令和6年度 (2024年) ドゥブリング区姉妹都市提携40周年記念親善訪問報告書 世田谷区議会 親善訪問団 目次 ◎親善訪問団名簿 1 ◎訪問日程 2 ◎ドゥブリング区姉妹都市提携40周年記念親善訪問を終えて 3 ◎ドゥブリング区の概要 5 ◎姉妹都市提携40周年記念親善訪問について 1.Maria Regina学校 (令和6年度世田谷区小学生派遣団受入れ校) 10 2.専門職のための高等教育機関 13 3.ウィーン市庁舎 15 4.カリタス・アムヒンメル学校 17 5.世田谷パルク(世田谷公園) 20 6.姉妹都市提携40周年再確認調印式典 22 7.在オーストリア日本大使主催 レセプション 24 8.ドナウ川の洪水予防対策施設 25 9.ドゥブリング区主催 夕食会 28 令和6年度 ドゥブリング区姉妹都市提携 40周年記念親善訪問団 職  氏名   所属 団長 石川ナオミ 区議会議員 副団長 高橋昭彦 区議会議員 団員 宍戸三郎 区議会議員 団員 福田たえ美 区議会議員 団員 オルズグル 区議会議員 団員 岡川大記 区議会議員 随行 岡本俊彦 区議会事務局議事担当係長 訪問日程 日程 滞在都市 訪問先・主な行事 10/21(月)出発 10/22(火)ウィーン ◎施設訪問 〇Maria Regina学校 (令和6年度世田谷区小学生派遣団受入れ校) 〇専門職のための高等教育機関 〇ウィーン市庁舎 10/23(水) ウィーン ◎施設訪問 〇カリタス・アムヒンメル学校 〇世田谷パルク(世田谷公園) ◎姉妹都市提携40周年再確認調印式典 ◎在オーストリア日本大使主催 レセプション 10/24(木) ウィーン ◎施設訪問 〇ドナウ川の洪水予防対策施設 ◎ドゥブリング区主催 夕食会 10/25(金)〜26(土)帰国 ドゥブリング区姉妹都市提携40周年記念親善訪問を終えて 団長 石川ナオミ 私たち親善訪問議員団の一行6名は、ダニエル・レッシュ区長の招聘を受け、保坂区長、おぎの議長とともにオーストリア共和国ウィーン市ドゥブリング区との姉妹都市提携40周年再確認調印式典に出席するため、令和6年(2024年)10月21日から10月26日に至る6日間にわたり、ドゥブリング区を訪問いたしました。 ドゥブリング区と世田谷区との交流は、昭和58年(1983年)に、当時のドゥブリング区長であるアドルフ・ティラー区長の世田谷区訪問をきっかけに交流の機運が高まり、昭和59年(1984年)にドゥブリング区において姉妹都市提携仮調印が交わされ、翌昭和60年(1985年)に世田谷区におきまして、正式に姉妹都市提携覚書への調印を行いました。その後も、多摩川とドナウ川との友好河川共同宣言、日本庭園「世田谷パルク」の開園、小学生の親善訪問など、数々の行事を通じて交流を深め、今年で姉妹都市提携40周年の節目の年を迎えました。 私たち親善訪問議員団は、これまでの交流の歴史を改めて振り返るとともに、姉妹都市交流の更なる発展を目標に掲げ、今回の訪問に臨みました。調印式典やレセプションでは、レッシュ区長をはじめ、関係者の方々と語り合うことで、友好関係を深めることができました。それぞれの都市が持っている魅力を十分に引き出しながら、お互いに理解を深め、末永い友好関係を築いていきたいという思いを、ドゥブリング区の皆様に直接お伝えし、共有できたことは大きな成果であったと感じております。 また、世田谷区の小学生を受け入れてくださっている小学校など、様々な施設を訪問させていただき、ドゥブリング区の歴史や文化、生活環境なども学ばせていただきました。 40年に渡り築き上げてきた友好関係は、世田谷区にとっての財産であり、今後、その関係性を更に発展させ、次の世代へと繋いでいくことが、私たちの重要な役割だと、改めて感じております。交流内容等の詳細は項目ごとに後述いたしますが、今回の訪問は議員団各位にとって誠に有意義なものとなりました。訪問の成果は、今後の議会活動を通じて本区の行政に十分反映させて参ります。 最後になりますが、レッシュ区長、ヴーツル副区長、マデル副区長をはじめ、迎え入れていただきましたドゥブリング区の皆様、ご協力いただきました関係者の方々に対し、親善訪問議員団を代表いたしまして、心より感謝申し上げます。 ドゥブリング区の概要 1.ドゥブリング区のあらまし ドゥブリング区は、オーストリア共和国の首都ウィーン市内の北西部に位置する閑静な住宅地域です。区の東側にはドナウ川が流れ、区役所などがある町の中心部や、住宅地などは主に区東部に集中しています。また、区内の北部から西部にかけて『ウィーンの森』が広がっています。この森の中には、カーレンベルグ(483.5m)、フォーゲルザングベルグ(516m)などの山があり、中でも、ヘルマンスコーゲルス(543m)はウィーン市でもっとも高い山になります。区内には、中部から西部にかけて多くのぶどう酒農家があり、ワイン醸造が盛んに行われています。醸造元が経営するホイリゲと呼ばれる居酒屋が、グリンツィングを中心に数多くあります。 かつて、楽聖ベートーベンもこのドゥブリングに住んだ時期があり、有名な交響曲第3番『英雄』、第6番『田園』は、この地で生み出されたと言われているなど、音楽の都ウィーンにふさわしい歴史と文化を感じさせます。 ドゥブリング区は、東京都同様に23区に分かれている、ウィーン市の19番目の区であり、人口は約7万4,000人、面積は約25平方キロメートルです。 2.ドゥブリング区の歴史 19世紀後半のウィーン市の膨張にともない、1890年、ニーダーエステルライヒ州議会は、ウィーン市周辺の村々を合併させることを決定しました。この法律は、1892年に発効されました。ドゥブリング区もこの法律に基づいて、1890年にハイリゲンシュタット、ウンター・ドゥブリング、ヌスドルフ、オーバー・ドゥブリング、ジーベリング、カーレンベルガードルフ、グリンツィングの7村を合併して第19区として作られました。その後、1938年には、第18区(ヴェーリング区)より、ノイシュティフト・アム・ヴァルデ及びザルマンスドルフの2村を併合しました。 3.ドゥブリング区の紋章 1891年に制定。7村のシンボルを組み合わせて作られました。1938年には、ノイシュティフト・アム・ヴァルデとザルマンスドルフのシンボルを加え、現在に至っています。 〇9つのシンボルの説明 @ハイリゲンシュタット この地の守護神、大天使ミカエルが、自ら打ち倒した龍の上に立っている。グリンツィング通りにある教区教会は、この大天使ミカエルを祭っている。 Aウンター・ドゥブリング 描写されているこの聖人については、聖ヤコブか聖フィリップだと言われている。この地区には教区教会がないため、オーバー・ドゥブリングの教区教会に人々は属している。 Bヌスドルフ 一本の幹より伸び、実や葉をつけた2本の枝は、くるみの木を表す。『ヌスドルフ』は、『くるみ村』という意味であるが、村の名前がくるみの木に由来するという説は、正しくないとされる。 Cザルマンスドルフ キリスト教迫害の殉教者、聖セバスチャンが描かれている。過去、トルコ軍によってキリスト教迫害が行われた。 Dオーバー・ドゥブリング 古くから村印となっている『ぶどう』のデザイン。この地の重要な産業はぶどう栽培だった。 Eノイシュティフト・アム・ヴァルデ ペストの病人達を看護中に、自らこの病で倒れたという聖ロコスが描かれている。それにより彼はあらゆる困窮の救済者と崇められている。 Fジーベリング 聖セヴェリンが描かれている。しかし、ジーベリングという地名が、彼の名に由来するという説は、正しくないとされる。 Gカーレンベルガードルフ この地の守護神、聖ゲオルグが、前足を高々とあげる馬にまたがり、竜を退治している。 Hグリンツィング 貴族がぶどうの房をもっている。この地の高貴なワインを象徴している。 4.ドゥブリング区の行政制度 ウィーン市は、東京と同様23区からなっており、その第19区がドゥブリング区です。各区には、区議会があり、また区議会により選挙された区長がいます。なお、予算は人口、道路面積などに応じて算出されたウィーン市からの交付金によって賄われており、区の担当事務は、「小中学校の建物の維持管理」、「道路、公園の建設、整備(信号も含む)」、「墓地、市場の運営」等となっています。 区議会議員は、ウィーン市選挙法に基づき直接選挙(比例代表選挙)され、任期は5年。区長が同時に区議会議員であれば、区長が議長となりますが、区長が区議会議員でない場合は、区議会第1党に属するものの中から議長を選任します。また、区議会は市議会の補助的機関、下部機関に位置づけられ、区の利益に関する事務のほか、市議会から明示的な委任のあった区域内に関する事務を処理します。それらの事務処理に当たっては、常に市議会の指示に従わなければなりません。 5.ドゥブリング区との姉妹都市交流の歴史 昭和58年(1983年)にドゥブリング区のアドルフ・ティラー区長が世田谷区を訪問したことをきっかけに両都市の交流が始まりました。世田谷区もドゥブリング区も、ともに比較的みどりに恵まれた住宅都市であり、また文化都市を志向しているなどの共通点があり、文化、芸術を中心に交流を深めていきました。両区は、交流を重ねて行く中で、芸術、文化、スポーツなどの交流を促進させることにより、両区の発展はもとより、世田谷区とウィーン市、さらに日本とオーストリアの友好親善のかけ橋として、相互に協力しあっていくことで合意に達し、姉妹都市提携に至りました。 〇世田谷区・ウィーン市ドゥブリング区姉妹都市提携覚書 日本国東京都世田谷区とオーストリア共和国ウィーン市ドゥブリング区は姉妹都市提携を機に行政・文化・芸術等あらゆる分野にわたる交流を通じて両都市市民の相互理解と友情のきずなを深めることを誓いもって両国間の国際親善を促進することを約す双方の確固たる意思を確認しここに調印する 昭和60年5月8日 調印者:(世田谷区)大場啓二 (ドゥブリング区)アドフル・ティラー ドゥブリング区との交流年表 年月 交流内容等 1983.5 アドルフ・ティラー区長初来日 1984.10 ドゥブリング区にて姉妹都市提携仮調印 1985.5 世田谷区議会議場にて姉妹都市提携覚書調印 1986.10 世田谷区にて多摩川・ドナウ川友好河川共同宣言調印 (ヘルムート・ツィルク ウィーン市長一行 世田谷区来訪) 1987.8 ドゥブリング区にてドナウ川「世田谷湾」命名式 1988.7 二子玉川兵庫島にて多摩川・ドナウ川友好河川記念碑除幕式 1989.10 ドゥブリング区長一行 世田谷区来訪 1992.5 ドゥブリング区にて「世田谷パルク」オープニングセレモニー 1992.10 第1回世田谷区小学生派遣団がドゥブリング区を訪問 1994.4 世田谷区にて姉妹都市提携10周年再確認宣言書調印式実施 1994.6 区議会海外派遣調査団がドゥブリング区訪問 1996.4 世田谷区長がドゥブリング区訪問 1996.9 区議会海外派遣調査団がドゥブリング区訪問 1999.10 ドゥブリング区にて姉妹都市提携15周年再確認宣言書調印式実施 ドナウ川 「世田谷湾」命名式実施 ※旧世田谷湾の沈没による 2003.5 ドゥブリング区長一行 世田谷区来訪 2004.10 ドゥブリング区にて姉妹都市提携20周年再確認宣言書調印式実施 2009.5 世田谷区議会議場にて姉妹都市提携25周年再確認宣言書調印式実施 2009.10 ドゥブリング区にて姉妹都市提携25周年記念式典実施 2014.6 ドゥブリング区にて姉妹都市提携30周年再確認宣言書調印式実施 2018.10 ダニエル・レッシュ ドゥブリング区長就任 2019.6 世田谷区議会議場にて姉妹都市提携35周年再確認宣言書調印式実施 2019.10 ドゥブリング区にて姉妹都市提携35周年記念式典実施 2022.4 アドルフ・ティラー前区長 旭日双光章受賞 2024.10 ドゥブリング区にて姉妹都市提携40周年再確認宣言書調印式実施 姉妹都市提携40周年記念親善訪問について 1.Maria Regina学校 (令和6年度世田谷区小学生派遣団受入れ校) ウィーン到着の翌日10月22日、我々議員団は、まず世田谷区の小学生派遣団の受け入れ校であるマリア・レギーナ・レアルギムナジウムを訪問しました。本校は、幼稚園から高校までの一貫教育を提供する学校です。施設内には幼稚園、小学校、そして10歳から18歳の子どもたちが通うAHS(中高一貫校)が設置されています。現在、AHSには24のクラスがあり、569人の生徒が学んでいます。また、幼稚園教諭の養成課程も併設されており、放課後の児童預かり施設も完備されています。 訪問の冒頭で講堂にて、世田谷区から派遣された小学生と現地の同学年の生徒の方々が各々の国の故郷の歌を披露してくれました。とても心の和む、素晴らしい合唱でした。子どもたちが生き生きしており、海外で現地の子どもたちと触れ合うことで多様な文化を体感することはとても素晴らしいと感じました。その後、校長先生の案内の下、校内を見学させていただき、詳細な説明を受けました。 1.学校の歴史 1997年までは女子校として運営されており、第二次世界大戦中には尼僧院が運営する病院として機能していました。校内には歴代校長や来訪した政治家(国連事務総長を含む)の写真が展示され、1990年代の教室風景なども記録として保存されています。これらの展示物からは、学校の歴史と発展の過程を知ることができます。 2.施設の特徴 学校の中心には「守り神の中庭」と呼ばれる特徴的な中庭があり、天使の像が設置されていました。学内には専用の教会も備えられており、始業のミサや復活祭、クリスマス、卒業式など、様々な行事に活用されているとのことでした。かつて尼僧院であった建物の跡地には庭園が整備され、現在は生徒たちの憩いの場となっています。1945年の戦災の記録も大切に保存されており、学校の歴史を今に伝えています。 3.教室環境と設備 教室には最新のデジタル機器が導入されており、黒板は観音開きで、内側はホワイトボードとデジタル機器を合わせて使用できます。10歳以上の生徒にはiPadが配付され(一部保護者負担)、専用のロッカーで管理されているということです。特に実験施設は充実していました。物理実験室には耐火実験台が設置され、化学実験室には各テーブルに水道やガスの設備が完備されています。先生もサービス精神旺盛で、私たちのために簡単な実験を行ってくださいました。 4.教育内容 この学校の教育カリキュラムは、必修科目に加えて多様な選択科目が用意されています。特に言語教育に重点が置かれており、ラテン語やロシア語、スペイン語などの言語科目が充実しています。また、化学やコンピュータなどの実践的な科目も選択可能です。化学の授業では、アルコール発酵実験や酸度測定など、実践的な実験が多く取り入れられており体験的な学習が重視されています。 視察を通じて、特に印象的だったのは、歴史的な建造物と最新の教育設備の調和、充実した実験施設、そして言語教育が重視されていた点です。校内の至るところに歴史を物語る展示物があり、生徒たちは日々の学校生活の中で自ずと学校の歴史に触れることができます。また、教職員や生徒の方々の温かな雰囲気も印象的でした。生徒から積極的に「こんにちは」と挨拶してくれることもありました。また、化学の先生が私たちのために実験を披露してくださったことや授業の見学を通じて、生徒たちと近い距離感で接されていることもわかり、愛情が伝わってきました。校長先生が「最も大切なのは生徒と教師である。」とおっしゃっていた言葉が、学校全体の雰囲気によく表れていると感じました。 2.専門職のための高等教育機関 マリア・レギーナ・レアルギムナジウムを後にした私たち議員団は、次に、ドゥブリング区内にある職業専門学校(hlw19StraBergasse)を訪問しました。 まず、職業専門学校について説明いただき、日本の教育との違いを感じました。この学校には1,000人の学生たちが通っており、教員や管理関係者は120人もいらっしゃるそうです。学生は14歳から16歳頃に入学し、その後に5種類のコースに分かれます。同じ分野を3年間勉強することが可能で、その後、さらに勉強を深めて、大学入学資格を取得することもできます。1,000人の学生全員が在学中にインターンシップに参加しなければならない点が特徴的で、学んでいる事を実際に仕事として体験できます。また、インターンシップ中は、その対価として給料を受け取ることができるそうです。卒業後は、さらに勉強を続ける学生もいますが、そのまま就職することもできるそうです。 学校についての説明を受けた後、学校で調理した昼食をいただきました。そこでは、レストラン関係の分野を担当する先生から「皆様、ようこそいらっしゃいました。今からお食事となりますが、2年生の学生が皆様に料理を運んでまいります。この学生は、最終的にはコックなど、レストラン関係の専門的な職業に就くことになります。どうぞごゆっくりお召し上がりください。」と、ご挨拶をいただきました。続いて、本日のメニューについて、「まず、前菜からご案内させていただきます。今日のスープは、パンケーキを細切りにして具として使っています。メインの前にパンを用意していますので、バターと一緒にお召し上がりください。メインはオーストリアの典型的な郷土料理で、豚肉のロースを焼いたものに、酢漬けしたキャベツを添えております。サラダバイキングもあります。デザートは、こちらもオーストリア名物のアップルパイをお出しいたします。」と、給仕を担当する学生からプロ顔負けの説明がありました。 このようなタイプの学校は、ドゥブリング区内には3か所あり、ここでは全般的な職業を網羅しているため、仕事に直接役立つ様々な知識とスキルを身に付けることができます。ここはオーストリア国内全体で見ても、最も大きい職業専門学校であり、エコの観点から非常に高い評価を受けるなど、数々の賞を受賞されているとのことでした。将来の目標に向けて、日々、励んでいる学生の皆さんの素敵なサービスに感銘を受けたひと時でした。 3.ウィーン市庁舎 この日の最後の行程として、ウィーン市庁舎を視察しました。19世紀後半、ウィーンでは人口が増え続け、古い市庁舎では手狭になったことから、新しい市庁舎の建設が計画されました。延床面積60,000平方メートル、5階建ての大きな建物で、現在の第1区に建てられています。 建築家を選ぶコンクールには、60名以上が参加し、フリードリヒ・フォン・シュミット氏が選ばれました。シュミット氏は、古いヨーロッパの教会のような外観と、使いやすい近代的なデザインと、新しい発想でネオゴシック様式の設計を行いました。 〇施設の特徴と使われ方 ・大ホール(フェストザール) 市庁舎の中で一番大きな部屋が、フェストザールです。広さは1,450平方メートルもあり、16個の豪華なシャンデリアが天井を飾っています。130年以上前から舞踏会が開かれ、今でもその伝統は続いています。また、コンサートや授賞式、健康・福祉に関するイベントなど、市民のための様々な催しにも使われています。 ・議場 100人の議員が集まる議場には、重さ3,200キログラム、直径5メートル、高さ3メートルという大きなシャンデリアが存在感を放っています。五つの政党の議員たちが、時には26時間も続く長い会議を行うこともあるそうです。世田谷区議会同様、市民は上の席から、会議の様子を見ることができます。 ・記者室(プレスルーム) 市長室の近くにある記者室には、歴代市長の肖像画が飾られています。これまでの市長は全員が社民党の所属だったということでした。市長になると自分の好みの画家に自分の肖像画を描いてもらえますが、その絵は市長が亡くなるまで公開されないという珍しい決まりがあります。 ウィーン市庁舎は、行政機能を果たしながら、市民が集い楽しめる場所として、また観光スポットとしても活用されており、歴史的価値と現代のニーズを両立させています。一方、日本の公共施設は行政機能に特化する傾向にあり、その違いに大きな印象を受けました。今後の世田谷区の公共施設では、区民が気軽に立ち寄れる開かれた空間や文化活動の場を設けるとともに、区のシンボルとなるような建築的価値を持たせるよう検討することも必要かと感じました。このウィーン市庁舎の視察で得た知見を、世田谷区の新しい公共施設整備に活かしたいと思います。 4.カリタス・アムヒンメル学校 翌23日は、ウィーン市郊外にあるカリタス・アムヒンメル学校の訪問からスタートしました。1974年に障害児教育施設として設立されたこの学校は、2014年からインクルーシブ教育に方針転換し、2019年の新校舎建設を機に運営方針を完全なインクルーシブ教育に切り替え実践されています。小学校(6〜10歳)、中等教育(10〜14歳)、特別支援教育の3つの学校が一体となった施設として、全12クラス、149名の生徒が在籍しており、そのうち約3分の1の生徒が何らかの特別支援を必要とする診断を受けています。通学手段としては、公共交通機関やスクールタクシーを利用しており、経済的な支援が必要な場合には、タクシー代のサポート制度も設けられています。アムヒンメル校は、インクルーシブ教育の理念に基づいた施設設計と運営体制を確立し、すべての子どもたちの多様性を尊重した教育環境を提供しています。 1.特徴的な教育体制 最も特徴的な点は、教職員36名、スタッフ19名という充実した人員配置により、生徒3名に対して教員1名という密な指導体制がとられているところです。また、必要に応じて1対1の個別指導も行われています。クラス編成においても、小規模グループ(6〜10名)と大規模グループ(15〜25名)を併設し、生徒の成長に応じて移行できる柔軟な体制が整えられているそうです。また、コミュニケーション支援も充実しており、手話や絵カードを活用した視覚的支援、スマートボードなどのICT機器の活用など、多様な手法を取り入れています。これにより、言語によるコミュニケーションに困難を抱える生徒も、円滑に学習活動に参加できるそうです。さらには、卒業生の働く場も提供しており、塩やジャムなどを製造する作業場とそれらを販売する無人販売所も敷地内にありました。 2.施設・環境の特徴 学校は2つの校舎から構成されており、メインとなる新校舎と、森に近い場所にある小規模な旧校舎があります。 旧校舎には厨房、体育館、物理学実習室、午後の保育スペースなどが設置されています。新校舎には一般的な教室が配置されています。施設面では、自然との調和を重視した設計が特徴的でした。教室から直接屋外に出られる構造や、テラスに植物を置き、森に近い立地を活かした自然体験の機会など、環境教育との統合が図られています。また、インクルーシブ教育を考慮した空間設計も特徴的で、広々とした廊下と休憩スペース、教室内外での学習が可能な柔軟な空間構成、食堂による給食時間の分散化など、きめ細かな配慮がなされています。また、静かな環境で勉強できる自習室もしっかりと整えられていました。 3.特色ある教育プログラム 午後には「アトリエ」と呼ばれる特色あるプログラムを実施しています。このプログラムは、スポーツ、音楽、クリエイティブ活動の3つの分野に分かれており、生徒が自由に選択できる仕組みになっています。午前中で勉強が中心だった場合、午後は自然の中で過ごすなど、生徒の状況に応じて柔軟に活動されています。校内での支援体制も充実しており、言語療法や理学療法など7種類の療育支援を受けることができます。これにより、学校生活の中で必要な支援をタイムリーに受けられる環境が整っています。 4.民主的な学校運営 学校運営面では、校長による一方的な決定ではなく、教職員の意見が積極的に取り入れられているとのことです。新校舎の建設時にも、教職員の意見を反映させ、実際の教育活動に即した環境づくりを実現されました。また、各クラスから選出された代表者が校長に直接意見を伝える機会が設けられており、生徒の声も学校運営に反映されています。昨年は教職員用のスペースを縮小し、その分の空間を生徒の活動場所として再配分するなど、柔軟な施設活用も行われています。 アムヒンメル学校は、インクルーシブ教育の理想的な実践校でした。特に、施設設計の段階から教育理念を反映させている点や、すべての子どもたちの多様性を前提とした教育環境を整備している点が特に素晴らしく感じました。日本の教育現場へも、柔軟な指導体制の構築、自然体験と学習の統合、民主的な学校運営の実践などの価値観は参考に出来るのではないかと感じました。今回訪問したこの学校のような環境を作るには潤沢な人的・物的資源が必要であり、公立学校での完全な再現は困難かもしれません。しかし、その理念や具体的な実践方法については、既存の教育環境でも応用可能であり、日本のインクルーシブ教育の発展に向けた貴重な知見を得ることが出来ました。 5.世田谷パルク(世田谷公園) 音楽の都としても有名なウィーン。音楽は国境を超えると言われますが、まさにドゥブリング区の街並みの一画には、日本とドゥブリングが融和したようなボーダレスな空間「世田谷パルク(世田谷公園)」が広がっています。 世田谷パルクは1992年5月、日本の造園家、故中島健氏の設計により作られました。この庭園は日本の自然を象徴的に再現しており、多彩な花々と季節の移ろいを感じられるよう日本カエデ、桜、ツヅジなど四季折々の木々が植えられています。園内は、秋の錦絵と言わんばかりにカエデが鮮やかに紅葉しており、その園内を、レッシュ区長と公園管理を担っている職員の方に案内していただきました。 紅葉の頃はもちろんのこと、桜の時期にはドゥブリング区でも1番の人気スポットになるということでしたが、こうした艶やかさの裏には、様々な維持管理の難しさがあることも伺いました。また、園内の植物の植栽は日本の造園業のプロに指導を受けながらすべて自然風に配植し、日本人が自然を愛し、自然を尊重する精神をも伝えているという説明をいただきました。 園を歩いている途中、散歩をされている方にお会いしたり、園内にある池でカモが羽を休めている光景を目にしました。世田谷パルクがウィーン市民や観光客のみならず動植物の憩いの場としても親しまれ、愛されていることを実感しました。公園を計画した当初は公園建設に反対の声もあったということですが、今では、映画の撮影や結婚をされたカップルが記念撮影に利用されることもあるということです。また園内に設けられた茶室では、現地の日本の方々が茶会を催し、和装と和の心で点てたお茶を多くの方々にもてなして、喜んでいただいているというお話を伺いました。 世田谷区との姉妹都市提携の象徴として30年以上も大事に公園を管理して下さっているドゥブリング区には改めて感謝の意をお伝えしたいと思います。公園は、年齢、性別、障がいの有無等に限らず、多様な方々が利用する場所です。こうした公園という特性を活かしてドゥブリングに、素晴らしい日本庭園が息づいていることはこれまで両区が友好的な関係性を築いてきた証であると言えます。今後も、世田谷パルクがドゥブリングと世田谷の交流を継続し深め発展させていくためのシンボルとして存在することを世田谷区民に伝えていきたいと思います。また、四季を感じる園内に、できるならば、世田谷区の花「サギソウ」を植栽してはどうか、という提案もさせていただきました。今回、訪問団として現地を訪れ、感じることができたからこそ、このような提案にも至れたのだと思います。近い将来、世田谷パルクに世田谷区の花「サギソウ」が可憐に咲き、人々の心を和ませてくれることを期待しています。 6.姉妹都市提携40周年再確認調印式典 世田谷公園の美しさと和の精神を心に刻み、私達議員団は、姉妹都市提携40周年再確認調印式典が行われるドゥブリング区役所に移動しました。会場の入り口には、「ドゥブリング区へようこそ」と日本語で書かれた看板が設置され、その文字の下には、ドゥブリング区と世田谷区の紋章が並んで掲載されていました。 姉妹都市として友好の深さを感じる温かい心配りに感動した瞬間でした。 会場に入ると、地元で活躍されている市民団体の演奏家の皆さんがベートーベンの曲など数曲の演奏で出迎えて下さり、会場は生演奏の歓迎の音色に包まれていました。式典には、ダニエル・レッシュ区長、ローベルト・ヴーツル副区長、そしてドゥブリング区議会の全政党から代表の議員のほか、姉妹都市提携の礎を築いた立役者でもある、ティラー前区長、水内在オーストリア日本国大使などが出席されていました。 レッシュ区長からは「これからも40年以上の交流が続くことを望んでいる。さらに親交を深めていきたい」というご挨拶をいただきました。続いてご挨拶をした保坂区長も、「ティラー区長、レッシュ区長とバトンが渡され、多くの皆さんの努力でこの交流が続いていること、これから50周年に向けて、この両都市関係をどのように発展させるか、ぜひレッシュ区長とも相談をしていきたい」と姉妹都市交流の絆をさらに深めていく意気込みを語りました。さらに水内在オーストリア日本国大使の祝辞へと続き、その後、両都市の未来を担う子どもたちをはじめとした親交が進展していくことを再確認し宣誓する調印式が行われました。今回は40年の節目を迎えた調印式ということもあり、両区長ともそれぞれのご挨拶で述べられた言葉に呼応するかのごとく、これまで友好を深めてこられた感慨と、この先も良好な関係性を築いていくという熱い思いが調印をした手に込められていたように感じました。続いて、世田谷区議会を代表しておぎの議長からのご挨拶があり、日本からお持ちした記念品をお渡ししました。ドゥブリングからも私達にサプライズの贈り物として、前述した演奏家の皆さんの粋な計らいによる弦楽四重奏の演奏で日本の名曲「荒城の月」をご披露下さいました。 改めてドゥブリング区のご厚情に胸がいっぱいになりました。 今、世界に目を向けると、紛争など先の見えない混沌とした社会がある中で、こうしてお互いが手を携えて交流を続けていくことは、実は当たり前ではなく、容易いことではありません。今回、式典の参加を通して、それぞれの都市が、自然や文化を調和させ、魅力を引き出し合い交流を続け、これからもお互いに理解し、友好関係を深化・進化させていくことが重要であること、そのために私達議員も目的意識を持って取り組んでいく必要性があることを強く感じました。 7.在オーストリア日本大使主催 レセプション 今回の姉妹都市交流では、議員団として息つく暇もなく公式行事に参加をさせていただきハードスケジュールながらも温かく迎えて下さるドゥブリングの皆様には感謝の念に堪えません。調印式典の後は、式典にも出席されていた在オーストリア日本国特命全権大使の水内龍太氏にお招きをいただき、現地の大使公邸で開催されたレセプションに出席をしました。白い重厚感のある大使館の建物に入ると、水内氏、そしてご婦人が出迎えて下さり、世田谷区からの訪問団一行の他、ドゥブリング区在住の日墺区民や日本企業、世田谷パルクで茶会などを催している団体の方、日本のアニメをこよなく愛する「コスプレーヤー」と言われる皆様総勢50名程が招待され、レセプション会場は日墺の交流ムード一色となりました。 冒頭、水内大使のご挨拶では両区の友好関係が末永く続くことへの期待が述べられ、「そのためにも、次のステップはレッシュ区長の世田谷区訪問を成功させること」と両区の交流が円滑に進むことを願う言葉をいただきました。 引き続き、保坂区長、おぎの議長、レッシュ区長のご挨拶があり、中でも保坂区長は、「世田谷の新しい庁舎に出来た区民会館ホールで、ぜひウィーンの演奏家による音楽の交流を実現したい」ということを述べられていました。 大使館のレセプションでは、ウィーンで100年以上の伝統を持つ民族音楽・シュランメル音楽の演奏が披露されました。4人で活動している音楽家の四重奏団「ノイ・グラング・シュランメルン」(2本のヴァイオリン、ハイGクラリネット、コントラギター)の演奏でしたが、演奏者の中には北海道出身でウィーンに10年在住されている方もいらっしゃいました。わずかな時間ではありましたが、日墺カルテットの奥深さと素晴らしさに触れることができ、ぜひ世田谷区民会館のホールでの演奏を実現させて、多くの世田谷区民の皆さんにもお聴きいただきたいと感じました。 レセプションでは日本食の定番である寿司などもご用意下さり、食文化を通して日墺の交流が和やかに進みました。また、参加されていた様々な分野、ジャンルを超えた方々との意見交換は改めて姉妹都市交流の発展について広い視野から捉えることもでき、大変有意義な時間となりました。歓待いただきました、水内龍太在オーストリア日本国特命全権大使ご夫妻には、この場をお借りして心より御礼申しあげます。 8.ドナウ川の洪水予防対策施設 翌24日は、ドナウ川における洪水対策について学ぶため、ウィーンの中心地から西に約90キロ、高速道路を使って1時間ほどの場所にあるヴァイセンキルヒェンの洪水予防対策施設を訪問しました。ドナウ川は、ドイツ南部を水源とし、オーストリアなどの東欧諸国を通って黒海に注ぐ、ヨーロッパ有数の大河です。今年9月13日から16日にかけて、中央ヨーロッパを「ボリス」と名付けられた暴風雨が襲い、ドイツ、オーストリアなど8カ国、実に200万人を超える住民が影響を受けたとのことです。ヴァイセンキルヒェンでも暴風雨に見舞われましたが、ドナウ川の洪水を阻止し、街を守ったのは、中央ヨーロッパで2番目に大きい洪水予防対策施設でした。 現場では、副市長、施設管理代理人並びに業務担当者の方から施設での洪水対策について説明いただきました。この施設は、2002年の大洪水を機に、2009年から2011年に掛けて建設されたものです。倉庫、車両など建設費用を含めた総事業費は、総額2,850万ユーロで、国や州からの補助が入ることで市の負担は12.5%に抑えられたそうですが、運営は、全て市に任されています。実際に洪水の危険性が生じた際には、ドナウ川沿いに長さ3キロメートルに渡って設置されたコンクリート壁の上面に、可動式のアルミ製厚板壁を数枚重ねて、臨時の堤防を作っていきます。河川の上流の水位や天候の予測などから、洪水の規模を想定し、どの程度の高さにするか、5つの段階から選択して実行します。河川の溢水を防止するためには、プランに決められた高さに厚板壁を速やかに設置していくことが重要です。この辺りの河川の水位は、通常3メートル程度ですが、この堤防によって、最大で11.5メートルの水位まで対応が可能となります。 設置作業に従事するのは、9割が消防隊員です。ヴァイセンキルヒェンには、3つの消防隊があり130人の消防隊員が所属していますが、全員ボランティアとのことです。作業に必要な人数が集合し、決められた順番に厚板壁を積み上げる作業を実施します。ボランティアの消防隊員の方も、日頃から訓練を受け実地に備えています。ドナウ川の流域対策として、他の自治体とも連携しながら洪水対策を実施しているそうです。2013年に発生した大洪水では、倉庫にある可動式の厚板壁を全て使用し、洪水を阻止する段階5の対応でした。目前の河川の水位のみならず、上流であるドイツの水位を確認し、対応する段階を決め、早い時期から設置を開始したそうです。 従前の土嚢の積み上げ作業より短時間かつ簡単な作業で効果を発揮する方法であり、世田谷区における洪水対策としても大変参考になりました。激甚化する豪雨に反して、人材不足を懸念する世田谷区にとって、効果的で効率的な洪水防止対策は大きな学びとなりました。 9.ドゥブリング区主催 夕食会 ドゥブリング訪問の最後の晩は、ドゥブリング区主催の夕食会にお招きいただきました。レッシュ区長をはじめ、ヴーツル副区長やマデル副区長、その他、ドゥブリング区議会議員の皆様など、総勢30名ほどの方々に参加いただき、とても温かく歓迎していただきました。 レッシュ区長からの挨拶では、「保坂区長、おぎの議長、皆様、ホイリゲの文化をご存じの方もいらっしゃるかと思います。初めてではないですよね。このようにホイリゲというのは、歴史を持っているレストランであり、音楽を演奏し、何人かはオーストリアの伝統衣装を身につけています。」と歓迎のお話がありました。保坂区長からは、「このように素晴らしい夕食会にお招きいただき、ありがとうございます。5年前の35周年の時にも、こちらのホイリゲにご招待いただきました。店主のピーター・ボルシュさんには、35周年の際、世田谷区にもお越しいただき、交流に参加いただきました。今日はレッシュ区長にも民族衣装を身に着けていただき、歓迎を感謝します。」と返礼の挨拶があり、歓迎会が始まりました。 ホイリゲとは、オーストリア東部に見られるワイン酒場です。夕食会は、ヴォルフ氏の経営するホイリゲ「Wolff」で開催されました。「Wolff」は1609年創業で、伝統のあるホイリゲであり、店舗の裏にあるブドウ畑で栽培したブドウを使用してワインを製造しています。ホイリゲの歴史は、17世紀後半、オスマン帝国との戦争でウィーン市内ではワインを入手しにくくなったため、人々がウィーン郊外の農家に自家製ワインを買い出しに行くようになったのが始まりとされています。「ホイリゲ」は皇帝ヨーゼフ2世が1789年にウィーンのブドウ農家に「年間300日以内に限り、自家製ワインを小売りし、簡単な食事を供してもよい。」という特別許可を与えたのが始まりと言われています。夕方以降のホイリゲにいくと、ヴァイオリンを主体とした小グループによる郷土音楽の演奏によく会うそうです。これがシュランメル音楽です。19世紀半ばにウィーンで活躍していたシュランメル兄弟がホイリゲで演奏を始め、評判になったのが始まりといわれます。 そのような歴史ある場所での歓迎会に、議員団とドゥブリング区の議員も各テーブル毎に食事をしながら、とても良い雰囲気で、今後の姉妹都市交流の展開などについて、活発な意見交換をすることが出来ました。 令和6年度 ドゥブリング区姉妹都市提携 40周年記念親善訪問報告書 世田谷区議会 親善訪問団