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「せたがやの教育」103号(8面)

更新日:平成30年7月14日

ページ番号:0161010

インタビュー教えて! せたがやの星 【第9回】照明デザイナー 戸恒 浩人さん

 世田谷区三宿小学校出身で現在、照明デザイナーとして活躍されている戸恒浩人さんにご自身の子どものころのエピソードや照明デザイナーの仕事についてインタビュー。戸恒さんが照明デザインを手がけた東京スカイツリーの周辺で、現在のご活躍に至るまでさまざまなお話を伺いました。※このページでは、広報紙に掲載できなかった部分も含め、インタビュー全文を掲載しています。

戸恒 浩人 さん

  照明デザイナー/照明コンサルタント/一級建築士 有限会社シリウスライティングオフィス 代表取締役

1975年生まれ。区立三宿小学校出身。東京大学工学部建築学科卒業後、照明デザイナーの道に進む。建築・環境照明そして都市計画に至る豊富な経験を生かし、若手照明デザイナーの1人として活躍の場を広げている。2005年、シリウスライティングオフィス設立。2007年、照明学会照明デザイン賞受賞、32歳の若さで東京スカイツリーのライティングコンサルタントに抜擢される。ほかにもヒルトン東京ベイ、日本経済新聞社東京本社ビル、銀座プレイスなど国内外のホテルやオフィスビル、商業施設の照明を手がける。 

チャンスはいつ来るか分からない いきなり振られても打ち返せるように、日々準備しておく

 自分が興味を抱いたことについては自然と知識が身についたり、それをきっかけに物事の仕組みを覚える

 

―ご自身を振り返ってどんな性格のお子さんでしたか。

元々世田谷で育ち、2歳から小学校5年生まで昭和女子大のとなりの公務員宿舎に住んでいました。他の子どもたちと毎日遊んで過ごしていたのですが、比較的知的好奇心も強かったので、なんだろうと思ったら自分で調べることも好きなこどもでしたね。当時、なにかに興味を持つと父がそれにまつわる「学研のひみつシリーズ」の本を買ってきてくれて、例えば、星にすごく興味があった時期には「星と星座のひみつ」を買ってもらいました。全部で70巻ぐらいあって、すべてを読み切るのは大変でしたが、それよりもコンプリートしたいという気持ちの方が強かったです。読むと一通り世の中のことを網羅できる構成になっているので、最初は好きなテーマから読んでいました。

 

―子供の頃好きだったことにまつわるエピソードや印象に残っていることがあったら教えてください。

当時あった世田谷の昔ながらの専門業者、例えばうちの近くにあったはりがね工場では、毎日フェンスに何十メートルもある棒状のはりがねが段違いにはみだして並べられていました。それをずっと見ていたり、材木屋さんでいろいろな形の材木が積まれているのを一日中見ていたりしました。昔からそういった、ものをつくっている人を見ているのが好きでした。ほかにも床屋に行ったときに、どうしてこの人はこんなきれいに髪を切れるのだろうと、切っているところをじっと見ていたり、星に関しても、夜、日が暮れて団地の真ん中の芝生に寝転がりながら、ぼーっと上を見ていたりしていました。

それから、団地にびわの木があって、シーズンになると大きいびわが生るのですが、みんなで10メートルくらいの高さの木に登ったりしていました。

―今の世田谷からは想像できないですね。

今の世田谷というと全部新しい都心部ですけど、当時はそういう自然や古いものがいっぱい残っていましたね。

 

―子どもの頃には、いろいろなものに興味をもたれていたということですが、ものづくりには元から興味をもたれていたのでしょうか。

父が公務員で、いつも朝早く出て寝る頃まで帰ってこなかったので、会うのは土日でした。公務員という仕事は、子どもからすると何をする仕事なのか分かりにくかったこともあり、その反動なのか、ものができていく過程を見ることが結果が分かりやすいので好きでした。そういったことは今につながっていると思います。

―三宿小学校に通っていたときの思い出はありますか。

運動会です。当時は子どもが多くて、運動会にものすごい人数が集まっていました。自分はなかなか選手には選ばれなかったのでもっぱら応援する方だったのですが、すごく盛り上がっていて、今でも大きな大会だったなと記憶に残っています。あと三宿小はヒマラヤ杉があって校歌にも入っていたりして有名ですよね。

 

―得意な教科・行事など、好きだったことについて教えてください。

当時、父や祖父母が相撲好きだった関係で、うちに毎月届く相撲の本・マガジンを見ていました。子どものときは覚えるのが大好きだし、見ているうちに当時の力士の名前や部屋、出身地と成績を全部覚えていました。それが、地理を覚えるのにつながっていて、例えば〇〇県△△町ってどこだろうと思ったら自分で調べたりしていました。

それが役立ったのが、高校生クイズに出場した時に、何万人といる東京予選の第一問で「横綱の千代の富士は日本全国の全力士、47都道府県全部の出身の力士から白星をあげているか」という問題が出た際、4つ倒していない県があったのを全部当てることができました。当時は、伸びゆく記憶力をそういったことに使っていました。

 

―もともと「照明」という分野ではなく幅広く興味をもたれていたのですね。

どのような分野にも独自の世界があると思いますが、その世界を分析したがる子どもで、色々と好きなことから掘り下げていました。

世田谷にいた頃は、学校の勉強をしていた記憶はあまりありません。宿題はやっていましたが、基本的にやらされる状況というのは嫌いな子どもでした。

―面白いと思った分野を追求するところから、最終的にはいろいろな知識に繋がったのですね。

そうですね。与えられたものをやっていくタイプというよりは、小さいことから本当に興味をもったことを黙々とやっていました。ベルギーに行っている時は日本人学校に通っていたのですが、1クラス15人程の少人数だったこともあり、ほのぼのときれいなヨーロッパの街並みの中でのんびり過ごしていて、本格的に勉強し始めたのは日本に帰国した後、高校生の頃からでした。

好奇心が強い方だったので、自分で集めた情報に勉強して学んだことを肉づけする感覚で身につけていきました。

 

―ベルギーに行かれていた時(小学校5年生から中学2年生)に興味を持ったことはありましたか。

レゴブロックです。ベルギーって、レゴ発祥の地のデンマークが近いんですよ。毎週末つくって、壊して遊んでいました。あの頃から街に興味が出てきたのかなと思います。

すべての物事について詳しくなることは難しいと思いますが、一方で、自分が興味を抱いたことについては自然と色んな知識が身についたり、それをきっかけに色んな物事の仕組みが覚えられたりするから面白いですよね。

 

―世田谷区の教育委員会では、ドローンを飛ばしたり、プログラミングを体験したりといった子どもたちがさまざまな分野と触れ合える「新・才能の芽を育てる体験学習」を行っています。

すごくいい取組みだと思います。子ども自身、自分が本当に何に興味があるかいろいろやっていく中で見つかるのではないでしょうか。

当時ファミコンが席巻している時代でしたが、中学生ぐらいのころからプログラムをするという遊びが流行っていました。まだ今ほど高度ではなかったのですが、できる人は簡単なプログラムで市販ソフトに近いものがつくれていました。自分は遊ぶよりつくる方が面白かったので、自分でプログラムをつくってみて、右押ししたら右に動くだとか上押ししたら上に行くとか試すなかで理屈や仕組みを知りました。

自分でロールプレイングゲームをつくってみて、例えば敵が出てきたら戦うというのを最初に組んでやると、敵が出てきた瞬間に倒されてゲームオーバーになってしまうんです。要するに作成したプログラムのスピードだとすべての戦闘が一瞬で終わってしまうわけです。人間が楽しいと思うには、間をいれなきゃいけない。パソコン上の待機時間という間をいれることによって、リズムが良くなることがあるんです。自分でものづくりを追体験すると、世の中に出ているものはこういうところが丁寧に調整されているのだなと勉強になりました。大抵つくりかけになって完成しないんですけど、興味もってみたらつくっていく。そうするとものづくりのヒントが徐々にわかってくるんです。

 

―以前、スカイツリーの上部の光のタイミングが1秒に1回だと速いので、心地よい回転速度にしているというのを聞いたことがあります。

そうですね。パソコンのプログラムは、数字の設定次第で操作する側の快適感は変わるので、そういうところは似ています。光も動けばいいというものではなくて、速すぎたらうるさいし、ゆっくりすぎたらまどろっこしいしということを、詰めていかないとうまくいかないことがあるんですよね。ゲームのプログラミング経験が、今の仕事につながるなんて思ってもみませんでした。

 

―今後につながるか、追及していくかは別として、ある程度興味をもって調べていくことが大事なんですね。

そうですね。今でも仕事でこれはプログラムを書いた方が早いのではないかと思ったら、最新のプログラム言語を調べて一日あればある程度書いちゃうし、考えてみれば昔からやっていることと大して変わらないんです。いろいろと「やればできる」という経験をしているので、障壁を感じずにチャレンジできます。いきなり100メートルを10秒で走れというのは無理ですけど、そうではないので(笑)。

―やればできるという経験は大事ですよね。

何かできるようになるためには、何かを掘り下げていく経験が必要なのだ、ということを知っておくといいと思います。大体のものはやればそれなりにできるようになる。1番になるためには、その中ですごく努力しないといけないですけど、できるようになるには努力するのが1番ですね。

 

―照明デザインにはいつごろから興味を持つようになりましたか。

大学の建築学科に進んで建築を勉強していく過程で、最初はインテリアに興味を持っていたのですが、インテリアには建築というよりもどちらかというとファッションに近いところがあるなと感じ始めたんです。時代ごとに最先端の流行りを追うのも面白そうですが、それよりももっと普遍的に、人々の社会や生活に関わり続けたいと思っていた時、照明デザインに出会いました。大学に通いながらアルバイトとして照明デザイン事務所に入ってしばらくやっていくうちに、自分はこの仕事にかけてみたいなと思うようになったんです。

 

―小さい頃の夢は、成長の過程の中で楽しいことを見つけたり、他の選択肢が出てきたりすることで変わってしまう人も多いと思いますが、照明デザイナーになられてから、他の仕事をしたいと思ったことがありますか。

ないんですよ。この仕事をやるかやらないかを慎重に考えはしましたけど。今まで自分が興味をもっていろいろとやってきましたけれど、結局自分にどこが一番できるかなんて正直なところ分からないですよね。今まで職業として何になりたいということは、一度も思ったことはなかったのですが、仕事をやらなきゃいけないとなったときに何かに浮気している暇はないとは思っていました。何か一つ決めてやりこまないと、そこで1番上に立てないというのは感じていたので、決めたら脇目を振らずにやろうと思っていました。脇目を振ったらもう一度ゼロからスタートだし、そこでもまた同じ壁にぶつかるだけなので、やり抜こうという覚悟を決めたんです。停滞期というか、伸び悩むときは今でもあるのですが、続けているといろいろな出会いやチャンスがあり、経験値や成功体験が増えていくことでその仕事が見えてくるし、いい仕事が来て、いい人と出会えて、それによりまた学べることも多かったりといういい循環になるんです。僕自身は、1つのことをやり続けたから今があると思っています。伸び悩んだからといって違う仕事に変えてしまうと、いつまでも最初からを繰り返してしまいそうなイメージがあるんですよね。

 

―いい瞬間が途切れてしまうということですか?

そうですね。自分が何に向いているかは結局分からないもので、自分に一番合った仕事というものが実際はあるとしても、ほとんどの人がそれを知らないままなのだと思います。小さいころからプロ野球選手になりたいといってイチロー選手みたいになれる人は稀で、ほとんどの人は分からないまま大きくなって、でも自分が入った業界でそれなりにステータスをもってやろうと思ったらどこかで決断してやりきらないといけないんじゃないかなと。今の若い社会人ってよく言われていると思いますが、転職とかアルバイト感覚で簡単にするじゃないですか。同じ業種内で転職をして自分を高めていく人はいいんですけど、ちょっと自分の力が発揮できないと感じてすぐ辞められる方を見ていると、最初から自分の得意なことはそんな簡単に見つからないのにリセットする時間が勿体ないと思います。続ける中で得意になることがたくさんあると思うんです。せっかく身についてきたのに、もっと上がいるのを知っただけで諦めますとなると、子どもの遊びだったらいいのですがそれなりの大人がするには軽率ではないでしょうか。

 

―もともとの天職というより、ある職を突き詰めることにより天職になるというイメージでしょうか。

いわゆる成功者に会う機会が増えてきていますけど、聞いていると皆さん肝が座っています。これで失敗したらしょうがないと思ってやっているからこそ走れるし、ほかの道もあるじゃないかなんて思いながらやっていたら全速力で走れないです。走って前のめりで転んで死んだらそれでいいみたいな人が多いですよね。信じて走り切ってみるまで分からないですよ、正解は。

 

―その信じて走れる何かを見つけられることが重要なことなのかもしれませんね。

子どもの時ほどたくさんいろいろなことを経験してみた方がいいと思います。自分もその中で自分に向いていなかったこともありましたし、これは好きだっていうこともありました。やっていてストレスを感じずに楽しいとか、よく褒められるとか何でもいいと思いますが、これならできるっていうのを経験しておくことが大事なんだと思います。それが仕事になればもちろんいいと思いますけど、大人になって色々探して仕事を選ばなければいけないときに、自分はこれならいけそうかなっていう経験から来る嗅覚を働かせることもあると思います。大人になってからは時間も限られますし悩まないで進める方がいいと思いますね。

 

―今お話しされた中に子どもたちに伝えられるメッセージが詰まっていると感じます。

最近とにかく夢を持つことが大切といった話を見聞きしたのですがこれは少し違うなと感じています。何になりたいかという問いかけ自体はいいと思いますが、分からない中で無理に夢を決めさせるのではなく、自分が何をやって何が得意で、何ならみんなよりちょっといけるかもっていうのをたくさん経験させる方が大事だと思います。逆にそういった経験が少ないと、大きくなってから自分を見失ってしまうことに繋がると思います。

 

―照明デザイナーとはどのような仕事でしょうか。

照明デザイナーは、実はまだ日本では確立されて間もない新しい職業なんです。人間の生活の中で、太陽以外の光るものというと基本的には人工の照明器具なのですが、この照明器具は皆さんが行くショッピングモールやイベントのライトアップ等で使われています。そうした照明を、単に機能面だけを考えるのではなく、美的な部分も含めて提案していくのが照明デザイナーの仕事です。

僕はいつもものをつくるのが好きだったとはいえ、結局光という形のないもので空間をつくっているんですよね。ただ形のあるものだったら自分よりもっとできる人はたくさんいたでしょうけど、形のないものに取り組んでいるからこそ、みんなどうしてるか分からない中で勝負できたのは差別化できてよかったかなと思いますね。

 

―今のご活躍に至るまでに、転機となる出来事はありましたか。

東京スカイツリーの仕事させていただいたのはとても大きな転機でした。もうこういうチャンスはないだろうからと、当時感じていた、こんなものがあったらいいな、こういうチャンスがあったらやりたいなと自分の中に日々湧き上がっていたアイディアを思い切り提案出来たんです。あとで言われたのは、まさかと思う案だったと。 戸恒さんの(デザイン)だけは横からパンチが飛んできたみたいだったと、そう言っていただけて。チャンスはいつ来るか分からない。だからこそ、いきなり振られてもいつでも打ち返せるよう常にデザインやアイディアにつながりそうなものへのアンテナを張っておくことがとても大事なんです。

 

―スカイツリーの「粋」と「雅」2パターンのライティングはすごく斬新で他の方には思いつかなかったものだと思います。そういった固定概念を覆す発想というのはすごく斬新だと思いまして、大部分を幼少期の考え方やいろいろな経験に基づいているのかなと思ったんですけれども。

最初は1つかっこいいものをつくろうと思っていたんですけど、どうしても最終的に「粋」と「雅」となった2つの案が合体できなくて。どっちもいいなと思ってずっと悩んでいて、もう決めないと間に合わないぞというギリギリのときでしたね。シャワー浴びていて何でどちらか1つにする必要があるんだろうと思えた瞬間に、2つで1つの方が、逆にお互いの良さを引き出して、建物をきれいにみせるという点や色合いも2つあった方が印象も強くできるのではないかと思いつきました。そして、どのように交互に見せようかどうするか迷っていたところ、偶然会社の近くのお弁当屋さんで日替わり弁当が売っているのを見て、「日替わり」って世の中の人に浸透している考え方だから「日替わり」が分かりやすいか、そうするといろいろな事が全部紐づいて覚えてもらいやすいなと思いました。僕は今でもそうなのですが、最初はすごくたくさんの要素から分析してあれもこれも盛り込んで考えるのですが、最後はできる限りシンプルにしていくんです。できるだけ簡単に、やさしい言葉でみんなが共感できてみんなが知っている感覚に落とし込んでいく。これは技術的な話ですけど、そうやって考えられたものは、人が覚えやすいし伝わりやすいし何を言いたいのか分かりやすくなるのです。

 

―挫折したという経験があればお聞かせください。

挫折を挫折と思っていないのかもしれないです。もちろんうまくいかないことはいっぱいあります。ただ、それを自分に原因があると考えるんです。自分が悪いからうまくいかないと思うと挫折じゃない。自分が準備を怠っていただとか、自分のやり方がまずかったと思うだけで挫折感を味わっていないんです。

 

―うまくいかないときは原因や解決方法をすぐに見つけて改善していくようにしているんでしょうか。

すぐに見つからないことがほとんどです。特に今、組織で仕事をしていると難しい部分はありますね。一人でやっている時は気楽です。自分でデザインも現場対応もして、すべてのことを自分でコントロールしていくので。それを会社では後輩にもある程度任せながらやらざるを得ないですし、そうすると自分の目の届かないところがたくさん出てきます。ただ、それはもう信用するしかない。後輩がミスをした時は同時に自分の責任でもあるので、現場行った時に「こんなところにこんな照明付けてしまいすみません。」とお客さまに謝るしかないのですが、その結果はお客さまに対して絶対に良くないですよね。なので、チームに高い意識を浸透させて、やってはいけないミスをやらないように組織として取り組むことを、難しさを感じながら実践しています。

 

―こどもたちが環境教育を意識するきっかけのようなものはありますか。

地球の上に生きている以上、地球のことを知るということはすごく大事だと思います。だけれども、エネルギーを使わなければなんでもいいのかという簡単な話ではなくて、どうやったら自分たちが生かしてもらっている地球が健康で、人間とそのほかの生き物が共存して大地に住めるのか、健康でいられるかという視点が大切ですよね。例えばエアコンやめればという話ですが、我々も快適に暮らしたいですしね。僕らみたいに電気を使う仕事は、エネルギー消費量という数字だけ追いかけてしまうと照明を使わなければいいのではないかという話になってしまうんです。ただ、それでは真っ暗になってしまいますし、心も寂しいじゃないですか。

東日本大震災の時にときに都内は計画停電でかなり真っ暗になりました。そのときに初めて僕らが公共の建物や幹線駅から誰も歩いてない通路が、何でいままで煌々と照明がついていたのだろうと気付かされたわけです。

それまでは、暗い道は怖いからとにかく明るく照らそうとか、目的を果たすために効率のいい器具を使うことが省エネだと思われて明るさそのものを下げなかったんですね。僕らはデザイナーとしてまずこんなに光量使わずに、必要に応じて正しく照明を使うことの方がよほど省エネになるのではないかと以前から言っていました。

東日本大震災で強制的に暗くなって、同時にすごく街がきれいに見えて、コンビニですら神々しくかっこよくみえる暗さの中に、ちょっと灯りが点いているという状況を結果的にみんなが経験しました。

その後、間引き点灯でもちょうどいいね、という感覚をみんなが持てるようになって、だいぶ公共施設が変わりました。少ない光量でも不安に思わず、逆に歩いていて心地よい照明や、例えば改札周りなど機能のある所は明るい必要がありますけど、明るいところと暗いところをうまくつくって調和のとれたデザインにしていきましょうという流れがようやくできました。環境問題もそれに近いものだと思っていて、何でも1個の比重にかけるのではなくてバランスを大切にしたい。地球のためとあと我々の生活を向上させる目的ですよね。寂しい気持ちや嫌な思いを自分たちがしながらやっている環境対策は、視点が片方抜けている気がしていて、それをいかに快適に目的を果たすかというところも考えてほしいと思います。ゼロか100かという議論ではないと思うんですよね。

 

―最後に子どもたちへのメッセージをお願いします。

自分の身の周りのことや、周りでみんなが何をやっているのか、どんなことでもいいので、興味を持って色々調べてみてほしいです。自分で調べると、世の中のことや、自分たちが生きている社会というものが何かが、少しずつ分かってくると思います。そうやって続けていくうちにいろんな角度から社会を見られるようになってきて、じゃあ自分はこの社会のどこで、何をして生きていきたいんだろうということを探してみたくなると思います。知らないこと、分からないことが多い今の時期にこそ、貪欲にいっぱいいろいろな事をやってみて、結果あんまり興味が続かなかったなということがあってもいいと思います。続かなかったことも含めて、いっぱい経験してみてほしい。自分が興味を持ったことも、それ以外のことも、この世界にはいろいろなものがあふれていて、それが誰かにとっては人生を掛けたいくらいに大好きなことだったり、将来の仕事につながるようなきっかけになったりするかもしれないということを、ぜひ憶えていてほしいですね。

 

 

―ありがとうございました。

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