わきみず126号発行日 2026(令和8年)7月15日発行 上祖師谷地区ミニコミ編集委員会事務局 上祖師谷まちづくりセンター電話 03−3305-8611 上祖師谷地区ビジョン音楽と花と文学と笑顔があふれるまち粕谷・上祖師谷駒大グランドの昔と今バス停名にもなっている駒大グランドっていつからあるの?「駒大グランド」とは 上祖師谷・粕谷地区のランドマークであり、小田急バスの停留所名(駒大グランド前)にもなっている「駒大グランド」は、1947年(昭和22年)創部の駒澤大学硬式野球部の「祖師谷グラウンド」が正式名称です。「駒大グランド」の建設駒大グランドは、世田谷区駒沢の大学構内にあったグラウンドが手狭になったため、1961年(昭和36年)に上祖師谷2丁目の約6,000坪の土地に移転・建設されました。この地域は護岸工事前の仙川を挟んで田畑が広がっていましたが、1964年(昭和39年)開催の東京オリンピック関連工事の残土を使って造成され、グラウンドもその造成地に建設されました。当時の写真を見ると、田畑が広がる中にグラウンドのネットやスタンドが遠くに見えます。 この時期は、ベビーブーム世代の大学進学者数増加や高度成長に伴う都心の地価上昇により、大学キャンパスや運動施設の郊外移転が進んだ時期であり、同土地に対しては、他大学からも購入の引き合いがあったと言われています。 練習環境整備と野球部の活躍 練習環境が整備されたことで駒大野球部の強化が進み、グラウンドが移転した翌年の1962年(昭和37年)には、東都大学野球春季リーグ戦で初優勝しました。 1963年(昭和38年)には、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造の4階建て合宿所(「祖師谷寮」)がグラウンド横に完成して全国屈指の練習環境が整い、それと共に野球部は最強豪校の一つとなり、1964年(昭和39年)には全日本大学選手権大会で初の日本一となりました。 野球部はその後就任した名将で知られる太田誠監督時代に黄金期を迎え、東都大学リーグの優勝27回は歴代最多です。 最近再整備されたね。よし調べてみよう。 グラウンド・寮の再整備 駒大グランド横を通る都道(118号)の整備事業でグラウンド敷地内を新しい道路が通ることになったことから、「祖師谷寮・野球場再整備事業」が行われ、2019年(令和元年)に寮・雨天練習場・スタンドの建て替え、グラウンドを人工芝に変え、練習環境や観戦環境が大きく向上しました。 野球部は2025年(令和7年)春の入れ替え戦で1部に復帰しましたが、同年秋の入れ替え戦で2部となり、現在は激戦の東都大学リーグで1部再復帰を目指しています。 地域との関わり 駒大グランドが建設されて60年以上が経ち、上祖師谷・粕谷地域との関わりは、時代に応じて変わりつつも長く・深いものになっています。 建設当初から、駒大グランドは地域住民の集まりの場となっており、「戦艦大和(昭和28年)」や「喜びも悲しみも幾年月(昭和32年)」等が野外上映されていました。 野球部が優勝すると、千歳烏山駅からはっけん通り、榎交差点を経て駒大グランドに至るルートで優勝パレードがあり、地域住民が沿道で優勝を祝福しました。またグラウンド近隣に下宿する野球部員もおり、彼らは地域のバーベキューや餅つき、神明社のお祭りの神輿の担ぎ手にもなり地域の一員として活躍していました。 現在でも地域の交流イベント(駒大グラウンド凧揚げをしよう(青少年上祖師谷地区委員会事業)や子ども向け野球教室など)にも活用され、地域住民との交流拠点にもなっています。