平成29年度 (2017年) バンバリー市姉妹都市提携 25周年記念親善訪問報告書 世田谷区議会 親善訪問団 目次 ◎親善訪問団名簿 1 ◎訪問日程 2 ◎バンバリー市姉妹都市提携25周年記念親善訪問を終えて 3 ◎バンバリー市の概要  4 ◎姉妹都市提携25周年記念親善訪問について 1.日本映画祭開催式  8 2.バンバリー ライフセービングクラブ   9 3.ウェリントン ディスカバリー森林センター 11 4.シムコア日本庭園 12 5.姉妹都市ラグビー大会 13 6.パークフィールド小学校 14 7.南西開発公社 16 8.高齢市民センター 17 9.友好公園記念碑除幕式 18 10.姉妹都市提携25周年再確認調印式典 19 11.子ども家庭支援局 21 12.カレッジ・ロー・スクール 22 13.カセドラルグラマースクール 23 14.ヘッド・スペース 26 15.ワイルドライフパーク 27 16.バンバリー市議会 28 17.シムコア・オペレーション社工場 29 平成29年度 バンバリー市姉妹都市提携 25周年記念親善訪問団 職 氏名 所属 団長 和田ひでとし 区議会議員 副団長 津上仁志 区議会議員 団員 津上仁志 区議会議員 団員 加藤たいき 区議会議員 団員 河村みどり 区議会議員 団員 羽田圭二 区議会議員 団員 阿久津皇 区議会議員 随行 長谷川桂一 区議会事務局議事担当係長 訪問日程 日程 滞在都市 訪問先・主な行事 10/27(金)〜28(土) 出 発 10/28(土)   バンバリー ◎日本映画祭開催式 10/29(日)   バンバリー ◎施設訪問 〇バンバリー ライフセービングクラブ 〇ウェリントン ディスカバリー森林センター 〇シムコア日本庭園 ◎姉妹都市ラグビー大会 10/30(月) バンバリー ◎施設訪問 〇パークフィールド小学校 〇南西開発公社 〇高齢市民センター ◎友好公園記念碑除幕式 ◎姉妹都市提携25周年再確認調印式典 10/31(火) バンバリー ◎施設訪問 〇子ども家庭支援局 〇カレッジ・ロー・スクール 〇カセドラルグラマースクール 〇ヘッド・スペース 〇ワイルドライフパーク ◎市議会表敬  〇市議会傍聴  〇市議会主催レセプション 11/1(水) バンバリー ◎施設訪問 〇シムコア・オペレーション社工場 11/1(水)〜2(木) 帰 国 バンバリー市姉妹都市提携25周年記念親善訪問を終えて 団長 和田ひでとし 私たち親善訪問議員団の一行6名は、オーストラリア連邦バンバリー市との姉妹都市提携25周年再確認調印式典及び友好親善行事に参加し、交流を図るため、平成29年(2017年)10月27日から11月2日に至る7日間にわたり、バンバリー市を訪問いたしました。 バンバリー市と世田谷区との交流は、平成3年(1991年)に、日本語教育に熱心な同市へ区内小学生を派遣した教育交流がきっかけとなり、平成4年(1992年)に姉妹都市提携を調印し、早いもので四半世紀が経過しました。この間、子どもたちの教育交流を機軸として、文化・芸術、スポーツなど様々な分野で市民レベルの交流が行われており、平成28年(2016年)には新たな交流の一歩として、第1回目となる中学生教育派遣交流事業が行われました。 私たち親善訪問議員団は、ゲーリー・ブレナン市長をはじめとする関係者の方々と友好関係を深めるとともに、子どもたちがお世話になっている学校などの様々な施設を訪問させていただき、バンバリー市の歴史や文化、生活環境などを学ばせていただきました。 また、今回の訪問にあたり私たち議員団は、『子どもたちの交流を更に充実させるために何が出来るか』ということを重要なテーマとして議論してまいりました。その結果、中学生教育派遣交流事業にご協力いただいたカセドラルグラマースクールの校長先生らとの意見交換の場を設けることができ、議員団として区長、議長とともに、交流の前進に向けた熱意を伝え、末永い交流の継続に向けお互いが努力していくことが確認できたことは、大きな成果であったと感じております。 交流内容等の詳細は項目ごとに後述いたしますが、今回の訪問は訪問団員各位にとって誠に有意義なものとなりました。訪問の成果は、今後の議会活動を通じて本区の行政に十分反映させて参ります。 最後になりますが、このような貴重な機会を与えていただきましたこと、また、ブレナン市長をはじめ、迎え入れていただきましたバンバリー市及び市民の皆様、ご協力いただきました全ての方々に対し、訪問団を代表いたしまして、心より感謝申し上げます。              バンバリー市の概要 1.歴史 バンバリーは、1803年に当時測量指揮官であったフランスの探検家ニコラス・ボーディンによって発見され、部下の植物学者の名をとってポート・レシュノーと名付けられた。その後1836年に植民地化のための探検が行われたとき、バンバリー大尉の功績を称え、バンバリーと改名された。 2.概要 西オーストラリア州都パースから175km南(車で約2時間)、インド洋とクームバナ湾、レスチェナルト入り江に囲まれた半島に位置する。中心地の面積約65.3ku、人口約32,000人、東京からの所要時間(シンガポール、パース経由)約14時間(東京との時差−1時間)である。                 州南西部に位置する主要な港であり、西オーストラリア第三の都市である。主な産業は農業、鉱業及び木材産業など。主な産物は野菜、果物、ワイン、牛乳、牛肉及び奥地鉱山の金属であり、アルミニウム精練の大規模な工場がある。バンバリーの港からは、毎年1200万トンもの木材チップやアルミナなどの鉱物資源が日本をはじめ諸外国へ輸出されており、鉱物資源の発掘と工業化は、この地域で毎年18億5000万ドルの経済活動に貢献している。 観光面では、海水浴のできるビーチがあり、マリンスポーツが盛んである。またクームバナ湾のイルカは人なつっこく、観光の大きな柱となっており、ドルフィンディスカバリーセンターには世界中から観光客が訪れている。 3.市政のしくみ 地方自治制度は、連邦国家−州政府−地方政府(自治体)の三階層からなり、日本の国−都道府県−市町村の形態に相当する。しかし、権限は大きく異なり、第一に連邦政府が国防、外交、通貨などに権限を限定しているのに対し、州政府の権限が強大で、内政全般(教育、警察、福祉、土地開発など)を掌握していること、第二に地方自治体の機能は財政面も含めて格段に小さいことである。 @市長(Mayor) 議員と同様、住民によって選出される。任期は4年。属している政党はない。バンバリー市の代表として市政を行うが、市議会の議長でもある。行政最高責任者(CEO)とともに市の公務及びその役割を遂行する権限が与えられている。現在の市長であるゲーリー・ブレナン市長は平成25年(2013年)から在職しており、前々市長のジョン・カストリリ市長時代に6年間、バンバリー市のCEOを務めていた。 A行政最高責任者(the Chief Executive Officer) バンバリー市における最高位の有給官僚であり、市の日常業務を管理し、人事権を掌握する。そのほか議会への助言を行うなどの権限が与えられている。現在の行政最高責任者であるマルコム・オズボーン氏は平成29年(2017年)から在職している。 B市議会(City Council) 議会は、12名の議員で構成され、2年ごとに半数ずつ改選される。 市議会は、原則として毎月第2火曜日に開催され、これを通常議会と呼んでいる。市長はすべての通常議会を招集するが、市長もしくは4人以上の議員の要求があれば、特別議会が開催される。 市長はすべての議会を通して議長を務め、議会の代弁者となる。市長が不在の場合は、市の副市長に市長の職務を遂行する権限が与えられる。副市長は議員の中から議員によって選出され、任期は2年である。 Cバンバリー市議会議員 議員数は12名で、任期は4年(2年ごとに半数が改選される)。住民の選挙により選出される。議員は、多少の手当てはあるが無報酬のボランティアである。特に政党には属していない。 Dバンバリー市の予算(2017−18)  歳出予算は約6,000万オーストラリアドルで、1ドル85円で換算すると約51億円である。その主な内容は、道路事業、歩行者用通路の整備、スポーツパビリオンなど公共施設の建設、公園などの維持管理費、人件費などである。 4.バンバリー市との姉妹都市交流 (1)経緯 平成3年(1991年)秋より、日本語教育普及に熱心な同市と区内小学生派遣を通じて教育交流が行われ、翌平成4年(1992年)に姉妹都市提携に至る。 (2)主な交流 【教育交流】世田谷区小学生、中学生のバンバリー市訪問交流 バンバリー市小学生、中学生の世田谷区来訪交流 【文化交流】@アイステッドフォド音楽祭参加・交流演奏会 A交流写真展 Bパッチワーカーの交流 Cトップジャズバレエ団来訪 【スポーツ交流】@ドラゴンボート大会参加 Aバンバリーマラソン大会参加 Bバンバリー市中学生バスケットボールチーム来訪 C世田谷246ハーフマラソン参加 バンバリー市との交流年表 年月日 交流内容等 1991.10 世田谷区小学生海外派遣開始 (以後、毎年派遣) 1992.11 世田谷区議会議場で姉妹都市提携調印 1993.4-5 オーストラリア・マスターズゲーム・ドラゴンボート大会参加に区民が参加 1993.6 バンバリー市アイステッドフォド(音楽祭)に区内音楽団体が参加 1994.5 バンバリー市マラソン大会に区民が参加 1995.5 バンバリー市マラソン大会に区民が参加 1995.9 バンバリー市写真展に世田谷区民写真展入賞者作品を展示 (その後2年に一度双方の都市で実施) 1995.10 バンバリー市中学生が区立中学校を訪問、生徒の家庭にホームステイ 1996.5 マネア・バンバリー市長および訪問団来訪 1996.10 バンバリー市小学生が区立小学校を訪問、生徒の家庭にホームステイ (以後、2009年を除き毎年来訪) 1997.11 バンバリー市にて姉妹都市提携5周年記念署名式実施 姉妹都市区民の会 訪問 1998.11 カストゥリリ・バンバリー市長および訪問団来訪 1999.9-10 バンバリー市中学生バスケットボールチーム来訪。区内中学校チームと親善試合。 2000.8 バンバリージャズバレエ団来訪、区民まつりに出演 2002.5 カストゥリリ・バンバリー市長および訪問団来訪。 世田谷区議会議場で姉妹都市提携10周年再確認宣言書調印式実施 2002.11 バンバリー市にて姉妹都市提携10周年記念署名式実施 姉妹都市区民の会訪問 2007.6 スミス・バンバリー市長および訪問団来訪。 世田谷区議会議場で姉妹都市提携15周年再確認宣言書調印式実施 2007.10 バンバリー市にて姉妹都市提携15周年再確認宣言書調印式実施 2007.11 世田谷246ハーフマラソンにバンバリー市から招待選手が参加 2008.5 バンバリー市マラソン大会に区民が参加。その後毎年派遣 2009.9 バンバリー市高校生が区内の学校を訪問。区内でホームステイ 2010.11 世田谷246ハーフマラソンにバンバリー市から招待選手が参加(その後毎年来訪) 2012.6 スミス・バンバリー市長および訪問団来訪。 世田谷区議会議場で姉妹都市提携20周年再確認宣言書調印式実施 2012.10 バンバリー市にて姉妹都市提携20周年再確認宣言書調印式実施 2013.9 バンバリー市中学生が来訪。区内でホームステイ 2014.11 オーストラリア姉妹都市会議に参加 2016.9 第1回世田谷区中学生親善訪問団がバンバリー市を訪問 2016.10 西オーストラリア州議会バリー議長一行来訪 2017.1 バンバリー市中学生親善訪問団が来訪 2017.3 バンバリー・キルティングコンペティションに区民の作品を展示 2017.10-11 バンバリー市にて姉妹都市提携25周年再確認宣言書調印式実施 姉妹都市提携25周年記念親善訪問について 議長とともにパース国際空港に到着した私たちは、小雨混じりの空模様の中、通訳ガイド兼運転手のジョンさんの話を伺いながらバスでバンバリーへ向かいました。オーストラリアは春から夏へと季節が移り、雨はほとんど降らなくなっていくこと。そしてパース、バンバリーは風が強い町として有名であり、乾燥した季節は常に火事のリスクがあるということです。  バンバリーへの道中、2年前の大火現場のすぐそばを通過しました。道路沿いのユーカリの木々の幹は真っ黒であり、未だ火災の痕跡が生々しく残っていました。しかし、ユーカリの花言葉「再生」が示すように、火災にあってもユーカリの種子は燃え尽きることなく芽吹くそうで、既に新芽が芽吹き、森が再生し始めているとのことで、オーストラリアの自然のたくましさを感じました。  ホテルでは、ポーリーン・ビューケリックさんやヴァルダ・スミスさんなど、永年、区との交流にご尽力いただいている国際交流委員の方々にお迎えいただきました。さらに、パースのコミュニティエフエム局の方がお二人、今回の訪問を取材するために合流するなど、世田谷とバンバリーとの交流が、地域を挙げて注目されているということを再認識し、改めて身が引き締まる思いでした。 ホテルの部屋に荷物を運び入れた私たちは、早速、最初の交流プログラムである日本映画祭の会場に向かいました。 1.日本映画祭開催式   日本映画祭は、キャンベラ、アデレード、シドニー、パースといったオーストラリア各地を巡回して開催されているシドニー国際交流基金が主催するイベントで、バンバリーでは、市で一番歴史あるローズホテルで開催されました。 バンバリーでの開催は3年目で、世田谷との交流に関わられた方々やそのご家族、日本文化に関心のある方々など、合計100名ほどの方が出席されました。ホテルのボールルーム脇のバー・スペースで立食によるレセプションが行われた後、ボールルームに移動して松田龍平さん主演の映画「モヒカン故郷に帰る(Mohican Comes Home)」が上映されました。 映画上映に先立ち、市議会議員のジョエル・マクギネスさん、在パース日本国総領事館の鈴木里美副領事が挨拶をされ、私たち訪問団も一人一人紹介していただきました。 映画は、日本語音声に英語字幕で上映されました。私たち以外に日本語を話す方はそれほど多くなく、内容も瀬戸内の離島が舞台で矢沢永吉さんや広島カープといった日本ローカルな内容を題材にしたコメディ映画にも関わらず、会場は笑いに包まれました。 映画は万国共通の余暇であるとともに、日本の文化に造詣が深い方々が多く出席されていたと感じました。終了後には、来場者から訪問団に作品内容についての質問があり、来場者の日本文化への関心の高さが改めて感じられました。 2.バンバリー ライフセービングクラブ  翌朝、私たちは、バンバリーの西岸のビーチに面したバックビーチカフェで、バンバリー ライフセービングクラブ会長のデニス・ダンカンさん、市議会議員でもあるマレー・クックさんを初めとする国際交流委員の方々と朝食をいただきながら、歓談をしました。  朝食会の後は隣接するクラブの施設へ移動し、施設内を見学しながらクラブの沿革や活動等についてご説明いただきました。バンバリー ライフセービングク    ラブは、104年の歴史がある西オーストラリア州 で2番目に古いライフセービングクラブです。「ビーチの安全を守り、皆が楽しめるビーチにする」というビジョンの下、ボランティアメンバーに加えて5歳から14歳までの子どもたちとその親など、合わせておよそ740名の会員が活動しています。   子どもたちは年齢ごとに帽子で色分けをされ、毎週日曜日に水泳、パドリング、ライフセービングといった技術を学ぶだけではなく、社会や地域に貢献するといったボランティア精神も学んでいます。 建物は市が所有し、カヌーや水上バイクといった活動に必要な備品等は市民からの寄附により賄われており、職員もパートタイムの1名を除いて、全員がボランティアとのことです。 訪問当日は風が強く、海が荒れるコンディションでしたが、小さな子どもから大人までたくさんの市民がトレーニングに訪れており、ライフセービング活動が、バンバリーの人々の日常生活に溶け込んでいることを実感しました。説明の最後には、ビーチに下りて、水上バイクを活用したライフセービングのデモンストレーションを披露いただきました。 そして、ライフセービングクラブを離れる際、海岸沿いを走る一人のランナーと出会いました。バンバリーのランナーズクラブに所属する有名なランナーだそうで、世田谷区民がバンバリーマラソンに参加するにあたり、多大なご尽力をいただいた方とのこと。偶然の出会いでしたが、縁を感じるものでした。 3.ウェリントン ディスカバリー森林センター  ライフセービングクラブを後にした私たちは、国際交流委員の方々と一緒に、ウェリントン国立公園内にあるウェリントン ディスカバリー森林センターを訪問し、西オーストラリア州に自生する木々や動物、そして山火事の功罪について教えていただきました。  西オーストラリア州は、太古からアボリジニのヌガー族が暮らしていた土地で、人々はヌガー族の伝統や文化をとても大切にしています。 植物は、食べ物だけでなく薬となり、道具としても活用されています。また、 ブッシュファイアと呼ばれる山火事あるいは野焼きを意図的に起こすことで大地を肥沃にし、新しい植物を自生させる手段としているとのこと。オーストラリアに自生する木々は、山火事があっても、木の表面の樹皮だけが燃え、一番大事な幹の部分は守られ焼けずに残るそうです。また、実も硬く熱に強いため火事から種は守られ、葉は焼かれ堆肥となり、森林が新しく生まれ変わることができるそうです。 現代では、本格的に乾燥した夏を迎える前のちょうど今の時期に、小規模な山火事を意図的に起こして、大規模な山火事が発生しないよう、コントロールしているそうです。 自然と共生していく上で、ヌガー族の知識や技術を守り、語り継ぎ、その知恵を活用して生活していることがわかりました。多くの世田谷の子どもたちも、ホストファミリーと一緒にこの施設を訪れ、オーストラリアの動植物の生態と昔からの知恵や文化を学んでいるそうです。 4.シムコア日本庭園  ウェリントン ディスカバリー森林センターを後にした私たちは、国際交流委員の方々に加え、前々市長であり、バンバリー市の名誉市民であるジョン・カストリリ州議会議員と奥様、そしてバンバリー市が主催した市を紹介する写真コンテストで優勝されたタミー・ワトソンさんと一緒に昼食をとり、バンバリーを訪れた感想やこれまでの交流の歴史についての話に花を咲かせました。タミーさんはコンテストの賞品の一環として、来年4月に世田谷区を訪問されるとのことでした。 昼食の後、私たちは、聖ジョンオブゴッド病院の中庭にある日本庭園を見学しました。この日本庭園は、世田谷との教育交流に参加をされたカイリー・ハンセンさんの発案によるもので、信越化学工業の子会社でありバンバリー近郊にシリコン加工工場を運営するシムコア・オペレーション社の協賛によって平成12年(2000年)にオープンしました。日本の造園家であるミズミ・エイジさん(漢字不詳)がデザインした枯山水の庭園で、庭園を訪れるすべての方が安心して休める隠れ家となるように設計されており、入院されている方々、病院で働く方々、お見舞い等に訪れる方々の安らぎに一役買っているということです。 かつて教育交流に参加された方がバンバリーに帰り、新たな交流の主人公として日本の文化を積極的に発信し、交流の裾野を広げてくださっていることに感激するとともに、これまでの間、バンバリー市と素晴らしい交流関係を築けていることを実感しました。 5.姉妹都市ラグビー大会  夕方には、バンバリーの選抜チーム対バッセルトンの選抜チームによるラグビーの親善試合観戦を通じ、地元の方々と大いに交流することができました。 バッセルトンはバンバリーの南西約50kmにある都市で、埼玉県東部に位置する杉戸町と姉妹都市関係にあります。日本に姉妹都市を持つ近隣都市同士の試合を、『バンバリー・世田谷合同チーム』対『バッセルトン・杉戸合同チーム』に見立てた“姉妹都市”親善ラグビー大会を企画していただいたのです。  会場では、教育交流で世田谷を訪問した小学生の子どもたちやボランティアの方々が姉妹都市の法被(はっぴ)を着て大会を盛り上げてくださり、杉戸町のマスコットキャラクターである「すぎぴょん」も登場し、子どもたちの人気になっていました。  試合前には、ジョン・カストリリ州議会議員の司会進行によるセレモニーが行われ、ブラスバンドの演奏が華を添えました。セレモニーの最後には、和田団長から企画・運営に携わっていただいた方々、両チームの選手の方々、そしてお集まりいただいた観客の皆様方に対しお礼の挨拶をさせていただきました。 試合は、ラグビーの本場であるオーストラリアに相応しくスピーディーで力強い試合が展開され、私たちを圧倒しました。ハーフタイムには、両市の子どもたちによる試合が行われ、大人たちの力強い真剣勝負とは打って変わって、かわいい子どもたちが一生懸命にグラウンドを走り回る姿が会場全体を和ませていました。 試合後のセレモニーでは、訪問団全員でグラウンドに立たせていただき、選手や子どもたちと記念品の交換を行いました。和田団長の挨拶にもありましたが、この試合が、バンバリー市と世田谷区、バッセルトン市と杉戸町だけでなく、オーストラリアと日本の友情の証として、この会場にいらっしゃった人々の記憶に刻まれることを願い、私たちは試合会場を後にしました。 6.パークフィールド小学校  翌30日、私たちは、パークフィールド小学校を訪問いたしました。パークフィールド小学校は25年前に設立された私立小学校で、日本語教室が設けられているなど日本語や日本文化教育にも力を入れている学校で、小学生の教育交流でも、毎年のようにこの小学校に通う子どもが世田谷を訪れています。 私たちは、小学5、6年生の生徒たち、そして先生方にお迎えいただきました。冒頭、代表の生徒から歓迎の挨拶をいただきましたが、挨拶には、我々に対する歓迎の言葉とともに、太古の昔からこの地を治めていたヌガー族の人々に対する感謝の言葉が述べられていたことが非常に印象的でした。挨拶の後、生徒たちによる歓迎のダンスパフォーマンスを披露いただいた後、「世田谷の方も3名ステージに上がってください」との呼びかけがあり、津上副団長、加藤議員、河村議員の3名がステージに上がりました。スピーカーからは東京音頭が流れ、生徒たちと一緒に踊りましたが、まるで世田谷の子どもと踊っているかのような錯覚に陥るほど、生徒たちは完璧に踊っており、今日のために、一生懸命練習していただいたことが伺えました。校長先生によるとダンスは学校の教科として行われており、東京音頭は別として、本日披露していただいたパフォーマンスは、特別に練習をしたわけではないとのことでした。 “ダンス交流”の後、我々は4つのグループに分かれ、生徒たちに学校内を案内していただきました。「トイレ」や「水飲み場」など、学校内の至る所にアボリジニの言葉での施設の案内がされていました。冒頭、生徒の挨拶にもありましたが、今日のオーストラリアを築いてきた先人であるアボリジニの言葉や文化を大切にする心を小さい頃から学んでいることが、大変印象的でした。教室では、生徒それぞれの座席が決められているわけではなく、生徒の自主性に任せ、毎日、自由な席で授業が行われているそうです。また、午前中に“RECESS”という20分程度の休み時間があり、自宅から持参したリンゴやバナナなどの果物を食べる習慣があるようで、大変興味深いものでした。 体育の授業は、サッカーグラウンドが何面もとれるほど広大な緑鮮やかな芝生の上で行われていました。中には裸足で運動する生徒もおり、羨ましくなるほどの恵まれた環境で学校生活を送っていました。また、オーストラリアでは当たり前のことだそうですが、私立学校でも、校庭や体育館等の施設は放課後には地域に開放され、住民にスポーツ等の機会を提供しているということです。 生徒たちは、勉強している日本語で一生懸命案内してくれました。遠く離れたオーストラリアでこれだけ多くの子どもたちが日本語を学んでいることを嬉しく思うとともに、生徒たちの能力の高さを実感しました。 7.南西開発公社  パークフィールド小学校を後にした私たちは、市の中心部にある南西開発公社を訪問し、クームバナ・ベイの再開発プロジェクトについてお話を伺いました。南西開発公社は、西オーストラリア州南西部の開発を目的に設置された州政府の機関で、観光拠点の再整備による新たな産業と雇用の創出が期待されています。  再開発プロジェクトは3段階に分かれており、現在は、第1期工事であるドルフィン・ディスカバリー・センター周辺の再整備工事行われていますが、来年には完了し、次の段階に進む見込みとのことです。 ドルフィン・ディスカバリー・センターは、今でも世界中から多くの観光客やボランティアが集う施設ですが、再整備にあたり200人以上のボランティアの方々が参画されているそうです。昨日訪問したライフセービングクラブでも感じたことですが、人々はボランティアを自己研鑽のチャンスとして捉えており、様々なことがボランティアの協力に支えられており、多くの個人の参画を得て社会全体が成り立っていると感じました。 全てのプロジェクトが完結するまで、まだ、少なくとも10年以上はかかる見込みだということですが、この再開発事業によって、バンバリーの町がどのように活性化していくのか、事業の成功を祈念するとともに、改めて、新しい町を訪れてみたいと感じました。   8.高齢市民センター 南西開発公社を後にした私たちは、高齢市民センターで利用者の方々と昼食を共にしました。高齢市民センターは、高齢者の方々が出来る限り自立した生活が出来るよう様々な支援を行っている施設で、当日は、たくさんの方々が歌やダンスを楽しんでいました。また、施設に来ることが難しい方には配食サービスを展開するなど、見守り機能としても高齢市民の生活に大いに寄与しています。 ちなみに、この建物は1877年に個人の方のお宅として建設されたもので、その後産婦人科の病院に改修され現在に至っているとのことです。私たちが訪問した日も、当時の病院で生まれた方もいらっしゃっており、時代時代で姿を変えながら、バンバリーの人々の暮らしを支えてきた施設の歴史を感じながら、利用者の方々とのランチを楽しみました。 9.友好公園記念碑除幕式 昼食後、別行程でバンバリーに向かっていた区長とクイーンズガーデン内に設置された友好公園で合流しました。バンバリー市は、世田谷区のほかに中国の嘉興市(JIAXING)とベトナムのニャチャン市(NHA TRANG)と姉妹都市提携を結んでいますが、この友好公園は、名前のとおり姉妹都市との友好関係を記念し建設された公園であり、最も交流の歴史が深い都市が世田谷であることから、日本式の庭園として整備され、多くの市民の方々の憩いの場となっています。 この度、3都市との友好関係を記した記念碑を新たに建立されたということで、3都市を代表し、私たちが除幕式に立ち会いました。 除幕式を終えた我々は、ジョエル・マクギネス市議らに公園内をご案内いただいた後、市内のファーマーズマーケットを見学しました。街道沿いの店舗の看板 には、私たちの訪問を歓迎する旨のメッセージがお店の名前に負けないくらい大々的に表示されており、“姉妹都市世田谷が来ている”ことに気づかない人は 居ないのではないかと思えるほどでした。   今回の訪問では、このファーマーズマーケットだけでなく、町のいたる所に親善訪問を歓迎する電光表示やフラッグが掲げられており、町全体でおもてなしをしようという気持ちが強く伝わってきました。この町ぐるみの歓迎の取り組みは、バンバリーを初めとした姉妹都市の方々がいらっしゃった際には、是非、世田谷でも実施すべきではないかと、気づかされました。 10.姉妹都市提携25周年再確認調印式典 そして、この日の夕方、バンバリー・リージョナル・エンターテイメントセンター内の劇場で、姉妹都市提携25周年再確認調印式典が執り行われました。 式典には、姉妹都市交流の礎を築いてきたジョン・カストリリ氏、デイビッド・スミス氏ら歴代の市長に加え、はるばるパースからケリー・サンダーソン西オーストラリア州総督や在パース日本国総領事館の平山達夫総領事ご夫妻も列席されるなど、25年の友好の歴史を祝うに相応しい素晴らしい式典となりました。 式は、まるで結婚式の披露宴のように、円卓を囲み食事や飲み物を楽しみながら執り行われました。 来賓の方々の挨拶の合間には、子どもたちの歌やバレエ団の踊りなど歓迎のパフォーマンスが織り交ぜられ、和やかな雰囲気のもと式典は進められました。この25周年記念を堅苦しくなく、リラックスして楽しみながら祝いたいというブレナン市長のおもてなしの気持ちが表われているように感じました。 ブレナン市長は、冒頭の挨拶の中で、「子どもたちの交流が、我々の友好関係のハイライトである。2042年の姉妹都市提携50周年を、次の世代の子どもたちと一緒に祝えるよう、乾杯しよう」とおっしゃられました。市長が、私たちと同じく子どもたちの交流を一番の成果として捉え、交流関係の発展に取り組んでいただいていることに深く感銘を受けました。 保坂区長、上島議長からは、今回のご招待及びこれまで交流に携わっていただいた全ての方々への感謝の辞と、互いに協力し合い、友好の絆をより一層強固なものにしていくことへの誓いの挨拶が述べられました。 歓談のひと時では、同じテーブルに着席した市議会議員や国際交流委員の方々と、たどたどしい英語ではありましたが、身振り手振りも交えたコミュニケーションを通じ、お互いの都市の発展のため、そして何より、両都市の未来を担う子どもたちのすこやかな成長のため、これからも力をあわせて歩んでいく思いを共有することができたと確信しました。直接お会いをして、交流についての夢を語り、想いを共有することの意味を改めて感じました。 各テーブルでの話題は尽きることなく、予定時刻を1時間近くもオーバーするほど式は盛り上がりました。式典の最後には、ブレナン市長より、「来年の春、世田谷を訪れることを楽しみにしている」との言葉があり、私たち議員団は、来年市長一行がいらっしゃった際、世田谷の、そして日本の素晴らしさを伝えることが出来るよう、精一杯のおもてなしをようと心に誓いました。 11.子ども家庭支援局   翌31日も、多くの施設への訪問が予定されており、少し駆け足になりましたが、大変充実した時間を過ごすことができました。まず、私たちは、子ども家庭支援局を訪問しました。児童相談所に近い機能を持つ西オーストラリア州の政府機関で、子どもたちのケアと保護を一番の目的としている施設です。  子ども家庭支援局では、家族との対話を通じてその家庭にあったケアの仕方を家族と共に考える“サインズ・オブ・セーフティ”という取り組みを進めています。ここでは、家族の概念をもう少し大きく捉え、親だけでなく祖父母や親戚の方々とも対話をし、解決策を家族自ら見つけ出せるようなサポートを第一としています。家庭内での解決が難しい場合には2年間の保護に至りますが、その間も子どもが家庭に戻れるよう、家族との対話は継続します。残念ながら2年間の保護期間を経ても家族の元へ戻れない場合には、18歳まで保護が受けられるシステムになっています。 昨今の重大な問題として、合成麻薬に起因する虐待例が増えており、服用した親が子どもを虐待するだけでなく、子ども自身が麻薬を服用するケースも増えているということで、残念ながら西オーストラリア州の中で合成麻薬に起因する保護例が一番多いのは、バンバリーだということにショックを受けました。 また、保護が必要な子どもの数は残念ながら増加傾向にあり、この支援局では現在329人のケアを行っているそうですが、特に、アボリジニの子どもの数が増えているとのことです。保護により子どもの安全は確保されますが、家庭から離れ生活することによりアボリジニの文化継承が難しくなるといった側面もあるなど、オーストラリア特有の課題も感じられました。そういった面からも、できるだけ家庭でのサポートを行い、保護するケースをできるだけ減らしていく取り組みの重要性を感じました。 12.カレッジ・ロー・スクール  子ども家庭支援局への訪問の後、私たちは、5歳から18歳までの知的障害を持つ子どもたちの私立養護学校であるカレッジ・ロー・スクールに伺いました。 ここに通う生徒たちは、高度障害の子どもであり、会話でコミュニケーションがとれない生徒、自分をコントロール出来ない生徒、身体的な困難を抱える生徒など、様々な障害を持つ子どもたちが日々頑張って学んでいます。 カレッジ・ロー・スクールは、この2〜3年で急激に生徒数が増えており、昨年28名であった生徒数が現在では40名を超えるまで増えているとのことです。中には、バスで1時間半以上かけて通っている生徒もいるなど、バンバリーから60km圏内の地域から、多くの子どもたちが通ってきています。 全ての教室には、視覚で意思疎通ができるように、「食事」や「運動」、「トイレ」などの絵が描かれたカードが設置してあります。さらに絵のカードを束ねた“Podd Book”という本を生徒それぞれの特性に合わせ個人ごとに作成し、コミュニケーションツールとして活用しています。中には、専門の先生であっても指導することが困難と思われる生徒もいましたが、一人一人の生徒のために真剣にプログラムを考え、情熱と慈愛をもって指導にあたられていることが伺えました。また、耳が聞こえない生徒のために手話も大事にされているそうで、「あなたを助けますよ」、「みんなの中の一員ですよ」と話しかけ、生徒が孤立感を感じることが無いよう、コミュニケーションを図っているそうです。 最近転校してきた高校生の事例では、コミュニケーションが困難だった生徒が、本校に来てから徐々にコミュニケーションがとれ始めてきた、という良いニュースがあったと伺い、きめ細かな配慮と情熱が着実に実を結んでいると感じました。 高校生のクラスでは、菜園や花壇の手入れも行っており、社会に出る準備としてワークショップやDIYなどを学ぶ教室もありました。また、屋内プールも整備されており、更衣室からプールまでのリフトが施されるなど、充実した設備が整っていました。このプールは、地域の方にも開放されているそうです。 学校は、広大な自然の中に立地し、とてもリラックスできる環境にあります。芝生の中庭では、身体を使って思いきり遊べるスペースがあり、先生は一歩下がって子どもたちを見守っていました。そして、この広大な敷地のより多くの場所を生徒のために使いたいとの校長先生の言葉に子どもたちへの深い愛情を感じ、大変印象に残りました。 13.カセドラルグラマースクール  カレッジ・ロー・スクールに続き、私たちは、カセドラルグラマースクールを訪問しました。カセドラルグラマースクールは、今年で45周年を迎えた幼稚園から高校までの私立一貫校で、平成28年度から新たに開始した中学生親善教育交流事業の相手校です。また、高知の明徳義塾と姉妹校提携を結ぶなど、日本文化や日本語教育に大変力を入れています。 私たちは、世田谷を訪問された生徒の皆さんに学校を案内していただきました。学校の敷地は、以前は農場だったそうで、ユーカリやマリーの木などの美しい自然に囲まれており、自然を生かしたパーマカルチャーのコミュニティガーデンが生徒たちの手によって運営されていました。 校舎には、普通教室のほかに多くの専門教室が設けられていました。フォトス タジオや3Dプリンターが備えてあるデザイングラフィックの教室や大小様々な機械が備え付けられた木工・金属加工技術を学ぶ教室、そして、フードテクノロジーや裁縫などを学ぶ家庭科の教室など、様々な専門技術を習得できる環境が備わっていました。中学生からは、第2外国語としてフランス語との選択制で日本語を学ぶそうで、訪問当日も、和風の小物が満載の日本語教室では、多くの生徒が日本語を勉強していました。私たちを案内してくれた中学3年生の女子生徒は、国際食文化としてラーメンをスープづくりから挑戦しているとのことで、クリスマスに向けて、ジブリをテーマにした料理も考案しているそうです。日本語や日本文化に大変関心のある生徒たちが多く、大変親近感を覚えました。  先生方や生徒たちとの食事の後、校内のチャペルをジェフ神父に案内していただきました。このチャペルは、およそ800年前に貧しい人や病気の人々のために活動した聖フランチェスコと聖クレアの二人の聖人を祀るとともに、生徒たちが二人の聖人のように恵まれない人々のことを思う人間に育つことを願い、建てられたものだそうです。ジェフ神父のお話しの後、生徒の皆さんと地域の合唱団の方が歌を披露してくださいました。特に“さくら”を独唱してくださった女子生徒の美しい歌声には、大変魅了されました。 訪問の最後に、今後の教育交流について市議会議員の方にも同席いただき、学校側と意見交換をしました。冒頭、保坂区長から教育交流にご協力いただいたことへの感謝の挨拶があり、議員団からもお礼を申し上げるとともに、教育交流の拡充に向け意見交換を行いました。  学校側からは、国際交流は生徒にとって良い経験であり大切なことであるので続けていきたい旨の意向が示されるとともに、より魅力的な事業にしていくためには、対象とする学年の範囲を現在の中学2年生から複数の学年に拡大できないか、ホームステイ先の確保が難しい場合には学校の宿舎を活用してはどうか、また交流プログラムの期間が短いと感じている保護者も多く4〜5週間に延ばすことはできないか等の具体的な提案がありました。一方で、事業を継続していくにあたり、教員や保護者の経費負担が大きい等の課題認識があることなど、率直なご意見をいただくことができました。 昨年スタートしたばかりの中学生教育交流事業ですが、子どもたちのために、今後も交流を継続し、より充実した内容にしていきたいとのお互いの思いを確認するとともに、課題の共有や新たな提案をいただくことが出来、大変有意義な意見交換の場となりました。生徒たちや先生方を初め、全校を挙げての真心のこもったおもてなしをいただき、感謝の想いを胸に、私たちは次の訪問先へ向かいました。 14.ヘッド・スペース  ヘッド・スペースでは、青少年の精神衛生保健活動や健康促進のための支援活動を行っています。オーストラリア全土に110ヶ所の施設があり、今後5年間で新たに15施設の開設を予定するなど、年々その需要は増えているそうです。ここバンバリーの施設は、平成25年(2013年)に開設されたもので、昨年1年間に880件もの相談が寄せられたそうです。 支援の対象は、12歳から25歳の青少年で、医師や看護師、心理学者やカウンセラー等の専門家と連携して、精神的健康(自殺予防)、身体的健康、学習と仕事のサポート、アルコール・薬物の依存症などの問題を抱える若者への支援に取り組んでいます。 ヘッド・スペースでは、本人や家族等から相談を受けると、まずミーティングの場を設け、どの分野の専門家から支援を受けるかを決めます。そして、専門家を決めた後、6回のカウンセリングが行われ、その後は、必要に応じて追加のカウンセリングを行います。 精神保健衛生の分野においても、重篤化する前の予防措置が大変重要ですが、ヘッド・スペースでは、地域社会全体で学齢期の若者をケアし、重篤化の未然防止を図るため、地域社会とのノウハウ共有にも力を入れているそうです。 オーストラリアでも生き辛さを抱える若者が増えているそうで、特に、自殺者の増加が深刻な社会問題になっています。課題解決のためにはヘッド・スペースだけの取り組みでは難しく、家族、学校、地域など社会全体で支援する体制の構築に向け取り組んでいるそうです。具体的には、フィットネスクラブに働きかけ、若者が参加できるような場を共同で企画したり、学校と連携し美術教室や講話会を設けるなどなど。また、施設でイベントを開催して近隣の方をお招きするなど、ヘッド・スペースの活動を地域の方に知っていただくための取り組みにも力を入れているそうです。 また、ヘッド・スペースの数が増えているとはいってもオーストラリアは広大であり、一番近い場所まで何百キロメートルと離れている場合もあるため、「e-ヘッド・スペース」といって、WEBを通した申し込みやミーティングも行っているとのことでした。 15.ワイルドライフパーク ヘッド・スペースの後、私たちは、バンバリーの郊外にある市立動物園、ワイルドライフパークに伺いました。ワイルドライフパークには約60種類の動物が飼育されており、観光面だけでなく、子どもたちがオーストラリアに暮らす動物たちと触れ合う場としての教育的な役割も期待されています。また、絶滅危惧種の保護にも力を入れているとのことで、世田谷の子どもたちも、オーストラリアに暮らす動物たちについて学ぶため、必ず見学に訪れる施設だそうです。 特色は何といっても、動物たちと触れ合えることでした。カンガルーに餌をあげながら、触れ合うことができたことには驚きでした。一緒に散策した地元の子どもたちも大喜びでした。 16.バンバリー市議会  その後、私たちは、午後6時に始まった市議会を傍聴させていただきました。バンバリー市議会は、12名の議員で構成され、任期は4年で2年ごとに半数の議員が改選されますが、この日は、10月21日の選挙後、初めての議会でした。 バンバリー市議会では市長が議長役を務めます。会議では、まず、議員の中から選ばれる副市長を選出し、所属委員会の割り振りなどの議事の後、道路開発に関する計画案の審議が行われました。計画案に対し議員から修正案が提案され、さらに賛成派、反対派それぞれの市民代表が意見を述べた後、議員が意見を述べ、採決となりました。世田谷区議会の進め方やスタイルとは、大きく違いますが、興味深く傍聴させていただきました。 会議終了後、市役所の中庭で、「市議会オリンピック」と題した、スプーンリレーや靴飛ばしなどのゲームを楽しみました。結果は、世田谷区に花を持たせてくださいました。その後、市議会主催の夕食会にお招きいただきました。昨日の市長主催の夕食会よりも、さらにリラックスした雰囲気の中で、バンバリー市議会議員の皆さんと、交流関係の末永い継続と発展に向け、夢を語り合いました。 17.シムコア・オペレーション社工場   バンバリーでの最終日、私たちは、ホテルをチェックアウトし、シムコア・オペレーション社の工場に向かうため、区長の宿泊するホテルに移動しましたが、そこには、ブレナン市長を初め、市議会議員の皆さんや国際交流委員の方々など、今回の訪問でお世話になった多くの方々にお集まりいただいておりました。 ご多忙であるにも係わらず自ら訪問先をご案内いただき、食事を共にしていただき、バンバリーと世田谷との交流について夢を語り合った彼らとの別れは寂しいものでしたが、感謝の気持ちを伝えるとともに、日本での再会とバンバリーと世田谷との末永い交流を誓って、彼らと別れシムコア・オペレーション社の工場へ向かいました。 シムコア・オペレーション社は、信越化学工業株式会社の100%子会社で、西オーストラリア州で多く採掘される良質なケイ石から、半導体シリコンの主原料になる金属ケイ素を採掘する企業です。 電気炉2基を稼働し、採掘量は、年間52,000トン、主にアメリカやヨーロッパ、中東などへ輸出を行っています。 金属ケイ素は、ケイ素と酸素を主成分とするケイ石を木炭などと一緒に電気炉で融解、還元してつくります。具体的には電気炉にケイ石、木炭などの炭材を配合投入し、そこに大電流を流して炉心温度を上げると、炭材から出るガスがケイ石から酸素を奪い、ケイ素が金属状に遊離して金属ケイ素ができ上がるそうです。 実際に電気炉も見学しましたが、炉内は2,500℃から3,000℃にもなるそうです。ケイ石を集め、炉内に入れるエアコン付きブルドーザーの運転席も50℃になるそうで非常に過酷な場所でした。蒸気に混ざる粉塵も集め再利用するなど、工場から出るものはすべて活用するとの方針で、環境面にも配慮した工場運営がなされていました。 平成29年度 バンバリー市姉妹都市提携 25周年記念親善訪問報告書 世田谷区議会 親善訪問団