令和4年11月5日(土曜日) 子ども条例と子どもの権利に関するシンポジウム 記録 日時 令和4年11月5日(土曜日)13時〜16時15分 場所 北沢タウンホール 第1部 基調講演「子どもの権利を具体化する世田谷区の挑戦」 講師:もりたあけみ 氏(東洋大学名誉教授) 第2部 子どもの権利に関する活動報告 (1)子どもの人権擁護機関「せたがやホッと子どもサポート」について 報告者:はんだかつひさ 氏(世田谷区子どもの人権擁護委員) (2)「子どもの権利について考えるティーンエイジ会議」について 報告者:まつだたえこ 氏(NPO 法人せたがや子育てネット代表) 第3部 子ども・若者と考えるパネルディスカッション コーディネーター:もりたあけみ 氏(東洋大学名誉教授) パ ネ リ ス ト :ほさかのぶと(世田谷区長) まつだたえこ 氏(NPO 法人せたがや子育てネット代表) くめともこ 氏(IBASHO 副代表) たなかれいか 氏(一般社団法人たすけあい代表理事) ブローハンさとし 氏(一般社団法人コンパスナビ) きだちひろ 氏(希望丘青少年交流センター「アップス」のインターン) やまだけんた 氏(児童館の青年リーダー) 嶋津課長 本日は、世田谷区子ども条例と子どもの権利に関するシンポジウムにご参加いただき誠にありがとうございます。 私は、本日の司会をつとめさせていただきます、世田谷区子ども・若者支援課長の嶋津と申します。 どうぞよろしくお願いいたします。 本日は記録のため、ビデオ、写真撮影、録音をしております。 また、一部報道機関の撮影もございますのであらかじめご了承くださいますようお願いいたします。 本日は3部構成とさせていただきまして、第1部に東洋大学名誉教授であるもりたあけみ先生の基調講演、第2部に世田谷区子どもの人権擁護委員であるがんだかつひさ委員の「せたがやホッと子どもサポート」の活動報告とNPO 法人せたがや子育てネット代表であるまつだたえこ様の「ティーンエイジ会議」の活動報告、第3部に区長と、区内で活動している大人、権利の主体である子どもを交えたパネルディスカッションを予定しております。 なお閉会時間でございますが、会場の都合により、16時15分を予定しております。 よろしくお願いいたします。 保坂区長 本日は、子ども条例の制定から20年ということで、世田谷区制90周年という大きな節目を記念して子どもの権利に関するシンポジウムを開催いたしました。 この子どもの権利条約ですが、1989年に国連総会で採択をされました。 日本は5年かかって1994年に批准をしましたが、この中には「子どもの意見表明権」、「成長発達に応じて、自己に関わる事柄について意見を述べることができる」ということ。 そして「子どもの市民的権利」、「子どもは大人の従属物ではなくて小さな市民」という概念を強く打ち出したものとして極めて画期的な内容でした。 ですが、これに対して長いこと日本政府は「子どもの権利条約」ではなく「児童の権利条約」と呼んでいて、かなり長いこと「この条約は日本の子どもとは関係が薄いんだ」と「大変厳しい状況にある途上国の子どもの人権を支えるものなのだ」と誤った解釈、説明をしてしまっていました。 1990年代のはじめの日本は、いじめがかなり酷い状態で、全国各地の学生がいじめを苦に大きく傷ついたり、亡くなってしまったりという事態が広まっていましたが、これに対して何をしたらよいのかということがなかなか社会からでてこなかった。 私は当時世田谷区内の成城学園前にジャーナリストとして事務所を置いていて、そこを若者に開放して留守番電話の応答部分で5分間のラジオ番組にしてそこでいじめについて考える、「こんな声が入ってきたけれどどうだろうか」っていうようなトーキングキッズというテレフォンラジオを運営したところ、大変メディアにも取り上げられ、1日に100人、200人と深夜まで電話が鳴り続け、録音をし続けるということがありました。 当時、衆議院の外務委員会で子どもの権利条約を批准する審議を行うにあたって、参考人ということで子どもの状況に詳しいジャーナリストとして衆議院の委員会に呼ばれました。 私は喋るよりも、トーキングキッズのテープを持って行って、「いじめがいまこんな状況だから助けてほしい」とか、あるいは「どうしてこんな無理な校則を作ったんだ」という子どもの声を衆議院議員の皆さんに聞いていただきたいと提案をしましたが、何事も前例踏襲主義の国会においては、読み上げるのはよくてもテープレコーダーを再生するということが規則上できないということでした。 読み上げるのとテープはだいぶ違うよなあということで、当時衆議院の外務委員会の理事会で理事にテープを聞いてもらうということをして、それが新聞記事にものったりということもありました。 その後、衆議院議員になり、子どもに関することを必ずしっかり進めていこうということで2つの政策を実施しました。 1つは「チャイルドライン」といって、子どものセーフティネットとしていつでもどこでも子どもが電話できて、それに対ししっかりとした対応をしていくというもので、これは1990年代当時のイギリスでダイアナ妃が応援をして実施されていた事業ということでも知られており、これを日本でも導入できないかということで超党派の議員連盟をつくって導入することになっていきます。 もう一つが「児童虐待防止法」です。 シンポジウム後半のパネルディスカッションでも社会的養護の出身である子どもたちもでてきますが、こういった子ども政策について取り組んできた立場ではあったんですが、区長に11年前になって、行政が背負う、行政が求められる児童福祉、子どもの安全、子どもの権利というものはまた全然違うなという想いでこの間取り組んできました。 世田谷区では「子ども条例」の制定から20年という歴史を重ねていまして、その条例を基に第2部で報告がございます「せたホッと」という子どもの人権擁護機関が発足をしたり、2年前には児童相談所がスタートしたりしてきました。 そしてついに、国内法としてこども基本法をつくろうという議論があり、つい最近こども基本法という法律が完成いたしました。 20年をかけて少しずつですが子どもの権利に関する世の中の意識も進んできていると感じています。 本日のシンポジウムでは、第1部でこの間の世田谷区の子ども条例と全般における子どもたちが置かれている状況や、近年では若者支援についてもどう社会的に支えていくべきなのか、東洋大学の名誉教授でいらっしゃって、世田谷区子ども・子育て会議の会長をおつとめいただいております、もりたあけみ先生に「子どもの権利を具体化する世田谷区の挑戦」と題して世田谷区などの取り組みを振り返っていただき、そこに残された課題やこれからのテーマについて問題提起をしていただきます。 第2部はせたホッとを発足当初から牽引してこられたはんだかつひさ委員より子どもの権利に関するせたホッとについてのご報告をいただきます。 せたホッとの特色としては、大変多くの相談が寄せられていますが、その相談を放置しないで、いじめに関わるような相談についてこのまま放置すべきではないという判断に至ったときは、実際に学校に出向いて校長先生や担任の先生とまずは相談し、その上でいじめなり暴力をどうやったら沈静化していけるのかということを対話を重ねながら考え、沈静化しそのいじめが止まるというところまで見届けて、最後にいじめの授業をやるというような取り組みをされています。 そして第2部ではもう一人、NPO法人せたがや子育てネットの代表で子ども・子育て会議の委員であり、また区民版子ども・子育て会議の企画、運営もしていただいているまつだたえこ様に、先日池之上青少年交流センターで開催した、子どもが普段感じていることを自由に率直に意見できる会議、「子どもの権利について考えるティーンエイジ会議」、本当に子どもたちが一人ひとり「夏休みなのになぜ宿題がでるのか」という意見から始まって率直な意見を出してくれましたのでそちらについてご報告いただきます。 第3部では森田先生をコーディネーターとして、世田谷区内の児童養護施設出身で一般社団法人たすけあい代表理事のたなかれいかさんや、同じく児童養護施設出身の一般社団法人コンパスナビのブローハンさとしさんにもご登壇いただきます。 この2人は実は世田谷区のフェアスタート事業、児童養護施設や里親の元を出た若者をもっとしっかりと社会的に応援しようという世田谷区なりの取り組み、これにたくさんの共感を得て、寄付が2億1千万円集めることができたのですが、この事業の内容をどうやっていいものにしていくかを考える検討会議にも参加をしていただいています。 さらに希望丘青少年交流センター「アップス」や児童館で活躍をする大学生の2名の方や、放課後の学校などを使って居場所づくりの活動に取り組まれている久米さんや松田さんにも入っていただいて子どもの参加と居場所づくりということについてお話しいただきたいなと思っております。 このシンポジウムのサブタイトルにございます「子どもがいきいきわくわく育つまち」は世田谷区が目指している区の姿でございます。 子ども・子育て応援都市ということでやってきましたけれども、子どもの数は世田谷区でも少し減っています。 子育て世帯が家賃の問題などで世田谷から出られた方もいらっしゃるという風にも聞いております。 やはり子ども・子育て応援都市をバージョンアップしなければいけないなということでいま区を挙げて相談をしているのは、生まれる前から生まれた直後、在宅子育てのこの時期にいかに安心してでかけられるか、お子さんと一緒に集える場所があったり、そこに様々な人間関係があったり、また専門的な気づきやあるいはアドバイスを受けられるようなそういう拠点を設けていきながら、世田谷区にある42か所のおでかけひろば、25の児童館、子育てステーションといった施設を引っ越してこられたばかりの親御さんにもお子さんにも分かりやすく見えやすい形で提示していけるように、子ども・子育て応援都市のバージョンアップに向けて、本日のシンポジウムもよく聞いて頑張っていきたいと思います。 本日はご参加いただきましてありがとうございました。 第1部 基調講演「子どもの権利を具体化する世田谷区の挑戦」 嶋津課長 ありがとうございました。 それでは第1部に入らせていただきます。 東洋大学名誉教授のもりたあけみ先生より「子どもの権利を具体化する世田谷区の挑戦」といたしましてご講演をいただきます。 森田先生は、世田谷区子ども条例の推進計画でもある、子ども計画の策定等にあたりご意見をいただく世田谷区子ども・子育て会議の会長としてもご尽力をいただいております。 それでは森田先生よろしくお願いいたします。 森田先生 みなさんこんにちは森田です。 今日は40分弱くらいの時間しかありませんので、それほど丁寧にお話できるわけではありませんが、子どもの権利を具体化するとはどういうことなのか、いつも聞かれるんですが、今日はそのことを中心にお話をしていきたいと思っています。 私は実は、世田谷区の子どもの計画をつくるということや実施し計画を検証していくという活動に関わりはじめたのが2005年ぐらいなんです。 私が世田谷区民として生活をはじめたのが1979年頃なんです。 なので、ちょうど世田谷区の中で20年くらいこの計画をつくったりあるいは実施をしたりというところに関わってきたわけです。 これからお話する世田谷区子ども条例ができたのが2002年ですので、ちょうどその中心的なところを担ってきたということで、私自身が「何をやってきたのか」そしてその中で「何をいま、次の課題として考えなければいけないのか」ということを考えていきたいと思っています。 今日の話ですが、まず子どもの権利ということで先ほどの区長のお話にもありました通り1989年に子どもの権利条約が採択されるわけですが、その前くらいから、私たちは子どもの権利条約を日本になんとか導入できないかと色々と活動をしていました。 大事なことは何かというと、これは子どもたち自身の権利であるということなんです。 子どもが権利の主体であるということを自覚できる、そういう安全・安心な暮らしを実現しなければいけないんだということなんです。 今回のシンポジウムのタイトルにもなっている、「いきいきわくわく育つ」これは世田谷区の中でよく使われているキャッチフレーズなんですけれども、この育ちというものは、毎日安心・安全な暮らしが展開される中で実現されていくものなんです。 そうした当たり前の暮らしなんですが、それが獲得できない子どもたちが沢山いるということを私たちは自覚をしなければならないわけです。 私が関わってきた約20年の間に、世田谷区がどの年齢のどの子にもどんな場面にも対応して、この子どもの権利が実現されるために努力してきたかということ。挑戦というのは、完全に具体化できているとは限らないわけです。 挑戦はしてきたけれどもまだまだ課題は沢山ある。 だからここで一度考えてみようということなんです。 今日これについて考えてみるときに土台にしたいのが、子どもの権利条約の一般原則といわれるものです。 国際法は日本の憲法を土台にしてその上に様々な法律ができていくんですが、その法律や通達ができてくるその間に「しっかりと国の憲法によって立ちながらも世界的なルールを守って具体化していきましょう」という一つの大きな指針になっているのが、この子どもの権利条約なんです。 先ほど区長からもお話がありましたが、日本でもやっとこの条約に基づいた総合的な法律をこども基本法としてつくことができました。 その大元になっている子どもの権利条約の中ではすべての土台になるところに4つの一般原則というものをもっています。 これを土台にして次のものを作り上げていくわけです。 この4つの原則はすごく大事なものなので、最初に皆さんと共有しておきたいんですが、まず一番上にあるのは「生命、生存及び発達に対する権利」です。 皆さんご存知の通り日本は本当に子どもたちの権利が軽んじられていますが、生命を一番大事にするという考え方です。 2つ目が「子どもの最善の利益」。 ここに「一人ひとりの」というところを付け足したいといつも私は語っています。 どの子にとってもその子にとって一番大事なところを考えるということ。 そして3つ目が「子どもの意見の尊重」です。 この原則には「子どもの参加」ということが前提としてあります。 そして4つ目が「差別の禁止」です。 今日はこの4つの原則を土台にして考えていきたいと思います。 子どもの権利条約は実はとても大きな特徴があります。 それは今まで5回の審査をしていますがその中で最も最近の審査(2019年1月)の中で「『緊急の措置がとられなければならない』6つの分野」ということで「差別の禁止」、「子どもの意見の尊重」、「体罰」、「家庭環境を奪われた子ども」、「リプロダクティブヘルスおよび精神保健」、「少年司法」というものが日本に対して勧告されています。 これは本当に緊急で必要な日本の課題であるとされています。 みなさんと課題を共有するために、居場所という概念で考えてみたいと思います。 居場所って何かというと、国連が提唱している「子どもにやさしいまち」という考え方の中にもありますが、居場所というのは人と場によって形成されます。 この子どもの居場所に向けて子どもの権利基盤というものを考えてみたいと思います。 これはすごく辛い図なんですが、残念ながら子どもがリスクとかコストとして語られてしまう。 ここにいらっしゃる方々はほとんどそうは思っていらっしゃらないかと思いますが。 このようにリスクやコストとして子どもたちがみられることによって何が起きるかというと、子どもは不安と孤立の中で非常に苦しい日々を送らざるをえないということになっていくわけです。 できれば子どもたちには、安心・安全にいてほしいと思いますが、この図にありますように、家庭、あるいは学校地域、社会といったあらゆるところで子どもたちが非常に孤立化せざるをえないような状況に置かれてしまう。 そのために家庭においても学校においても地域、社会においても子どもたちの安心・安全というものを作り出していかなければいけない。 最近の全国調査なんですが、「家庭にも家庭以外にも居場所がない」という回答をした子どもが9%もいます。 そして「家庭を居場所と感じない、家庭以外に居場所がある」と回答した子どもが8%、いずれにしても「家庭に居場所がない」と感じている子どもが合わせて17%もいるんです。 私は元々児童福祉を専門にしていますから、子どもにとって家庭というものがどんなに大事かということをいつも思うわけです。 家庭を支えながら子どもを支えていくということも児童福祉の中では非常に重要な課題であるという風に考えてきたわけです。 しかし残念ながら、子どもたちを支えるというときに、家庭を支えるだけではもう子どもたち自身を支えることができない、子どもたちを救うことができない、そういう社会になってしまったんだということを私たちはこの結果を受けて自覚しなければならない。 最近居場所についての調査がいろいろ出てきていますが、その中では「居場所が多い子どもほど自己肯定感が高い」という調査結果もあがってきています。 居場所という形で子どもたちが何を表現するかは多様であるとしても、子どもがまず自分が「ここにいていいんだ」「ここで生きていていいんだ」と思えることがどんなに大事なことかということをきちんと共有しておきたいと思います。 ここからは世田谷区のお話をします。 先ほど区長が「若干区の子どもの出生の動向が鈍っている」というお話をされました。 ここに書きましたように、6歳以上の子どもはまだ増えていて、とりわけ小学生の増加率が非常に高いんです。 その一方で、0〜5歳の乳幼児期の子どもたちは激減しています。 ということは区で子どもたちが生まれなくなってきているということなんです。 大体この5年間くらいで20%くらいと大きく減少してしまっています。 データとしてはあるものとないものもありますし、変化しているものもありますので、ここからは私の話として聞いてください。 まず、世田谷区の中でひとり親の世帯、この世帯数については色々なデータをつかってださざるをえないので、実はあまりはっきりとした数がわからないのですが、東京都のひとり親家庭への助成金をもらっている世帯数、これを使ってみてみると約6,000人もいることがわかります。 そんなに減っているわけではありませんが、この5年間くらいで1割ぐらい減ってきています。 それから、就学後の援助金を使っている子どもたちが約14,000人います。 また、虐待の通告件数、これはけっこう特徴的なんですが、世田谷区は児童相談所をつくったことによってかなり虐待の通告件数が増えてきました。 身近なところで、通告をしたら救済をしてくれるこのような場所ができたとなれば、このように通告件数は当然増えてきます。 かつて5年前に東京都の世田谷児童相談所というものがありましたが、その時は1,000件にも満たない700件くらいの通告件数だったんですが、いまでは約1,600件と倍以上に増えているということになります。 また、障害児の数については約1,500人でこの5年間であまり変わりはありません。 外国籍の子どもたちも同じくらいの数。 いかがでしょうか。 人口92万人の中で、何等かの形で私たちが家庭以外で支援をしなくてはならない子どもたちというのが(世田谷区には)これくらいいるということになります。 世田谷区の子ども施策なんですが、「子どもを取り巻く環境整備プラン」をもとに2002年に子ども条例が施行しました。 2002年ですから今から20年前になります。 この子ども条例は色々と課題や足りないところがいっぱいありました。 大きくいうと2回この条例は改正されています。 10年目の改正と児童相談所をつくるにあたっての改正を行っています。 それからもう一つ大きい変化は、やはりこれを実施するための組織がないとなかなか具体化は進まないということで、この条例をもとに、行政組織の一元化を図ったということです。 実際に2002年にできたこの子ども条例には「子どもの権利」という視点というものは具体的には書かれませんでした。 「子どもを全体としてみんなで一緒に支えていく」という視点はありましたけれども、「子どもの権利」という視点はそこには書かれていません。 この条例ですが、20年経つ中でいまお話したような変化、改正をしてきました。 ここに少しまとめてみましたのでみてください。 「子どもがすこやかに育つことができるまち」、「子どもが育つことに喜びを感じることができる社会」と、こういう表現をしています。 それで、先ほど申し上げましたように、2020年の一部改正によって12条のところに「児童相談所の設置」について加筆をして、保護を区として責任を持つということを明示したわけです。 それから、もう一つ第3章というのをつくりました。 10年目のことです。 そのときにこの「せたホッと」をつくりあげるわけです。 人権擁護ということを子どもの世界 にきちんと入れるということをしたわけです。 この2つが20年間の間に変えられたことです。 このように「子どもの権利」の明示化はその背景とその施策の中には具体化をしてきましたが、子ども条例自体の中にはありません。 ですから、この平成27年に「子ども・子育て応援都市宣言」をしました。 この中で具体的に子どもの権利ということを少しではありますが明示化しました。 このシートは区が使っているシートで、「子どもの権利」という言葉は出てきていません。 しかし実は、「子どもには自分らしく尊重されて育つ権利があります」という一文がこの応援都市宣言の中にあります。 これを手がかりにして、子ども・子育て会議の会長として、子ども計画に「子どもの権利」の視点を明確にした計画づくりを進めてまいりました。 この年表でまずは、子ども家庭支援センター、よく子家センと呼ばれますが、私はよく言うのが、子育て支援、子ども支援の最上位組織が実はこの子ども家庭支援センターになります。 これができたのが1996年のことです。 それに基づいて様々な施策が講じられてきました。 私が関わってきたのがちょうどこのあたりなんです。 私が東京都で社会福祉のサービスの第三者評価などをつくっているときに、世田谷区の区民でしたので、「是非一緒にやりませんか」とお誘いをいただいて、私は当初社会福祉サービスの苦情審査会という所謂福祉オンブズという仕事をお手伝いすることからはじめました。 当時「保育は競争だ」といわれた時代だったときに、「みんなで支えあうのが地域の保育だよね」ということで烏山保育ネットという地域の中で子どもを支えあう取り組みをはじめました。それから、たくさんの仕組みが保育以外にもつくられてきました。 障害の子どもたちの問題、あるいは地域の子育て支援、そういったことを次々と世田谷区は作り出してきたわけです。 この核になっていたのがこの「子ども計画」だったわけです。 つまり、法律をつくり、行政組織をつくり、計画をつくり具体化していく。苦情審査会をやっているときに、やはりどうしても欠けているなと感じたのですが、当時何十件も大人からの苦情があがってくるのに、子どもからの苦情は1件もなかったんです。 これはやはり仕組みの問題じゃないかということで私自身いろいろな方にご相談をしてやっと10年目の2012年、子ども・子育て支援法ができた後にできたのが、「せたホッと」です。 子ども条例を改正してこれをつくるということをしたわけです。 本当にこれは区長が「やる」と仰ってくれて、区の当時の担当部長が「やはり条例改正でいこう」と仰ってくれたときのことを私は今でも覚えています。 「世田谷区がそこまで決断をしてくれた。 私たちも頑張らなきゃ」と当時思ったことを思い出しています。 10年目にやっと「せたホッと」が動き出したとき、3人の人権擁護委員の方たちが取り組んでくださっています。 今日「せたホッと」の報告は後で半田先生からありますので、せたホッとについてはそちらに委ねたいと思います。 こういった活動を経て、世田谷区では様々に計画の中で取り組み、具体化するということをしてきました。 その後にできてきたのが実は若者施策だったと思います。 この若者施策に取り組むことで何が起きたか。つまり、一番子どもに近い若者たちが「当事者」として発言するというそういうまちを作り出していったわけです。 この世田谷区の基本になっている計画の中に、若者たちがいきいき育つということを計画の中に打ち出してくださった。 当事者である人たちが発言できるまち、そして責任をもってそれを動かしていく、これこそが子どもにやさしいまちというものを作っていくという風に私は思っております。 世田谷区は23区の中の一つの自治体ですので、一番欠けていたのは保護の部分だったんです。 保護の部分はほとんどは東京都がやりますので、結局東京都がやったこと、やることについてどうしても区は1テンポ遅れてしまう。 ここを区が一体となって支援をしていく、これが児童相談所の誘致ということだったと思うんです。 だから、この保護が世田谷区の中でできるようになったことによって、世田谷区の 保護政策が大きく変わった、と同時に、地域での支援政策も当然それに対峙するかのように変わらなければならなかったわけです。 つまり子どもの権利を具体化する質が問われる時代が本格的に到来した。 つまり、保護の期間を可能な限り短くする、そして保護を適切に使いながら地域の中で子どもを育てていく。 最初にお話ししたように、できる限り子どもたちが、学校や地域や家庭で居場所として安心・安全に暮らせるような社会をつくりあげなければいけない。 これが私たちが最も目指さなければならないものであったわけです。 そういう意味で私は、児童相談所が世田谷区の中に出来上がってそれによって児童養護施設やあるいは母子生活支援施設が世田谷区の指導の下に運営されるようになってきた、こういった保護の施設や機関をしっかり使いながら、地域の支援機関とも力を合わせて支援を展開していくという社会、これが子どもにやさしいまちの中で非常に重要な視点であると思っているわけです。 時間がないので丁寧にお話することはできませんが、これは世田谷区の中で作られている図になります。 そしてこれは、保護の部分から一般の生活支援のところまで、世田谷区が全体としてどんな事業を作り出してきたかということの図です。 事業名だけでもこれだけあるんです。 この中に書けていないものもいっぱいあるんです。 本当にすごい種類があると思います。 何がこの中に書けていないかというと「支援の質」が書けていないんです。 事業の種類は書けるんですよこうやって。 でも支援の質は書けないんです。 このポンチ絵の一番の欠陥はそこなんです。 そして、この結果何が起きたかということで最後にこの8つの具体化だけお話をさせてください。 実はこれは私がこの1週間くらいでずっと考えて8つにまとめてみたものです。 今までお話してきたことを総括するとこういう風になるかなということなんです。 世田谷区の子ども条例と国連の子どもの権利条約を踏まえて、世田谷区がこの20年あまりに作り出したことって何だったんだろうということをこの8つの柱で考えてみました。 1つは子ども条例ができたことが大きいと思います。 これによってみんなで力を合わせるときの方向性を共有できるようになりました。 それと同時に、2つ目としてせたホッとができたこと。 このことの価値は、子ども自身が相談に行くことができるという「子ども自身への支援」を明示化し、「子育て支援」という視点とわけることができたということ。 そうすることで子どもにとっての価値って何だろうということと、「子ども主体」ということを明らかにできたということだと思います。 3つ目に、2017年に「情熱せたがやはじめます」ということで、子ども青少年協議会の中で若者たちが参加する委員会がスタートします。 この活動はまさに子どもの参加・意見表明の一つの表れだったと思います。 4つ目に、区が子ども・若者部をつくって展開していくようになったということ。 つまりここで継続性が担保されたわけです。 15歳までではない。 18歳までではない。 39歳まで循環していく世田谷区の中での若者政策というものがここで構造できました。 5つ目には、保育所での待機児0作戦。 これはやはり大きかったです。 それよりも更に大きいのが質の向上です。 質の向上を目指す中で何が起きたかというと、地域子育て支援の保育所の積極的な展開というものがこの中でできるようになった。 通ってきている子どもだけじゃない、地域の子どもたち、とりわけ乳幼児のところに視点をあてるということがはじまりました。 6つ目に、医療・保健・福祉・教育・心理など多くの分野の力を合わせることの重要な視点を共有して、まちづくり、世田谷版ネウボラというものがはじまりだしています。 7つ目に、児童相談所設置による保護の一体化という点です。 そして最後8つ目、私はこれがいま大きな課題を持っていると思っていますが、おでかけひろば。 実は2007年にスタートしますが、こういったところを中心として地域の子ども支援の活動に市民がどんどん参加していくようになってきているということです。 今回、「家から歩いて15分の範囲におでかけひろばを作ろう」という取り組みが、次の計画に向けた提案にでてきています。 こういった身近なところに子どもたち、あるいは子育て家庭が集う場をどんどんつくりながら、救済、保護のところまでつないでいくというこの大きなまちづくりの視点がここで具体化していこうとしています。 いまお話させていただいたように、この子どもの権利の視点にたって、子どもがいきいきわくわく育つまちを展開させるということが条例を一つの手がかりにしながら、みんなで力を合わせてきたのが、世田谷区のまちづくりであったのではないかと思っています。 この図がいまの相談、救済の仕組みになります。 この見守りのもっともっと奥には実は世田谷区の区民全体のまちがある。 この地域が出来上がってはじめて、子どもたちが笑って過ごすことができる。 年表にも載せましたように世田谷区では「泣いてもいいよ」というキャンペーンもあります。 赤ちゃんから次の子育ての世代まで続けてこういったまちで暮らしたいなと思えるような仕組み。 これは簡単にできることではない。 いま8つの視点についてお話しましたけれども、長い期間のいろんな人たちの取り組みが集まり、子どもたちを見守る、子どもの権利を具体化していくというまちが展開していくことになるわけです。 4つの視点、4つの一般原則ということをはじめにお話しました。 1つ目に、命と生存が本当に子どもたちに保障されているのかということ。 これは安全と安心がなければ絶対に保障されません。 そして、子どもの参加がどこでも保障されているのかということが2つ目。 3つ目に、子ども一人ひとりの最善の利益というものが、どの子にも配慮されているのか、自分の人生の主人公になれているのか。 4つ目に誰も差別されていない、そういう状態を私たちはつくりだせているのか。これが今日私がお話したかった世田谷区の挑戦ということです。 世田谷区子ども条例はこれまでに2回改正をいたしました。 今も実は子どもの権利という視点にたって制定から20年目にあたって、この条例も含めて再検討をしているところです。 世田谷区子ども条例を中核にして、子どもの居場所の確保と支援の質ということの両方を確立していく、これがたぶん世田谷区の中で重要になってくる視点だろうと思っております。 どうぞ皆さんのご協力をお願いしたいと思います。 私の整理と問題提起はこれでおわりにします。 ありがとうございました。 嶋津課長 森田先生ありがとうございました。 森田先生には、この後第3部にてパネルディスカッションのコーディネーターとしてもご協力いただきます。 第2部 子どもの権利に関する活動報告(1)子どもの人権擁護機関「せたがやホッと子どもサポート」について 嶋津課長 続きまして、第2部 子どもの権利に関する活動報告に入らせていただきます。 世田谷区子どもの人権擁護委員であるはんだかつひさ委員、NPO法人せたがや子育てネットの代表をされておりますまつだたえこ様、それぞれにご報告をいただきます。 まずははんだかつひさ委員より、子どもの人権擁護機関「せたがやホッと子どもサポート」について、ご報告をお願いしたいと思います。 それでは半田委員よろしくお願いいたします。 半田委員 皆さんこんにちは。 ただいま紹介に預かりました、世田谷区子どもの人権擁護委員を拝命しております半田と申します。 普段は区内の大学で教員養成を担当させていただいております。 本日は、第2部子どもの権利に関する活動報告ということで、先ほど森田先生のお話にもありました子どもの人権擁護機関「せたがやホッと子どもサポート」について報告をさせていただきます。 まず、せたホッとの設置ですが、世田谷区では2001年に子ども条例をつくりました。 そして2002年に施行しております。 そこからちょうど10年たった2011年に、世田谷区子ども条例を改正する中、子どもの人権擁護機関を設置するということが検討されはじめました。 保坂区長が世田谷区の区長になられましたのがちょうどこの2011年でございます。 区長の「区内に人権擁護機関をつくりたい」というような想いもありまして、こうした制度の検討に入っていきました。 そして2012年にちょうど私が目黒区で地方自治と子ども施策全国自治体シンポジウムというものを開催していたんですが、この会場にて「世田谷区でこうした仕組みをつくりたい。 制度設計に関わってほしい。」とお声かけをいただき、そこから数か月かけてこの制度設計に関わらせていただいたと記憶しております。 こうしたせたホッとのような子どもの人権擁護機関は国連子どもの権利委員会もこうした仕組みを設置するよう勧告をしている仕組みでございます。 世田谷区子ども条例は先ほど森田先生のお話にもありましたように、2002年に施行して当時15条には「区は子ども自身からの相談や子どもについての相談に対して速やかに対応するとともに必要なときは擁護するよう努めています」というように具体的な制度については書かれていなかったわけですが、「世田谷区における条例に書かれた子どもの権利を守っていくためには、そうした権利を侵害された場合に子どもを救済する仕組みも含めた制度設計が必要だ」ということになり、条例を改正し「自分の権利が守られていないと感じたら相談することや助けを求めることができる」としたわけです。 せたがやホッと子どもサポートの概要としましては、子どもに寄り添い子どもの立場に立った問題の解決を目指す、公正・中立で独立性と専門性のある第三者からなる子どもの人権擁護機関と位置付けることができます。 では職務はどのように規定されているかということですが、子どもの権利侵害についての相談に応じ、必要な助言や支援をすること、ほどんどの活動がこの最初のところで解決につながっていくことが多いです。 そしてそういった助言や支援、はたまた相談対応の中で権利侵害の部分が解消されない場合は申し立てを受け調査を開始するということも可能になっております。 そしてその調査に基づき調整をしたり、子どもの権利が守られるよう是正を要請することもできます。 そして今はこの子がしんどい状況になっているんだけれども、この制度仕組みをそのままにしておくとこれは他の子どもにも影響を与えかねないというようなことが判明した場合には、そのことについて意見を述べることができることになっております。 これが所謂せたホッと子どもオンブズパーソンと言われる制度の特徴となっております。 個別具体的な権利救済をした中から見えてきたことから、制度改善につなげていくというのが、このせたホッとの大きな特徴でございます。 さらにはそうした意見、要請などを公表すること、そして子どもの権利侵害がその後も続いていないかということを見守りする見守り支援ということも条例には規定されております。 そして1年に1度、またこうした機会に、せたホッとがどのような活動をしているのかということを報告させていただく機会、そしてこうした子どもの権利や子どもの権利擁護についての理解を広めていくという役割も担わせていただいております。 このせたがやホッと子どもサポートの通称名として愛されている言葉が「せたホッと」でございます。 そして広報啓発の一役を担ってくれているのが、この「なちゅ」というキャラクターです。 このせたホッとという略称は、中学2年生が応募してくれました。 そして、この「なちゅ」というキャラクターは小学6年生が応募してくれています。 当時12歳だったと思いますので、今大学4年生ぐらいになっているんでしょうか。 このキャラクターを作ったり、このせたホッとを作ってくださった方に、10年経った後、いつかお礼を言いたいなという風にずっと思っておりました。 今日この場を借りて、この名前をつけてくれたり、愛されるキャラクターを作ってくださった方々に心より御礼を申し上げたいという風に思います。 先ほど区長の話にもありましたように、せたホッとであったりこのキャラクターはいろいろな学校に訪問したとき「あ、誰がきたの?」「誰のお父さん?」と言われたときに、このキャラクターを見せると「あ、せたホッとの人だ」「なちゅだ」と声をかけていただけるほど愛されるキャラクターになって成長をしてきたかなと思っております。 そして、最初に相談を受けるのは、相談調査専門員という心理学であったり社会福祉士、精神保健士、保健福祉士等の資格を持った方がまずは電話に出てくれます。 場合によっては、面談につながりどのようにしたら今抱えている苦しみや問題というものが解決できるのか、一緒に考えていくということが最初の活動になります。 そしてなかなかそれで解決することができないという場合には、引き続き面談を続けていきながら、場合によっては、学校であったり施設であったり関係機関に訪問しながら相談の延長上の対応ということをさせていただいています。 それでもうまく解決しない場合は、申し立て制度がありまして、その申し立てに基づき調査を開始していきます。 この調査に関しては、条例上権限が付与されているということもありまして、関係機関等はその調査に協力するという義務が条例上課されているのも大きな特徴になっています。 そしてその中から明らかになったことを要請したり、意見表明をしながら最終的にその子のしんどい想いを解決するというだけでなく、世田谷区の仕組みを見直したり考えたり、制度を改善していくということがこのせたホッとの大きな役割になっております。 先ほども申しましたように、ほとんどのケースがまずは相談、そして相談の延長上の対応の中で解決をしていきます。 そのためには、子どもにやさしい環境の整備ということで、電話であったり、メールであったり、手紙、ファックス、せたホッとに実際にきていただいたり、また来ていただくことがなかなか難しい場合には、我々がその子の住んでいる地域のほうに訪問しながら相談を受けております。 そして子どもが何に苦しんでいるのか、どういう気持ちでいるのか、子どもの現状や気持ちをできる限り子ども本人から丁寧に聞き取ったり感じ取ったりしていきます。 よく保護者の方も一緒に来ていただき、保護者の苦しみ、しんどさもお話を伺います。 しかしながら、保護者の想いと子どもの想いがすべて一致しているとは限りません。 そこで、面談をするときには、親御さんであったり本人から了承を得た上で、子ども本人から声を聞き、子どもからの情報、そしてニーズを最優先にして、現在起きている問題やその解決の糸口について把握していきます。 どういった方法でその子どもの気持ちを尊重していけばよいか、本人とともに考えることを常に心がけております。 そのポイントとして、子どもの意見の尊重、そして子どものしんどい状況になっているところ、その解決に子ども自身が参加していくというこの権利条約第12条の理念をとても大切にしております。 そしてそれと共に子どもの権利条約第3条に書かれております、子どもの最善の利益を第一次的に考慮しております。 この子どものニーズを伺いながら子どもの権利をベースにこの子にとっての最善の利益は何なのか、そしてそれに基づきながら相談者の子どもが望む関係性の再構築であったり代弁であったり、調査、調整活動につなげていくというのが、この子どもの解決を主体としてそれを中心に置くせたホッとのアプローチになります。 それでは、令和3年度の活動報告書を中心に、どのような相談を行っているのかということについて、説明をさせていただきます。 令和3年度は300件の新規相談件数がありました。 そして令和2年度に解決することがなく、そのまま継続となったこの66件を合わせて366件が令和3年度の相談件数となります。 令和元年度272件、そして令和2年度208件というのは、新型コロナウイルス感染症拡大の影響もあり相談件数が減っていったところです。 2013年度に開設してから、2018年度までは毎年相談件数が増加していきました。 そして、令和元年度令和2年度と相談件数が少なくなったことに対して、この問題はどういったことがあるのか、新型コロナウイルス感染症拡大の影響だけなのかどうかということを検討した中で、より子どもの声を聞きやすいようにするためにハガキ相談を令和3年度から実施しました。 ハガキ相談をすることが相談件数の増加につながるのか、その後のニーズを把握することにつながるのかということは、確信を持てていた部分ではありませんが、これを導入したことで多くの子どもたちが相談をしてくれている、その効果を感じていることも実際にあります。 過去5年間のどのような相談方法でせたホッとに相談いただいているかということですが、ほとんどが電話、そしてメールでありました。 そうした中、令和3年度ハガキ相談が73件あったということは、大きなポイントになってきたかなと思っております。 ハガキ相談は世田谷区内のまずは春に中学生、そして秋に小学生にとこのような形で配布をしています。 そしてハガキはシールになっており、相談内容が隠せるようになっております。 これを投函いただくと、せたホッとに届くわけですが、実際にこの小さな枠の中で、本当に1行だけ自分の苦しい気持ちが書かれていたり、かなり丁寧にそうした想いを書いてくれている子どももおります。 例えば、「隣の席の子がうるさいしちょっとミスをしただけでもバカにしてきたりしてすごくいや。いやって言ってもやめてくれない。帰っている時にランドセルを押されることもあった。びっくりしたし怖かった。」こうしたしっかりした文章の場合もあれば、「死にたい」というような本当に一言だけのコメントもあります。 そうしたものに対してどのような返信を書くのかということでまず相談調査専門員の人がその文案を作成してくれ、そしてそれについてその相談調査専門員であったり委員がどのようなコメントをしたらいいのかということを複数で検討しあいながら返信をしております。 一つの返信に1時間2時間、1日2日かかって文案を作成しているということもあります。 そうした丁寧な返事を作成しているということと、またそこにハガキを封入しながら郵送して送る中で、何とか相談をしたりまた面接につながりそして面接から調整につながっていったというケースも複数ございます。 そしてせたホッとの特徴としては、子ども本人からの新規相談件数が毎年約6割あるということもございます。 友達であったり兄弟から相談をいただくこともあり、子どもからの相談が令和3年度は65.6%。 これが子どものための相談救済機関になっているという一つの表れにもなっているのかなと思います。 こうした制度設計をする際、それぞれの自治体にはいろいろな相談救済の仕組みがあります。 しかしながら多くは子どもが利用するものとなっていませんが、そうした中でせたホッとは子どものための相談救済機関ということが浸透している証なのかなというようにも思っております。 相談の対象となる子どもの所属は小学生が多いです。 ただ学年を見てみると、小学1年生から高校3年生までまんべんなく相談をいただいているという様子も見て取れます。 令和3年度に関しては、小学1年生2年生、4年生といった低学年が増えているのも、ハガキ相談があったということも一つ影響しているかなと思っております。 このハガキ相談の一つのポイントとしては、スマートフォンとかを持っていなかったり、家の固定電話からかけることができない子どもが自分一人でこっそり相談を書いて出すことができますので、それも、低学年の子の声を受け止めることにつながったのかなとも思っております。 そうした件数に対して、委員であったり相談調査専門員が実際に活動をしている回数としては、2253回になっております。 相談者からせたホッとに連絡をいただいたり、また、せたホッとから相談者に連絡をさせてもらったり、関係機関との活動回数も300から400件近くある中で活動をしているので、相談件数を本当に一つずつかなり丁寧に対応をしてきているのかなというのは、実感しております。 こうしたことも、学校を通じて相談カード、ハガキ、せたホッとレター、機関紙を配布させていただいている学校や教育委員会との関係もこの10年間蓄積されてきた成果かなと思っております。 そうした広報啓発物を配布した後は、相談件数もやや増加しているということが見て取れるのではないかなと思います。 相談内容につきましては、いじめや虐待の件数が多くなってきました。 通年は学校教職員等の対応というのがやはり多く、コロナ禍の中では心身の悩み、家庭、家族の悩みという件数も増加してきました。 実際に委員が対応した相談内容の一覧をまとめてみますと、いじめ、学校教職員等の対応、虐待、非行問題、そして令和3年度は学習や進路の悩み、これに関しても委員が丁寧に対応させていただいています。 関係機関とは、やはり学校そして児童相談所との連携が多いということがここから見て取れます。 コロナ禍における相談としては、虐待が疑われる相談、SOSを発している相談、不登校や引きこもりにかかる相談、学校や習い事、塾の課題にかかる相談、こうした相談も多くいただいています。 そしてこのせたホッとの機能としましては、個別救済対応、そして相談対応、また要請であったり意見表明、そして子どもの権利に関わる広報啓発活動です。 それぞれの中で、寄せていただいた子どもの声を動報告書等にも載せてあります。 ここにはいくつか紹介してありますので、また後程ご覧になっていただければと思います。 また、学校関係者の声であったり、児童相談所、子ども家庭支援センターの職員からの声も紹介をさせていただいております。 実際の個別救済活動としては、例えばクラブチームでの体罰の改善にどのような調査をしながら解決につなげていったのか、こうしたことも掲載をしておきましたのでまた後程ご覧いただければと思います。 また、意見表明としまして、制度改善につなげていった事例としては、区立学校における通常の学級の特別支援教育について、こうしたところにも意見表明をさせていただきました。 そうしたせたホッとの活動を通じて見えてきた親の様子ですが、かなり色々追い詰められている様子が見てとれます。 子育て世代はまさに働き世代です。 労働時間は増加し役割責任が増加している中、子どもの相談に丁寧に話を聞く時間がとれていなかったり、また周囲からのプレッシャーもあります。 特に世田谷区は中学校受験が多い地域でもあることから、受験の中、しんどい想いをしている、そしてその受験をなんとか成功させなければいけないというしんどい親の声も寄せられます。 そして、自分が頑張らないと、「私のようになれるように」、「私のようにならないように」、こうした中で追い詰められている親、精神的なゆとり、経済的なゆとり、時間的なゆとりがない中、かなり子育てでしんどい状況をしている様子。 そして子ども自身が追い詰められています。 国際社会の中、情報社会の中、この社会の変化に通ずる人材として色々塾にも通わなければいけない、受験もしなければいけない、周囲からのプレッシャーが寄せられてきます。 そして他者との比較の中、良い学校に進学しないといけない、「お兄ちゃんお姉ちゃんやお父さんお母さんのようになれるように」とか、はたまた「そうならないように」という自分へのプレッシャーも多かったり、ゆとりがなくなっている様子も見てとれます。 親と子どもの間のコミュニケーションがうまくいかない、こうしたケースであったり、親との言い争い、暴言、ネグレクト、こうしたこともかなり寄せられています。 そういった状況の中、虐待が疑われるケースの場合には、せたホッとからも子ども家庭支援センターや児童相談所に情報を提供するということが必要になる場合もあります。 そうした場合も、できる限り子ども本人に「あなたの問題を一緒に解決することができるためにはこうした専門職との協働が必要なんだよ」という許可をとった上で一緒に連携をしていくというケースもこれまで多く積み上げてまいりました。 体罰に関する相談から見えてくる子どもの現状であったり、いじめに関する相談から見えてくる子どもの現状であったり、また不登校に関する相談から見えてくる子どもの現状、これらについてもここにまとめておきました。 そうしたことを考えていくと、安心できる子どもの居場所として、家庭の中、学校の中、地域社会の中、そしてSNSやインターネットの中で想いや気持ちを言い合える場があるのか、こうした状況を加味したせたホッとのような、気楽に相談をできる独立した子どもの気持ちに寄り添った対応ができる機関があるということは子どもにとっても大きな意味をなすと考えております。 そして我々の活動は、常に子どもの権利条約の一般原則に基づいて活動をしております。 「今この子への対応が本当にこの子の発達段階にあった対応になっているのか」、「この対応が子どもの最善の利益にかなったものになっているのか」、「大人が勝手にこの子の救済のあり方というものを決めていないか」、「いじめや不登校の背景に差別があるのかないのか」、我々が対応の仕方に悩んだ時には常にこの4つの一般原則にかえりながら自分たちの対応を振り返ってきています。 そうした中からこの10年間の活動を通じて条例に基づくこのせたホッとがまず子ども自身が安心して相談できる機関として機能をしてきているのではないでしょうか。 そしてまずはこのせたホッとに相談してくれれば、ワンストップサービスとしてその権利救済につなげていくことができるという姿勢が広がってきていると思います。 そして独立した相談救済機関であるがゆえに、子ども支援のための関係機関とのネットワークを形成しながら子ども支援にあたるということもできてきています。 そして何よりも、裁判とか、調停という手続きには時間がかかります。 よって、問題解決に向けた迅速な対応につなげているということも重要です。 こうした活動を通じて、子どもの権利や権利擁護の広報啓発に貢献してきているのではないでしょうか。 そして何よりもこの子どもの最善の利益を最大限に考慮するというアプローチが、一緒に活動している関係機関等にも広がってきている、こうしたところがとても大きいポイントになってきているし、こうした活動を積みながら信頼を獲得してきているのかなと思っております。 一方、このせたホッとが行政であったり学校関係機関、市民に広がっているかというと、まだまだ認知理解をさらに広げていく必要を感じております。 そして子ども自身に子どもの権利についての広報普及啓発を行っていく必要性も感じております。 そして既存の相談機関との連携による双方の対応力を強化していく、こうした重要性も感じております。 そして何よりもこのせたホッとの重要な役割である個別案件から見えてきた制度上の課題を改善につなげているか、これに関しては、まだまだ10年間の活動の中で足りなかった部分が多いと感じております。 そして世田谷区の中で子どもの権利がしっかり守られているか。 こうしたモニタリング機能ということに関しては、まだまだ子どもの相談救済機関、1機関ではできていることではないのかなとも思っております。 そしてこうしたせたホッとの活動から見えてきた子どもの現実をもとに、もう一度この子ども条例を見直していく、こうした活動が大切なのかなというように感じております。 先ほど、森田先生からのお話にもありましたが、世田谷区が目指そうとしているまち像をしっかりイメージした上で、いま一度子ども条例を見直しながら、どうした条例を作っていくことがいいのか、そしてその条例に基づきながらどのように子ども計画を作り直していけばいいのか、こうしたことを考える機会にこのシンポジウムがなればいいなという風に思っております。 少々時間をオーバーしてしまいましたが、ご清聴ありがとうございました。 嶋津課長 半田委員ありがとうございました。 第2部 子どもの権利に関する活動報告(2)「子どもの権利について考えるティーンエイジ会議」について 嶋津課長 それでは続きまして、まつだたえこ様より、先月23日に開催いたしました「子どもの権利について考えるティーンエイジ会議」についてご報告をお願いしたいと思います。 なお、今日は特別にワークショップに参加してくれたグループファシリテーターの木下秋葉様もご一緒にご報告していただけるということになりました。 それでは松田様、木下様よろしくお願いいたします。 松田様 みなさんこんにちは。 ティーンエイジ会議の報告をするNPO法人せたがや子育てネットの松田と申します。 木下様 ファシリテーターをした木下秋葉と申します。 よろしくお願いします。 松田様 ついこの間10月23日に、池之上青少年交流センターというところで子どもたちと1日話をしてきました。 実際は小学4年生から高校生世代17歳までの12名が参加してくれました。 最初のうちはもう少し応募があったんですが、いろいろ途中で子どもたちの都合が悪くなったり、「やっぱり行かない」ってなったのか、実際の参加は12名となりました。 タイトルは「みんなの声で世田谷を変えよう」ということで始まったプログラムです。 1日のスケジュールをこんな風にホワイトボードに書き出しました。 ちょっと字が見えにくいんですが、「今日1日こんな風に過ごすよ」っていうことを予告してはじめています。 最初にちょっとみんなで仲良くなるゲーム、「どんな共通の友達がいるかな」みたいなことをやったり、それから児童相談所のお医者様の山口先生から、子どもの権利の話をわかりやすくお話をいただきました。 その後に「なんでやねんすごろく」というものを使って、「なんでやねん」っていう活動をしました。 その後お昼を食べて、実際に「なんでやねんすごろく」ででてきたような同じような気持ちを今度は「こんななんでやねんがあったよ」っていうことで自分たちでカードを作り、それをみんなでお互いに見合ったりして、「じゃあ今度なんでやねんをこうなったらいいなっていう風に考えてみよう」ということをして、グループ発表をして、「長」がつく大人の話、「区長」「教育長」、「子ども・子育て会議の会長」の3人の「長」にお話を聞く発表の時間をとりました。 グループファシリテーターは地域でずっと子どもに関わってきた青年たちです。 近くにいる人としてグループに入っていただいて、メインファシリはトーキョープレイの嶋村さんがきてくれました。 事前に現場で何回か打ち合わせをして、このプログラム全体も若者たちと一緒に考えて作り上げていきました。 それからこれはグランドルールを最初にテーブルにこのように表示して、「なんでも自由に話してOK、でも言いたくないことは言わなくていいよ。」、それから「どんな意見も大切に。否定はしないよ。」、そしてもう一つ最後に大事なことです、「誰が何を話したか、外の人には言わないよ。」という約束をしています。 今日もどんな話が出たかっていうお話は少しするんですけれども、誰が言ったかはわからないような発表にさせていただいています。 それからこれが「なんでやねんすごろく」です。 「子どもの権利なんでやねんすごろく」というのを取り寄せてみんなでやってみました。 すごろくの途中で「なんでやねん」っていうところにたどり着く時には、カードを引いて、それを読み上げます。 ここに1枚掲載しました。 「子どもはいつも大人の言うことを聞かなあかん。」出たらみんなで「なんでやねん」っていう風にやる。 実際は、「なんでやねん」って言う前に、「そうそう」とか「こんなことあったよ」とか溢れる話がたくさん出てきてすごく盛り上がって、ここで少し心が緩んだ感じでした。 その後、お昼を食べてその後に実際のみんなのなんでやねんっていうのを考えてみました。 例えば、さっき冒頭で区長も紹介してくれたんですけど、「夏休みなのに、なんで休むためなのに宿題があるの?休めないじゃん」、「勉強する人は必ずするから宿題があろうとなかろうと勉強するよ。」「みんなおんなじ宿題なの意味あるの」っていう結構鋭い話が冒頭のところでかなり飛びだしました。 それから、「大人は大人のことを棚にあげて子どもに言ってくる」とか「それで子どもは自信を失って傷ついているんだ」ということ。 それから「親が共働きでコロナ禍はずっと一人で過ごしていた」っていう声もありました。 あとは「結果を見て、色々否定されたりするけどプロセスをみてほしいけどずっと一人だ」って話とか。 それから学校でのことでは、「制服の意味ってあるのかな」と。 「体が大きくなっていくからサイズを大きめなものを大人は買う」と。 「自分にぴったりの制服を買わせてもらえないでいつも体に合わない服を着ていて、社会人になっても服のセンスがなくて選べない子になっちゃう」とか。 あと少し深刻な話で「いじめを報告しても先生が動いてくれなかった」、「小さなことでも関わってほしい。反応してほしい」っていう声もあったりしました。 これは実はグラフィックファシリテーターさんに書いてもらったものです。 直接の子どもの字ではなくて、発表したことを書き留めてくれた人の字です。 じゃあ実際どうなったらいいな、どんなことがあったらいいかなっていうところでは例えば「教育に関する会議が行われてるみたいなんだけど、それに子どもも参加できるの?」とかそれから「子どもをもっとパートナーとして見てほしい」とか「区長に意見を出した後にどうなっているのかわからない、その検討しているプロセスとか今どうなってるかっていうのを教えてほしい」とかそれから「子どもと大人の格差がある」これ格差があるっていう風に感じてるのは結構私は面白いなと思いました。 「子どもたちの、自分たちの意見をもっと伝えたい」という声がたくさんありました。 それから「先生に直接言えないんだ」と。 何か話したことが評価につながってしまうというのがすごく怖いから、自分の身近な人にはとても言えない。 なので、「学校以外でこうやって意見交換をしたり、他の学校の先生とだったら意見交換できるかも」とかそういうアイデアも飛び出しました。 この身近な大人にこそ言えないっていう、言いたい想いっていうところについて、今日は木下さんが来てくれているので、グループで直接話した話を少し感想も含めて聞いてみたいと思います。 木下様 身近な大人にこそ言えないっていうのは、先ほど松田さんも言ってくれたみたいに、「やっぱ成績に関わるから学校の先生には相談できない」とか、「親もいろいろその親の考えがあるから、それを子どもは分かってるから親には言えない」とかっていう風な率直な意見がありました。 私たちは普段関わってない大人なので、言ってくれてるっていうようなことがありました。 松田様 「長」がつく人の話として3人からお話をいただいたんですが、「早く進めなきゃ、こういうことは大事だって思うけど、区長は一人なんでね。」って区長がおっしゃってました。 「それはそうだよね」って。 「子どもの声はいつも聞ける仕組みがやっぱり大事だよね」っていうのは最後の話であって、これは「長」からのお話ですが、みんなで「うんうん」ってうなずいた話でした。 たくさんいろんな想いが私たちの方にはあるんですけど、やってみて感じたことをいくつか、「やっぱり学校を超えたつながりが良かったよね」と、やっぱり普段の関係性の中ではしにくいし、気持ちを話せるまでに時間がかかるので今回は最初にこうアイスブレイクをやったりそれからお昼を食べたりと時間をかけたことで安心・安全な場づくり、「この人たちが話聞いてくれるんだな」っていうふうに安心してくれたのでグループごとに近くにいてくれる人たち、お兄さんお姉さんがいてくれたということもすごく大事で、森田先生の話にもありましたけれども安心安全な場を作るって言葉では簡単だけど、結構時間と手間、お金もかかる。 それをどうやって保障していくかっていうのはすごく今回やってみた時にひしひしと感じました。 実は4年前にティーンエイジ会議をやってるんですけど、今回の方がより重く感じています。 それからその隣にいてくれる人の存在です。 こういう人たちが世田谷の中で育っていってほしいなっていうのを本当に思っています。 それから昼休みのことを話してもらいたいと思います。 木下様 今回集まった子どもたちは、いろんな理由で参加してくれたんですけど、「親に勧められて」とかっていう子もいて、ほとんどの子が話し合いを普段からしないような子なので、話し合いに慣れてない子たちだったんですね。 なので、いきなり「なんでやねんカード」とかを使って「じゃあ意見出してみよう」って言っても、子どもたちは「何書けばいいんだろう」っていうふうになっちゃうんです。 けどそこは昼休みの時に、「今日はここ来てるけど、普段休日はいつも何してるの」とか、「好きな遊びなーに?」とか、今回池青っていう場所だったんですけど、「池青みたいなとこ来るの?」とかっていう会話の中で、「普段は塾にこの時間は行ってて」とか「平日はもう週4ぐらいで習い事があって」とか、そういう話を休み時間にキャッチしていると、話し合いになった時に子どもたちが「何書いていいんだろう」ってなった時に「さっき休み時間にこういう話してたよね」みたいなところから話し合いが進んだりとかして。 意見が出てきてたなっていうふうに思いました。 松田様 実は木下さんは東北の震災後の子どもたちのグループ活動にずっと関わっていたので、少しその時の話もしてもらっていいですか。 木下様 復興に向けたまちづくりに子どもたちが参加するっていうまちづくりクラブの運営とサポートをしていたことがあって、その子たちも2週間に1回ぐらいその市の中のいろんな地区から「話し合いをしたい」っていう風に集まってた子たちが活動してた場所だったんですけど、自分たちで話し合いをして、でそれを時に地域の大人に活動を発表したりとか、行政に自分たちの意見を伝えたりとかっていう風な活動をしてるような場でした。 1年に1回大きい活動報告があって、全国からいろんな人に来てもらうんですけど、その時に「この団体に関わってる子たちはなんかすごいよね。スーパー小学生だよね。スーパー中学生だよね。」みたいなことを言われたりもしたんですけど、でもその子たちも最初からそうなわけではない子たちがほとんどで、話し合いを重ねて活動を発表する場を重ねて自分たちが頑張ったからこそそういう風に自分の意見を言えるようになった子たちだったんで、今回参加した子たちも、こういう場が定期的に開かれて話し合いして発表してっていう風になってその子たちの糧になったらいいなっていうふうに今回活動に参加してすごい思いました。 松田様 ありがとうございます。 世田谷も追いつけ追い越せじゃないですけど、常設の場っていうことをたくさん言われて、この後もきっとパネルディスカッションで話が出ると思うんですけど、定期的な活動、コツコツとやっていくみたいなことがやっぱり必要だし、こういうグループに入ってくれるような人たちを見ながら、今度は参加してた子どもたちがファシリテーターになっていく、次の子どもたちの話し合いをサポートしてくれるような人になっていく循環が作りたいなっていうのはすごく感じました。 あとは 少しでも現実が変わることっていうのが大事だし、それを見届けるところまで大人たちの責任としてやって復活を見ていけたらなっていうふうに強く思った1日の活動でした。 最初は「夏休みの思い出型にならないようにやろう」みたいな話をして、子どもの参画ってそうなりがちだよねっていう話を子どもたちともして始めたので、「この先、今日きっかけにまたみんなで話し合いができるといいね」っていう約束をして終わった会議でした。 私たちの報告は以上です。 ありがとうございました。 嶋津課長 松田様、木下様ありがとうございました。 それではこれで第2部を終了とさせていただきまして、この間5分間の休憩をとらせていただきます。 第3部は14:50を開始とさせていただきます。 お時間までにご着席くださいますようよろしくお願いします。 第3部 子ども・若者と考えるパネルディスカッション 嶋津課長 それではただいまより、子ども条例と子どもの権利に関するシンポジウムの第3 部を開演いたします。 第3部では 区長と区内で活動している大人、権利の主体である若者を交えたパネルディスカッションでございます。 それではご出演いただく皆様にご入場をいただきます。 皆様拍手でお迎えください。 コーディネーターは第1部にてご講演いただきましたもりたあけみ先生にお務めいただきます。 それではパネリストの皆様をご紹介いたします。 世田谷区、ほさかのぶと区長です。 NPO法人せたがや子育てネット代表、まつだたえこ様でございます。 いばしょ副代表、久米朋子様でございます。 一般社団法人たすけあい代表理事、たなかれいか様でございます。 一般社団法人コンパスナビ、ブローハンさとし様でございます。 希望丘青少年交流センター「アップス」のインターン、きだちひろ様でございます。 児童館の青年リーダー、やまだけんた様です。 それではこれより進行を森田先生にお任せしたいと思います。 よろしくお願いいたします。 森田先生 皆さんこんにちは。 今日は本当にゴージャスなメンバーをお迎えして、パネルディスカッションを開催できること、そして私がコーディネートをさせていただくことができることを本当に嬉しく思っています。 私も実は今日の話をワクワクしながら迎えました。 実はですね1か月前に事前の打ち合わせを区長抜きでやりまして、ものすごく盛り上がったんですね。 ものすごく盛り上がってもうこのままこれを録画したらいいんじゃないかっていうぐらいいい話ができたんですが、それは全然録画してなかったので、今日全く違う話をやろうという話になりました。 こういう風に紹介すると個性のない人たちのように思えますが、ものすごく個性あふれるキャリアを持ってる人たちなんです。 このことは私からお話するよりも一人ひとりにお話しいただいた方がいいので、私は今日の到達点、何かっていうと、「世田谷区はもっと若者や子どもたちが中心になって活躍できる、そういう自治体にしたいね」、そんなことを最終的には到達点にできるように、70分間という短い時間なんですが、これだけのメンバーで話を展開したいと思っております。 実は70分間なんですがもう一人ひとりは何時間でも話してる人たちですので、その人たちをコントロールしていくのが私の役割ということになりますのでどうぞよろしくお願いしたいと思います。 今日の順番、私が勝手に決めた順番なんですが、みんな快くそれを受けてくれましたのでその順番にそれぞれお話をしてもらおうと思っています。 今日は3回づつ登場してもらうつもりなんです。 1回目は自己紹介、2回目は子どもの権利という問題と自分の育ちとか、あるいは自分の活動、一体どんな風に接点があったか、みたいなことを話してもらうこれがメインになります。 そしてそれを受けて最後もっと話したいと思うので、そこで話してもらおうと。 こんな風に3回ぐらい回したいと思っています。 途中で区長も話したいんでしょうけども話させないで、区長には最後にコメントをいただこうと思っております。 ということでお願いしたいと思います。 最初に田中れいかさんからです。 トップバッターをお願いしたいと思います。 田中様 皆さんこんにちは。 自己紹介はこっち(端)から来るかなと思ったら、ここからでちょっとびっくりしております。 私自身は世田谷区にある児童養護施設副員寮という場所で 、7歳から18歳まで11年間生活をさせていただきました。 世田谷区の施設で育ったということで現在もこのような場に立たせていただいておりますが、どんな立場でっていうと皆さんこちらのフェアスタート事業をご存知でしょうか。 若干「うんうん」といううなずきが見えて大変嬉しいんですが、こちらの事業が2016年にスタートしたんですがこの事業の1期生として住宅支援を利用させていただきました。 当時20歳でした。 でその後初めて区長にお会いして、区長室で「私モデルになりたいと思ってるんです」って言ったら、「ちょっと大丈夫か」みたいなことをおっしゃってくださったのが今でもすごく印象に残っています。 その後はこの事業ももう4年6年経ってますが、今年に入って事業を見直ししましょうというところで、こちらに「せたがや若者フェアスタートをさらにバージョンアップしていきます」という案内があるんですが、この検討会にお隣にいるブローハン聡君と一緒に当事者として参加させていただいております。 自己紹介こんな感じでよろしいでしょうか。 お願いいたします。 森田先生 次は山田さん。 話す順番に自己紹介をお願いします。 山田様 ご紹介に預かりましたやまだけんたと申します。 ちょっと田中さんが話がうまかったので、どのくらいできるかわかりませんけど手短にいきたいと思います。 今大学3年生で、主に児童館でリーダーというか運営の補助をやっております。 小学校2年生から児童館に通っておりまして、短い人生の中で気づいたら15年という長い年月が立っています。 なので今回立場としては、使用者側も長かったしちょっと運営側もやりましたので、その双方の観点から児童館はどういうところかっていうところと、活用の仕方というか方法を話せればいいなと思っております。 本日はよろしくお願いいたします。 森田先生 木田さんお願いします。 木田様 初めまして。 私は希望丘青少年交流センター「アップス」でインターンとして活動しておりますきだちひろと申します。 アップスでは若者とのコミュニケーションを通して交流を深めて、若者のやってみたいことだったり挑戦してみたいことを応援していく活動をしております。 私は現在大学2年生なんですけれども、高校2年生の時からアップスを利用し始めて現在に至ります。 大学生になって、アップスを支える立場になってみたいと思って活動を始めました。 活動をする中でいろいろな事情を持った子も中にはいて、日々多くのことを学んでおります。 今回は子育て支援関連でご活躍されている方々と一緒に、パネルディスカッションをさせていただける大変貴重な機会をいただきまして、ものすごく緊張しておりますが、若者目線から楽しくディスカッションできればと思っております。 よろしくお願いいたします。 森田先生 ブローハンさんお願いします。 ブローハン様 こんにちは。 ご紹介いただきましたブローハンさとしと申します。 もう役割に関しては先ほど田中れいかさんから言っていただいたんですけれども、この事業の見直しのところでこの若者、当事者が参画するっていうポジションで関わらせていただいて本当にありがたいなと思いますし、やっぱり私自身も当事者活動を始めたのが4年前で、それまでは芸能活動だったりNTT の仕事を主にやりながら活動していたんですけれども、やっぱり当事者、自分たちの経験を世の中に発信して、それで一緒に大人と共に変えていくってことを海外の取り組みとか、そして日本でもその自治体のパワー、エネルギーが発信されているのを見て自分も関わりたいなと思って、その時に確か区長ともお会いする機会があったんですけど、こんなすごい方だと思わずあんまり社会を知らなかったんですよ僕は。 それぐらいのとこからスタートして、今支援者の活動だったり当事者の発信をしています。 主に その発信としては、小学校で保護された経験があるんですけど、小学校の先生たちに虐待防止研修というのをやらせてもらったり、ユーチューブで発信をさせてもらって児童養護施設出身の3人がユーチューブを使って発信するっていう番組をやらせてもらってます。 一方で当事者の視点を交えながらも実際に施設を離れた若者たちのアフターケアをするっていう立場もやらせてもらってるんで、今日は両者の目線でお話ができればと思います。 短い時間になりますがどうぞ皆様よろしくお願いします。 森田先生 ここから大人です。 よろしくお願いします。 松田様 まつだたえこです。 元子どもです。 青年の時に、実は私は隣の渋谷区育ちなんですけど、渋谷区若者の祭典っていって若者たちで作っているお祭りがあって、代々木公園を借りきって地域の土建屋さんのトラックとかの横に乗ってテントを借りに行ったりとかそういう若者でした。 ペンキ塗りとかしながら。 今もそんなに変わったところはなくて、乳幼児の地域の活動でおでかけひろばっていう親子で出かけられる居場所をやっています。 それは世田谷の特徴でもあると思うんですけど、私たちみたいな市民が手あげて運営できるっていう仕組みを世田谷が作ってくれているので、自分の地域の子どもたちやその保護者の人たちと「一緒にこのまちで育っていこうね」っていう場が作れたらなと思ってそんなことをしています。 なんで私が元々子どものとか青年の活動をしてたことにこだわるかっていうと、自分自身が全然知らない三重県と愛知県で子育てを最初していて、その時に災害があったんですね。 東海豪雨っていう。 「私ここにいます」っていうことを誰にも知ってもらえないまま災害が起きるっていうことを実感して、やっぱ世田谷の中でつながり合える活動が必要だなと思って、一番最初のところをやろうと思って今に至っています。 よろしくお願いします。 森田先生 じゃあ久米さんお願いします。 久米様 久米と申します。 イバショという活動をやっております。 私は中学1年生と小学校2年生の2人の子どもの母です。 ここには今日は活動をする保護者の代表として座らせていただいているかなと思っています。 いばしょというのは私たち弦巻小学校の保護者仲間で作ったグループなんですけれども、学童を終えた4年生以降の子どもたちの放課後っていうものに、不安だとかちょっと疑問なんかを抱いた仲間たちと、緩やかな保護者のネットワークをまずは作ろうということで始めました。 最近は子どもたちの声から始まるいろんなプロジェクトっていうのが増えてきまして、なんとなく子どもと保護者たちのみんなの緩やかなネットワークになってきてるのかななんていうふうに展開しています。 その中で「やっぱり行政にももっと意見を言いたい」と思って昨年度から子ども・子育て会議の公募の区民委員っていうのをさせていただくに至っております。 どうぞよろしくお願いします。 森田先生 ありがとうございます。 ここから本題に入りたいと思います。 ものすごいメンバーを揃えたのでここからなんとか皆さんが言いたいことを時間内にお話してもらおうと思っています。 今日はこの世田谷というところで子どもの権利ということをどうやって実現していくのか、今日私が冒頭でお話をさせてもらいましたけれども、子どもの権利ってものすごく広い概念なんですね。 しかもその条約にはまだまだ決められてないところというのはたくさんあるわけですけれども、特に今日来てくださっている人たちっていうのは、子ども期を少し過ぎた人たちなんです。 子どもの権利というところでいうと保護の場面であったり、あるいは地域支援の場面であったり、時には子育て支援であったり、様々なところでこの世田谷の施設であったり、支援の事業であったりというところに関わったりしてきた人たちなんです。 その中で一体それぞれがどういうふうに子どもの権利と出会ってきたのか、あるいは子どもの権利侵害というものにも出会ってきたのかっていうようなことについて、まず当事者として、どんなことに出会ってきたかっていう話を聞きたいと思っています。 今自己紹介していただいた順番で田中さんからお願いします。 田中様 私自身が幼少期に経験した子どもの権利というところでよろしいでしょうか。 私自身はちょうど今から20年前の4月に福音寮に入所しました。 世田谷区の先ほどの図にもありましたが、ちょうど子ども条例を制定した年に福音寮に措置されます。 私自身がなぜ児童養護施設で過ごしたのかというと、簡単に言うとお父さんがお母さんに暴力を振るってお母さんが家を出て行ってしまって、そのお父さんの怒りが子どもたちに向くようになって保護されたっていうような経緯になります。 そうすると子どもの権利で言うと先ほど4つの原則がありましたが1つ目、生命生存の権利がちょっと危うい環境でした。 そこから一時保護所という場所につながって、東京都が運営している児童相談所だったんですがそこで1ヶ月半ぐらい過ごしました。 その間いろんな大人が話し合ってくれて、当時小学校1年生なので何を聞かれたかは正直覚えていないんですが、でもお家に帰ることが難しいというような判断でしたので、その一時保護所にいる間に福音寮での職員さんが2人来てくれて、「今度あなたはこういう場所に行くんだよ」っていうことを会議室で説明された風景だけは覚えてます。 そういったところで、子どもの声を聞こうとか「これからあなたはこうなるんだよ」っていう説明を大人がしてくれたのも、子どもの権利の尊重の一つなのかなと今では実感しています。 その後施設に入ってからは、子どもの権利って子ども自身が感じさせないようにするのが多分大人の役割なのかなと個人的に思っているんですが、もう朝昼晩御飯はちゃんと出るしおやつも出るし、洗濯物も洗ってもらえるし、先生と一緒にお出かけもできるし、そういう家、住居があって衣食住があってその上に子ども自身が「あそこへ行きたい」、「ここへ行きたい」、「あれを買いたい」、「これ欲しい」っていうことの尊重が自然とされていた環境でした。 私自身が施設にいる間嬉しかったことで言うと、やはり習い事ができたことでした。 先ほど権利条約の話で、安心・安全の生活の上に子供が生き生きとやりたいことができるのがいいっていうお話がありましたが、やっぱりその衣食住があって初めて自分のやりたいことが見つかって、そこでそれを施設の職員に伝えたら、「ちょっと待ってね」っていう時間はありましたが結局それを習わせていただいたことがやっぱり私自身の今の心の成長であったり自分自身への自信につながっているので、施設にいることで経験できたことがいくつもあるなと実感しています。 あと森田先生気になるところありませんでしょうか。 森田先生 あとでいっぱいお話を聞きたいと思っていますが、れいかさんが今大事にしている人とか場とかっていうのは、どういう風にこの話の時から変化していきましたか。 田中様 今大切にしている場ですか。 一番は彼氏。 森田先生 いい言葉が出ましたね。 じゃあそれでもういいです。 どうぞじゃあ次です。 安定できる、保護されるということってすごく大事なことだっていうれいかさんの話だったんですが、山田さんは地域の児童館を利用したんですがどうでしたか。 山田様 そうですね。 児童館っていうのを僕は15年ぐらい行ってたんですけども、今回こういう機会をいただいて15年間を振り返ってみて小学校の時のお世話になった職員の方にももう1回連絡を取って、「どんな人間でしたか」とか聞いて今回3つの観点からお話をしようかというふうに思いました。 僕が考える児童館っていうのは社会への小さい入り口であるというところを僕は思っております。 なんでかっていうと3点説明するんですが、もう一つのコミュニケーションの場ができるというところと分厚い年齢構成なんですよね。 それと交流ができるというところ。 そして自分で選択できる環境が作られているないしは利用できるというところがまずは地域の児童館を利用して感じたことです。 まずはもう一つのコミュニケーションの創造というところで、特に児童館を利用するのは小学生なんですけども、小学校とかでコミュニティがあってそこで例えばうまくいかなかった、僕の場合小学校じゃなくて中学生の時にちょっとコミュニケーションがうまくいかなかったなっていう時に、自分でなんか困った時に「小学校の時に児童館行ってたわ」ってなってじゃあちょっと児童館行こうっていう形になってちょっとまた通い始めたんですよね最初に。 何かあった時に職員と話せたり、小学生と一緒にゲームしたりとかそういうことができるんですよね。 それがもう1個のコミュニケーションということになります。 それで心が軽くなったらまた児童館に通わなくなるんですよ。 でももう1回何かあった時にもう1回通い始めてもそれは児童館は許してくれるんです。 児童館の職員も出て5年ぐらい通わなくても誰か1人はいるので覚えててくれたりとかして、そこからまたコミュニティにスッと入ってこれるんです。 そこが児童館のコミュニティとしていいなと思ったところです。 2つ目としては分厚い年齢層と交流ができると言いました。 大部分が小学生なんですけど中高生もいるし我々大学生という立場もいますし、職員として大人の方も関わるし地域の方も関わるのが児童館のいいところなんですよ。 最初は小学生の時、みんなでわーっと友達と行って、最初決まった人と遊ぶんですよね。 やっぱ来た友達と遊んでってことをやるんですけど、段々段々スポーツとかイベントとかを通じて異学年というか違うコミュニティから来た人たちとも遊ぶんですよ。 そういうことによって段々段々コミュニティが変わりつつ作られていくっていうところでまたいろんな人と交流ができるんですね。 学校と違うのは、毎日同じ人とコミュニケーションを取るわけでは必ずしもないっていうところですよね。 その点がやはり異学年と交流ができるいいところなのかなと思います。 小学生がそうなんですが、中高生になってくると段々この児童館という枠組みから今度は地域の枠組みに動いていきます。 段々段々広くなっていってそれが僕が名付け親となったTBTっていう、玉川地域ブロックティーンズっていう集まりがあって、月ごとに交流をして、オンラインだとサイコロを転がして出た目が多い順で児童館で競ったりとか、僕らだとバレーしたりとかしてこの児童館こういう子がいるんだっていうふうになってまた違う児童館に行くんですね。 それでまた交遊関係が広がるっていうのがいいところだと思ってます。 最後に自分で選択できる環境っていうところで、受け身でもこれいいんです。 能動でも受け身でも良くて、僕が低学年の時の話ですが、児童館は必ず10月ぐらいにお祭りをやります。 地域ごとなんですけどもそれをやるときに僕はお面さん屋さんをやりたいって言ったんですよね。 皆さんお面って何で作ると思いますか。 紙じゃないんですよ。 紙パックっていうか食品の肉とか入ってるトレイとかそういうのでお面を作ろうって言ったんですよね。 当時2年生だったんですけど、2年生じゃできないじゃないですか。 なので大人の人、職員の人または地域の人に助けてもらって手伝ってもらいながらやるんですね。 でもそれで達成感を味わえるんですよね。 最初は自主的なので能動的にやったことをこう具現化してくれる、うまくいかなくてもいいです。 具現化してくれるので、児童館がすごいありがたい存在であったと僕の中では思っています。 そこが学校と違うのかなと思います。 学校はテストとかなんですけども、児童館はそういう成果じゃなくてもいいという点が児童館のいいところでした。 以上です。 森田先生 何でも受け止めてもらえる安心できる場ですね。 そういったところを利用した山田さんでした。 どうもありがとうございました。 世田谷区内にはまだ児童館のない地域もあるんですが、児童館が子どもの権利の本当に中核にこれからもっともっと支援力を高めてもらうという形になっていくんですけれども、そういう時に利用者として積極的にこの辺の要望を出してってほしいな、「これは違うよ」、「もっとこうしなきゃ」っていうのをもっともっと子どもたちが参加していかなきゃいけないなっていうことをとても感じているところですので期待しているところです。 世田谷には若者たちに対する支援の場っていうのが急速に子ども・若者部ができる中でできていったんですね。 そこに関わったのが木田さんですよね。 利用者から支援者にというそのあたり話してください。 木田様 はいそうですね。 青少年交流センターは児童館に比べてもう少し年が上の人向けの施設です。 私がインターンとしてすごく感じることは、最近心の居場所がない子どもたちが多いなというのは感じていて、実際に青少年交流センターっていう物理的な場所はあっても、SNSに依存してしまっている子どもたちとかが割と多いなっていうのは感じます。 それが一概に悪いことではないとは思うんですけど、せっかくこういった交流施設があるならもっと生の関わりを増やした方が変わってくるものもあるのではないかなと思っております。 また青少年交流センターをうまく活用できている子もいれば、活用できていない子、さらにはそのそういった施設の存在を知らない子もいて。 私自身は高校生の時にアップスよく利用してたんですけれど、利用目的がもう勉強しかなくて、勉強するために毎日アップスに行って自習室に何時間もこもって帰るっていうその繰り返しだったんですね。 だから私がインターンになって、「アップスってこんなこともできるんだ」って学んだことがすごく多くて、なので高校生の私にとってアップスは落ち着いて勉強に取り組める場所になっていたので、それもある種の居場所だとは思うんですけど、高校時代は受験とか色々あって悩んでたこともたくさんあったので、もっとアップスの活用方法を多方面から知れていれば何か違ったのかなとも思ったりしています。 アップスは「家でもなくて学校でもなくて第3の居場所」っていうのをコンセプトにしているんですけれども、居場所といってもそれは一人ひとり様々ですよね。 どんな場所が安心できるか、居心地が良いかというのは人によって違うと思いますし、多分この場にいる皆さんもそれぞれ違った考えをお持ちだと思います。 だからこそ子どもたち一人ひとりに合った居場所を作り上げていくことが今後大切になっていくのではないかなと思っております。 私のものすごくお世話になっているアップスのセンター長の下村さんがおっしゃっていたことなんですけれども、「居場所っていうのは大人がこう作って提供するものではなくて、若者たちと一緒に作ることがすごく重要だ」っていうことをおっしゃっていて、私もそれにすごく深く共感して、インターンとして子どもたちと交流する中で、大人から見れば普通のことでも子どもにとったら「なんで」って思うことも結構たくさんあるみたいで色々聞かれたりもするんですけど、そういった点から子どもと若者が一緒になって主体的な場を作っていくことが今後の目標になっていくのではないかと思います。 私にとって居場所っていうのは単に自由に過ごせるところではなくて、どこかほっとできる、「ここにいたらもう大丈夫なんだ」って安心してもらえる場所だと思っています。 今後そういう施設の形成がすごく大事になってくるのかなと思います。 以上です。 森田先生 はいありがとうございました。 世田谷には3カ所青少年を対象とした場所があるんですけれども、アップスに私も最初に行った時には部屋の外側のカウンターで勉強ばっかりしてる人たちがいっぱいいて、「一体これどうなるんだろう」って心配したんですがまあそうでもないですよね。 いろいろな活動が次々と展開していきますが、東京の子どもたちってものすごく自転車に乗る距離が長くて、地方の子どもたちもそうですよね。 特に中高生達って自転車に乗る時間が長くて、ここからアップスまでってなると電車で行ったって15分ぐらいかかるぐらいのところなんですが、でも自転車で行きますからねみんな。 すごいですよね。 そんな若者たちは、活動的であるからこそ自分たちの居場所を一緒に作り上げていく、それぐらいの気概は持っているんだっていうところで一緒につくりあげる参加型の場所ということを目指しているということでありがとうございました。 次はブローハンさんですね。 ちょっと難しいふりをしていますので。 十分に時間をあげますのでお願いします。 ブローハン様 はい。 じゃあ5分でお時間いただきましたのでお話しさせてもらいます。 テーマが「社会的養護から社会で自立する挑戦の契機と喜び」。 難しいですね。 契機って今日この資料で初めて見て、僕は契約期間の経費なのかなと思ったんですけど、きっかけですね。 ありがとうございます。 ということで僕はその社会的養護っていう仕組みの中で育ち、その後今自立して活動している身として、5つちょっと思ったことがあったので話させてもらいます。 まず1として家庭っていう基盤の再生っていうのはすごくポイントだったなと思っていて、僕自身が田中さんと同様に施設に保護されるまでの間すごく危ない幼少期を過ごしていて、本当に命がいつ終えるかわからないような状況の中にいました。 また、今日この第1部の森田先生がお話した基調講演の3ページですね、子ども・家庭・学校・地域・社会環境という子どもの居場所の現状と課題ってところのグラフを見たときに、「僕この家庭っていうものがなかったな」っていうふうに感じました。 なので僕自身が保護される前に関しては、学校と地域と友達の家、お母さんたちとかの場所が結構僕の中では居場所になっていました。 家庭っていうものに関しては、一緒に両親とか親と暮らしていったところと「危ないから」と親から離れ違う家に暮らした時期がこう転々と繰り返したので、初めて児童養護施設に行った時にも、「今日もまた知らない他人と住むのか」というようなことを思って養護施設に入りました。 そして施設に入ってから、さっき家庭の基盤の再生って話をしたんですけれども、まず生活リズムがあることにびっくりしたんですよ。 朝昼夜ご飯がついてくる。 そして1 年中何かイベントがある。 クリスマスやらハロウィンやら豆まきやら日本のそういう文化を味わったの初めてでした。 なのでこういった生活のリズムを整えられるっていうことで安心して寝れる。 そして田中さんと同じでちゃんと衣食住が揃っていたってことにまず驚きを感じました。 それで数年経った頃に毎日寝るのに半分起きて半分寝ているっていう半覚醒状態だったところから、安心してぐっすり寝れるっていうことを経験したためにそこから「児童養護施設っていう場所は安心なんだな」ってことを感じていました。 家庭にいるときは基本僕は虫の息、本当に息さえもこう気遣うように毎日過ごしていたのですが、養護施設で過ごす中で、自分のことを表現したりとか褒めてもらうっていうことを先生との日常の中で繰り返したことによって褒められる体験もすごい増えたんですね。 そのおかげで自己肯定感というか存在欲求を満たされた。 「ここにいていいんだ」、「ちゃんと自分がここに存在してるんだ」っていうことを感じ始めました。 その中で実はブローハンっていう名前が外国のルーツってのはわかるかなと思うんですけど、国籍もなかったり戸籍がなかったっていうところで、施設にいる間にすごい大変だったんですけど、フィリピン国籍と日本国籍を整えてもらったんですよ。 で、自分の戸籍が未だに児童養護施設なんですね。 そういった基盤、ちゃんとそこに存在してるって事を満たされたっていうのが11歳から19歳の8年間の経験の中ですごく大事な期間だったなと思いました。 一方僕は大人に対してすごい不信感があったので、めちゃくちゃ嫌いなところがあったりとかするんですけれども、やっぱり8年間の中で一緒に生活をしていて、信用はどこまでできるかがわからなかったけど、「信頼してもいいな」っていう感覚にまでなりました。 そのおかげで僕は社会に出たあともチャレンジすることに対してめげずにいろんな活動もしたり発信もできるようになったんですけど。 最後、その後施設を離れた後何で自分がこんなにチャレンジできるかなって思ったところの話をすると、この間30歳の誕生日を迎えたんですよ。 その時に施設を離れて12年経ちましたけど、未だに児童養護施設の職員さんと交流があったり児童養護施設のイベントを通していろんな大人と仲良くなっていろんな大人と交流が持てたんですね。 その大人が未だに連絡をくれるんですよ。 で、山田さんがさっきちょっとお話されてたんですけど、振り返る機会を作ったじゃないですか。 「自分がどんな人間だったか」って話をしたと思うんですけど、僕はこの当事者活動を通してこの振り返りを大人たちを通してさせてもらった時に、確かにそこにいた感覚とかそういうもの、大人になった今になって帰ってきてる感じがあったんですね。 なので、つながり続ける、孤立をさせないとかっていうのはすごく大事なんだなっていうのを自分の身を自分の経験を通して感じたことです。 いっぱい伝えたいことがありすぎて。 とりあえず一旦5分だったので終了します。 森田先生 ありがとう。 あと2つは最後の時に聞きます。 楽しみにしてください。 たくさん引き出しがある人ですので、お願いします。 じゃあ続いてですが松田さんにお願いしていいですか。 松田様 私が喋るのもったいないなーって思ったので少しだけと思っています。 さっきお話したように青年活動をしていた若者だったので、それこそ地域のおじさんたちおばさんたちと一緒に青少年委員とかやってたんですよ。 そういう仕組みがあったのもすごい面白かったんですけど、青年が青少年委員会の中にいるっていう枠組みがあったりとか、自分たちでイベントのテーマ決めからするみたいなことでいろんな地域のグループとか、それこそ専門学校でバンドをやってる人たちがステージを組んでくれたりとか、いろんな人たちが自分の表現する場を実はやっていて、そういう気持ちとか見守りがあって私があるなっていつも思っています。 そういう自分のことを知ってくれてる人の中で今度育てる側に行く、育てられる側から育てる側になっていくっていう経験を私はさせてもらったんですけど、その部分が少ししんどいなっていうのもあって私は赤ちゃんが生まれるっていうご家族に出会うときに、ご自身の育ちであったりとかそういうところにもう1回揺さぶられる経験がやってくるので、そこを地域の人たちで支えたいなっていうのはすごく思っています。 やっぱり循環していくので、自分が育ってきたっていうことを肯定してもらったっていうお話をされてましたけど、今度は地域の側がそこを一緒にやるよって、そこを一人の責任に押し込めない、よく「親の第一義責任」とか書いてあるけどそうじゃなくて、地域でみんなを育てていこうっていう先に生まれた人の責任みたいなことを、地域の大人とやりたいなっていうのは自分も若者のときにそうさせてもらってたっていうのもあったので、感じているところです。 同時にやっぱり赤ちゃんって一番声なき声いうか、子どもの権利というところでは自分から権利ももちろん言葉も発せられないけど、その子がどうしたいかっていうことを大人がしっかりと受け止めるというところから実はやらないといけない、今だと胎児からとかいう話もあるけど、乳児の権利ってあんまり書いてないんですよね。 子ども条例も多分ほとんど書いてないと思うんで、そこは本当にこれからだと思うんですけど、乳幼児の声を聞くって難しいと思います。 でも赤ちゃんから捉えるっていうことを私たちもチャレンジしたくて、中学校に赤ちゃんを連れて行く授業を今世田谷区の中で少しずつ増やしていっています。 地域がひろばをやっている人たちと、普段来ている人たちと一緒に学校に行くっていう活動をして、子どもたちにとっても自分の後輩になるかもしれない赤ちゃんと会うし、場合によっては来てるお父さんお母さんが先輩だっていうこともあるし、あとは戻ってきてから体験を語りながら自分の子どもだけを育てなきゃっていう、世田谷は結構そういう人多いんですけど、いっぱいお金とか時間かけて自分の子を素晴らしくするっていうことじゃなく、地域の子どもっていうところに中学生が入ってくる。 「自分は乳児の親だけじゃなくこの地域の子どもの育ちを責任持って見ていく大人になるんだ」みたいなことが起こるようなプログラムを今やらせてもらっていて、実はコロナ禍でフードパントリーっていうのをやっていて、ちょっと食のところで子どもたちを応援してるんですけど、フードパントリーで2年間ずっと兄弟の分もいっぱい持って帰ってくれてたような子と中学校で会ったりして「おおっ」て言うと「僕は最初から気がついてました」とか言われて、「地域の人が来たっていうのを彼はわかってくれてたんだ」と思って嬉しかったり、そういう斜めの関係ってよく言いますけど、「いろんな大人がいろんな場面でいるんだな」っていうことを実感してくれる子ども達をいっぱい増やしたいなぁなんていうことを今思っています。 森田先生 ありがとうございました。 松田さんは、地域で育って地域で育てるという立ち位置になって、もう大人になって何十年も経つんですが、地域で子どもを育てるのってやっぱりすごく時間が必要ですよね。 さっき田中さんが福音寮に入ったのが2002年の子ども条例ができた時という話がありましたが、こんなに育っちゃったんだよね。 もうね。 でもこんなに育っちゃったんだよねって言えるっていうことって本当にすごいことで、やっぱり家庭や親が育つというところを、どこか遠いところで見守ってくださってたんだろうけれども、直接は育てられなかった。 だけど社会が絶対育てる、というそういう安全と安心というものをどういうふうに世田谷の中に作るかっていうことと、そこから羽ばたいていく大人に育てていくっていうこともすごく大事なことで、そういう意味で大人たちになった時に子どもの権利を具体化するために様々な形で家庭の支えだとかあるいは地域社会の中での支えということを皆さんやっていくわけです。 なかなか世田谷区の難しさってそこにもあるんですが、公的な仕組みが長くしっかり根付いてくると市民の方がずーっと引いてっちゃう。 つまり市民の力、具体的には保護者の力とかそういった力が強くなって、さらに施設や機関の力が強くなればウィンウィンでもっともっとすごい子どもにやさしいまちが出来上がるはずなのに、どうしてもそのバランスっていうのを取っていくとどっちかが出てくるとどっちかが引いちゃうみたいな、なかなかうまく両方が育ち上がっていくってことが難しい。 でもやっぱりその中で一番被害を被るのは子どもたちなので、子どもたちにそういった影響が最低限になり、そして最大の支援が行くようにっていうことをみんな願うわけです。 今日の最後は久米さんにご登場いただいて、保護者である立ち位置も含めて、この時代であるからこそすごく苦しんで多分子どもを育ててるという立ち位置にいるわけなので、さっき家庭が保障されなかった田中さん、ブローハンさんのお話がありましたけれども、それでも育つけれどもほとんどの子どもたちは家庭で育つわけで、その家庭で育つということをどうやって保護者である久米さんたちは努力をされたかっていうこと、あるいは努力をされているかっていうことを少しお話をいただこうと思います。お願いします。 久米様 私たちは2019年に活動を始めて今年が4年目なんですけれども、最初にやり始めた時にまさか今年こんな素晴らしい場に私が座っているなんてことは考えてもいなくて、ずいぶんここ数年生き急いでるなって思ってるんですけど、4年生の時に活動を始めて今目の前にすごく困ったってことがあったんですよね。 学童行っていて一応 「6年生までボップで遊べるよ」って説明されてたんですけど、「誰ももう高学年なんて一人もいないし、高学年の来る場所じゃないんですよ実は」とか後から言われたりして、すごく困ったっていうことがあって、もうしょうがないから区になんとかしてもらおうと思って、要望しに行こうと思って始めたんですよ。 自分たちがこんなに動き回るって思ってなかったんですけど、難しそうだなってすぐわかりまして、でもほっといたら子どもたちが卒業しちゃうので、それですごく行き急いだ3年間を過ごしてきたんだなって振り返っています。 皆さんの話を伺ってて私たちがやってきた役割って何なのかなって振り返ると、先生がさっき仰っていた子どもの最善の利益、しかもそれは一人ひとりのなんだと、一人ひとりの子どもに対して見てあげられるか、それから意見表明をする時は参加が前提なんだ、そして居場所が多いほど自己肯定感が高くなるんだという話をすごく印象的だなと思って伺ってたんですけれども、結局その地域の公立の地元小学校に通う保護者のすごく大きなポテンシャルって、地続きで子どもたちを面で見守れるということだと思うんですが、「私たちすごくそれが足りてないな」ってすぐやってるうちに気づくんですけど、それで「居場所がないない」って思ってたんですが居場所って実はあったというか、「すごく子どもたちの幸せを願う人たちが私たちの目の前にたくさんいるんだな」ってことに気づけた時に、そして子どもたちと一緒に遊んでいる中で「子どもたちって本当にすごいな」って、自分の子どもたちの力をすごく信じられた時に私たちが初めて「自分の不安っていうところだけじゃなくて、子どもたちの主体性なんだな」っていうふうに行き着いたんですね。 でもそれって本当に初めて半年ぐらいでそういう結論に達して、その後ずっととにかく子どもの声を聞くっていうことをやってきました。 私たち子どもの声を聞くっていうことに関しては、イバショってPTA サークルとして作ったんですけど、いわゆる委員会活動とかとは全然違う形で勝手に自由にやってるんですが、実際そのPTAの委員会とかとも共同して学校とか新ボップとか行政の方や地域の皆さんも参加してもらえるような機会を作って一緒に子どもの声を聞くってどういうことなのかなっていうことをやり始めていたんですね。 それって何でかっていうとやっぱりコロナ禍に子どもの遊び場っていうのが極限まで失われた時期が2020年ぐらいにありまして、公園で遊んでるだけでどうやら区役所にクレームというかご心配の声が届いてるらしいっていうふうに聞きまして、すごく危機感を感じまして、それで子どもの声を聞く、「子どもに遊びがどうしてこんなに大切なのか」っていうことを「自分たちの子ども時代を思い出してみよう」っていうことをやりながら、松陰神社通りの道遊びっていうイベントを始めました。 それが今年もう3回目で、やってるうちに地域の恒例行事みたいになってきたんですけれども、当初「高学年の遊びに親が口出すの」って言われる機会がありまして、私も自分でもそう思うけどでも「うちの子はほっといたらやっぱりゲームずっとしてるのかな」とか、ゲームが悪いわけじゃないんですけど「本当に他の楽しい遊びを知ってて選んでるのかな」とか、「地域の遊び場はうちの子ずっと学童行ってたからもしかしたら実は知らない可能性あるし、私たち自身もほんと知らないな」っていうところからなんですよね。 すごく印象的だったのがちょっと話飛びますけど、この春卒業した6年生たちに「やりたいことを何でもいいから卒業の時に一緒にやろうよ言ってごらん」て聞いたら、一生懸命すごく答えてくれるんですけど、割とあるパターンが決まっているというか多様性がないというか、子どもたちがすごく嬉しそうに語る意見が3つぐらいに絞られるということを目の当たりにしまして、いかに社会が子どもたちが自分たちの声、想像力をどんどん発揮して言っていいんだっていう環境を与えてあげられてないかっていうことに愕然とするわけなんですよね。 だからやっぱり高学年からでもきっかけ作りっていうのは大人がやってあげなきゃいけない責任なんだなっていうことを本当に声を大にして言っていきたいなと思っています。 時間がないので飛ばしますと、私たちが子どもの声子どもの声ってずっとやってこれたのって、世田谷区に外遊び推進員さんっていう役割がありまして、その方との出会いがあってずっと伴走し続けてくれた人がいたっていうのが大きいです。 保護者だとやっぱりどうしても自分の子になると「言ってることとやってること違うな」って毎日落ち込みながら子育てするんですけれども、子どもの権利っていう目線を絶対にずらさないそらさない存在っていう方がそこにいるっていうことは保護者たちが力を出すときにすごく助けになりました。 世田谷区ってほんと素晴らしいなと思ってるんですが、一人しかいないんですよね区の中で。 一人だと多分すごく足りないなと思ってやっぱりまちのかかりつけのコミュニティプレイワーカーさんみたいな存在をぜひ作っていただきたいなっていうお願い。 あとは今実はその新ボップの制度が大きく変わろうとしています。 民間委託が一部始まろうとしてるんですけれども、それはその大規模化とか狭隘化とかもうどうしようもない事情があるということは私も勉強して理解したんですが、せっかくやるならばやっぱり子どもたちと地域をつなぐ機会というのは絶対に奪ってほしくないなって思っています。 なので、多くの方にこのことに関心を寄せていただいてより良い新しい仕組みを作る時に、地域や保護者の力がこうエンパワーメントされていくような仕組みを一緒に作っていきたいなっていうことをお話しできたらと思いました。 ありがとうございました。 森田先生 ありがとうございました。 限られた時間なので本当にごめんなさい。 多分いっぱい話したいことがあると思うんですが最後の一巡をどうしてもしたいのでごめんなさい。 今6人の方にお話を伺いました。 世田谷区のこの20年あるいはもうちょっと前からすれば30年ぐらいかけてずいぶん都市化する中で必死に子どもの環境っていうものを守り、そして具体的な居場所っていうものを作ろうとしてきた。 しかしその中ではすべての子どもたち、先ほど言った一人ひとりの子どもたちにとっていい場所っていうと本当にばらまき行政になっちゃうわけですよね。 でもばらまいていけばいくほど当然ですが予算もばらまかれる人もばらまかれる、今も大事な人なのに一人しかいないなんて話がありましたが、この92万人の中で1人しかいないなんてほんとに大海、大海原に1人という状態ですから、本当にそれは限られているわけです。 だからやっぱりそこはどこかに集中したり時には必要じゃないあるいは必要度の低いものっていうものを整理したり、時にはそれを市民があるいは保護者たちが代替したりというようなことも必要だろうし、若者たちが参加していくっていうようなこと、特にですが事業に参加していく若者たちっていうのももっと育てたいと私はずっと思っているんですね。 それからもちろん高齢者たちも元気になりますから、若者たちの事業にはもっともっと参加したいというふうに思っている。 そういうとなんかもう少し仕掛けが必要なんだろうなぁというふうに思うわけです。 この辺り含めてここからどんな風にみんなが参加できる子どもや子育てが豊かに展開するようなまちにできるのか。 ワンポイントの提案みたいなのですね。 皆さんに一言ずつお願いをしたいというふうに思っています。 最後に区長が政治家がおりますので、区長がどうそれを拾うかは別として皆さんの提案をちょっと受けたいと思いますので、田中さんからいいですか。 お願いします。 田中様 皆さんのお話、頷きが多くすごく勉強になりました。 ありがとうございます。 参加できるまちづくりについて感じていることは、現在東京都の意見支援と表明員の配置の会議であったり、子ども家庭庁のこども大綱を定める会議に参加する中でこの考えすごくいいなと思っているのは、参加する前にはやはり「意見を言える状態の子たちを増やすということが大事」と言われていて、「意見表明の中に意見の形成と意見の表明の2つが合わさって意見表明なんだよ」っていうのを国が打ち出しておりまして、これすごく大事だなと思っていますので、私とかブローハン君はもう意見が言えるからこうやって会議にも参加できるし話せるけれども、意見が形成されていないとこれって発せられない声だと思うので、やはり参加していく子たちを増やすためには意見の形成の部分をこれから地域で教育福祉で支えるっていうのが必要だなと思っています。 その意見の形成の中には、山田くんであったり木田さんが仰った生い立ちを振り返ることで「自分はここにいて良かったんだ」とか「いろんな人につながれたんだ」っていう感覚を取り戻すこともそうですし、自分の育ちの地図みたいなのを作って「ここはこういうところが良かったな」とか「じゃあ私はこういう大人が好きなんだな。こういう大人はちょっと苦手だったな」っていうところで自分の考えとか価値観て形成されると思うので、私自身は世田谷区にその意見の形成の部分を今後頑張って着目していただけたらいいんじゃないかなと思っております。 以上です。 森田先生 ありがとうございます。 この間も子どもたちのワークのところで「教育の質だよ問題は」ってかなり強烈に意見が出てましたね。 はいじゃあ山田さんどうぞ。 山田様 ありがとうございます。 僕が児童館の活動を通じて思うことは、やっぱり地域を密接に、学校とは違うコミュニティを形成してほしいということです。 学校とは違って児童館は福祉の観点から支援を僕ら子どもたちにしてくれるので、それはとても重要なことだと思います。 今日来ている皆さんも多分学校とかこういうところ以外にも多分家庭だったり会社だったりいろいろなコミュニティがあると思うんですが、児童館ではそういうコミュニティを通じて達成感だったり充足感だったりを得られてそこから自己肯定感につながると僕は思ってます。で、僕はそれを受けました。 そこが人生を生きるライフハックになると僕は信じております。 児童館は25館あり、敷居が低く心は広く受け止めてくれるので、そういう場所をより地域とともにも松田さんだったり久米さんだったりを通じてより地域と一緒に作っていくような環境を作っていただければ嬉しいと思っております。 以上です。 ありがとうございました。 森田先生 地域と共に、地域に出ていく児童館。 絶対必要ですよね。 もっとつながるっていうことですよね。 木田さんどうぞ。 木田様 どうしたら参加型のまちになれるかっていう問いだったと思うんですけど、私はこの場ではちょっとその答えは難しすぎて出せない状況で、なぜかっていうとさっき久米さんがおっしゃっていたように子どもたちに何したいって聞いた時にその回答が絞られるっていうことを仰っていたじゃないですか。 それはアップスで子どもたちと関わる中でもすごく感じていて、子どもたちの中にも大人のようなコミュニティはちゃんとあって、ちゃんと空気を読んでその子に合わせてかつ自分の意見をちゃんと言わないとその中からハブられちゃうっていうのを結構目の当たりに感じていて、なのでそういった環境の中で自分から主体的に動くのはすごく難しいことなので、そう簡単には参加型のまちづくりっていうのは難しいのかなっていうのが今感じたことです。 アップスはその中でも割と自由な意見を発してそれをユースワーカーさんが受け止めてくれる環境っていうのが他のところよりも整っているのかなと思いますので、参加型になれるようなモデルにアップスがなっていければいいのかなと感じました。 森田先生 ありがとう。 すごく大事な発想で、この間、基本計画を世田谷区で作る時にちょうどこのお話ししたんですよ。 つまり場を読みすぎちゃって自分の意見言えなくなっちゃう。 いい子だからこそ言えなくなっちゃうんですよね。 だから自分の意見をどう作るかっていうところを徹底して小さい頃から作り上げてほしい。 そうすれば安心して自分の意見が言えるはずだ。 ここのところにどう教育が、あるいはそれはひょっとしたら学校だけじゃなくて地域でも家庭でもそういうところがすごく大事なんだなっていうことで木田さんが十分にそのことを発言してくれたと思います。 ありがとうございました。 次にじゃあブローハンさんお願いします。 さっき言い残した2つのこともどうぞ。 ブローハン様 ありがとうございます。 時間がないので1つで大丈夫です。 1つって言いながらももう1つ伝えたいことが別にあるので合わせて2つなんですけれども。 まず 1つ、子どもの権利を中心に自分の人生を捉え直すきっかけになってほしいなというふうに感じています。 そもそも僕はこの当事者活動を始めるまで、自分は当事者だと思ったことがないんですよ。 なぜなら全ての人は何かしらの当事者だと思って生きてきたし、すごい貧困の中で育ってきたとかみんな何かすごい抱えてるんですよ。 自分は特別だと思ったことは全然ないです。 逆に今の活動をして若干特別っていう社会的養護出身者から声聞こうみたいな感じになってますけど、僕からしたらそれはありがたいんですけれども1人の人間の側面としてなので、僕はあんまり硬くならずにいつも本当に思ったこともそのまま発信させてもらってるんですけど。 改めてこの権利ってことを考えた時に、自分は守られていた部分と守られていなかった部分がたくさんあるなと思いますし、正直この会場の中にも「私守られてたよな」って思った人がどれぐらいいるんだろうって正直感じているところなんですよ。 なのでそれも含めてなんですけど、次世代の子たちの捉え直しだったりとか守る、子どもの権利を中心にやっていくことで変わっていくことを僕は確信しているのでぜひここは覚えてほしいなと持って帰ってほしいなって部分になるので、今日1部にあった4原則のところはぜひ覚えてほしいなと思いました。 もう一方でちょっと視点を変えるんですけど、働く機会がたくさんあればいいなと思っているところです。 僕自身は社会的養護を離れた後に自分はもう親がいないし戻れるとかはないのをもう自分の人生の中で分かっていたので、それをマイナスだなと思ったことはなくもうやるしかない状態だったのでもう失敗できなかったんですよ。 なので失敗したらホームレスもやってたし、その後お金がなくなってすごいたくさんいろんなところに相談もしました。 でもそれをいろんな人が支えてくれたおかげで今があるんですけれど、そもそも働くチャンスっていうか機会がすごい少なかったんじゃないかなと思ってます。 さっき子どもの意見が出ないっていう話もありましたけど、大人がすごい辛そうにしてたりとかしんどそうに生活してるのを見てると、やっぱり想像も段々段々貧相になっていくっていうかイメージがマイナスになっていったりとか、「大人って楽しいのかな」と思ったりとか「働くって楽しいのかな」って思ったりするようになるんですよ。 そういった意味で子どもの権利を捉え直して大人が楽しくいるっていうことがすごく大事なところだなと思ってるんですけど、働く機会っていうところの、ちょっといっぱい言いたいことがあったんですけど、この間無印さんがすごいいいなと思った取り組みをしていて、お客さんが洋服を見ると畳まなかったりするから洋服を畳むだけの要員で働く機会、雇用をしてたんですね。 すごいいいなと思ったんですよ。 なので地域でもこういうチャンス多分あると思うんですね。 それを子どもの時からお手伝いとしてちょっと参画してみるとか、子どもと地域と大人が、児童館もそうですし、もっと居場所も含めて子どもと大人が関わる機会が増えて、そしてそれが働きとか社会に関わるっていうことに繋がっていってくれたらいいな、そういうイメージが大人になった時に自分の能力だったり自分を発揮させるチャンスが増えるんじゃないかなと思ったのでちょっと抽象的なんですけどそんなことを思いながら皆さんの話を聞いておりました。 ありがとうございました。 森田先生 ありがとうございました。 じゃあ松田さん。 松田様 いい話ばかりで嬉しいです。 私は団体を作っていて例えば世田谷区から委託をいただいたりとかそういう事業も起こしてしまっているので、こういう子どもの権利っていうところはまだ不勉強なんですけど、今みたいに雇用できる機会ってたくさんまだまだ作れるし、世田谷の中では若者が働ける活動団体がまだまだ少ないってすごく感じています。 乳幼児のところはだいぶ増えた、おでかけひろばっていう枠組みがあったので手上げができるようになったけど、若者が若者として地域の中で子どもたちに関わりたいって言った時のチャンスがすごい少ないなって思っているので、自分のところの団体がやるかどうかわかんないけど「みんなで団体作ろうぜ」って思っちゃうぐらい何かやりたいなっていうふうに思っていて、私はそれのバックアップ側に回らなくちゃって今思っていて、急ピッチでですね、地域のおばさんたちの活動ってだいたい手弁当でやってきたんだけど、それを雇用契約書を交わすとか保険証を出すとか有給をつけるとかお給料を振り込みにするとか、そういうことをやんないといけないんですよ。 そうじゃないと怖くて若者なんて働いてもらえない。 それをもちろん公的な仕組みの中でやってくれたらめっちゃいいけど、そうじゃないんだったら私たちの団体ももっともっと成長しなくちゃいけないし、ただいわゆる一般企業とかと比べると吹けば飛ぶようなグループだったりもします。 例えば審査とかでも経営のところとかABC とか付くけど多分うちとかねCとかなんですよ。 何億とかあるような基盤のあるところとも違うし、だけどその成長したりちゃんとしてる団体だから頼むんじゃなくて、信頼してるから頼むとか一緒に作っていくっていう意味でサポートも含めてやってみないってチャレンジさせてくれるような行政であってほしいし、ちょっと怪しいけど頑張ろうみたいなところがまだまだ世田谷ってちょっと村っぽいとこあるから、まだいけんじゃないかなっていう。 すっごいスマートなところだともう無理かもしれない、私たち参入できない。 さいとうこうへいさんっていう人が使い方が合ってるかわからないけど「市民営化」っていう言葉を本で書いていて。 民営化じゃなくて市民営化、地域の活動や自治を地域の人が取り戻していくみたいなことは、これからの大きな宿題なんじゃないかなっていうふうに思って、何でも雇用にすればいいってもんでもないかもしれないけど、雇用されて安定している人たちがいるからボランタリーの社会が生まれるわけで、それはもしかしたら介護の業界とかもそうだと思うんですけど、やっぱり地域の人たちがしっかりと自分たちのところを担うんだみたいなあのそういうまちにしていきたいなって実は思っています。 ありがとうございます。 森田先生 久米さんお願いします。 久米様 いろいろ伺いながら考えましたけれども、1つ印象的だったのは、私たちはグループで結構いろいろ個人個人で持ち寄り企画っていうのがあって、それこそ子どもの権利条約の勉強会というのもずっと去年ぐらいから続けてきたんですね。 そのお母さんが言ってたんですけど、「今までずっともしかしたらそういうことを思ってたかもしれないけど、それを言ったらできると思ってなかった」って、「言える場があったからできた」って言ってくれていて、そもそもその「困ったんだけどどうしよう」って私はそんな困ってなかったんです実は、なんとかなってるかなと思ってたんですけど、うちの子も別に不幸でもなさそうかなと思ってたんですけど、「すっごい困ってるんだけど一緒に考えて」って言ってくれる人がいて初めてもう1回考え直した時に、不幸じゃないかもしれないけどベストというかすごく最善にはなってないなって初めて気づいたんですよね。 だからやっぱりその困ったってことをあちこちで言いまくってもらえたら、誰かがそこに2人ぐらいこうくっついてくればきっと何かが始まるんじゃないかなっていうこと。 それにはやっぱり公的な言いやすい環境、コミュニティプレイワーカーってさっき言ってみたものもそうなんですけど、そういう空気を醸成していくっていうところに関してはやっぱり公的な支援っていうサポートをお願いしたいなと思ってるのと、実はその地域連携っていう言葉は多分ずっと前から政策上は出てきてるんですよね。 だから私たちも地域連携がもっと欲しいんだけどと思っていろんな資料を読み直したらなんだ書いてあるじゃないかって、なんでできてないんだろうって、そのなんでできてないんだろうっていうところをもう1 回考え直していったらいいのかなと思います。 それにはやっぱり小さな小さな対話、意見を言われたら「文句だ」と構えちゃうみたいな、それは市民同士でもそうですし市民と行政っていうことでも保護者と学校ということでも全部そうなんですけれど、小さな小さな対話が生まれるような場が必要だなと。 本当は一番いいのはやっぱり学校の中にそういうインフォーマルなカフェスペースがやっぱり欲しいなっていうのを最後のリクエストで終わります。 森田先生 はい、ありがとうございました。 いかがでしたでしょうか。 もう本当に時間が限られていたので、ギリギリのところで皆さんにお話しいただきました。 今ちゃんとディスカッション終了という表示が出たんですが、ここからまとめに入りたいと思います。 私も山ほど話したいことがあるんですけれど、まずは区長に今6人の方たちが本当に多様なお話を多様な立ち位置からしてくれました。 宝物ですよね。 こんなに世田谷区の子どもの権利の具体化に向けて、自分の体験そして自分の実践、そこの思いの丈を本当に短い時間に凝縮させて語ってくれるってこんな機会って本当にないわけで、本当に宝物だと思います。 それを聞いて、よく言うんですが予算も行政もそして具体的な実践の場を全部抱えている、でも本当はそれを市民が当然ですがカバーするわけなんですが、それでもやっぱり区長の決意ってすごく大きいわけですね。 先ほど私が一番冒頭にお話しさせていただいたように、やっぱり20年間の間に作り上げてきたのは、条例があり、そして行政組織があり、そしてそれを具体化していくための計画があり、それが脈々と展開していく中で今が出来上がってきてる わけですから、やっぱりこの政治的な判断ということはものすごく重要だと思います。 今6人の方のお話を聞かれて、私もそしてせたホッともそして子どもたち若者たちの意見も聞いていただいた上で、5分でお願いをしたいと思っておりますが、よろしくお願いしたいと思います。 保坂区長 ありがとうございました。 皆さんのお話を聞いて、私も松田さんと同じように若い頃、少年時代は14、15ぐらいは大人は基本的に信じないという少年でありまして、自分の力でやれることを少ないんだけれどもあまり大人は当てにしないというようなタイプですごく冷めた少年だったんですが、その後いろんなことをやって全部省略しますが、今世田谷でやっていること、例えばせたホッとがありますよね。 その前にチャイルドラインの話も冒頭しましたけれども、それも含めてやっぱり「イギリスであんなに実現している、何で日本でこんなにいじめの悲劇があるのにできないんだろう」っていうことから、なんとかこの世田谷区から始まったんですね。 チャイルドラインの次にやはり対面で直接問題が起こった学校に行ってっていうことで始まったということがあります。 それから青少年交流センターのお話、木田さんにもしていただきましたけれども、1980年代半ばのドイツにのニュルンベルクという町にコムという演劇博物館があって、若者たちが自由に使っていろんな交流を始めたっていう現場を見に行ったっていうことが原点にあるんですね実は。 っていうものを何とか日本でやりたいというふうに思って、実は私立って言うんですかね自分でやってたんです。 若い人たちが出入りして交流する。 ただそこは規模がそんなに当然一人の力ですからできなくて、こういうものがあったらいいなっていうことをずっと考えていて、区長になって若者支援課っていうのができて、今こうやって青少年交流センターで色々な会話が出会いが生まれていることとても嬉しかったです。 私が区長になるはるか以前から世田谷区には児童館があって、児童館も極めて個性的な児童館、児童館ごとにやってることが違うようなそういう個性があって、キャンプに行ったりあるいはその児童館に泊まりがけで子どもたちとやったりということをその80年代90年代でずっと見てきました。 そういう中から、やっぱり学校が受け止めきれなかった少年少女たちが当時ツッパリだったり暴走族だったりしたんだけれども、そういう子たちが児童館っていう居場所があることで社会に育っていって今良いお父さん、お母さんになってるというような、そういう長いスパンで見るとやっぱり人間形成の中で児童館とか青少年交流センターはとても大事だなというふうに思いました。 多分木田さんの話の中でユースワーカーという言葉がさりげなく出てきたんですが、これがすごくキーになりますねこれからね。 田中さんとブローハンくんのお話の中で社会的養護、18歳以後施設と連絡を取るんだけどそんなに頻繁に連絡するのもちょっと気が引けるという話もあって。 やはり社会に出ていくときに我々はお金とか住まいとか色々支援を考えてやってますけれども、やっぱり一番の支援はいざ困った時にどうしたらいいのかっていうことを気軽に言える場所だろうということで世田谷区では相談機能を、これは森田先生にも加わっていただいて作りましょうということになりました。 そこでも実は必要なのはやはりユスワーカーなんですね。 ユースワーカーって仕事が実は話を聞いて改めて振り返ってみると、現に児童館にも青少年交流センターにもいろんなところに相談所にもいるんです現に。 ただそこが横につながって同じ若者の成長を様々な角度で支援する、専門職同士でつながってるかっていうと、まだちょっとそこまではいっていないので、世田谷区若者支援、子ども子育て支援をしている人たちって多分1000人近くいて、区の職員とか松田さんのような人たちも含めて1000人超えてるかな、そこに保育士さんとか学校の先生とか入れるとゆうに1万人以上のすごい集団になるわけですね。 その中で常に考え方もいろいろ子ども観も違うんだけど、子どもの権利ということについて保育園では森田先生に言っていただいたようにちゃんとそのガイドラインを作って「子どもの目から見てこの返し方はどうなのか」というふうにチェックするような文化は根付いていって私立保育園にも広がっていってるんですけれども、ちょっと贅沢な悩みなんですが世田谷区の子ども子育て支援、若者支援はありすぎてよく見えないという。 枝分かれしちゃったんですね。 例えば引きこもりの子たちのその伴走型支援もやってますし、発達障害で悩んでる若者たちが社会に出ていくサポートもやってます。 いろんな要素で実は相互乗り入れでやってはいるんですが、全体像っていうのはこんなにあるんだってことがわかれば。 当の若者たち自身も多分「世田谷区なんて何もしてくれてないよ」と、「俺たちには関心いないんだろう」っていうふうに思ってる方多いんですよ。 「区なんて関係ない」って思ってるんですが、実はいろいろやってるってことをどうやって見せていったらいいのかなっていうことも思いました。 そういう意味では一昨年児童相談所ができたのがまあ一つの大きな大団円で、これですべての子ども子育てに関わるあらゆることが区でできるようになりました。 そんな中で今日の6人の話を聞いて、じゃあこれからどういう風な骨格を組み立てるのかっていうのに、子ども若者がしっかり意見を出して一緒に汗をかいて組み立てるという姿になるといいなと思いました。 森田先生 ありがとうございました。 本当に今区長が言われたんですが、自分の人生、「ここで生きていていい」というのはどの子にもなければいけない。 どういう場で育っているどの年代の子にも、「自分がここでいていいんだ」っていうことを実感できるような居場所を作っていく。 これは私はすごく重要な概念だと思ってるんですね。 子どもの権利条約っていうのを私は一般原則として今日4つお示ししましたが、「生きていていい」ということがどの子にも伝わってほしいと思ってるんですよね。 「あなたはかけがえのない命」「もうあなたが生きているだけでいいんだ」、生きているだけでいいっていうことをどうやったら伝えられるか。私たちは日々葛藤しながら模索しているわけですね。 どんなにいい施策であっても伝わらなかったらどうしようもないし、その人に届かなかったらどうしようもないわけです。 そういう意味で私たちは若者たちにも力を借りたり子ども自身の力も借りたり親たちの力も借りたりしながらその情報をきちんと伝える方法を模索していくわけですね。 そしてそれを本当にその人にとって一番いい方法に作り変えていく。 その時にどうも私たちは大人の良かれという価値観の中でやってしまった。 これが今までの子どもの権利がなかなか浸透していない社会で行われた取り組みだとすれば、この世田谷の中で今私たちがやらなきゃいけないのは、子ども自身が価値があると思う、そういった取り組みにどう作り変えることができるかだと私は思っているわけです。 今から30年前になるんですが、東京のあるまちでですね、夏休みの子どもたちの仕事を作り出したい、その時代の子どもたちは実は結構いろんな事業が有料化してきてもういろんな事業が使えなくなってたんですよね。 「だったら新しい価値観で子どもたちに仕事をください」と言って、夏の暑い時期の犬のお散歩っていうのを作ったんですよね。 結構流行ったんですよ。 その代わりプールに無料で入れるようなポイントをもらうんですよね。 これ考え方次第ですよね。 子どもだからできることってあるんで、大人が有料にするんだったら子どもはそれを無料で使い回せるぐらいの工夫をする、こういった子どもの権利の価値というものをもっと力強く世田谷の中に作り出したいなーっていうことを私自身は思っていて、実はさっきブローハン君に「もっと仕事くださいって言いなさい」って私言ったんですよね。 田中さんとこの間児童養護の出身の若者たちが月に1回集まっているところに行って、そしてその時にもそういう話が出たんですよ。 自分たちがやってる仕事の中で、例えば庭仕事だとかあるいはリフォームの仕事なんかやってるって、「そんなのいくらだって世田谷区内にあるでしょう」って言ったんですよ。 でもそれを具体化するにはやっぱりもう少し大人たちの協力だとか高齢者の協力だとか、さっき山田さんと木田さんも言ってましたよね。 いろんな世代がそうやって協力できるところに世田谷区の面白さがある。 おそらくこれからの世田谷区の中で非常に重要なのは私みたいなおばあちゃんやおじいちゃんやあるいはおばさんおじさんたち、そういった人たちを使い回せるぐらいの若者たちになってほしいし、そういうことが具体的に展開できるような場をもっと私たちは作り出していかないといけないんだろうなっていうことを思いました。 先ほど1万人も仕事をしているってお話でしたけど、その1万人の中の例えば半分とは言いませんが少なくとも3分の1でも若者たちにプラスアルファで仕事が行くような社会ができれば、もっと豊かでもっと楽しい世田谷区の子どもの権利の具体化ができるかなというふうに思いました。 今日は本当に皆さんのお力を借りて子どもの権利の視点ってこんなことが展開できるしこんなに豊かなまちができるということの希望をもらったような気がいたしました。 本当に長い期間をかけてここまでやっとたどり着いたんですが、ここからまた新しいスタートということになります。 私たちの次にこんな若い青年たちが育ってくれているということに期待を込めて、そして私たち大人たちがこれからやらなければいけない役割というのをお互いに共感しながら、子どもたち、若者たちの声を聞き続けて、新しい価値の創造ということを世田谷区の中で具体化していきたいと思っております。 今日は本当に長時間ですがこの会にご参加くださいましてありがとうございました。 実は録画されたものが公開されていくようです。 どうぞ皆さん多くの方たちに見ていただいて、この動きが世田谷区全体のものになっていくようにご協力いただきたいと思います。 今日はまずはお礼とそして最後にですが、この6人のシンポジストとそして区長のこれからの活躍に心から期待して、拍手で終えたいと思います。 ありがとうございました。 嶋津課長 たくさんの貴重なお話、誠にありがとうございました。 それでは壇上のパネリストの皆様にもう一度本日最後の大きな拍手をお願いいたします。 それではパネリストの皆様はこちらで退場になります。 これを持ちまして、子ども条例と子どもの権利に関するシンポジウムは終了させていただきます。 本日はありがとうございました。