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平成29年11月の「区長の談話室」(ゲスト:鈴木忠義氏、大村智氏、松任谷由実氏)

更新日:平成29年12月11日

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平成29年11月の「区長の談話室」

11月5日・12日放送 区長の談話室 「世田谷の未来を語る!」

(補足)12日は5日の再放送です。

 今回の放送では、今年名誉区民となられた鈴木忠義(すずきただよし)氏(東京工業大学名誉教授)、松任谷由実(まつとうやゆみ)氏(シンガー・ソングライター)のインタビューと、大村智(おおむらさとし)氏(北里大学特別栄誉教授、2015年ノーベル生理学・医学賞受賞者)のメッセージをご紹介するとともに、今後の世田谷区への思いなどについてお話を進めていきます。

※このページの下部「添付ファイルのダウンロード」から対談の模様を音声でお聴き頂けます。

(容量が大きいため、再生に時間がかかる場合があります。)

   はじめに

  • (パーソナリティ)区長の談話室、今日は「世田谷の未来を語る!」と題してお送りしていきたいと思います。去る10月8日、日曜日に行われました「世田谷区制85周年記念式典」で名誉区民になって頂きました3名の皆様の声をご紹介しながら、区長と一緒に番組を進めていきたいと思います。区長、そもそも名誉区民というものを説明して頂いてもいいですか。
  • (区長)はい。世田谷区にお住まいで地域や世田谷区にご貢献があり、また広く尊敬を集められていて、名誉区民として区民が誇りに思う、そういう方を選ばせて頂いています。これまで、今年は3人の名誉区民がいらっしゃいました。日野原重明さん、武田治恵さん、そして仲代達矢さんなのですが、実は日野原重明さんは7月に105歳で、8月に武田治恵さんが101歳で残念ながら逝去されてしまいました。仲代達矢さんが一人残ってくれていたのですけれども、区制85周年で、新たに3人の名誉区民ということで、ノーベル賞の大村智さん、川場村で貢献があった鈴木忠義さん、そして音楽で誰もが知っているユーミン、松任谷由実さんに新たになって頂きました。
  • (パーソナリティ)はい。この3人のプロフィールを簡単にご紹介して頂けますか。
  • (区長)大村智さんは本当にもう有名なのですが、北里大学の特別栄誉教授でいらっしゃいまして、特に微生物の研究、ここにものすごく丹念な努力を重ねられて、素晴らしい薬を発見されました。数多くの人を失明から救っていらっしゃって、世界的な貢献があったということで、平成27年のノーベル生理学・医学賞を受賞されています。また、世田谷区からも区民栄誉章をお送りしています。鈴木忠義さんは、東京工業大学の名誉教授でいらっしゃって、群馬県の川場村は世田谷区と非常に親しい関係を築いているのですが、川場村と世田谷区の区民健康村づくりのプロジェクトのグランドデザインをして頂いた方です。また、今、田園プラザかわばが人気ですけれども、ランドスケープの専門家として、本当にゆっくり過ごせる、そして都市と地方の交流ということで、株式会社世田谷川場ふるさと公社代表取締役社長としてご活躍を頂き、やはり区民栄誉章を差し上げています。松任谷由実さんは、もう誰もが知っているユーミンこと松任谷由実さんですが、ご自身が歌を作り詩をつけて歌われるだけではなくて、他のアーティストにも楽曲の提供をしている事でも有名です。平成25年には紫綬褒章を受けられています。
  • (パーソナリティ)はい、この3人の方に世田谷の名誉区民になって頂いたということなのですが、では始めに鈴木忠義さんから、10月8日の記念式典でお話をお伺いしてきましたので、まずはそちらをお聴きください。

 鈴木忠義氏のインタビューとその感想

インタビュー内容
  • (パーソナリティ)世田谷区にお住まいになっていて、世田谷区の住み心地というのはいかがでしょうか?
  • (鈴木氏)私は東京の下町の墨田区出身なのですけれども、ずっとそこで。屋根より高いみどりはなかったんですよ、町工場の真ん中ですからね。こういうところに住みたいなという、そういう憧れを持っていましたね。
  • (パーソナリティ)実際に住んでみていかがですか。世田谷区の印象はいかがでしょうか。
  • (鈴木氏)良かったです。良かったですね。
  • (パーソナリティ)鈴木先生は、世田谷区民健康村づくりということで昭和54年に先生が提言されて始まったとお聞きしたのですけれども、その当時どういう思いで提言をされたんでしょうか。
  • (鈴木氏)世田谷区の仕事上、都市計画審議会に関係していたのですけれども、その時に、前々区長さんと非常に親交があって、「世田谷は完全に都市化されてしまってね。けれども比較的みどりも多いので、そういうところを頑張りましょう。」というような話をして、それから、世田谷区の外に、交通も便利になったから、みどりの中に子どもを放つというか。
  • (パーソナリティ)そうやって本格的に検討を行って、始められたということだと思うのですけれども、そのときに一番、気を配られたことというのはどのようなことでしょうか。
  • (鈴木氏)教育委員会の方から「8時に学校集合、8時半に出発、11時に現地に到着、それで昼飯から現地で支給してください。」と言われ、そうするとバスの行動半径は決まってしまうじゃないですか。150km以内で場所を選定しなくてはだめだと。それで観光化されていなくて、自然が豊富で、変化のあるところという観点が浮かび上がってきた訳ですね。
  • (パーソナリティ)それで川場村という。
  • (鈴木氏)そうそう。子どもたちが帰りのバスに乗る時に「どうだった、世田谷のあの健康村は。」と聞いたら、「おじさん、また来たいよ。」と言うのを聞いて安心しましたよ。
  • (パーソナリティ)健康村の施設がオープンしたのが昭和61年でしたよね。
  • (鈴木氏)そうです。30年以上も前ですよ、今からね。
  • (パーソナリティ)今や世田谷区民健康村は、全国でも稀な都市と農山村の交流の成功事例と言われている訳なのですけれども、今振り返ってみて、これまでの歩みについてはどう思われますか。
  • (鈴木氏)地元も非常に健康村の趣旨をよく理解して頂いて、変な観光施設なんかを呼び込まないでくれて、非常に田園風景そのものということが、僕は地元に対して非常に感謝しておりますね。単に箱物だけを造って保養所をやっているところが沢山あるわけです。そうではなくて、随分と行政指導も世田谷とやって、ソフト面でその後も交流事業をやって、そういうことで長続きしていると。ですから他所の市町村も色々聞きに来るのです。それで後でやはり、とてもそれだけの真似はできないと。自分たちの地元の意識と相手の意識と、それから学校の支持ですね。単なる林間学校を造ったのではなくて、後のソフトまでこうやっていると。その時に苦労したのが世田谷区だったと思います。というのは、区民の保養所と学校施設とを重ねた訳じゃないですか。学校が月、火、水、木、金曜日まで使って、金曜日の晩と土曜日と日曜日を区民が使う、ですから初年度から黒字ですよ。
  • (パーソナリティ)そのあたりが成功したポイントということになる訳ですね。
  • (鈴木氏)大変良かったなと思っていますし、その為には、受け入れ側の意識と、区の意識と、それから区の中での教育行政と企画行政とのやりとりとか、そういうことが一番苦労だったと思います。
  • (パーソナリティ)鈴木先生がいらっしゃったからこそ今の成功があると思うのですが。最後になりますが、将来世田谷区がどのような街になって欲しいとお考えですか?
  • (鈴木氏)やはり、自然・歴史・文化というでしょ。その文化というのは、結局生き様なのですよ。そういう様なものが、非常に充実してきている。単なる田舎じゃない、変な文明に毒されていない。それから、区民がやはり、「世田谷区民です。」という誇りを持っていられるということだね。
  • (パーソナリティ)そういう区になって欲しいと。
  • (鈴木氏)そうそう。その一つが、自画自賛になるけれども、シンボルみたいな存在が健康村ですよ。
  • (パーソナリティ)鈴木先生、お忙しいところありがとうございました。
インタビューを聴いて
  • (パーソナリティ)鈴木忠義さんのインタビューをお聴き頂きました。区長、いかがでしたか。
  • (区長)鈴木先生とは、まだふるさと公社の社長をやっていらっしゃった頃、今は90歳を超えていらっしゃいますけど、まだ80代の頃、一緒に川場でお風呂に入って、そこで延々と区民健康村について、「こんなふうにビジョンを描いたんだよ。」という話をしてくれました。やはり時代に先んじていらっしゃいましたよね。田園プラザも、6、7ヘクタールと広い敷地で、池があり田園があり子どもの遊び場があり、一つではなくて幾つかの複合施設があって、一家で来て1時間で帰るのではなくて、3時間、4時間、もうこんな時間になっちゃったという位に滞在できる場として最初から計画していたのですね。それが年間180万人を集める道の駅ナンバーワンになっていく、そのあたりは本当に優れた識見と、また実行力のある先生ですね。
  • (パーソナリティ)それでは続きましてお二人目です。大村智さんは10月8日の記念式典の際にビデオメッセージをお寄せ頂きました。ここで私が代わりにそのメッセージを読ませて頂きたいと思います。

大村智氏のメッセージとその感想

メッセージ内容

私は、1965年に社団法人北里研究所に就職が決まった折に、家内を伴って上京し、まずは世田谷区瀬田二丁目に住みました。それから五丁目に移りまして、その後、岡本三丁目に居を構えております。このように半世紀余りにわたり、世田谷区にはお世話になって参りました。私は、この間、北里研究所に勤めておりましたけれども、世田谷区には、緑地や公園が随所にあり、研究や仕事に疲れたときには癒すことができ、また知識を深めようと美術館や文学館を訪ねることができるという素晴らしい生活環境があると思います。それから、世田谷区内には、由緒ある社寺仏閣がありまして、豊かな敬神崇祖の風習の中で生活ができたことは大変幸せなことであったと思います。最後に世田谷区が益々住みよい街となりますよう、お祈りいたしまして御礼の挨拶に代えさせていただきます。

メッセージを聴いて
  • (パーソナリティ)というメッセージの内容でした。
  • (区長)はい。大村智さんは世田谷区の在住が長いのですね。現在は岡本にお住まいですけれども、世界中の多くの人の命を救った最初の発見、静岡のゴルフ場だったと思いますが、これを見つけた時には瀬田にいらっしゃった時だというふうにお話されていました。世田谷をベースにずっと、ノーベル賞受賞も含めた沢山の活動、美術にも造詣が深くて文化を愛する、しかもすごく大変だと思うのですが、地道な積み上げでついに成果を出すと、素晴らしい方だなというふうに思います。大村先生にじっくりお話を伺ってみたいと思う人が多いと思います。来年1月7日、新しい年になりますが、世田谷区の「新年のつどい」で、世田谷区民会館でお話頂けるということで、応募方法についてはこれから区のおしらせなどを見て頂きたいと思います。
  • (パーソナリティ)それでは続いて、この後は松任谷由実さんのお話をご紹介していきたいと思います。

~音楽~

  • (パーソナリティ)今日は「世田谷の未来を語る!」と題して、区長の談話室をお送りしています。さて次は皆さまお馴染みの松任谷由実さん、ユーミンさんのお話をご紹介しましょう。

松任谷由実氏のインタビューとその感想

インタビュー内容
  • (パーソナリティ)松任谷由実さん、世田谷区名誉区民おめでとうございます。
  • (松任谷氏)ありがとうございます。
  • (パーソナリティ)まずは、名誉区民になられてのご感想はいかがでしょうか。
  • (松任谷氏)もう大変光栄なことだと思って喜んでおります。
  • (パーソナリティ)区民としてもとても嬉しく思います。松任谷さんは世田谷区に長い間お住まいになっているということなのですが、世田谷区の住み心地はいかがですか。
  • (松任谷氏)もう大変結構ですよ。私の住んでいる辺りは特にみどりが多くて、お散歩にも素晴らしいですし、創作活動に大変役立たせて頂いています。
  • (パーソナリティ)今、みどりが多いというお話だったのですけれども、世田谷区の中で特にお好きな場所というのはありますか?
  • (松任谷氏)世田谷区は本当に広くて、以前のパリと同じ大きさだという話ですけれど。一言では言えないくらい沢山好きな場所がありますね。お天気も、例えば弦巻で激しい雨が降っているかと思えば代沢では晴れているとかね。起伏がとにかく変化に富んでいて。バスに乗ったりするのが好きなのですけれども、一番前の席に座るのが好きなのですね。ご老人と小さいお子さんは座っちゃいけない。
  • (パーソナリティ)高いところですね。
  • (松任谷氏)高いところ。あそこが空いていたら必ず座って、公共の乗り物で観光したりしますよ。自分の好きな音楽を持って、イヤホンで聴きながら。目的もなく、世田谷美術館の辺りからずっと色々通って、都立大の方まで向かったり、或いは三軒茶屋の方から馬事公苑とかを通って、砧の方に戻って来たり。
  • (パーソナリティ)そうなのですね。じゃあ、私たちもバスに乗った時に、もしかしたらお目にかかることができるかもしれませんね。
  • (松任谷氏)まあ、なかなかないとは思いますけど。なぜかというとね、仕事じゃない時はオーラを消しているので、しゃべらなければ全然判らないんです。
  • (パーソナリティ)世田谷区の中をバス観光ということなのですが、以前、松任谷さんが創作活動をされる時に、世田谷区内のファミリーレストランで、お隣のカップルの話を聞いてという話が有名なのですけれど。
  • (松任谷氏)伝説になっているという。まあそれは、一度くらいね、そういうおいしいことがあったのを、たまたま言ったら、いつもしている風に思われていますが。そうですね、思い出深いのは、松原に住んでいた頃がありまして、世田谷区に住み始めて割と初めの頃、馬事公苑のロイヤルホストによく行きましたね。マクドナルドで詩を書いたりしたこともありましたし、あと、神戸屋、環八の烏山の方の。そういう風に地名だけでも本当に世田谷は広いですから。あそこも世田谷だったというようなことがよくありますね。
  • (パーソナリティ)世田谷区内を歩いたり、色々なことを見たりしながらのインスピレーションということだったのですけれども、実際、そういうところから、世田谷のイメージで生まれた曲というのはあるのですか。
  • (松任谷氏)いっぱいあると思います。具体的な地名とかを出さないまでも、空気感、みどりの感じ、風のにおい、日々感じていますから、歌に反映されていると思います。世田谷にお住まいだったら、同じにおいを感じとってもらえる率が高いとは思います。
  • (パーソナリティ)松任谷さんにとっては、将来の世田谷区はどのような街になって欲しいとお思いですか。
  • (松任谷氏)そうですね、ますます自然を守って、それと共に、ショッピングモールや映画館や文化的な場所も隣接しているという、その丁度良さをますます追求して、ユニークな場所になっていって欲しいと思います。
  • (パーソナリティ)わかりました。これからも世田谷区内の色々なところで、ぜひインスピレーションで色々な素敵な曲、これからも期待しています。今日は、本当に世田谷区名誉区民おめでとうございました。
  • (松任谷氏)ありがとうございます。
  • (パーソナリティ)お忙しいところ、ありがとうございました。
インタビューを聴いて
  • (パーソナリティ)ユーミンさんのお話をお聴き頂きました。とても素敵な方でした、区長。
  • (区長)お話になっているように、バスの中でよく見たらという、そんな可能性もあるということですよね。
  • (パーソナリティ)はい。
  • (区長)世田谷区のことをよくご存じだし、世田谷という文字こそユーミンの歌の中に出てこないけれども、前に区のおしらせ「せたがや」の新年の特集で対談をしたことがありました。この時に色々聞いていくと、「中央フリーウェイのここは。」とか、「このラブソングのここの最後のサビの部分は。」と全部覚えていらっしゃるのですね。「そこで石段を降りているときにふっと浮かんできた。」とか。そういうふうに世田谷の街を歩いたり、お店で考え込んだり、人の流れの中で歩きながらなどと、ユーミンの創作活動自身が意外とやはり世田谷発だったというね。
  • (パーソナリティ)はい。
  • (区長)これはすごく発見ですよね。名誉区民になって頂いて、これから世田谷区民ならではの、特に音楽というところで本当に大活躍しているアーティストとして、身近な活動を期待したいなというふうに思います。いかがでしたか、お話を聞いて。
  • (パーソナリティ)とても親しみやすくお話してくださって、同じ区民として、名誉区民になられたことを非常に嬉しく思いました。きっとリスナーの皆さんも同じ気持ちだと思います。
  • (区長)ユーミンとお会いするようになったのは、松任谷正隆さん、そして松任谷由実さんの3人でとあるお蕎麦屋さんでお食事をしたことがきっかけなのですけれども、それ以来、彼女のステージ、ミュージカル、歌とお芝居の複合体を帝国劇場で挑戦されたり、毎回違うのですね。本当に毎年、毎回やる度に新しいジャンル、新しい表現に挑戦をされているので、ある意味絶対止まらない感じですね。それが彼女の魅力でもあるし、しかもヒット曲が親子、あるいは3代で、おばあちゃんと娘と孫みたいな、そういうファンの方が結構来ていますので、松任谷由実さんが名誉区民になってくれたことでまた新しい世田谷の楽しみが増えるのではないかなというふうに、僕も期待しているところです。

人口90万人を超えた世田谷区の未来

  • (パーソナリティ)今、3人の名誉区民になられた方のお話などを伺ってきましたけれども、ところで区長、世田谷区の人口がついに90万人になったそうですね。
  • (区長)はい。10月13日に、ついに90万人の壁を破りました。人口が90万人台というのは、言わずもがななんですけれども、幾つもの県よりも、幾つもの政令指定都市よりも大きいのです。ですので、90万人人口という非常に多くの人々が住みながら温かいコミュニケーションや気持ちの良い関係が築ける、住みやすい街にしていきたいなとますます思います。
  • (パーソナリティ)今後25年間の将来人口の推計も取りまとめたということですよね。
  • (区長)そうです。人口の推移を見ると、100万人都市に向かっているというふうに思っています。人が増えていく、住宅密度が濃くなればみどりが減っていくという心配もありますので、そこは本当にバランスが取れた、みどりもちゃんと残しながら、生まれたての赤ちゃんから高齢の方まで多世代が過ごせる、そんな街になっていくと良いなと思っています。
  • (パーソナリティ)わかりました。今日は区長の談話室、「世田谷の未来を語る!」と題してお送りしてきました。保坂展人区長、どうもありがとうございました。
  • (区長)はい、ありがとうございます。

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