な優越感と劣等感を引き起こす。また、小学校の教師で,自分の教えている子どもの理解の程度が分からないような教師はだめである、と考えている。そのため、通信簿は科目ごとに先生の文章で具体的に記入されている。 2.選別のない教育 能力や将来の進路に関わりなく,すべての子どもが完全な教育を受ける権利があるとされ、小学校入学から高校卒業までの間に一度も選別されることなく、12年間の一貫教育が行われている。不登校や退学者はゼロに近く、入学に際しては親がシュタイナー教育に理解があるかどうかをもっとも重視している。 3.8年間担任制度 子どもが入学してから8年生(日本の中学二年生)までを一人の先生が担任します。教師は子どもの発達とともに歩むべきとの考えで、学習指導の面でも,8年間担任制により、教師は去年なにをどのように学んだか、誰がどれほど分かっているかを熟知した上で今年の授業を組み立てることができ、担任教師は子どもの8年間の学力の発達に全面的な責任を負うことになっている。8年間担任制度は子どもの思春期まで一貫していると感じる。 4.周期集中授業(エポック授業) 国語・算数・理科・社会などの知的教科は朝の2時間を連続して教えている。朝は知的活動が活発なので、そこで集中して教えるのが効率的とのこと。また、朝の2時間は一つの教科を数週間続けて教える。つまり、理科なら理科を毎朝2時間ずつ1ヶ月教え、次の1ヶ月は算数というような仕組みである。これにより、子どもたちは一つのテーマに没頭して勉強することができる。これは学習の能率を非常に高め、同時に子どもの集中力を育てることが重視されているからである。集中力こそ、大人になってからの仕事においてもっとも必要とされる能力であり、それは,小さい子どものうちから、毎日の生活のなかで育てられなければならないと考えられているからである。 5.1年生からの二つの外国語 小学校1年生から12年間、二つの外国語が教えられている。中学レベルでは会話が自由になり、基礎的な読書力と作文力がつき、高校レベルでは外国文学のすぐれたカリキュラムが確立しているとのこと。外国語教育は単に実用的な目的ではなく、異なる見方・感じ方・異なる文化への門であり、自国語の発想に縛られない自由な感覚の基礎と考えられている。 6.芸術教育 芸術教育に力を入れていることが随所に垣間見られた。音楽(器楽と合唱)・絵画・演劇・オイリュトミーという独特の身体芸術・文学のすぐれた教育課程が確立していて、例えば音楽ではリコーダーが小学校1年生から教えられ、ライアー(竪琴)が弦楽器の初歩となり、3年生でバイオリンが教えられ、5年生で自分の好きな楽器を選んでオーケストラが始まり、高校には上級オーケストラがあるほどである。 7.実際的な活動を重視する教育 知識としての学問を手の労働と結びつけることをめざしている。手仕事・木工・園芸・建築・測量・救急医療・商業文(手紙)の書き方、などの実技教科が必須となっている。高校では工場実習か社会福祉施設での実習も行われるとのこと。労働のなかで自らの能力に対する自信が芽生え、社会認識の基礎が育ち、実際的な感覚が養われるからである。単に知っているだけでなく、それができるということが若者に自己への信頼を育てるとの理念が感じられた。 8.シュタイナー教育を支える教員養成システム ルドルフ・シュタイナーは、“教育の問題はすべて教師の問題である”と主張し、教師こそ教育のすべての鍵である、と考えた。シュタイナー学校の教師になるためには、ルドルフ・シュタイナー大学のようなシュタイナー教員養成課程で最低2年間の教育芸術家としての修行を積む。その中で適正ありと認められたものだけがシュタイナー学校の教師になることができる。  9.理念は現実を変える“自由への教育”の理念の生命力 シュタイナー学校の真価は受験向きの教育を全くしていないことにある。12年間の教育課程のなかで、大学入学資格試験のための準備は一切ない。 大学進学希望者は13年目に設置された大学試験科目のコースで受験準備をするそうだが、シュタイナー学校の大学合格率は公立学校よりも数倍高く、父母の圧倒的な支持を受けている要因ともなっている。 以上、9点の特色を記載しましたが、シュタイナー学校では芸術と実技と語学を深く身につけさせ、常に体験を通じて生きいきとした思考を育てていることが良くわかりました。芸術や技術教科の重視は知的達成には一見無駄に見えますが、しかしその方が結果として遥かに高い知的水準を達成できていることは驚きでした。 シュタイナー学校の生徒は,単に知識として知っているのではなく,何でも実際にできる子どもに育っています。卒業生をみるとどこの国に行っても、どんなところに住んでも、どんなことをやっても生きていけるだろう、と感じさせるものがありました。このような自己信頼の念こそ、人生に旅立つ青年にとってもっとも必要なものでありましょう。 6.NMS クリム校 (令和元年度世田谷区小学生派遣団受入れ校) 次に、第19区ドゥブリングにあるNMS クリム校を訪れました。 本校は、世田谷区の小学生派遣団を受入れていただいている学校であり、子どもたちの様子をじかに見ることができる貴重な機会となりました。 オーストリアでは基礎教育期間は6歳から9歳までの4年間(2学期制で満6歳に達した最初の9月から入学)になりますが、10歳以上の進学については進学する学校によって異なる制度になっており、小学校(4年生)卒業時点で新中学校(NMS)または、一般教育中高等学校(AHS)への進学を選択することになります。(新中学校、一般教育中高等学校など進学する学校により義務教育期間が異なります。) 私たちが伺った新中学校(NMS)では1年間の総合技術教育課程を経た上で、働きながら職業養成学校への進学、または就職、(新中学校から)職業教育中等学校、または高等職業専門学校への進学の中から選択する制度になるとのことでした。 新中学校は義務教育を修了後就職することを前提とした学校であるとのことでしたが、現在の新中学校は就職から進学への進路転換が行いやすくなっているとのことです。 訪問した新中学校クリム校では10歳から14歳までの生徒が在籍。他民族の混在する多文化共生の学校で、アジア系、中東系の生徒も見受けられました。 また移民の子どもたちもいるとのことでした。移民の子どもはドイツ語が話せない生徒もいるとのことで、それらの生徒にたいしては特別にドイツ語のサポートをしているとのことです。 バイリンガルの授業では英語、ドイツ語での授業が行われているとのことです。 ヴィンター校長のお話では、世田谷区の小学生派遣団を受入れて一緒に時間を過ごすことが、ある意味伝統的になってきており、毎年非常に楽しみにしているとのお話をいただきました。世田谷区の小学生派遣団は現地の生徒と一緒に、折り紙作成やアップルパイ作りに参加したとのことです。 私たち議員団が訪問した際には、現地の生徒数名がガイドとなり、校内の様子を、丁寧に説明しながら案内してくれました。 また、体育館において、世田谷区の小学生がドイツ語によるベートーヴェンの第九を現地の子どもたちに披露しておりましたが、歌も然ることながら、一人ひとりの生き生きとした表情が強く印象に残りました。 7.MODUL観光学校 次に、本日3か所目となる学校であるMODUL観光学校(高等職業専門学校・BHS)を訪問いたしました。 オーストリアでは日本の高校1年生にあたる生徒の実に8割近くが、普通高校ではなく職業教育訓練を提供する学校に進学していいます。そのうちの約4人に1人が高等職業専門学校に進んでいます。 以下、MODUL観光学校の概要を記載します。 1.MODUL観光学校の概要と教育制度 MODUL観光学校は1908年につくられ、各種ホテルサービス実務を習得させる学校である。同校は、世界中の観光およびレジャー業界で最も近代的で有名な学校として位置付けられている。また、ドイツ語圏の世界で最も古く、世界でも2番目に古い観光教育機関である。 同校は、5年制の全日制の高等職業専門学校(ギムナジウム高学年の年齢に相当)であり、最終学年で一般教育中高等学校と同じ修了試験(マトゥーラ試験)に合格すれば、高等教育機関に進学することができる。しかし、一般教育中高等学校よりも生徒数が多い反面、総合大学・専門大学に進学する割合が 4割程度と少なく、卒業後に就職する者が多い。つまり、マトゥーラを大学入学資格としてではなく、職業資格と見なして卒業後に就職するのである。 ビジネス分野の高い資格を持つ教師と専門家がチームをつくり、座学と実技の各科目で最新の知識と技術を教えている。生徒には基礎学力と人格形成に特に力が入れられている。教育と学習の目標の基礎は、チームワーク、寛容性、コスモポリタニズム、創造性、生涯学習を目指している。学生は観光および レジャー業界に多くが就職している。 特に、スポンサーとなっているホテル、観光およびレジャー業界とビジネスパートナー制度があり、実践的な教育をサポートすることができています。 2.カリキュラム等の概要 ・入学は適正試験で行う。     ・1年間は2学期制。 ・毎年3クラスの入学者で全校生徒は約450人。 ・3年目からの専門コース。 ・週5日のうち座学が4日で実技が1日。 3.授業のプログラムの4つの柱 ・一般教養 ドイツ語、歴史、芸術と文化、生物学や環境、法律などを学ぶ。 ・人格教育とコミュニケーション 英語と外国語(フランス語、イタリア語、スペイン語)を学ぶ。 ほかコミュニケーションとプレゼンテーション、情報管理、応用コンピューター技術 ・観光と経済 観光、マーケティング、顧客管理を学ぶ。ホテル経営、イベントおよび旅行管理を学ぶ。ほかビジネスと経済。 ・実務訓練 調理、給仕などの実務訓練。ワイン、チーズなどの資格取得。学年度中、生徒は学校のさまざまな部門(カフェテリア、学生カフェ、情報など)、 ケータリング、提携ホテル、イベントで実際に実務訓練をします。 5年間の就学期間中に、ドイツまたは海外の観光およびレジャー業界で8か月間の実務が義務づけられている。   4.二元性教育システム オーストリアの教育システムの特徴は、徒弟修行を必要とする職業でも、高等職業専門学校でも産業と教育、すなわち理論と実践の組み合わせる二元性が採用されていることが特徴である。また、カリキュラムや教育は経済界からの要求に適合され、職業教育は企業や工場などで専門的な教育を受けることができる。 卒業に必要な教科や実技は学校と産業との共同プロジェクトで研究・開発がされ、さらにその結果が実践にも活用されている。 以上、MODUL観光学校の概要を記載しました。なお、この日の昼食は観光学校内の食堂で頂きました。専門家の指導のもと生徒が調理し生徒が給仕してくれました。冒頭、代表の生徒が歓迎のあいさつで迎えてくれ、各テーブルには「ようこそ」と日本語が備えられていました。また、食堂も実際のレストランと変わらない明るい雰囲気でオシャレな制服に身をまとった、生徒の姿が凛としているのが印象的でした。学校内にはカフェや売店等もあり、その運営も生徒が輪番で行っていました。まさに実践の学び場が学校内にあることは理にかなっていることだと思います。 校長先生は「わが校の学生は世界の一流ホテルに就職し活躍している。とりあえず普通高・大学に行ってから就職を考えようというのは古いです」と話されていました。オーストリアはドイツを発祥とする学術的教育と職業教育を同時に進めるデュアルシステムを導入しています。 現在、日本においても、児童生徒一人一人の職業観・勤労観を育むための教育、職業に関する知識、技能を身に付けさせるとともに、自己の個性を理解し、主体的に進路を選択する能力、態度を育てる教育が叫ばれています。 東京都では、一部都立高校で取り入れられていますが、世田谷区においても、子どもたちが体験・体感する機会の拡充を図るべく世田谷区教育ビジョンに社会性をはぐくむ体験活動として、全区立中学校の2年生対象とした職場体験の実施や、小・中学校9年間を見通したキャリア教育を推進するとしています。今後は、9年間を通じた系統的なキャリア教育の一層の推進を、オーストリアの教育を参考にする必要性を強く感じました。    8.ウィーン農業大学 次に、ウィーン農業大学に訪問させていただきました。 ウィーン農業大学の校舎は、持続性、環境に配慮され、全面に木をふんだんに利用しているのが特徴的でありました。 地下の講義室や屋上部分も拝見させていただきましたが、太陽光発電等を実施し運営エネルギーはリサイクル率100%を目指しているとのことで、この施設は普通の建物より40%エネルギー削減効果があるとのことです。またCO2削減効果は75%削減効果があるとも説明がありました。 地中熱の活用では140メートルの深さで掘って、そこから熱源を導入しているとのことでした。 ウィーン農業大学では、環境保持、経済性、気持ちの良い空間との3つの柱を担い、国の定める50の基準を満たしており、必要なものだけをつくるコンセプトをもって建設されたとのことでした。省エネルギーの取り組みによって、オーストリア環境省から表彰を受けているとのことです。 また、天井が温度調節できるよう配管に特徴があり、空間がいろいろな用途のために使えるようにしているとのことでした。 食堂の活用などでは、有機栽培の食品の活用や食品ロスにも取り組んでいるとのことでした。 9.Schlumberger社(スパークリングワイン製造所) 2日目の最後は、Schlumberger社を訪れました。オーストリアのドナウ川流域では、ローマ時代から既にワインの生産が行われていました。中世には、修道院が重要な経済拠点として、ブドウ栽培と地下室によるワインの貯蔵技術を発展させ、ワイン文化の普及に大きく貢献したと言われています。 また、1日目の夕食会会場としてもお伺いさせていただきましたが、ウィーンには、2019年にUNESCO無形文化遺産に登録された「ホイリゲ文化」と呼ばれる文化があります。  ワインは、ドゥブリング区のみならず、オーストリアにとっても人々の暮らしに密接に関わる重要な文化であり、重要な産業であると言えます。 今回、伺ったSchlumberger社は、1842年に設立され、かつてヴーツル副区長が15年程前まで、5年間社長を務めていた会社でもあります。また、オーストリアのスパークリングワイン製造会社の中では、最古の会社です。 「地下の世界」と呼ばれる地下室の一番古い部分は、およそ300年前に作られたとのことです。ドナウ川に近いことから物流の便もよく、かつてはこの地の一帯にワインセラーが多数存在していました。それらのワインセラーをシュルンベルガー氏が買い取って、その地下を更に拡大し、全長2.4キロメートル、11,000平方メートルにも及ぶ巨大な地下施設を作り上げました。室内は、発酵のために1年を通して13℃程に保たれています。 Schlumberger社では、オーストリアのブドウのみを用いてスパークリングワインを作っています。スパークリングワインを作るまでに最短で18か月、長いもので6年の歳月を要します。年間の出荷数は、その年の気候やブドウの出来によるものの、およそ300万本に上るとのことです。 ワイン産業はドゥブリング区にとっても非常に重要な産業で区のシンボルともいうべきものであり、大きな一つの経済の分野とも言えます。また、ホイリゲはドゥブリング区内に50店舗ほど存在し、地元の人だけでなく、観光客も多く訪れています。なお、ホイリゲで飲まれるワインは、地元のスーパーマーケットでも販売されています。 レッシュ区長は「オーストリアでは、ワインと文化は深く結びついている。現状、ワインには、一本につき1ユーロの酒税がかかるが廃止の方向に動きつつある。現在、輸出先としてはドイツが圧倒的に多く、EU諸国がメインで、日本にはほんのわずかしか出荷していない。今後の展望としては、ドゥブリングの名前と紋章を付した高品質なドゥブリングワインを作っていきたい。ぜひ世田谷の皆さんにも飲んでほしい。」と明るく語っていました。 両区の姉妹都市交流は、世田谷区から毎年小学5年生を派遣し現地校を体験するような、子ども達の交流を一番の目的としてきました。 今後、これに加えて音楽など芸術面での交流や互いの特産物を用いた物産交流など広い意味での交流を図ることで、より多くの区民が姉妹都市を身近に感じられるのではないかと考えます。そのような持続的な交流の可能性を、今回のレッシュ区長との対談や頂いた音楽CD(オリジナル曲”Setagaya Tanz(世田谷舞踊曲)”所収)、地産の白ワイン等に感じることができました。今回の交流を、今後の更なる姉妹都市交流の発展に大いに活かしていきたいと思いました。 10.ウィーン市役所 翌24日は、まずウィーン市庁舎に向かいました。ウィーン市庁舎は、1872年から1883年にかけて11年の歳月をかけて建造されました。 広さは60,000平方メートル、5階建てで、ウィーン市の23区のうち、第1区に位置しています。 この辺りは、もともとはウィーンではありませんでしたが、かつての城壁が壊されてからウィーンに編成され、更に当時人口が増加していたことにより、旧市庁舎では十分でなくなったことからこの土地に新庁舎の建築がなされました。 当時、60程の建築家から申し出がありましたが、その中のフリードリヒ・フォン・シュミット氏が選ばれ、設計にあたりました。彼はデザインこそ保守的でありましたが、空間の使い方などはモダンであり、庁舎はネオゴシック様式で作られています。 建物には、当時のハプスブルク帝国が集めたフランスやイタリア、旧ユーゴスラビア等、様々な地域の石が用いられています。また、ガラスはチェコ製のものを、木材はオーストリア国内の南地域、西地域から調達したものを使用しています。 空調については、地熱利用設備が用いられ、地上より温度変化が少ない地下6メートルの空気を庁舎内に送って冷暖房しています。日本では気候の違いもあり一般には普及していないシステムですが、省エネと環境に配慮した先進的な取り組みが感じられました。 また、ごみを燃やした熱を庁舎内に取り込み暖房として機能させています。現在、冷房にも応用できないか検討中とのことでした。ごみの焼却熱を冷暖房に利用するのは、世田谷区でも清掃工場から世田谷美術館に向け熱源供給している例があります。地球温暖化の防止に向け、自然・再生エネルギーを利用した空調設備の開発は、洋の東西を問わず課題であると感じました。 建築当時のエレベーターが現在も使われている一方で、新しいエレベーターも別に設置されており、建物は全体がバリアフリーに対応しています。また、Free Wi-Fiも完備しており、歴史ある建物を維持しつつ、現代の技術も取り入れている様子が見て取れました。 2012年9月から大規模な修復工事を行っていますが、修復には2,300万ユーロもの費用を要するため一度には実施することができず、部分ごとに改修工事を実施しているとのことでした。伺った際には、塔と中庭を修復中でありました。 この市庁舎は、庁舎自体が歴史的な芸術であると同時に、ハプスブルク帝国の首都であったことも相まって、様々なお客様をお迎えするための建築物という役割も担ってきました。 今日でも、この市庁舎は、その2つの役割を建築当時と変わらずに果しています。 中でも、大ホールはほぼ毎日使われており、最も有名な5月に開催されるライフバル舞踏会をはじめ、音楽、舞踏会、コンサート、ダンス、見本市等市民にも広く親しまれています。広さは1,200平方メートル。1,500組のカップルがワルツを踊れる程であります。冬季にはアイススケート・リンクが設えられ、市民の憩いの場となっています。 「市長、市議会議員、職員だけでなく、多くの市民が気軽に来庁されることも誇りである。」という言葉が印象深く、心に響きました。 世田谷区においても、現在、新庁舎整備に向けて様々な検討が行われていますが、新しい世田谷区の庁舎が、ウィーン市庁舎のように区民に開かれ、多くの方が気軽に来庁され、区民同士の交流の場としての役割を果たせるよう、議会としても一丸となって新庁舎整備とその活用に取り組んでいきたいです。 11.Seestadt Aspern(都市開発地域) 最後の訪問場所は、都市開発地域でした。ウィーン市のエネルギー分野のマスタープランによると、2050年までにCO2排出量を1990年比で80%削減することを目標としており、市はバスの電動化や路面電車の省エネ化、自転車利用の促進等の施策を推進しています。 しかし、一方でウィーンには歴史的建造物が多く、規制により建て替えや改修が困難であることから、住宅やオフィスの省エネ化をいかに進めるかという課題もあります。 そうした中、ウィーン市がその一つの解決策として推進しているのが、近郊に低炭素型新都市を作るという計画です。その低炭素型新都市Aspern(アスペルン)に伺い、ウィーン3420の開発担当者の方にご案内いただきました。 ウィーン市の人口は、年間3万人増えており、その住宅を作る地域として開発が行われているのが、ウィーン市22区ドナウシュタットの中にあるAspernという地域です。 Aspernには、かつて大規模な空港があったが、新しい空港が出来たことに伴い、その土地(およそ10億ユーロ)を国とウィーン市とが開発を請け負う企業に提供し、都市開発を行っています。 Aspernは、ウィーン市街地の北東十数キロのところに位置し、車や電車で20〜30分ほどで到着します。2.0×1.5キロメートルのエリアで、20年かけて開発を行う計画となっています。将来的には、この地域に25,000人が住む予定です。22区は緑が多い地域でもあるので、景観に配慮しながら開発を進めています。開発にあたっては、特に下記の点を柱として考えています。 1.多様な用途を持つ街づくり 暮らす、働く、自由時間を過ごす、などといった様々な過ごし方を1つの地域で、コンパクトに行えるような都市開発を進めている。 2.緑と空間を大切した街づくり 街の中心には、6ヘクタールの人工的な湖と緑地が設けられており、最終的な計画では、50%が建物、あとの50%は緑と空間(中庭や芝生等)となるよう緑地と空間の確保に努めている。 3.移動手段・交通の利便性を高めた街づくり 公共交通機関を使うことを促進するため、開発の早期の段階で地下鉄が整備され、現在は2つの駅が設けられている。また、環境負荷低減のため、出来る限りマイカーを使わず公共交通機関を使って、あるいは徒歩圏内で、生活・仕事ができるよう街の整備を行っている。 4.環境にやさしい街づくり 建築物の工事あたって、その建物が環境基準を満たしているか、環境に害がないように配慮されているか、動・植物の保護の観点を持っているか、工事の環境負荷の軽減を行っているか等、あらゆる視点から環境負荷低減を図りつつ、開発を進めている。 上記のような項目に最大限配慮しつつ、人にも環境にも優しい都市開発が進められています。 また、このエリアには現在、世界で最も高い木造24階建てビルHoHoがあり、今回その外観の見学を行いました。基幹の構造部分はコンクリートであるものの、全体の76%がトウヒ材で出来ているとのことです。木は成長過程で取り込んだCO2をそのまま固定しているため、木材の活用はCO2の排出削減につながると言われています。 先に見学したウィーン農業大学校舎でも木材が多用されていました。もともと木造文化である日本としては、この世界的な傾向は嬉しいことです。 今回伺ったウィーン市Aspernで行われている環境に配慮した都市開発や積極的な木材の活用による温暖化対策などは、環境保護や地球温暖化対策が世界的な課題となっている昨今、最も重要視されるべき視点です。 91万人大都市・世田谷区としても、ウィーン市の取り組みを参考にしながら、将来の世代に負担をかけないよう「人と環境に優しい街づくり」を進めていきたいとの思いを胸に、ウィーンを後にしました。 令和元年度 ドゥブリング区姉妹都市提携 35周年記念親善訪問報告書 世田谷区議会 親善訪問団