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平成29年9月の「区長の談話室」(ゲスト:源川真希氏、髙嶋修一氏)

更新日:平成29年10月9日

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平成29年9月の「区長の談話室」

9月3日・10日放送 区長の談話室 「世田谷区の歴史をご存じですか?」

(補足)10日は3日の再放送です。

平成29年10月1日に、世田谷区は区制85周年を迎えます。今回の放送では、源川真希(みながわまさき)氏(首都大学東京都市教養学部教授)、髙嶋修一(たかしましゅういち)氏(青山学院大学経済学部教授)をゲストに迎え、区の歴史や区史編さん事業についてご紹介します。

   区制85周年と区史編さん事業について

  • (パーソナリティ)今日は、「世田谷区の歴史をご存じですか?」と題しまして、この10月に区制85周年を迎えます世田谷区の歴史についてお送りして参ります。では、早速ゲストをご紹介いたします。首都大学東京都市教養学部教授の源川真希さんです。よろしくお願いいたします。
  • (源川氏)よろしくお願いします。
  • (パーソナリティ)そしてもうお一方は、青山学院大学経済学部教授の髙嶋修一さんです。よろしくお願いいたします。
  • (髙嶋氏)よろしくお願いします。
  • (パーソナリティ)ゲストのお二人は、世田谷区制85周年にあたりスタートしました世田谷区史の編さん委員でもいらっしゃるのですよね。
  • (区長)そうですね、お願いしています。
  • (パーソナリティ)この区史なのですけれど、区長、今年の10月で世田谷区が誕生して、なんと85年になるとお聞きしました。
  • (区長)はい、そうですね。世田谷区の歴史、区史は最初に出たのが昭和26年でした。昭和37年に「新修世田谷区史」というのが出て、昭和51年に「世田谷近現代史」、そして「世田谷の歴史」と出ていて、平成4年に「世田谷百年史」が出たのですが、それから25年経ちますが出ていないと。その間随分研究とか検証が進んだので、この区制85周年からスタートして区制90年位、つまり5年後位、1冊目の原始・古代、2冊目が中世・近世の初期ですね。3冊目が近世の中期・末期、そして4冊目が近代、5冊目が現代ということで、プラス資料編をつけて、これが段々と刊行されていき、区制100年に向かうというかなり壮大な計画なのですね。
  • (パーソナリティ)やはり徐々に作っていくということなのでしょうか。区の歴史である世田谷区史を編さんするにあたって、お二方の思いを伺いたいのですが、源川教授、いかがでしょうか。
  • (源川氏)はい、今区長からお話があったわけですけれど、自治体史の編さんというのは、おそらく行政の仕事の中でもあまり目立たない分野だと思うのですけれど、何十年か経って、区民の方がこの世田谷のことを調べたいという時に必ず使うものですので、何十年経っても使われる区史を作っていくという、これはおそらく行政の仕事の中で、すぐに結果は出ないのですが、非常に長持ちするというか、そういう仕事かなと私どもは思っていますので、その意味で編さん事業を進めていく責任というものを感じております。
  • (パーソナリティ)いかがでしょうか、髙嶋教授。
  • (髙嶋氏)はい。今、源川先生がおっしゃった通り、自治体史というのは大変重要な仕事です。それで東京の他の特別区でも、やはり同じタイミングで区史の編さんが進んでいるわけですけれど、中には色々な事情で一冊の本しか出せないですとか、準備期間が2年あるいは3年ぐらいしか取れないといったような区もあるように伺っています。そうした中で世田谷区は、今のところ5冊、それに資料編も加えて、しかもこれから区制100周年に向けた長い時間をかけて準備をしていこうということで、大変力の入った事業であるように見受けられます。そういった仕事を引き受けさせていただくということで、私も大変身が引き締まる思いでおります。
  • (区長)源川先生、世田谷には郷土資料館があって、やはり郷土資料館で常に展覧会をやったり冊子を出したりしていることも随分集積にはなっているのですね。
  • (源川氏)はい。郷土資料館については、展示あるいは資料の収集という意味で、非常によくやってくださっていると思っています。最近では、今に非常に近い時代、例えば高度経済成長期の世田谷の様子の写真の展示をしたりということで、おそらく区民の皆さんにもすごく関心を持っていただけるようなものではないかと思っています。
  • (区長)いかがですか。
  • (髙嶋氏)そうですね。世田谷区の郷土資料館というのは、やはり23区の資料館の中でも非常に活発に活動を続けてきた館だと思っております。私自身も大学院生の頃から研究で随分お世話になっておりまして、ここにしかない貴重な資料というものを沢山見せていただくことができました。
  • (区長)区史という形では出ていないのですけれど、郷土資料館の中での資料集、冊子、特別展のカタログという形でまとめられているその集積も、区史に反映できるということでしょうか。
  • (源川氏)そうですね。これまで郷土資料館で独自に調査研究を進めておりますので、その成果は今度の区史にもかなり活かせると思っています。ただ、近現代に関しましては、これからやはり色々と調査を進めていきたいと思っていまして、古くから世田谷に住んでいらっしゃるお家あるいは企業といったところにも資料がないかということを、我々今すごく関心を持っているところでございます。
  • (区長)ちょうど平和資料館が世田谷公園の中にオープンいたしまして、区民から寄せられた資料を紐解いて色々見ていくと、戦争中の非常に詳細なスクラップブックが出てきたり、あるいは戦時下で発行されていたグラフ誌、大変史料的な価値が高いものがあったり、うまく色々な施設でストックしている歴史的な史料が合体して区史になっていくと良いなと思います。編さん委員会が先日ありまして、今回相当の規模で広い範囲で区民から史料をどうぞ持ち寄っていただきたいという呼びかけをすることになると、その記録なり収集した史料を公開していくというその工夫も必要だという話になりましたが、そのあたりはいかがでしょうか。
  • (髙嶋氏)そうですね。私は専門が近現代史なのですが、世田谷区内には近現代の資料がかなり沢山あります。今までも積極的に収集してまいりました。かなりのものが郷土資料館に寄託・寄贈という形で集まっております。しかし世田谷区史を新しく作るにあたっては、更なるそうした史料の発掘、収集というものが必要になると思います。例えば町内会ですね。これは戦前から大きな役割を果たしてきましたし、今区長がおっしゃったように、戦争中もかなり区民生活に大きな影響を及ぼす団体でした。それから青年団ですとか区内の企業、本当に何でもかまわないのですが、区の民間の団体、あるいは個人の資料というものを色々な形で情報を集めて探し保全していく。公開をするとなるとすぐには難しいかもしれませんが、もし捨てられてしまったら永久にこの世から無くなってしまいますから、それだけは避けておくといった取組みが必要になってくると思います。
  • (区長)冊子を作って、それが区制90周年から100周年にかけて出来上がるということがゴールではありますけれども、その過程で集められた史料、これを閲覧可能、アクセス可能なものにしていくということも大変大事だということですよね。
  • (髙嶋氏)最終的にはアクセス可能なもの、どなたでも見られるようにすることが、もちろん望ましいと思います。しかし、色々な事情で見られない場合であっても、決して捨ててはならない。区史ができたからもう元になった史料は捨ててしまってかまわないと考える方もないではないのですが、そうではなくて世田谷区100周年を迎える直前にはこのような解釈をしていました、これだけの史料を使ってこのような歴史像を描いていました。しかし、そうしてできる本があるわけですけれど、また何十年か経てば同じ史料を見ても違う歴史像が見えて来るかもしれない訳です。ですからそれはやはり後世の人たちにとっておいてあげるということが必要かと思います。
  • (区長)源川先生、区民にできる限り色々な局面で参加してもらおうということで区では取り組んでいるのですが、実は郷土史ということになると、本当によくお調べになっている方、関心、興味の深い方が多いのですね、世田谷区は。ですから、歴史シンポジウムなど本当に小さな会かと思うと100人以上の方が集まったりするのが常なのですが、そういう区民の方の参加についても、できるだけお願いしたいと思うのですが、そのあたりはいかがでしょうか。
  • (源川氏)はい、区民の方の参加という意味で、色々なやり方があると思うのですけれど、やはり編さんの過程はおそらく何らかの形で、情報公開と言いますか、編さん委員会が行われればそれについてはある程度の情報というのが発信されるのかと、これは一つあるのですね。それから、区民の方にどういうふうに参加していただくかというのは、なかなか我々が頭を使って考えなければいけないことで、一つはやはり既存の史料ないし郷土資料館が持っている展示のようなものを広く区民の方に知ってもらって何らかの講演会のようなものを行うとか、あるいは編さんの進む過程で同じように勉強会なり講演会といったものを開催するというような、そういうこともあるのかと感じております。
  • (区長)なるほど。もう一つ、このテーブルの上にゲラがあるのですね、実は。これは10月に向けて区史編さんのキックオフ出版というかダイジェスト編で、世田谷区史を「往古来今(おうこらいこん)」というようなタイトルで、ここに「世田谷のあけぼの 原始古代」という部分が既に出来つつあるのですけれど、こういったものをまず手にしていただいて、それをもっともっと濃いものにしていくということで、何か参加していただくという、このダイジェスト版の意味も少し教えていただけますでしょうか。
  • (髙嶋氏)このダイジェスト版は、非常に短い時間で作成することになりまして、正直申し上げますと、お示しいただいた時には、普通ではなかなかできないなという位の時間だったのです。
  • (区長)無理をしていただいたということで。
  • (髙嶋氏)しかしながら、なんとか10月に出そうということで原稿も出揃いつつあり、実は私がまだ書いているのですけれど、そういったことが可能なのはやはりこれまでの蓄積があったからだと言えるとも思います。このダイジェスト版を出すことで、今まで世田谷区で調べられ研究されてきたことがはっきりして、そして一方で、これから調べなくてはならないこと、あるいは調べられそうなことというものも見えてくると思います。そうやってこれから調査研究していくことを本編の世田谷区史に活かしていくことが大切なのではないかと思います。
  • (パーソナリティ)皆さまの力が加わっ て、すごく素敵なものができそうな気がしますね。まだまだお話は続きますが、ここでひとまずブレイクタイムをいただきます。
写真9月
(左からパーソナリティ、区長、髙嶋氏、源川氏)

世田谷区の成り立ち 区制85周年記念式典やイベントの告知

  • (パーソナリティ)今日は、「世田谷区の歴史をご存じですか?」と題してお送りしています。そして源川教授、髙嶋教授に色々とお話を伺っているのですけれど、そもそも世田谷区はどんなふうにしてできたのでしょうか。
  • (源川氏)世田谷区というのは、明治時代にまず世田谷の区域に6つの村ができております。それまでの村と江戸時代からの村はもっと小さな村だったのですが、それを集めて明治時期に、我々は行政村と言っているのですけれど、そのまとまりをつくりました。それが6つあって、そのうち最初に世田谷、駒沢、松沢、玉川、この4つの村あるいは町が1932年(昭和7年)に合併しまして、東京市世田谷区になります。それから数年後に砧村、千歳村、これが編入されまして現在の世田谷区と同じ地域が世田谷区という形で誕生すると、こういう経過になります。
  • (髙嶋氏)そうですね。今の源川先生がおっしゃったような形で、世田谷区の区域の枠組みというものが出てきたわけですけれど、ではなぜそもそも1932年(昭和7年)に4つの村が東京市に合併されたのかということが次に問題になってきます。世田谷というのは、江戸時代からもともと江戸という大きな都市の近郊の農村として野菜などを供給したりしていたのですけれど、いわゆる近郊農村として明治時代も人々が暮らしていました。ところが明治の末期、あるいは大正時代頃、つまり20世紀に入って少し経った頃から、段々都市が大きくなって東京からはみ出して来る人々というのが出始めます。例えば役人、軍人、学者とか弁護士、あるいは大きい企業の正社員もそうです、ホワイトカラーと一括できるような人々ですけれど、当時「新中産階級」と呼ばれた人たちが、郊外のどちらかといえば自然に恵まれた環境を求めて家を建てていく、そして移住していく、こうやって少しずつ郊外住宅地化が始まってくるのです。これは世田谷区域だけではなくて、他の例えば現在の杉並区ですとか足立区、練馬区といったようなところでも同じように起きていました。もう実態としては一つの大きな都市になっているわけです。ところが制度的には東京市と周りの町や村に分かれている。これでは道路の設備、あるいは後になると水道の整備といったことを進めていく上で色々と不便だということで、いっそ一つの都市にまとめてしまおうという動きが起こって来るのですね。そして実現したのが、昭和7年の東京市域拡張というもので、これは今日風に言えば市町村合併ですけれど、こういうことが実現します。当時新しい世田谷区を含めた新しい東京市の区域のことを「大東京市」と呼んでおりました。世田谷区で初めて電車が通ったのはいつかと言いますと、これは1907年(明治40年)に、いわゆる「玉電」として親しまれている玉川電気鉄道、今は地下鉄になって東急の田園都市線になっていますけれど、これが渋谷から今の二子玉川辺りまでを結ぶようになっています。その後は、新宿から伸びてきた京王線が世田谷区内を通過します。大正から昭和の頃に、今の東急線の電車なども建設され、また小田急、京王井の頭線、当時は帝都電鉄と言いましたがこういった鉄道が新しく開業しまして、とにかく都心に出るのに非常に便利な土地になってきます。
  • (区長)その頃になると今の鉄道網はほぼ出来上がって来るのですね。
  • (髙嶋氏)そうです。ですから1930年代の前半には現在の鉄道網が基本的には完成したと言っていいと思います。それで戦後まで多少輸送力の増強などをしながら高度成長期を支えていくことになるわけです。後はどんどん、もちろん途中に戦争をはさみますけれども基本的には都市化が進んでいき、今日ご存知のようなベッドタウンになっていくというわけです。
  • (区長)人口も急増していくわけですね。
  • (髙嶋氏)今、世田谷区の人口というのは?
  • (区長)やがて90万人。
  • (髙嶋氏)やがて90万人ですか。当時昭和7 年に合併した時の人口の資料を今日は持って来なかったのですけれど。
  • (源川氏)ちょっとわからないのですけれど、東京市が合併した時に大体500万という人口だったでしょうか。
  • (パーソナリティ)500万人。
  • (髙嶋氏)今では東京地域、大体1,000万人を超えていますかね。
  • (区長)23区で900万人を超えています、今現在で。
  • (髙嶋氏)そうですか。1割は世田谷に住んでいるということですね。
  • (区長)そうですね。やはりベッドタウンという特徴と、農業も、ずっと現在も農家もありますし農作業も行われている、田園光景と住宅地が融合したような、そういう時期が長かったのですね。
  • (パーソナリティ)やはり住みやすいのと便利という色々な意味を兼ね備えていたのでしょうか。
  • (髙嶋氏)元々住みやすかったのかというと、必ずしもそうではないのですね。やはり、新しく移住して来る方々が住まう為には、それまで通りの田んぼや畑、細い曲がりくねった道だけでは宅地化するのがなかなか難しいということで、例えば耕地整理とか、土地区画整理といって田んぼや畑、曲がりくねったものを整理して道路の幅を広くして、そして碁盤目状に整備するといった努力も、これは元々世田谷に住んでいた大きな農家の方が組合を作って実施するのですけれど、戦前から戦後にかけて行われました。
  • (区長)玉川地域は、特に耕地整理が進んで、髙嶋先生が本にもまとめられていらっしゃいますけれど。
  • (髙嶋氏)玉川地域の耕地整理というのは、私が学生の頃から勉強させていただいて、とうとう学位論文までこれで書かせていただいたという、私は世田谷とはそれまでは特に縁がなかったのですけれど、今では大変感謝しております。
  • (パーソナリティ)そうなのですね。本当に楽しいお話がどんどん聞けば聞くほどありそうですが、区長、区制85周年の記念式典やイベントもあるということですね、今年は。
  • (区長)そうなのですね。実は10月8 日の日曜日に記念式典を行います。区民会館のホールで行います。まず、10 時から記念式典なのですが、功労表彰がございます。実は日野原先生が残念ながら先日亡くなってしまわれたのですが、新たに3 人の名誉区民が顕彰されます。大村智さん、ノーベル賞で有名ですね。鈴木忠義さん、川場村の区民健康村を作られた。そして松任谷由実さん、ユーミンです。
  • (パーソナリティ)世田谷と言えば。
  • (区長)この3人が新たに名誉区民に顕彰される。更にこの日に国際交流イベントや記念コンサート、それから地域から歩いて世田谷区役所にやって来ようというイベントなど賑やかに行われていく予定で、詳しくは、
  • (パーソナリティ)はい。区のお知らせ「せたがや」9/15号をご覧いただきたいと思います。では最後にまとめを一言お願いいたします。
  • (区長)是非、お二方、二人の先生に頑張っていただいて、これは本当に大きなチームプレーで息の長い仕事なので、是非よろしくお願いしたいと思います。
  • (源川氏)(髙嶋氏)よろしくお願いいたします。
  • (パーソナリティ)今日は、貴重なお話を本当にありがとうございました。源川教授、そして髙嶋教授、保坂区長、ありがとうございました。
  • (源川氏)(髙嶋氏)(区長)ありがとうございました。  

 

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